運命の乙女(3)
工業都市グラスガム。その街はこの国で最大の人口を誇る経済の中心地であり、最も複雑怪奇と化した場所である一大産業都市だ。
工業化する以前から続く伝統産業地区は旧市街として開発から外され、貧民街が隣接する近寄りがたい場所となっている。
資本主義の元、貧困の格差が激しくなり、貧民街は拡大し衛生面の悪い、悪臭漂う地区が増えていくが、それを遙かに上回るスピードで都市周辺の田園や森が接収、買収され工場や建物が建築されていく。
そして建設ラッシュや工場の増築、新たな土地の開発、整備は仕事を生み、人手を欲する。
さらに鉄道が開通し、自動車のための交通道路が整備された事により地方からの移動も容易となったため、仕事と一攫千金を求めて人々が途切れることなく流入してくる。
どれだけ貧民街が拡大しようと、それを上回る速度で都市開発が進み、また多くの貧民を生み出す。
これの繰り返しでこの都市は人と物が集まる国内最大の都市となったのだ。
とはいえ、その代償はあまりにも大きい。
貴族や大富豪の住む地区は整備が行き届き、衛生面も保たれているが、それ以外の地区はそうではない。
急速な産業の発展により都市衛生は最悪で、市内を流れる川は茶色く淀んだ汚物まみれの川で、常に異臭が漂っていた。
さらに工場の煙突から出る煙で街が満たされ、市中の大気汚染は深刻であった。
工場地区に隣接する住宅街はどの家もすすまみれで、一歩外に出れば衣服はすぐに黒く汚れるため誰も白い衣服を着ようとはしない。
生活用水となるはずの川の水は工場排水や浮かんでいる動物や浮浪者の死骸などでもはや汚水以外の何物でもなく、人々が安心して飲める水はもはや酒以外にはなかった。
そのため、多くの市民が酒ばかり飲み、アルコール依存症になる率が高くなっている。
それ故に治安も悪く、街中で喧嘩が発生しているのが当たり前、警察が介入しない日がないほうが珍しいほどだった。
市内の病院も貴族や大富豪の住む地区は安全だろうが、それ以外の地区は行けば何かの病気をもらう感染症のたまり場となっており、病気になったり怪我をしても「通院するくらいなら死んだほうがましだ!」という言葉が当たり前という状態だった。
こんな有様を見てしまったからなのだろうか?
この国の首都は少し離れた場所にあるのだが、この都市のような開発を押し進めることを首都では禁止しているらしい。
なんでも国王は宮殿やそれに連なる施設に王侯貴族の館が連なる地区での衛生面の低下や景観の破壊は許さないとしているらしく。
資本主義を取り入れ、産業化を押し進めながらも、あくまで首都は神聖なもので手をつけるべからず、貧困街や貧民の存在も許さないのだとか。
なんとも都合のいい話だが、それが今のこの国の現実らしい。
ゆえに、首都に人は集まらず、この街に人が集まる。
この異世界での資本主義経済の最先端がこの街なのだ。
「とは言ってもこれじゃあなぁ……」
そう言って、煤まみれになった窓を見てゲンナリする。
そんな自分とは正反対に、隣ではフミコがハンカチで口と鼻を覆いながら窓の外を目を輝かせながら眺めている。
今、自分達が乗っているのは市内のメインストリートを走る路面電車だ。
この産業都市はあまりにも大きいため、歩いて移動するより公共機関を使った方が速いだろうという結論にいたったわけだが、それにしては路面電車の乗り心地は最悪だった。
とはいえ、この路面電車は乗車賃がタダなため、あまり文句は言えない。
とはいえ、それでもタダだからで我慢できないものもある。市内に充満する汚染された空気、悪臭だ。
そもそも窓をしめても空気が悪いとはこれどういう事だろう?
