表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルマゲドン・ラスト  作者: 藤崎聖子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/31

第31章 明日



教室には、机が三十二脚あった。


扉の札には「旧視聴覚室」とある。


さっきまで二年四組だった場所は、廃棄前の備品を置く倉庫になっていた。


終夜アスカは自分の生徒証を開いた。二年一組。天城ミサキの画面には二年三組と表示されている。


この学年は三組までしかない。


二年四組というクラスそのものが、学校の記録から消えていた。


教卓の奥に、表紙のない紙の束が残っていた。文字は一つもない。それでも綴じ穴の近くに、消しゴムで強く擦ったような毛羽立ちが三十か所並んでいる。


 アスカは指で一つずつ数えた。


「三十」


「何が?」


「跡」


 ミサキも触る。紙の凹凸に、文字の形は残っていない。


「名前を消しても、紙は書かれたことを覚えてる」


「紙が?」


「そう思いたい」


 アスカは名簿を光へ透かした。読めない影が三十人分、二つの名前の間に並んだ。


「そんなはず」


ミサキが教師用端末を開く。二年四組を検索しても、該当なしと表示される。


端末の一時保存領域に、文化祭の投票用紙が二枚だけ残っていた。


 写真には、二人の間に不自然な空白がある。


 文化祭準備の共有フォルダを開く。


 ファイルは二つだけだった。


 アスカが作った無記名投票用紙と、ミサキの危険物使用申請。


「私たち、二人で文化祭やる気だったみたい」


「何をやる予定になってる?」


 投票結果は、喫茶店一票、お化け屋敷一票。


「割れてる」


「二人だけでも決まってない」


 笑いかけ、二人とも途中で黙った。


 お化け屋敷に一票を入れたのは誰だったか。今の記録ではアスカになっている。だがショウが火を使えると言い張り、カレンに呆れられた声を覚えている。


「投票結果、直す?」


「証拠がない」


「私たちが覚えてる」


「記録を上書きしたら、同じになる」


 ミサキは画面を保存し、別の文書へ「記憶では火神ショウが提案」と書いた。元の記録と証言を並べて残す。


廊下から、二年一組の担任が入ってきた。終夜を探していたらしい。


「終夜、こんな所にいたのか。天城も三組へ戻れ。会議が始まるぞ」


「二年四組は?」


ミサキが尋ねる。


「四組? うちの学年は三組までだろ」


「机は三十二脚あります」


「古い教室の備品だろ。来週、まとめて処分する予定だったはずだ」


「予定だった?」


 担任は自分の言葉へ首をかしげた。


「いや……そう聞いている」


 教卓の引き出しを開ける。赤ペンが三十二本、輪ゴムで束ねてある。


「こんなに買った覚えはないんだけどな」


「一人一本?」


「さあ」


 担任は二本だけ取り出し、残りを捨てようとした。


「ください」


 アスカが言う。


「三十本も?」


「使います」


「インク、乾くぞ」


「それでも」


 担任は不思議そうな顔で束を渡した。


 教師に忘れられたことが、アスカには思った以上に苦しかった。いつも全員を名字で呼び、席替えのたびに配置を覚え直した人だった。


「先生」


「何だ?」


 名前を一人ずつ言えば、思い出すだろうか。


 口を開き、閉じた。


 存在削除が残した穴へ無理に記憶を押し込めば、何が起きるか分からない。担任を証人にしたいのは、自分たちが一人で抱えるのが怖いからでもある。


「赤ペン、ありがとうございます」


「変な二人だな。早く自分の教室へ戻れよ」


以前なら、変なクラスだと言ったはずだった。


 家族も覚えていなかった。


 最初に電話をかけたのは、マドカの家だった。


 番号はアスカの端末に残っていない。記憶を頼りに入力すると、最後の一桁で指が止まった。


「四」


 ミサキが言う。


「七じゃなかった?」


「四。マドカが、死と同じで嫌だって言ってた」


「それなら四を嫌がる?」


「分からない」


 二人は別々の番号を試した。四でつながった。


『円城飯店です』


 聞き覚えのある父親の声。


 アスカは電話を切った。


「話さないの?」


「何て言うの」


「娘さんを知ってます」


「娘はいないって言われたら」


「それでも」


「今は無理」


 ミサキは急かさなかった。二人は直接店へ行った。


