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戦え、崩陣拳!  作者: 新免ムニムニ斎筆達/岳兎佐助
第二章 ボーイミーツガール編
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第十六話 魔の閃雷

要は眼前に立つ林が構えるよりも、迅速に『百戦不殆式』の構えをとった。


 先ほどの奴の馬鹿げたスピードを鑑みて、先手を取られる事を見越しての対応だった。いち早く踏み込まれたとしても、せめて防御だけはできるようにしておきたい。


 だが、以外にも林はすぐには向かって来なかった。


 奴の顔は確かに湧き出す戦意を示すように笑みを浮かべているが、手足にはまだその意思が現れておらず、未だ棒立ちのままである。


 チャンスだと思って攻めるべきか、それとも罠だと警戒してジッとしているか、要は脳内で堂々巡りな駆け引きをしながら林を見ていた。


 その時、林が突然口を開いた。


「小僧、お前の名と門派を教えろや」


 脈絡もない林の問いに、要は心に哨戒(しょうかい)を携えながら言い返した。


「どうしてそんなことを聞く?」

「俺は自分(テメェ)の名と門派を名乗ってるぜ。なのにお前は言わねぇ。そりゃ不公平ってモンじゃねぇか?」


 正直、誘拐犯が公平不公平とかマトモな事を口走るなと言いたかったが、別に減るものでもない。


「――工藤要。崩陣拳」


 要はぶっきらぼうな態度で、必要な事のみを告げた。


 そんなこと聞いてどうするんだ――そう感じかける。


 だが、林の表情が示す感情が「戦意」から――恐ろしいまでの「驚愕」の色に変わったのを見た瞬間、その思考は途切れた。


「……おいおい、マジ? マジか? マジなのか……?」 


 林はしきりに何事かぼそぼそとつぶやいている。


 すると突然、哄笑が弾けた。


「クッハハハハハハハハァァァァーーーー!! ヤベェ! スゲェよ俺!! まさかこんなところでお目にかかれるとは! こりゃとんだ拾い物だなオイ!!」


 自分を置いてきぼりにしてバカ笑いする林を、要は訝しげに見つめる。一体どうしたっていうんだ。


 しかし、林はすぐに爆笑するのをやめると、挑発的に破顔し、刃物のように妖しく輝く双眸に要の姿を映した。


 


「――じゃあ、見せてもらおうか。「噂の」崩陣拳の実力を、よ」




 ――噂の?