そのため車内にもかかわらず口や鼻をハンカチで覆っているわけだが、これだとマスクをつけていたほうが手が楽かもしれん。
しかし、この世界にはマスクという文化がないのか、そもそも開発されていないのか、誰1人マスクらしきものをつけている者はいなかった。
(常にハンカチで口元を覆っていなければならない苦痛を思えば登場しててもおかしくないはずなんだがな? どうなってんだ? この世界……)
そう思っていると目的の駅についたらしく、今だ煤まみれの車窓の景色を楽しむフミコを引きずって路面電車を降りる。
降り立った地はこの異世界のウォールストリートとも言うべき場所。
この産業都市の中心地で金融街。まさにこの異世界の今が見える場所だ。
「とはいえ、少し場違いすぎたか?」
空気が汚染されているとはいえ、ここは金融の中心。見るからに貴族な服装や態度の人も多く歩いており、とても気軽に話を聞ける場所には見えなかった。
「だからと言って街に入ってすぐの貧民街で情報が沢山手に入るとも思えなかったし……」
そう悩んでいるとフミコがあるお店を指さす。
「ねぇかい君、とりあえずご飯食べない?」
「ん? ご飯?」
「うん、あそこ飲食店っぽいよ?」
フミコが指さした先にあったのはオープンテラスがお洒落なカフェであった。
「確かに、ここらを歩いてる意識高い系にいきなり突撃するより、カフェで何か食べながら周囲の会話を盗み聞きするほうが効率いいかもな」
「じゃあとりあえず行ってみよう!」
「そうだな……ん?」
言って、しかしある事に気がつく。
そう、これはとても重大な事だ。
なので歩き出した足をすぐに止める。
「どうしたの?」
そう言って首を傾げるフミコに重大な事実を告げる。
「いや、今気付いたんだが……そもそも俺たちこの世界のお金持ってないから店に入っても何も頼めないよな?」
「…………え?」
フミコはそのまま固まってしまった。
無理もない。何せ路面電車は乗車賃タダだったのだ。
あそこで切符買わないといけないって事態が発生していれば気付いたかもしれないが、ここにくるまでタダだったのだ。
むしろ金融街、世界経済の中心地だろうここまで無賃でこれる事のほうがおかしいんだよな、どうなってんだこの世界?
やれやれ、ここは警察官なりを探して消費者金融っぽい貸金業がどこかにないか尋ねるべきか? と思った時だった。
どこからともなくカラスが飛んできて、あろう事か自分の肩に降り立ったのだ。
「なんだ!? このカラス!」
「何だとは何じゃ! せっかくアドバイスしに来てやったというのにの」
「お前カグか?」
「そうじゃなきゃ何に見えるのかの?」
「いや、カラスだ」
至極真っ当な返答をするとカグがクチバシで突いてきた。
「痛っ!! やめろ突くな!!」
「貴様がただのカラスなどとぬかしおるからじゃ! 顔を見ればわかろう?」
いや、わからんがな!
と心の中で突っ込むが、まぁわかる人にはわかるんだろう。
人間だって白人からすれば東洋人はすべて一緒の顔に見えると言うが、こちらからすれば白人がすべて同じに見えると言うが、親しく付き合っていけばそんなものはなくなっていく。
つまりはその段階にはまだ達していないという事だろう。
「……で? アドバイスしに来たって一体何のだ?」
「つれないのう? 久しぶりの登場じゃと言うのに会えなかった寂しさと感動の再会で涙は溢れんのかの?」
「何をどう転んだら寂しさで涙が溢れるんだよ? てか次元の狭間の空間でいつも会ってるだろ」
「そういう話をしとるんじゃないんじゃがの?」
そう言うとカグはやれやれといった仕草を見せると本題に入る。
「お金がないという話をしてなかったかの?」
「あぁ、そうだよ。おかげでカフェで情報収集しようにも店に入れない」
「そりゃそうじゃろうな? 現地との関わりを極力避けるなら、現地で買い物など以ての外じゃ」
「んな事わかってるよ! でも情報収集するには仕方がない時もあるだろ」
言うとカグはうんうんと頷く。
「それもそうじゃ、じゃからこそ現地で使える金がいるの?」
「くれるのか?」
聞くとカグは首を振った。
「神の恵みに現金支給はない」
「ちっ……つまらねー神さまだな?」
「神頼みで有り金を要求する奴につまらない神と言われてもの?」
カグは小馬鹿にしたような表情で言ってくる。
なんともムカツクやろうだ、いますぐ殴り倒して汚物だらけの川に放り投げてやろうと思ったが、それを察したのか羽ばたいて自分の肩から飛び立つと少しだけ移動してフミコの肩に止まった。
「おい、フミコから離れろ」
「貴様が物騒な事を考えるからの? 自衛処置じゃ」
そう言って意地が悪そうな顔をするカグだったが、すぐにフミコに首根っこを捕まれる。
「おい! こら! やめろ! 離すのじゃ!!」
そんな事をカグは言ってバタバタと羽根を動かしたりして暴れるが、フミコは気にする事なく北京ダックの材料を手に入れた中華料理人のように冷静にカグの首を持ってこちらに突き出してくる。
「かい君、はい」
「お、おぅ……」
弥生時代人は野鳥の捕獲もお手の物という事なのだろう。
その当たり前の動作でカラスをこちらに渡されてもどうしたらいいのか自分にはわからないが、まぁこいつは食う食材じゃなくて今は殴るサンドバックだから気にする事ないか?
