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序章 ハズレ椅子

 放課後の教室というのは、どうしてこう「抜け殻」のような匂いがするのだろうか。

チョークの乾いた粉の香りと、西日に焼かれた水色のカーテンの埃っぽさ。つい数十分前まで満ちていた喧騒が嘘のように、静寂が耳に痛い。


「……あった」


 濱口 和馬は、自分の机の脇に引っ掛けたままのタブレットを見つけ、安堵の溜息を洩らした。これがないと、家でのダラダラとした動画鑑賞タイムが成立しない。和馬にとってはそれは死活問題だった。


(……ああそうだ、連絡事項確認しなきゃ)


ふと思いついて、和馬は何となく自分の椅子を引いた。いつも通りの固くて冷たい木の感触。何の変哲もない、どこにでもある高校二年生の指定席。重いカバンを肩にかけ直し、よっこらしょと腰を下ろす。


__その瞬間、世界から音が消えた。


尻から伝わるはずの椅子に感触が、ふっと消失する。平衡感覚が狂い、心臓が胃の下までせり上がるような、強烈な自由落下感。慌てて目を開こうとしたが、視界は真っ白な光に塗りつぶされていた。遊園地の乗り物以上のスリル感だ。


「__おめでとう。見事に引いたな、『ババ』を」

「えっ?」


耳に入ってきたのは、先生の声でも友人の呼びかけでもない。ひどく愉悦に満ちた、誰のものでもない声だった。

次に和馬が尻に感じたのは、教室の椅子とは明らかに違う、冷たい「石」の感触だった。石だ。冷たくて、少し湿り気を帯びた石の感触。


「……は?え?」


和馬の口から、情けないほど乾いた声が漏れる。

やがて真っ白だった視界がゆっくりと、しかし確実に色をとりもどしていく。だが、そこに広がる光景は、慣れ親しんだ夕暮れの教室では無い。


いきなり視界に飛び込んできたのは、目の前に転がっている人形?……いや違う、もはや人間と呼べる造形では無かった。


それは、真っ白なカーテンを乱雑に蒔きつけたような、奇妙な装束に身を包んだ「骨」だった。かつては豪華な刺繍が施されていたであろうその白い布は、今や汚れと経年劣化で黄ばみ、骸骨の細い指に絡みついている。


(うぎゃぁぁぁぁっ!なんで……なんで骨が、こんな服着て転がっているんだよ……!)


男性用の礼服にも見えるが、どこか現実味がない。その空っぽの眼窩がまるで「次はお前の番だ」と嘲笑っているかのように見えて、和馬は背筋に氷を突っ込まれたような戦慄を覚えた。


「うっ、動くなぁっ!来るなっ!」


和馬はパニックを起こし椅子から転げ落ちると、目の前の「骨」を遠ざけようと無意識に足で蹴り飛ばしてしまった。

カラン、と乾いた音を立てて、白い布を纏った頭蓋骨だけが、囚人たちのいる鉄格子の前まで転がっていく。


「……!!」


骸骨だけしか見えていなかった和馬だが、どうやら目の前には巨大な鉄格子があり、頭蓋骨の転がった先には大勢の囚人?捕らわれた人たちがいるようだった。何かを話している。

和馬は悲鳴を上げた。


その悲鳴を聞いた瞬間、鉄格子の向こうの囚人たちが一斉に凍り付いたように一瞬だが静かになる。

囚人たちは、転がってきた先代の首とそれを見ている和馬を交互に見据え、顔を血の気のない土色に変えた。


「……信じらんねえ。先代ババを……この監獄の絶対的支配者だったあの方を、まるでゴミみたいに蹴り飛ばしやがった……」

「敬意も、慈悲も、一欠片もありゃしねえ。あのガキ……いや。あのお方にとって、前任者はタダの『邪魔な骨』に過ぎないってことか」


和馬は、自分の行動がどう見られたかに気づき、顔面を蒼白にした。


「い、いや、違う!……怖かったんだ。怖かったからで……ワザとじゃないんだ!」

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