 それ以上考える余裕はなかった。


 林が一瞬で、視界を覆い尽くすほどまでに接近してきたからだ。


 両腕で顔と胸の前にとぐろを巻くような奇妙な構えをした林は、自分の目と鼻の先まで近づいてもなお止まる気配がない。


 完全に反応が遅れてしまった。


「食らいな――『巻臂衝(かんぴしょう)』!」


 『百戦不殆式』によって前に立てて構えた片腕と、腹を隠すように構えられた林の片腕とが激しくぶつかり、一瞬だけ十字を作り出す。


「――痛っ!」


 要の体は林の打撃のインパクトの赴くまま、真後ろへ押し流された。


 打たれた腕にジンジンとした余韻を感じながら、要は勢いよくザザァッ、と後ろへ滑らされる。


 自重がしっかりと乗った一撃だ。林ともう四メートルほど引き離されたが、いまだに自分を後ろへ追いやる慣性が消えていない。


 しかし、そう感嘆している暇はなかった。


 軽く瞬きをした瞬間、四メートルほど離れていたはずの林の姿が一気に押し迫ってきた。


 要はヒヤリとする。未だ慣性は真後ろへ働いているため、攻撃されても全身が硬直して満足に対応できないだろう。


 だが林は知ったことかとばかりにニタァッと笑み、弧を描くように左足を振り出してきた。


 要は腹を括り、全身を縮めて筋肉を硬くする。


 そして――


「ぐふぅっ!!」


 林の鋭い回し蹴りが右上腕部に叩き込まれた。


 激しいショックが体の芯まで響き渡るとともに、慣性のベクトルを真後ろから左側へ無理矢理変更させられ、要の小柄な体躯は横倒しになってコンクリートの床を滑る。


 蹴りを受けた場所を押さえながら痛みに切歯する。まるで鉄パイプで殴られたようだ。


 しかし、自分に差す影が突然濃くなったことに気づき、要はハッとして上を見た。


 自分を見下ろす林の姿。片足を大きく上げており、その靴底は自分に向いていた。


 要は痛みも忘れ、あわてて身を転がした。


 そして、自分が直前までいた場所に林の足が勢いよく踏み下ろさせる。「ドンッ」というはっきりした踏み音。ソレには明確な殺意が込められている気がした。


 要はある程度転がって距離を取ると素早く立ち上がり、もう一度『百戦不殆式』の構えを取った。


 前に構えた手の指先越しに見える林は、あざ笑うような顔でこちらを見ていた。


「おいおい、防戦一方じゃねぇかよ。ひょっとして崩陣拳ってのは、逃げるのが主体のタマ無し門派かぁ?」


 挑発とは分かっているつもりだったが、カチンと来た。こいつ、言わせておけば。


「その一言――ぶち込まれてから後悔しろっ!」


 コンクリートを踏み抜かんばかりに後足を蹴り、要は瞬発した。


 風をまといながら一直線に林に近づき、ちょうど良い間隔まで狭めると、そこで跳躍。林の前まで躍り出ると同時に、左右交互に行う二連続の爪先蹴り『二起脚』を放った。


 素早く放たれた針のような爪先を、林は退きながら難なく両手で弾いた。


 要は着地する。そこは林の腕のリーチ内だった。しかも、自分の短い腕でもなんとか胴体に届く距離。


 ――いける!


 迅速に腰を落とし、両拳を構える。

 軸足の踏み切りと『通背』を同時発動させ、『開拳』を打ち込――もうとした時だった。


 拳の延長線上から、林の姿が煙のように消えた。


 そして、


「――どこ狙ってんだ、ノーコン」 


 拳が伸びきって空を切った瞬間、背後から敵の声が聞こえた。


 背筋に死神の指が這うような悪寒。 


 慌ててバックステップで退きながら振り返ると、そこには林の姿。


 ――まさか、一瞬で回り込んだのかっ!?


「遅ぇ、遅ぇ、遅ぇんだよボケ。まさかそれで本気じゃねぇだろうなぁ? 違ぇよなぁ? オラ、もっと来いや」


 優越感を帯びた表情で、林は手招きしてくる。


 要はギリッと切歯し、再び林めがけて飛び出す。

 

 そして、矢継ぎ早に次々と打撃を繰り出した。


 師から教わった技から、技と呼べないようなお粗末な攻撃まで、何でも積極的に放った。とにかく一発でも当てようと必死だった。


 しかし、そのいずれも当たるどころか、かすりすらしなかった。


 林はまるで座標のみを変更するかのような、うまく過程の視認できない動きで要の攻撃を全て回避していく。


「――くそっ!!」


 要は吐き捨て、やけくそ気味に『旋拳』を放った。


 だがその一撃もこれまでと同じく、直撃の寸前に対象の姿が消えたことで空振りとなった。


 突き出した拳の肩の近くに威圧感。


 そこに林は移動していた。


 しまった――そう口に出しかけることすら許されなかった。


「死ねオラァ!」


 突き出された自分の拳の下から潜り込んだ林の拳が、的確に自分の土手っ腹に突き刺さった。


 重々しい鈍痛。うめき声すら発することすらできずに、数歩後ろへたたらを踏んだ。


 素早く体勢を整えて前を向くが、片膝を上げながら肉薄してきていた林の姿を見た瞬間、絶望的な気分になった。


 再び腹部へ激しく見舞われる前蹴り。それに伴ってやって来る重い痛みと、背中側へ激しく引っ張られる感覚。


 要の五体が軽々と吹っ飛ばされ、ガラクタの山の中へと派手に叩き込まれる。


 ガッシャーーン、という音が廃工場全体に響き渡った。


「ってぇ……!」


 腹にこびりつく痛みをこらえつつ、しつこく覆いかぶさる鉄屑を手で端に退けて、ようやく脱出する要。


 そして、遠くで失笑している林の顔へ睨みをきかせつつ、心の中で密かに思った。


 ――速すぎる。


 自分が「突く」という一つの動作を行っている最中に、奴はすでに二つ分以上の移動を終えていた。


 奴の動きを見ていると、まるで自分だけが遅い時間の流れの中に取り残されているような錯覚に陥りそうになる。


「そんな怖い顔でマスキングしなくても、今オメェの考えてん事を言い当てるくらい造作もねぇことだぜ工藤要クン。「速すぎる」そう思ってんだろぉ?」 


 図星を突かれ、思わず要は息を飲む。

 