 二人は一軒ずつ確かめた。


 マドカの家の店では、父親が一人で鍋を振っていた。壁の写真には、四人目が立てるほど不自然な隙間がある。


 昼を過ぎた店は空いていた。


 二人はマドカがいつも注文した炒飯を頼む。父親は何も聞かず、片方から葱を抜いた。


「どうして抜いたんですか」


「お客さん、苦手そうに見えたから」


 アスカは葱が嫌いではない。嫌いだったのはマドカだ。


 父親は作り終えた鍋を見て、首をひねる。


「時々、三人前作りそうになるんだ。二人前なのにな」


 炒飯は少し多かった。


 写真には父と母と兄が写っている。母と兄の間だけ、肩一つ分空いていた。父親はその隙間へ毎朝埃がたまると話した。


「誰かいたと思いませんか」


 アスカは聞いてしまった。


「誰が?」


「ここに」


 写真を指す。


 父親は長く見つめた。


「分からない。ただ、店を継ぐやつがもう一人いる気がして、鍋を捨てられない」


 厨房の奥に、小さな中華鍋が掛かっていた。柄に黄色いテープが巻かれている。


 マドカは文化祭で炒飯を作ると言って、父親から借りる約束をしていた。


「捨てないでください」


「欲しいのか?」


「いつか、使う人がいたって書きます」


 父親は意味を聞かなかった。


 ルナの家では、祖父の望遠鏡が物置に残っていた。


「孫に譲るつもりだったんだが。孫はいないのに、おかしいな」


 望遠鏡の高さは、ルナの目に合わせて低く調整されている。


 接眼部には睫毛の油が薄く残り、三脚の一本へ星形のシールが貼られていた。


「触ってもいいですか」


「古い物でよければ」


 アスカが覗く。昼の空しか見えない。


 ルナが月を落とす前、これで一緒に空を見た。二つの月のどちらが本物か話した。今の空には月が一つしかない。


「今夜、また来ても?」


「星が好きなのか」


「友達が」


 過去形にできなかった。


 祖父は二人へ星図を一枚くれた。端に「ル」と書きかけた跡がある。


 ゴウの家の工房には、持ち主のない湯呑みがあった。底に「ご」とだけ刻まれている。


 父親は湯呑みを失敗作の棚へ置いていた。


「字を彫ってる途中でやめたらしい。俺が作った覚えはない」


 工房の床には、皿を割った跡を補修した線がある。


 アスカはゴウが最後に言った言葉を思い出す。


「割ったこと、隠してないと思います」


「何の話だ?」


「この床を直した人」


「俺だよ」


「一人で?」


 父親は答えかけ、眉を寄せた。


「小さい手が、横で粘土をこねてた気がするな」


 存在削除は記憶を消しても、身体の動作までは完全に奪えない。父親は無意識に、隣の誰かへ道具を渡す仕草をした。


 そこには誰もいない。


 名前を消しても、物の配置や理由の分からない癖が残っていた。


 二人は写真の空白、誰も使わない机、返す相手のいない図書カードを集めた。


 一日で三十軒は回れなかった。


 訪ねるたび、家族の生活へ穴を開ける。本人たちは喪失を知らない。二人だけが、ないはずの痛みを持ち込む。


 三軒目の帰り、ミサキが駅のベンチへ座った。


「続ける?」


「続けたい」


「今日じゃなくてもいい」


「忘れる前に」


「急いで間違えたら?」


 アスカは立ったまま動けない。


「私、マドカの電話番号を間違えた」


「私も確信なかった」


「もう始まってる」


 忘却は神殿を出ても止まらない。普通の記憶と同じ速度か、能力が消えた影響かは分からない。


「だから書く」


 ミサキはベンチの隣を叩いた。


「休んでから」


 二人は駅の売店で缶のココアを買った。


「冬じゃない」


「飲みたいって言った」


 ぬるい甘さだった。


 ノートへ、ミサキは夏にもココアを飲む、と書く。


「例外」


「例外も記録」


 教室の机の裏には、マドカが隠した四角いチョコが一つだけ残っていた。


 半分に割り、二人で食べた。


 甘さが、失った時間を一瞬だけ戻した。


 円城という飲食店はあるが、娘はいない。星野家の望遠鏡を受け継いだ少女はいない。学校の写真部に、いつも撮影側へ回った男子はいない。


 世界から三十人分が抜け落ちていた。


 抜けた場所は、すぐ別の何かで埋まり始めた。


学校の記録では、アスカは二年一組、ミサキは二年三組で最初から過ごしていたことになっていた。旧視聴覚室の机は廃棄待ち。写真の余白は撮影時の配置ミス。三十人分の備品は、発注ミス。