「気にしろ! 何がサンドバックじゃ!! 貴様お金の問題忘れ取るじゃろ?」
「あ、そう言えばそうだったな」
そう言ったところでカグがフミコの手を振りほどいて逃げ出す。
そして近くのベンチに止まると、ため息をついた。
「まったく……アドバイスしてやろうかと思ったがやめとこうかの?」
「金くれないなら他に何があるってんだ?」
「はぁ……これだから貧乏人は困るのじゃ」
「あぁ!?」
「ほっほっほ! もう捕まったりはせんぞい?」
そう言って軽く羽ばたきながら挑発してくるカグの横をシュンと素早い速さで何かが通過していった。
その事にカグが冷や汗をかいて動きを止める。
それはフミコが放った矢であった。
フミコはいつの間にか丸木弓をその手に持ってカグへと向けていたのだ。
「次は外さない」
「ちょっと待つのじゃ! それは洒落にならんわい!」
「フミコ、それはさすがに……まずは金を出させてからだろ」
「貴様もちょっとは自重せんかい!」
カグが怒鳴ったところで、さすがにフミコを止めに入った。
いつまでもここで騒いでても仕方がない。
金に代わる何かがあるからさっさと頂こう。
「まったく……少しは神をいたわれ」
「そういうのいいから早く金」
「……貴様のう? まぁいいわい、とりあえずスマホを出すんじゃ」
カグに言われてポケットからスマホを取り出す。
スマホが一体どうしたと言うのだろうか? すると画面に妙なアイコンが増えていた。
「ん? 何だこのアプリ? こんなのとったっけ?」
「それはわしが追加しておいたアプリじゃ」
「は? 何だそれ?」
カグがドヤ顔で言ってきたが、この神を自称するカラスは人のスマホを勝手に弄りやがったのか?
スマホは究極の個人情報ツールでプライベートアイテムだというのに許せん! やはりドブ川に捨てるべきか?
とはいえ、今は話を先に進めるべきだろう。
カグのスマホ勝手に弄り疑惑は一旦置いておいて、追加されたアプリを見る。
それは黄色い文字でGと書かれたアイコンだった。
そしてGの下に小さくこう書かれている「GodPay」と……
「おい、嫌な予感がするが何だこれ?」
「見てわからんかの? GodPayじゃ」
「は?」
「ふむ、読んで字のごとくなのじゃがの? 神様専用のキャッシュレス、電子決済アプリじゃ」
「ぬほぉぉぉぉぉ!!!! まさかと思ったがマジだったかチクショー!! もうアホすぎんだろこれ!!」
カグがしれっとした顔で言ったので思わず頭を抱えて叫んでしまった。
いやいやいや? おかしいだろ? 神様専用の電子決済だぁ?
この世界はあれか? 電子決済通用すんのか? しかも神様専用だぁ?
あれか? 「俺は神だ! 後はわかるな?」って無銭飲食しろってか? 商品持ち逃げしろってか?
バカじゃねーの?
そもそも、そのアプリにチャージされる金はどこからくるの? 単位は何なの? レートいくら? ねぇ? ちょっと教えて?
そんな風に悶える自分を見て、カグがため息交じりに言ってくる。
「少しは落ち着かんかい。そのアプリの説明してやるからまずはアプリを起動せい」
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「少なくとも神が皆使っとる電子決済アプリじゃ。乱立する○○payや電子マネー、プリペイド、クレカよりよっぽど安心じゃぞい? 還元率も段違いじゃ!」
「あ、そうっすか……」
もう突っ込むのもアホらしくなってきた。
もう何でもいいよ……
「で、起動したがどうなってんだこれ?」
アプリを起動すると支払方法の設定画面が出てきたが、よくわからない項目がいくつかある。
まず最初の選択肢、支払をスマホ料金と紐づけするはわかる。オーソドックスなパターンだ。
というか、スマホ料金って今の異世界渡航中のこの状態で発生するんだ……携帯会社機能してるのか?
次にクレカを登録してクレカで引き落とすパターンと銀行口座を登録して引き落とすパターンの選択肢。
これもオーソドックスなものだ。
当然、クレカ会社と銀行生きてるのか? って疑問は生じるが、まぁここは受け入れるとしよう。
問題は次からだ。
残り寿命を対価にしますか? って何これ? すごく怖いんだけど?
なんでスマホの電子決済使うのに命削られるの? 意味不明なんだけど?