「分かりやすい反応だねぇ。だがよ、俺から言わせりゃちと違う――テメェが遅すぎんだ」


 林は両手を広げ、得意げに解説し始める。


「本来、人間は「一歩踏み出す」という一動作のために、わざわざ二つのプロセスを使っちまってる。一歩踏み出すために後ろ足を瞬発させる時に生じる僅かな「タメ」、そして一歩踏み出す動作、この二つだ。走雷拳の歩法『游身』では、後ろ足の僅かな「タメ」という余計な動作を省略できる。その分、俺は他の人間よりも一拍子速いスピードで動けるってわけさ。回りくどく二プロセスで動こうとするテメェと、一プロセスで動ける俺、スピードの差は自ずと見えてくる。テメェが俺の顔面に一発入れようと頑張って拳を動かしてる間に、俺はテメェの顔面に三発ぶち込むことができるって寸法さ」


 そういえば昨日、臨玉が教えてくれた。

 走雷拳の歩法『游身』では、全身の関節を意念の力で前に突っ張らせることで推進力をまかない、後ろ足の瞬発を不要にする、と。

 その教えが今出てきたことで、改めてこの男が臨玉の元弟子であることを再確認した。


「だがその理屈を抜きにしても、テメェと俺の間にはもう一つ大きな差がある。それは至って単純――功夫の差だ」


 林は虫でも見るような眼差しをこちらへ向け、


「長く武術に携わっていれば、そいつがいかに修行が足りねぇのかが一目で分かる。見たところ、テメェの武術はまだ未完成だ。修行を始めたばかりなのか、あるいはずっと修行をサボって衰えたのか、詳しくは知らねぇが。いずれにせよ、長年修行を欠かすことのなかった俺とは明らかに功夫に差が開き過ぎてる。追いつく道理があるもんかよ。身の程わきまえろアホガキが」


 林は端に唾を吐き捨て、次にこちらへ言葉を吐き捨ててきた。


「テメェみてぇな野郎が一番ムカつくぜ。自分がどれだけ上等な武術を学んでいるかも知らねぇで蓄積を怠ってる、向上心の欠片もねぇクソッタレ。こんなボケナスがあの崩陣拳を次ぐ者だなんて、虫唾が走って仕方がねぇ」


 自分に対する明らかな侮蔑と罵倒。


 「知ったふうな口を聞くな」と反感を覚えるが、無視し難い文脈もその言葉の中に含まれていた。


 こいつは「あの崩陣拳」と言った。


 まるで崩陣拳をよく知っていて、なおかつ特別視するような言い方。


 こいつは崩陣拳について、俺の知らない何かを知っているのか――?


「フン、まぁいいさ。どのみちテメェがここを出たがってるとなりゃ、俺はそれを座視するわけにはいかねぇ。殺しはしねぇが、せめて死ぬ一歩手前くらいまでは追い詰めてやる――それでも出たいってんなら腹ァ括れ。これが最後の警告だ」


 林は肉食獣のような鋭い眼差しをギラリと光らせ、そう告げてきた。


 確かに見たところ、林の方が自分よりも年齢は上だ。その分、修行期間も自分よりずっと長いはず。


 加えて自分はどうだ。武術を学び始めてまだ一ヶ月少々。修行は厳しく徹底しているが、それでも林よりはずっと蓄積が薄いはずだ。


 竜胆正貴の時のような奇跡が、そう何度も起きるとは思えない。


 はっきり言って、勝ち目の薄い勝利だ。


 でも――


「…………」


 要は菊子に目を向ける。


 彼女は手足と唇を小刻みに痙攣させながら、壁の隅で棒立ちしてこちらを見つめていた。

 