 世界は矛盾を嫌い、もっともらしい理由を作る。


 二人は理由が固まる前に、机の傷、ロッカーのシール、図書室の貸出票を撮った。


 ヨルのカメラは見つからなかった。


 写真部の棚に、撮影者不明の記録媒体が一枚だけ残っている。


 開くと、二年四組の集合写真が三十一枚あった。どれにもヨルは写っていない。最後の一枚だけ、全員がカメラへ向かって詰め、画面の端に黒い袖が少し映っていた。


「ヨル」


 アスカが名前を呼ぶ。


 ファイル名は空白だった。


 二人は上書きせず、複製したほうへ日付と記憶を書き足した。


 翌日、アスカとミサキは文具店へ行った。


 同じ青い大学ノートを三十冊、籠へ入れた。


 レジへ運ぶと、店員が業務用かと聞いた。


「個人用です」


「同じ色でいいんですか」


 二人は顔を見合わせた。


 色で分ければ探しやすい。だがマドカは黄色、ルナは濃紺と、本人が選べない色を二人で割り当てることになる。


「同じでいいです」


 ミサキが答えた。


 ユイのノートだけは二冊にするか迷った。


「一冊を、前と後ろから使おう」


 アスカが提案した。


「どっちが前?」


「決めない。最初に開いた側を、その日の前にする」


 一人分の名を二冊へ分けず、二つの記憶を一冊の両側から書く。いつか中央で出会っても、どちらかへまとめない。


「一人一冊」


 ミサキが言う。


「全部書く。覚えてる限り」


「意見が違ったら?」


「両方書く」


「どっちが正しいか決めない?」


「決められないことも残す」


 最初のノートに、円城マドカと書いた。


 一頁目で意見が割れた。


 アスカは、マドカが自分から能力実験へ賛成したと書いた。


 ミサキは、周囲の期待に押されたと書いた。


「自分から手を上げた」


「役に立ちたいって言わせる空気があった」


「それだと本人の選択を消す」


「本人だけの責任にしたら、私たちの圧力が消える」


 鉛筆を持ったまま、二人は一時間言い争った。


 最後に、頁を縦線で二つに分けた。


 左へアスカの記憶。


 右へミサキの記憶。


 下に共通して覚えている事実を書く。


 意見が一致しないことを、最初の一冊から隠さなかった。


 次に御影ユイ。


 どちらが本物だったかは書けない。だから、分からなかったと書く。二人とも同じように怖がり、同じように生きたと書く。


 真壁リクのノートだけは、記憶の出所が片方に偏った。


 アスカは方眼紙、緩みやすい眼鏡のつる、計画の余白を語る。ミサキはその場にいたはずなのに、何一つ思い出せない。


 最初の頁へ、ミサキは書いた。


 ――私は真壁リクを覚えていない。この人を知ったのは、アスカの記憶と残された筆圧からだ。


 覚えていない事実も、空白へ理由をつけるための証言になった。


 三十冊を埋めるのに、何年もかかった。


 最初の一年で、二人の記憶はすでに変わった。


 シオンの手袋が赤だったのは、彼女が実際に望んだのか、精神世界でアスカが見た像なのか。ハヤテが最後に笑ったかどうか。ウタの歌の旋律。


 確信度を三段階で記すことにした。


 共同記憶。片方のみ。推測。


 書き直すときは前の文章を消さず、線を引いて横へ追記した。


 ノートはきれいな伝記にはならなかった。


 矛盾し、余白へ疑問が増え、同じ出来事が何度も書かれた。


 それでも名前だけは、すべての頁に残った。


 二人は毎日一緒にはいなかった。


 一年目、アスカはミサキからの連絡へすぐ返事をした。


 返事が十分遅れるだけで、終末界へ戻ったように怖くなる。


 ミサキも、アスカが能力名で誰かを呼ぶ夢を見て、夜中に電話をかけた。


「これ、続けたら二人の世界になる」


