第68話 沙汰
ルナリアが胸の内をすべて吐き出し、呼吸が整うまで、俺たちはただ黙って彼女の手を握り、傍に居続けた。
落ち着いたところで、俺の提案により侍医――宮廷医師のもとへ向かう。
「検証に使ったエレキフグの毒が、こちらに保管されていると聞いてきたのですが……」
部屋に集まっていた医師たちが、一斉に俺を見る。
疑念と警戒が混じった視線。
だが、その隣に立つルナリアの姿を認めた途端、空気が変わった。
「……君は、一体?」
「アクィラ男爵家のメナトと申します」
とはいえ、新興貴族の名を一人一人覚えているはずもない。
案の定、医師たちの反応は鈍く、そこでルナリアが一歩前に出た。
「半年ほど前、【氷柱の紋章】を宿すスティリクを捕らえたでしょう? あいつを捕まえたのが、このメナトよ」
「えっ!? こ、こんな子供が――」
まあ、そうなるよな。
それでも正式に身分照会が済むと、厳重に鍵の掛かった棚から水差しが取り出された。中には、なみなみと満たされた無色透明の液体。
「これが、検証に使用したものだよ」
「……これは、どのくらい飲めば死に至るのですか?」
あまりにも直球な質問に、侍医は顔をしかめながら答える。
「この水差しを丸ごと、だな。毒性はそれほど高くは――」
その説明が終わるのを、俺は待たなかった。
魔法手袋を外し、両手で水差しを持ち上げる。
そして――
一息に、喉へ流し込む。
「お、お兄ちゃん!!!」
「メナトッ!!!」
ステラが慌てて水差しに手を伸ばすが、俺は身体を捻ってそれを躱す。
しかし、アイシャの手からは逃げ切れなかった。
半分ほど飲んだところで、水差しを奪い取られる。
「お兄ちゃん! なんでッ!?」
「メナト!? どうして……自殺する気なの!?」
ステラは完全に混乱し、
ルナリアは、信じられないものを見るような目で俺を見つめていた。
一方、アイシャは深いため息をつき、
「……まさかとは思ってたけど、説明の途中でやるなんてね」
呆れながらも、俺の体を優しく包み込むように抱きしめてくれる。
「だって、最初から『飲む』って言ったら、絶対止めるでしょ?」
笑顔を浮かべ、そう口にした――その瞬間だった。
身体の奥から、じわりと痺れが広がる。
筋肉が硬直し、指先から足先までが石に変わるような感覚。
同時に、【追憶の紋章】が灼けるような熱を帯び、紫黒色の光が脈動するように部屋を満たした。
だが、それは十秒と続かなかった。
光は収まり、身体を縛っていた痺れも、波が引くように消えていく。
「……毒が弱かったのかな? もう治ったよ」
俺は指を握り、開き、軽く首を回す。
それを見た侍医が叫んだ。
「ば、馬鹿な!? あれだけ摂取すれば、最低でも数日は身体の自由が利かなくなるはずだぞ!?」
「でも、ほら……」
そう言って、俺は軽くその場で跳ねる。
ぴょん、と。
何事もなかったかのように。
「……大丈夫でしょ?」
「そ、そんな……お兄様たちは次々と床に伏せ、今もなお苦しんでいる方もいるというのに……」
「それはね……」
俺は言葉を切り、アイシャに取り上げられていた水差しへそっと手を伸ばす。
指先が触れた瞬間――
【追憶の紋章】が、再び淡く紫黒色に灯った。
「……っ!」
「ま、まさか……紋章――!? でも、メナトの紋章って――」
その先を遮るように、アイシャが静かに人差し指を唇へ添える。
「王女殿下。紋章の仔細については、お控えください」
「……ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……ただ……でも……」
納得がいかない。
その感情が、はっきりと表情に浮かんでいた。
まぁ、ここまで見せてしまったのであれば隠す必要もないか。
なぜ俺が服毒したのか、毒が効かないかを説明するため、場所を変えようと提案しようとすると、いつの間にか姿を消していたホークが部屋に現れた。
「ここにいたのか。みんな、陛下がお呼びだ」
陛下が?
どうして俺たちを?
疑問を胸に抱いたまま、今日も王の間へと向かうことになる。
その道すがら――
「じゃあ、私はここで……」
ルナリアは、自分は呼ばれていないと思ったのだろう。
部屋に戻ろうとする彼女を、ホークが制した。
「王女殿下。陛下は、殿下もご一緒にとのことです」
「えっ? 私も?」
驚いた表情を浮かべるルナリア。
それは、俺にとっても同じだった。
首を傾げながらも、ルナリアは俺たちと並び、王の間へと向かう。
王の間に足を踏み入れると、すでにヘロス王は玉座に座していた。
「ホークよ、昨日述べた細かな条件を言い渡す」
前置きはない。
まるで、すでに決定事項であるかのような口ぶりだった。
「はっ!」
示し合わせていたかのように、ホークは即座に片膝をつき、深く頭を下げる。
「此度のエーテルポーションの交易により、アクィラ男爵家は莫大な資金を得ると予想できる」
「エーテル……ポーション?」
その言葉に、ルナリアが小さく首を傾げる。
だが、ヘロス王は彼女の反応など意に介さず言葉を継いだ。
「そこで、監視という名目で、ルナリア。お前にテビリスへの出向を命じる――良いな、ホーク」
「「「えっ――!?」」」
俺とステラ、そしてルナリアの驚きの声が見事にシンクロする。
ただ、ホークだけは違った。
まるで予想していたかのように……あるいは、すでに知っていたかのように。
一切の動揺も見せず、即座に答える。
「かしこまりました。ただしテビリスは、あまりにも辺境の地。ルナリア王女殿下の御意思次第、ということでよろしいでしょうか。もし、王女殿下が望まれないのであれば、別の沙汰をと存じます」
なるほど!
監視という名目で王都という名の檻から、ルナリアを引き離そうとしているのだ。
「よかろう。ルナリア、お前はどうする?」
突然、突きつけられた選択。
親元を離れる。
王都を離れる。
安全かどうかも分からない、情報もない辺境へ行く。
――そんな決断を、
今この場で、すぐに下せるはずがなかった。
無言のまま俯くルナリアを見つめる王の瞳は、はや統治者のものではなかった。
そこにあったのは、ただ一人の娘を案じる父の目だ。
「……ホークよ。しばらく……いや。一日だけ、時間をくれぬか」
「当然でございます。お声がけいただければ、いつでも参上いたします」
その返答を聞くと、王は静かに頷き、近衛たちへと向き直った。
「本日の予定は、すべてキャンセルだ」
「はっ……ですが、これよりオフィーリア子爵、ならびに他の諸侯方との――」
「構わぬ。すべてだ」
有無を言わせぬ声音だった。
そう告げると、王は玉座から立ち上がり、ゆっくりとルナリアの前へ歩く。
「ルナリア。これは王としてではない。父としての命だ」
王は、穏やかに微笑みかけた。
「――語ろうぞ」