 その震えは、一体彼女の何を現したものだろうか。


 恐怖? 後悔? 悔しさ? 悲しさ? 真実は彼女にしか分からない。


 だがいずれにせよ、あの娘に今こんな様をさせてるのは――林越(リン・ユエ)だ。


 その事に気がついた瞬間、要の中で確固たる意思が生まれた。


 こいつから逃げたくない。

 ここで日和ったら、俺は一生後悔する。

 何が何でも、倉橋とここを出るんだ。


 自分は菊子に言った。俺は強いんだから心配するな、と。


 だったら、それを証明する機会は今をおいて他にはない。


 目の前の卑劣漢をぶちのめして、彼女のトラウマを詮無いことだと笑い飛ばしてやろう。


 ――覚悟は決まった。


 要は無言で『百戦不殆式』の構えを取った。防御からあらゆる対処法へ分岐させることのできる、オールラウンドな構え。


「……オーケー、分かった。もう手心は加えねぇ。相手がウジ虫だろうがクソ虫だろうが、全力で踏み潰してやる……ヒヒッ、ヒヒヒヒ」


 林はそう不気味にせせら笑うと、ゆらりと半身になって構えた。


 悔しいことに、その構えから僅かに臨玉の面影を見てしまった。やはり腐っても元弟子なのだろう。


 要は奥歯を噛んで緊張感を助長させ、ジッと「その時」を待った。


 誰一人何一つ音を発せず、しばしの沈黙に包まれる。


 だがやがて、ガラクタの一部が崩れて「ガララッ」と鳴った。


「――!!」


 その些細な騒音とともに、林の姿が自分の懐へ急迫。


 そして、上腕部から激突する。


「がっ――!!」


 風のような軽やかさの中に鉄球のような重々しさを秘めた林の体当たりは、要を構えた状態のまま問答無用で跳ね飛ばした。


 『百戦不殆式』によって構えられた前の手は、「点」の攻撃である正拳は受け流せるが、「面」の攻撃である体当たりは防げない。押しつぶされるのみだ。


 結構な勢いで後方へ流されるが、必死に重心を守ろうと足を踏ん張ったことで、なんとか倒れずには済んだ。蹴りの練習で重心の安定が増したおかげだろうか。


 しかし、つかの間の安堵だった。

 

 左から弧を描くように、林が迫って来ていた。


 普通の人間の「走り」とは違う。理にかなった武術の動きによって洗練された、一陣の風のごとき「歩行」。


 そのスピードを見るに、今から準備姿勢を取るのでは間に合わない。


 そう思った瞬間――反射的に体が動いた。

 右拳と腰を一気に真後ろへ引き込むことで、逆の手である左拳へ滑車のようにその力が伝達し、勝手に拳が伸びる――崩陣拳の突きの要訣『通背』である。

 