そこまで命がけで使わないといけないものか? スマホの電子決済って……
で、次のポイント支払にしますか? って何? ポイントって?
あれか? 次元の狭間の空間の拡張やアビリティーチェッカーの追加機能拡張するのに必要ってあれか?
あのポイントか?
だったらこれ一番選べないやつじゃん!
現在のポイント残高もわからんし、どうやったらポイント増えるかもわからない、意味不明なやつだから絶対選択できないじゃん!
で、最後の神様敬服度で支払いますか? って何?
神を崇め奉ったら残高チャージされるの? 信者のいない新興宗教の勧誘アプリか?
なんじゃこれ?
「おい、何だこの後半3つ……」
呆れた顔で言うとカグが首を傾げる。
「至って普通の選択肢じゃぞ?」
「いや、どこがだよ!!」
「まぁ、お勧めはスマホ料金と紐づけとポイント支払のミックスじゃの」
「しれっとスルーするなよ!! てかポイントお勧めかよ!」
「そりゃ貴様のお金と連結させるのは当然じゃが、貴様の所持金が減ってきた場合、地球に戻ってバイトして所持金を増やすって事ができんからの? ポイントは常に貯まるんじゃ、そっちと掛け合わせるほうがよいじゃろ」
カグが至ってまともな事を言ったので仕方なく納得する事にした。
というかポイントが常に貯まる?
そんな事言われてたっけ? と思ったが、カグの事だ。
ステータス画面のヘルプを見ろとか言いだしそうなので聞かない事にした。
この異世界が片付いて次元の狭間の空間に戻ったらメンテナンス施設で確認する事にしよう。
まぁ、自分はあの画面を見るのはあまり好きではないのだが……
何にしても、異世界での金なしボンビー問題は解決したのでカフェに向かう事にする。
金融街の一角、建物の影に隠れて何者かがカイトとフミコ、ついでにしゃべるカラスの様子を窺っていた。
その何者かは全身を黒いローブで覆っており、顔もフードを深々とかぶっていて窺えない。
そんな黒ローブの横には中世西洋甲冑のフルプレートアーマーに身を包んだ姿の何者かが立っていた。
フルプレートアーマーに身を包んだ何者かは、しかし騎士というには放つオーラが禍々しい。
兜で顔が隠れているため素顔は除けないが腰に帯剣した剣の柄を時折とんとんと小指で突きながら、全身を黒いローブで覆った何者かと一緒にカイトとフミコの様子を見ている。
「ねぇ、あれが本当にそうなの?」
全身を黒いローブで覆った何者がフルプレートアーマーに身を包んだ何者かに尋ねる。
その声は女性のものだった。
その問いに対してフルプレートアーマーに身を包んだ何者かは断定はしない。
「あくまで可能性だ………この『判定』のスキルによればな………」
そう言ってフルプレートアーマーに身を包んだ何者は胸元からジャラジャラと音を立てる何かを引っ張り出す。
それは首からかけてブレストプレートの内側に仕舞っていたハンターケース型の懐中時計だった。
「それ、狙った相手がこちらが探している相手か判定ができるスキルだったかしら?」
「そうだ………と言っても正確ではない………何せ俺は「背徳の女神」とやらの手下ではないからな? お前たちの求める者を正確に理解してない以上、伝え聞いたものでしか判定できん」
そう言ってフルプレートアーマーに身を包んだ何者かは胸元に懐中時計をしまう。
その様子を見て全身を黒いローブで覆った何者が鼻で笑う。
「ならば今すぐ「背徳の女神」の元に跪きなさい。そうすればあなたもより良き未来を見られるわよ?」
「生憎とそういったものに興味がないんでね………まぁ、また依頼があれが言ってくれ」
そう言って右手を振るとフルプレートアーマーに身を包んだ何者かは踵を返して裏路地の闇の中へと消えていく。
全身を黒いローブで覆った何者はそれを見届けてつぶやく。
「そうね……機会があればまたね? スキルオーダー」
フルプレートアーマーに身を包んだ何者かは路地裏の闇に消えた後、どこかの建物の屋上に移動していた。
そして、そこからカイトとフミコが入ったカフェを観察する。
「『判定』のスキルね………まぁ、そんなスキル存在しないのだがな」
そう言って鼻で笑うと、胸元から一つの懐中時計を取り出す。
「さて、あれから少しは成長したか見物させてもらうぞ? GX-A03の適合者」
そう呟いて手の中でハンターケース型の懐中時計の蓋を開け閉めする。
兜で顔を覆っているため表情は伺えないが、フルプレートアーマーに身を包んだ何者かは明らかに楽しそうであった。




