第67話 吐露
「なんか……かわいそうだね……」
王城から戻り、食事処で食事をしている最中、唐突にステラがぽつりと呟いた。
「お父さんは一番偉い人なのに、部屋でビクビクしてなきゃいけないなんて……」
十歳そこそこの子が背負うには、あまりにも重い境遇だ。
もっとも、ステラ自身も決して平坦な人生ではなかったはずだが、妹は首を横に振った。
「私はさ、お父さんとお母さん、エルにヨーダがいつもそばにいてくれたでしょ? それに……どんな時でも、お兄ちゃんが私の手を握ってくれてた。私が陰で泣いていても優しく見守ってくれて、時には抱きしめてくれたりもした。でも、王女様は……誰も、その手を握ってくれないんでしょ?」
きっとルナリアの心情を一番察しているのはステラかもしれない。
「次は私の番かもしれない……そう思いながら毎日を過ごすなんて地獄だよ……」
それだけじゃない。
「ルナリア王女殿下は、外に出ると王宮騎士が付く。でも、それは護衛じゃない。監視だ」
もし危ない目に遭っても、彼らは助けるのではなく、見届けるだけなのだろう。
そんな俺とステラの会話を、ホークとアイシャは黙って聞いていた。
言葉を挟まないのは、分かっているからだ。
どうしようもない。それが、この国の現実なのだと。
いや、もしかしたら余計なことに首を突っ込み、厄介ごとに巻き込まれたくはない、という思いからかもしれない。
最優先すべきは、ステラを守ることだ。それなのに、自ら火中の栗を拾いに行くような真似をするのは、ただの愚行だと。
理屈では、分かっている。
それでも、見捨てることはできなかった。
「ルナリア王女殿下と、一度会って話をしてみたいんだけど……いいかな?」
自分でも驚くほど、自然と、滑らかに声を発していた。
「うん! 私も、お話してみたい!」
即座に頷くステラ。
名前を出すだけでも嫌な顔をしていたのが嘘のようだ。
そんな俺たちの言葉を受けて、ホークとアイシャは互いに顔を見合わせ――
やがて、深いため息とともに、ホークが口を開いた。
「……分かった。陛下に、許可を取ってみよう。ただし、善意だけで行動は起こさないからな。その辺は、きちんと汲んでくれ」
言い含めるようなホークの声に、深くは考えず、とりあえず頷く。
どういう意味かは分からないが、その時が来れば理解できるだろう。
そして、面会は拍子抜けするほどあっさりと決まった。
翌日――
午後からの面会許可を得た俺たちは、再び王城へと向かう。
その道すがら、またしても例の人物と鉢合わせた。
「王はなかなか金を貸してはくれんからな。カラスが一回鳴いたら一割の利息……カラス貸しでよければ、貸してやらんこともないぞ?」
カラス貸し……この世界にも、その言い回しがあるのか。
内心で驚きつつ、同時に思う。
この人、領主だよな?
いつもこんなところで油を売っていて、本当に大丈夫なのか。
そんな疑問は胸の内にしまい込み、俺たちはオフィーリア子爵を見事に無視して通り過ぎる。
王城に着き、ほどなくして通されたのはルナリアの私室だった。
「あら、メナト。そんなに私に会いたかったの? それとも……別の用かしら?」
柔らかな微笑みとともに、ロングスカートをほんの少しだけ持ち上げる仕草。
またパンツを見に来たのか? とでも言いたそうな顔をしている。
久々の再会がこれだ……でも少しホッとした自分がそこにはいた。
「ルナリア王女殿下のご近況を伺いに参りました。本日は父だけでなく、母と妹も同席しております」
そう述べると、アイシャが静かにステラの手を取り、一歩前に出た。
「お目にかかれて光栄です。メナトの母、アイシャ・アクィラと申します」
「い、妹のステラです……お兄ちゃんから、王女様のこと……いろいろ聞いて……」
そこまで言って、言葉がしぼんでいく。
緊張と人見知りが一気に押し寄せたのだろう。
その様子を見て、ルナリアはふっと微笑んだ。
そして、次の瞬間。
背筋を伸ばし、足を引き、スカートの裾をつまみ――
完璧なカーテシー。
「ルナリア・ヘロスよ」
ホークも、アイシャも、ステラでさえも、一瞬言葉を忘れて見惚れていた。