 蛇が獲物に食らいつくような勢いで伸びた要の左拳は、幸運にもすぐ近くまで距離を詰めていた林の顔面をしたたかにとらえた。


「ゴォッ――!?」


 初めて聞いた林のうめき。人肉を激しく叩く生々しい感触。


 林は進行を止め、顔を片手で押さえながら後ろへよろめく。


 初めてヒットしたことに要は内心気を良くした。マグレかもしれないが、これで奴にダメージを与えられたはず。


 だが、実際は――火に油を注いだだけだった。


 林が顔から手を離す。露わになった顔は鼻血を少量流してはいたが、表情からは狂気的な闘争心が先ほど以上に溢れ出していた。


 林は血を拭い、破顔。


「なんだよオイ、やればできるじゃねぇか……そうだよなぁ、そうじゃなきゃ面白くねぇよなぁぁぁぁぁははははハハハハハァ!!」


 途端、林の姿が消滅。それと同時に腹部を襲う激痛。


 見ると、林の肘打ちが腹を穿たんばかりに突き刺さっていた。


 要はその肘から、磁石が反発するような勢いで離された。


 胃の内容物を戻しそうなほどの痛みと闘いながら宙を舞い、やがて背中から着地。


 冷たい床に腹を押さえて縮こまっていたかったが、これから奴の仕掛けて来そうな攻撃を予想して、要は迅速に横へ転がった。


 予想通り、林はすぐにここまでたどり着き、飛びかかりざま――先ほどまで要が寝ていた場所を、急降下して獲物を掴むハヤブサよろしく着地し、踏んづけた。


 要は持てる限りの最大限の迅速さで起き上がった。


 そして見ると――林が目と鼻の先で右向きに立っている。


 幸運にも自分の手が届く間合い。


 『開拳』を打ち込もうと一瞬思ったが、慌てて待ったをかける。どうせ今打っても、また避けられるかもしれない。


 だったら殴るよりもまず捕まえよう――そう判断し、身を乗り出して林の右腕へ我が手を伸ばした。


 だが、林は伸ばされた自分の手を見もせずに叩き落とした。


 身を乗り出した勢いはまだ残っており、体が自然と前へ進む。


 そして結果的に――進行方向で待ち構えていた林を自分の腕の中に迎え入れてしまった。


 この位置関係はマズイ――!


「――『迎門三(げいもんさん)不顧(ふこ)』ォ!!」


 林の右肘が、下から要の顎を打ち上げた。 

 そこからすぐに右腕を下ろし、同時に右拳をハンマーの要領で要の頬骨へ叩きつける。

 そして、左足による鋭い踏み込みと同時に左正拳。

 

 それら計三発を――一秒足らずの時間内で打ち込まれた。


 一気に体を包み込んだ激痛と衝撃に、要は天井を仰ぎ見るように大きく後傾する。


 チカチカ明滅する瞳をなんとか薄く開き、林の姿を見た。倒れそうな時でも敵から目を離してはいけない、そう思ったからだ。


 林は片方の拳を脇に構えた。そしてソレと同じ側の後足へ自重をかけ、腰を落とす。


 何をしているのか。そう考えた時だった。


 林は重心の乗った後足を――地面から引き抜くように前へ踏み出した。


 林の顔が吸い込まれるような勢いでアップになると同時に、踏み出しに合わせて敏速に放たれた拳が、要の腹へ一矢のように叩き込まれた。


「うぐっっっっ――――!!!」


 内蔵が破裂しそうなほど凄まじい衝撃に、要の眼球が無秩序にあらゆる方向を巡る。


 林が繰り出す攻撃に生易しいものなど一つもなかったが、今の一撃は明らかに異常な威力だった。もしも急所だったらその時点で気を失っていたかもしれない。


 要の五体がこの戦いの中でダントツの吹っ飛びようで再びガラクタの山にぶち込まれ、ガラガラと崩れ落ちてきた鉄屑に埋もれる。その中には一際重く大きなものも混じっており、要の体を圧迫してさらに苦しめた。


「な……なんだ、今の……?」


 今なお燃えるような痛みが余剰する腹部をグッと押さえながら、要は自分を包む鉄屑の隙間から林を見つつ小さく呻いた。


 すると、それに気づいた林が拳を撫でながら答えた。


「今のは『抜歩衝捶(ばっぽしょうすい)』だよ。自重の乗った後ろ足を引き抜くように前に移すことで、全体重を拳に乗せて衝突させる。崩陣拳の「撞」の力と質が似てるかもなぁ。まぁ威力は劣るが、この技はわざわざ相手と間隔をとる必要のある「撞」と違って、比較的短距離でも強い威力を発揮できるシロモノだ」


 林がカツカツと歩み寄ってくる。


「それよりさぁ、そんなところでお昼寝タイムなんてしてていいのかなぁボクちゃん? 真剣勝負の最中にそんな余裕かましてっと――寝首掻くぞコラァ」


 要はハッとし、自分を覆う鉄屑を振り払い立ち上がる。


 見ると、目の前に林の姿はなかった。


 慌てて周囲へ眼球を巡らせても、姿が見えない。


 だが足元に目を落とすと――自分の影にもう一つ、違う影が重なっているのが見えた。


 自分の身長以上の高さまで飛び上がっている林の姿を頭上に発見した瞬間、要の脊髄が電撃的に四肢へ指令を発した――急いで右へ飛び込め、と。


 要は脊髄反射のまま、水上を跳ねるコイよろしく右側へ飛び退いた。


 次の瞬間――加速度を持った圧力が後ろ髪をかすめた。林の放った飛び蹴りだ。


 数度転がってから立ち上がると、再び林の姿が消えていた。

 