 ある夜、ミサキが言った。


「二人しか覚えてない」


「だからって、二人しか信じないのは違う」


 学校の友人へ、最初は名前を伏せて話した。


 創作だと思われた。


 笑う者もいた。矛盾を指摘する者、証拠がないと離れる者もいた。


 二人は傷ついた。それでも相手の記憶を消そうとはしなかった。


 読んだ一人が、マドカのノートへ感想を書いた。


 ――この子の炒飯を食べてみたかった。


 本人を知らない人が、名前を一つ覚えた。


 片方だけが記憶の証人になることを恐れながらも、互いだけへ依存して世界を閉じないと決めた。


 別の学校へ進み、別の友人を作り、それでも月に一度はノートを持ち寄った。


最後の一冊を閉じたのは、旧視聴覚室だった。


処分されるはずだった机は、二人が学校へ頼み込み、三十二脚とも残してもらった。三十冊のノートを一冊ずつ机へ置く。残った二脚に、アスカとミサキが座った。


壁の時計は十六時三十八分を指していた。








秒針が止まった。








アスカは息を止める。終末界から戻った時刻と同じだった。


窓の外で、空が白く割れた。


雲の上に、上下を逆さにした都市が浮かんでいる。白い塔の先端が地上へ向き、窓のない建物がどこまでも続いていた。


教室の端末が勝手に起動した。二人の端末だけではない。街の看板も、車の画面も、止まった時計の文字盤さえ、同じ言葉を映した。


《外部提供者の再接続を確認》


《終末権能の回収要求を拒否》


《文明防衛プロトコルを実行》


声は管理者のものではなかった。先代アスカが、完璧な世界の管理核へ残した命令だった。


《人類形態を終了します》


白い波が空から降りた。


校庭で空を見上げていた生徒の背から、黒い翼が突き出す。駅前では角を生やした会社員が膝をつき、抱いていた子どもを落とすまいと、鱗に覆われた腕へ力を込めた。


悲鳴が街を走る。


それでも、誰も理性を失ってはいなかった。姿だけが、人間の想像する悪魔へ近づいていく。


《終末適応体への移行を完了》


《未登録個体二名を除外》


アスカは自分の手を見る。人の手のままだった。ミサキも変わっていない。


終末権能を削除した二人は、管理核の人類登録から外れていた。


廊下を重い足音が近づく。


扉を開けたのは、かつて二年一組の担任だった。こめかみから角が伸び、制服の背を裂いて灰色の翼が広がっている。指先は黒い爪に変わっていた。


「先生?」


アスカが呼ぶと、怪物の顔がゆがんだ。


「その呼び方を、覚えていてくれ」


声は、変わっていなかった。


教師は廊下へ向き直る。翼の下へ、生徒たちをかばった。


逆さの都市から、白い人影が降り始めた。


顔がない。服も、名札もない。紙を切り抜いたように同じ形をしたものが、空一面を埋めている。


《提供物の回収を開始します》


白い声が街へ響いた。


人の姿を失った者たちが、空を見上げた。角も翼も爪も、それぞれ違う。互いの名を呼び、子どもの手を取り、逃げ遅れた者を助けながら並んでいく。


机の上で、三十冊のノートが風もないのに開いた。


円城マドカ。


星野ルナ。


剛力ゴウ。


消された三十人の名前が、頁の上に残っている。


ミサキは一冊を胸へ抱え、窓の外を見た。


「今度は、どっちが怪物?」


アスカは残りのノートを抱え上げた。


「名前を聞いてから決める」


白い侵入者が降りてくる。


人の名を持つ悪魔たちが、それを迎え撃つ。


その中で、人の姿を残した最後の二人だけが、三十人分の名前を離さなかった。


                      おわり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