運命の乙女(2)
ようやく出発の準備が整ったのは朝食を済ませてからずいぶん経ってからだった。
フミコとケティーの言い合いが一向に終わらなかったので、その間に神を自称するカラスのカグを探しに食堂を出て次元の狭間の空間内を歩き回ったが見当たらなかった。
あのカラスはいる時は本当に邪魔になるほど突っかかてくるのに、いない時は本当にどこを探してもいないのだった。
(まぁ神を自称してるくらいだからな、神々の住む世界やらにでも帰ってるのだろう……知らんけど)
そう考えながら次元の狭間の空間を軽く一周したあたりで2人が食堂から出てきた。
「気づいたらいなくなってたらビックリしたよ!」とフミコが言ってきたが、食堂を出た事に気づいてなかったのか……
とにかく、ようやく出発の目途が立ったわけだが桟橋まで来たところでフミコに質問する。
「ところで、いつまでそれ読んでるんだ?」
「へ?」
言われてフミコが本から目を離す。
そう、フミコはいまだに「初心者でもわかる異世界ガイドブック」という謎の本をずっと読んでいたのだ。
というよりその本の知識は本当に役に立つのか? と疑いたくなるのだが……
「そうだね、うん。読みながら歩くのはよくないね」
そう言ってフミコは本を閉じる。すると緑色の光を放って本が霧散した。
翡翠の首飾りの中に仕舞ったのだ。
「よし、行こう!」
フミコが笑顔で言った。
何はともあれ出発はできるようだ。というか異世界でもあの本読むつもりじゃないだろうな?
そんな疑念を抱きながらケティーに見送られて桟橋から異世界へと旅立つ。
さて、今回は前回のようにいきなり猛吹雪とかは勘弁願いたいが、一様心構えだけはしておく。
異世界へと足を踏み入れるとそこは草木が生い茂る森の中だった。
警戒して周囲を見回すが、即命に関わるような環境ではない事は確かである。
ほっと肩をなで下ろし、じっくりと状況を確認する。
遠くから音は聞こえるか? 風はどのように吹いているか? 生き物の気配はあるか? など、動き出す前に注意深く観測する必要がある。
その結果次第ではここをすぐに離れないといけないだろうし、身を潜めながら進まないといけないだろうし、ゆっくりのんびりしながらでも問題ないかもしれない。
何にしても知らない世界に何の情報もなしに足を踏み入れるのだ。どんな些細な事でも最初は探らなければならない。
「風の流れは至って普通、物音も特になし、小鳥のさえずりは聞こえるがこれといった大型の動物の気配もなし……か」
とりあえずここは安全だと確認してフミコの方を向くと、何やらしゃがんで山菜のようなものを引っこ抜いていた。
「何やってんだ?」
聞くとフミコがこっちを向いて笑顔で何だかよくわからない草を見せてくる。
「これ食べられそうだよ?」
「……フミコ。弥生時代はそれで良かったのかもしれないが、そんな怪しい草は今すぐ捨てなさい」
「なんで!?」
「なんでじゃない!! 毒があったらどうするんだ!」
それから渋るフミコを説得するのに色々と時間を浪費した。
足を踏み入れた場所から移動せず一体何やってるんだ? とため息をつきたくなった。
とはいえ、この森の中ではこれといったヒントはない。
とにかく適当でも進まないといけないだろう。
「とはいえ、どう進むべきか……」
そう悩んでいるとフミコが上空を指さす。
「ねぇ、かい君。あれ何?」
「ん? どうした?」
言った直後、上空を巨大な物体が通過していく。
まるでラグビーボールのような形に羽のような突起物がついており、何やら構造物もぶら下げている。
それはどう見ても飛行船だった。
「な!?」
慌ててフミコの手を取り、生い茂った草の中に飛び込んで身を潜める。
ここらは巨大な広葉樹が多く生えているため、それらに隠れて上空からこちらの様子などわからないだろうが、念には念を入れなければならない。
この世界の情勢がわからない以上は迂闊に見つかるのはまずい。
「ねぇ、あれって何かな?」
身を潜めた草の隙間から上空を観察しながらフミコが聞いてきた。
簡易ラーニングがどこまでの知識をフミコに与えたかは不明だが、仮に知識としてラーニングしてても実物を見るのは初めてなのだから、わからないのも無理はないだろう。
「あれは飛行船だな……」
「飛行船? って何?」
「まぁ空飛ぶ船というか移動手段というか……」
なんとも言葉に詰まる。どう言ったらいいのやら……
飛行船って何? と弥生時代の人間に聞かれ、こうですよ! と相手が即理解できる言葉や解説ができる人がいたらすぐに連絡してほしい。
自分にはまったくもってわからん!