 しかし刹那、広背筋の辺りを襲った息の詰まりそうなほどの衝撃によって、林の居場所が自分の背後だと分かった。


 こいつ、また後ろに回り込んで――


 咳き込みそうなのをグッと我慢して、背後の林へ向かって苦し紛れに右腕を振るう。


 振った腕が「パシッ」と何かに当たる感触。


 しかしそれは正しくは「当たった」のではなく「受け止められた」だった。林は要が振るった右腕を、同じく右腕一本でガードしていた。


「――ずさん過ぎる。戦い方を知らねぇ奴のすることだぜ」


 林はそのまま右手で要の右前腕部を掴むと、自らの左腕を内側へ巻き込むように引く。


「最高級ブランド品も――持ってる奴がクソだと価値が暴落するってもんだ!!」


 そして、その引いた肘を一気に外側へ張り詰めさせ――要の右脇腹へ突き刺した。


「――――!!」


 目をおおきくひん剥き、口を金魚のように数度開閉させる要。


 『抜歩衝捶』に比べれば、決して大した威力ではない。しかし弁慶の泣き所の一つである脇腹へ打ち込まれたことで、要はコンクリートの床の上をのたうち回りたくなるほどの痛覚に襲われた。


 しかし、林の手はそれで休まらなかった。


「オラァ! 『打水勢(だすいせい)』!!」


 背筋を弓なりに反らしながら、林は右肘と右膝を上向きに要へ打ち込む。


 顎、腹部の二箇所を、同じタイミングで下から掬うように打たれ、要は痛みと戸惑いを同時に感じた。


 それでもまだ終わらない。


「ほら、もういっちょ――『劃船捶(かくせんすい)』!!」 


 腰を急激にくの字に折り曲げると同時に左正拳。


「『滑歩冲拳(かっぽちゅうけん)』っ!!」


 さらに滑るように前足を踏み込みつつ、閃電を彷彿とさせる鋭く疾い一拳を叩き込んできた。


 その後もどんどん攻撃を積み重ねていき、要の体が泥上に転がした雪玉のようにあっという間にボロボロになっていく。


 朦朧としかける意識の中、要は敵の一つ一つの動きを見る。


 見た感じ、動作自体は軽やかで、力強さをあまり感じさせない。


 しかしその(まい)のように軽妙な身体操作から発せられる一擊一擊には、確かに尋常ならざる重さが込められていた。


「ヒハハ!! ヒヒヒハハハハ!! 何やってんだよコラァ!! 早く殴り返さねぇと挽肉にすんぞぉ!!」


 嗜虐に狂った声色でそう発すると、林は要の腹部を踏むように蹴っ飛ばした――これはおそらく『蹬脚』だろう。


 慣性に導かれるまま、真後ろへ流される要。


 両足の指でコンクリートを掴むように下半身を踏ん張り、その慣性を無理矢理殺して停止した。


 言いたい放題言いやがって――要は内心苛立つが、悔しい事に奴の言うことも一理ある。


 このまま殴られ続けていても、ただ無駄な体力を消耗するだけだ。能動的な行動をしないと勝敗は決して動かない。


 今でも十分ボロボロだ。どのみち、もうそれほど長くは持ちこたえられるとも思えない。


 だったら、ダメ元でやってやる。


 確かにスピードでは勝てない。だが数を打てば一発二発当たるかもしれない。下手な鉄砲もなんとやらだ。


 可能性は高くないだろう。だがこのまま黙ってやられるよりはマシだ――!


 要は体勢を整え、照準を定めるように林を睨む。


 そして――撃ち出された弾丸よろしく突っ込んでいった。

 