カーテシーを終えたルナリアは、すっと顔を上げ、俺を睨んだ。
「メナト? ルーナって呼びなさいって、言ったよね? それに、その仰々しい敬語は禁止だって言ったはずだけど?」
指を突きつける勢いに思わずたじろぐと、ルナリアはすぐに柔らかな笑みに戻り、再びアイシャとステラへと向き直る。
「アイシャさんは……本当にお母さん? お世辞抜きで、メナトのお姉さんかと思いました。それに……ステラちゃん? 可愛い系ね。将来、引く手あまたになるのが目に見えるわ」
この二面性よ。
ただ、そんなことを話しに来たのではない。
「る、ルーナ? 後継……兄弟たちが、次々と病に倒れていると陛下から伺いました……大丈夫でしたか?」
愛称で呼ぶことはできても敬語はなかなか抜けない。
そんな俺にため息をつきながら、ルナリアが語り始めた。
「最初に倒れたのは次男。ブロッサム侯爵が擁立しようとしていた、ディミルトンお兄様よ。食事中、突然痙攣し始めて……当初は誰も毒だなんて思わなかった。でも……次々と倒れていって、さすがにおかしいって。すぐに犯人は判明したのだけど、口を封じられてしまって……」
「……毒見はいないのですか?」
「もちろんいるわよ。でもね……使われた毒が厄介だったの。水に沈殿するタイプの毒。水差しの下の方に溜まる性質。毒見は上澄みを口にすることが多いから、なかなか発覚しなかった。あまり見ることのない、エレキフグの毒だろうって話だったわ。麻痺を起こす毒……でも致死量は含まれていなかったみたい」
ふーん……てっきりブロッサム侯爵の仕業かとも思ったが、侯爵の推しが被害者に含まれているのであれば、そんな単純な話ではなさそうだ。
自演と考えるには、かなり危険な橋を渡っているようにもみえるし。
「それで……ご兄弟たちは皆、後援者のもとへ引き取られたと聞きましたが……」
「ええ。まだ危険が残っているかもしれないし、犯人の意図もはっきりしないでしょう? だから、落ち着くまでは……という判断ね」
「……ルーナは誰か頼れる人はいないのですか? お母さんとか?」
「母は、もう亡くなっているわ。それに母の家とも、今はもう繋がりがないの」
ほんのわずかな沈黙。
けれど彼女はすぐに顔を上げ、「でもね」と微笑んだ。
「兄弟仲も、あなたたちのように良いってわけじゃないし、今は食欲もあまりないから、ちょうどいいかなって思ってるの。それに、王宮騎士の監視も最近は緩むことが多くてね。抜け出せる機会も、前より増えたから自由を謳歌しているの」
思ったより元気そうで良かった。
そう、思った時だった。
ステラが、そっと一歩前へ出る。
小さな手が、ためらいもなく、ルナリアが嵌めている手袋を包み込む。
「王女様……無理してる……私には……分かる……」
一瞬、ルナリアは目を瞬かせる。
「な、何を言っているの……ステラちゃん? 無理だなんて……そんな……」
言葉は整っているのに、声だけがわずかに揺れていた。
だが、ステラの瞳は逸れない。
妹は、視力が戻ってからも変わらなかった。
人の表情の奥、人の心の翳りを、まるで手に触れるかのように感じ取れる。
ステラはそれ以上何も言わない。
ただ、手を握るだけ。
たったそれだけ、それだけのことだった。
アンバー色の瞳に、ゆっくりと涙が溜まっていく。
「……どうして……」
絞り出すような声。
「どうしてッ……! なんで、こんな目に遭うの……? 私、何か……悪いことした……? 王宮騎士から逃げるのが……ダメだった? だって……あの人たち、怖いんだもん……特に……閉鎖的なところだと……存在を否定するような目で……」
俺は迷わず、ステラとは反対側――ルナリアの左手を、優しく握った。
すると、必死に堰き止めていた想いが、嗚咽とともに、涙となって零れ落ちる。
唯一、気が許せるであろう国王の業務は多い。
負担をかけたくないと思えば我慢するしかない。
それに、相談したくても相手がいない、
手を握ってくれる者すらいなかったのだ。
泣きじゃくるルナリアに寄り添う俺とステラにアイシャも加わる。
そして――
俺たちを見守ってくれていたホークの姿は、いつの間にかそこにはなかった。