軽飛行機だとか言えば簡単なんだが、そもそも気球すらない時代の人間にどう説明したらいいのかわからないな?
簡易ラーニングがどれだけの負荷がかかるかわからないが、やはりこういった現代基礎知識は完璧に詰め込んどいてほしいものだ。
とはいえ、脳に負荷がかかる恐れがあると言われ、それでも急激な知識の詰め込みを行うか? と問われた時にフミコの身を案じて断ったのは自分なのだが……
やはり、その都度面倒でも説明していかないといけないよなと考えていると、フミコが目を輝かせた。
「え? 空飛ぶ船? あれって乗り物なの? 乗れるの?」
「あ、うん……まぁ飛行船は一様乗り物だな。この世界の飛行船がどうかはわからないが……」
そう言って考える。
あの飛行船の材料はなんだろうか?
あれは軟式飛行船なのか? 硬式飛行船なのか? 全金属飛行船なのか? あるいは半硬式飛行船?
まさか準硬式飛行船って事はないだろうが、仮にそうだとすると、この異世界の技術レベルは相当高いという事になる。
「魔法だとか、一部の人しか使えないような異能に頼らず空を公的に移動する術を持った世界か……ひょっとしたらこれ、活動範囲が広がって数日かかるかもしれないぞ……」
先が長いかもしれないと思うと、何とも言えない気分になる。
これが現地人とも自由に交遊して、何も気にせず活動してもいいってゲームで言うところのオープンワールドな設定だったら気楽なものだし、楽しいとかワクワクするって感情もあったかもしれないが、生憎と自分たちはそれはできない。
つまり、数日かかるという事はそれだけ注意して過ごす日々が増えるという事だ。
「まぁ、どうなるかわからないが、まずはこの世界の事を知る事だな」
そう言って身を潜める草の隙間から上空を確認する。
情報収集するにも、こんな森の中では何も手に入らない。
飛行船が飛んでいるという事は、単純に考えれば飛行船が向かう先に飛行場なりがあるはずだ。
そこが軍の基地なのか民間の空港なのかはわからないが、情報の1つは手に入るだろう。
とにかく今はあの飛行船を追いかけることだ。
身を潜めていた生い茂った草から飛び出し、できるだけ上空から見えない位置を選びながら飛行船を追いかける。
どれだけの距離を移動したかはわからないが、飛行船を追いかけているうちに森の出口が見えてきた。
なので一旦飛行船を追いかけるのをやめて息を整えることにする。
「はぁ……はぁ……やっと一息つける。ずっと走りっぱなしだったから疲れたよ」
そう言ってフミコは両手をパタパタさせて顔を扇いでいる。
走りっぱなしで服も乱れているため、所々下着が見えそうで目のやり場に困るので服を正すよう注意して視線を逸らした。
とはいえ弥生時代には下着という概念が存在せず、本人的には裸を見られているわけではないという感覚のようだ。
なんとも困った羞恥心である。
簡易ラーニングはこういった現代の恥ずかしさのバロメーターを真っ先に教えるべきではないのだろうか?