 今までは後手に回り過ぎていた。だが、今度はこっちの番だ。


 走りの途中で、要は荷を下ろすように片足を踏み鳴らし『震脚』を行う。


 すぐさま地面を強く蹴り、風のような推進力を得て林へと向かって行く。


 そして、前足による急ブレーキとともに放つ正拳突き――『撞拳』。


 林は軽く身を捻り、要の一拳を紙一重で回避した。


 だが、ここまでは予想の範疇だ。ここから一気に連打に繋げ――




「――やっぱお前、素人同然だな」




 ――ようとした瞬間、侮蔑した響きを持つ林の一言とともに、動作が一瞬止まってしまった。


 そしてその一瞬を突くかのように、突き伸ばされた要の拳の表面に――林の掌がスッと触れてくる。


 不思議なことに、掴んで引っ張りこもうとするような乱暴さは感じられない。柔らかく、添えるような手つき。


 だが敵のやる事だ、一応警戒する必要がある。そう思った要は一度退いて仕切り直そうとした。


「――あれっ?」


 だが要は、それが出来なかった。


 やることは至極簡単。「足を下げる」だけ。人間として肉体が正常に機能している者ならば、誰にでもできるはずの動作。


 しかし、今の要には出来なかった。


 なぜならば。




 足が――その場から動かなくなったからだ。




 下がりたいのに、下がれない。足が下がってくれない。


 いくら後ろへ踏ん張っても、親から授かって一六年間一緒だった我が両足は、まるでコンクリートの床に縫い付けられたかのように微動だにしてくれない。


 最初は気のせいだと思ったが、その状態の続く時間が長引くにつれて、異変を感じるようになった。


 そして要は、その異変の渦中にいるであろう――林を睨めつける。


「……何をした?」


 精一杯強気な顔をしてみせたつもりだが、きっと脂汗が浮かんでいるに違いない。


 そんな自分を見透かしたような顔で、林は言った。


「――テメェの脳を誤作動させたのさ」

「誤作動……だと?」

「人間サマの脳みそはな、外部から一定の軽い圧力を受けると「それを押し返さないとバランスを崩す」と無条件で勘違いを起こし、その圧力と同じ力で押し返そうと全身の筋肉を働かせるようにできている。こうなっちまうと、筋肉はその圧力を感じる一方向にのみ力を注ぐことで精一杯になり、後ろへ下がろうとするための筋肉がうまく働かなくなる。つまり――下がれなくなるってことだ。俺が今お前に施したのは、その理屈を利用した技術『陰拿(いんな)』。今お前の拳に触れているこの手で「一定の軽い圧力」を与えることで、テメェの脳にさっき言った「勘違い」を引き起こさせてんだよ」

「……陰拿」

「残念だけどお前、はっきり言って期待はずれだわ――もう寝ろ」


 失望気味にそう言い捨てると、林は要の拳に添えた自分の掌をゆっくりと推し始めた。


 普段なら問題なく押し返せるような、些細な圧力。


 だが今の要はその弱々しい力にすら抗えず、ただただ推されるまま後傾し続ける。

 

「今のテメェの体はスタンドのない立て看板と大差ねぇ。後ろにつっかえ棒が無い以上、押されればただ倒れるのを待つのみ、だ」


 そして、トン、と小さく押されると同時に、林の掌が離れた。


 足の自由が戻る。しかし要の体が平坦に近い角度で後ろへ傾く。放っておけばすぐに倒れるだろう。


 再び間近に迫った林の顔。


 そんな林の細く、だがそれでいて鋭い吐気とともに、


「――『黒虎偸心(こっことうしん)』」


 ――刺し貫くような鋭さを秘めた拳が、自分の下腹部を捉える。


 直撃とともに、その拳の接点から体内へ何かが流れ込むような奇妙な感覚。


 不思議なことに、痛みはそれほどなかった。


 だがその代わりとばかりに――五臓六腑を執拗に引っ掻き回されるような強烈な不快感が、荒波のごとく襲ってきた。


 あれだけ高ぶっていた体温がものすごい勢いで低下し、体がだるさを訴える。


 


『痛い、というより「凄まじく不快」だな。体の中を引っ掻き回されているような感覚に一定時間苦しめられ、立っていられなくなる』




 以前易宝から聞いたセリフが、まるで図ったようなタイミングで去来した。


 まさか、これは――浸透勁。


 林の不思議な打撃の正体を確信するとともに、要はコンクリートへ仰臥した。

読んで下さった皆様、ありがとうございます!


最近、ちとスランプ気味です……前は好調だったのに、突然嘘のようにキーを叩く指が鈍ってしまいました。春の陽気のせいでしょうか(_ _).。o○


文脈の都合上、詳しく説明できていない技がいくつかありますが、それは第二章のおまけで説明したいと思っております。

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