まぁ、感性は人それぞれだから押しつけるものではないのだろうが……
「かい君、服正したよ?」
そう言ってフミコが上目使いでこちらの顔を覗き込んできた。
まだ完全に息が整っていないため少し荒い息づかいと火照った顔に思わずドキっとしてしまう。
「そうか、じゃあとりあえずお茶でも飲むか」
照れたのを隠すように腰につけている少し大きめのウエストポーチから水筒を取り出す。
「うん、ありがとう」
フミコは笑顔で水筒を受け取った。
それからウエストポーチから双眼鏡を取り出す。
ゆっくりとお茶を飲んでリラックスしている時間はない、なにせ飛行船を見失ってしまったら終わりなのだから。
ゆえに周囲に警戒しながら森を向けた先がどうなっているか確認する。
とはいえ、飛行船を見失うのではないか? という考えは杞憂だった。
森を抜けた先はなだらかな丘となっており、その先に大きな街が見えたからだ。
飛行船もその方角に向かっている。
「かなり大きい街だな……あそこなら十分に情報は得られそうだ」
双眼鏡を覗き、街の様子を確認する。
煉瓦造りの建物が多く、道路や車のようなものが走っているのも確認できる。
大きな鉄橋に機関車のようなものも煙を吐きながら走っており、交通インフラは整った文明のようだ。
街の奥は工場街なのか煙突が数多く建ち並んでおり、それらすべてから煙が立ちこめ、お世辞にも空気が良いとは言えなさそうだった。
「文明レベルは産業革命あたりなのか? という事は環境問題は考慮してなさそうだな……」
「さんぎょうかくめい? 何それ?」
フミコが隣にやってきて水筒を返してきた。
そう言えば自分もまだお茶を飲んでなかったなと思って、水筒を受け取って飲んだ後に気付く。
あ、これ間接キッス……
(いやいやいや、まさかそんな事で動揺するほどお子様じゃねーし、つーか次元の狭間の空間でほぼ共同生活してて今更何を……)
顔を赤面させながら何事もなかったように腰につけている少し大きめのウエストポーチに水筒を直す。
やれやれ、収納面ではフミコの翡翠の首飾りの方が優れているのだから次からは水筒とそれぞれのコップをフミコに収納してもらおう、うん。
そう考えながら双眼鏡をフミコに手渡す。
「産業革命は読んで字の通り産業の変革の事だよ。蒸気機関の発達やそれに伴う機械化、それまでの生活様式とはまるっきり社会が変わってしまう事だな。手っ取り早く言えば工業化かな?」
「工業化?」
「そうだな、言うなれば今までは馬車で移動していたのが車になったりと……双眼鏡で街を覗いてどう思う?」
フミコに聞くと、何やら難しい顔をしていた。
「なんだかよくわからない物が動いてる」
「あぁ、あれは路面電車だな……電線の類いが見られないあたり蒸気機関で動いてるのかな? それにしては煙は上がってないが」
「じょーききかん?」
「あぁ、蒸気機関車はあっちだな、鉄橋……あの一段と高い橋の上にあるのがそう」
「何あれ? なんかすごいスピードで動いてない?」
「まぁ、蒸気機関車だしな」
「?」
フミコは少し混乱しているようだった。
そんな様子を見て苦笑いしてしまう。
(これだと現代の地球を見たら度肝を抜きそうだな)
そう思いながらフミコから双眼鏡を取ってウエストポーチに直す。
「まぁ、何にせよここで眺めていても始まらない。まずはあの街へ行こう。そうすれば間近で見ながら説明もできるだろうし、そもそも情報収集をしないとな」
そうフミコに言うと、フミコも頷いて街へと歩き出す。
「わかった! あたしたちの目的はこの世界にいる転生者か転移者か召喚者を見つけ出して能力を奪って殺す事だもんね! 頑張らないと!」
そう言ってフミコは両手をグっと握って「よし!」と気合いを入れる。
そんなフミコを見てもう大丈夫だろうか? と心配になる。
しかし、今は気にしても仕方がない。
だから今回はフミコが現地人と仲良くなりすぎないよう注意して見ておかないと。
そう思いながらなだらかな丘を下り街を目指す。




