表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界が滅ぶまでにキスをしよう  作者: しげみち みり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/26

第2話 光を集める少女

 光を撮るのが好きだと、ナミは言った。

 あの柱のこと。空へ溶けていく人たちの、最後の色のこと。

 「こわいって言われるけど、きれいだよ」と、彼女はカメラを胸に抱えて笑った。

 浅海ソラと知り合ったのは、図書館の返却カウンターだった。

 ソラは一つ上の三年で、夏に部活を引退してからは毎日カメラを提げて歩いている。黒いストラップには、擦れて薄くなった文字で海の名前が縫い込まれていた。

 古いフィルムカメラと、学校の新聞部から借りているというデジタル一眼。両方を肩からぶら下げ、静かな目で光を追う。

 「消えていく人の『最後の顔』は、本人の許可があるなら、撮る価値があると思う」

 ソラはそう言って、白い封筒を見せた。簡単な同意書。撮影の目的と、写真の扱い方が書かれている。

 ナミは封筒を抱え直して、彼の横で小さく頷いた。

 放課後の町は、やさしい色に見えて、どこか薄く透けている。

 立ち入り禁止の黄色いテープの脇に、誰かの置いていった花束。ほどけたリボンが風に踊る。

 二人は、光が立ちのぼる予兆を気にしながら、歩く。

 ソラは足を止め、空の深さを確かめるみたいに目を細めた。ナミが尋ねる。

 「どうして、ソラくんは撮るの?」

 「忘れるからだよ。人はすぐ忘れる。怖いことも、だいじなことも。だから写真にする」

 「忘れたくない?」

 「忘れてもいい。でも、『忘れたくなかった』ことは残しておきたい」

 ナミはその答えを、胸のなかで何度か転がしてみるみたいに黙った。それから笑う。

 「きれいな言い方するね」

 ソラは照れたように肩をすくめ、レンズキャップを外した。

 その日、二人は堤防の上で、おばあさんの手を撮った。

 おばあさんは孫に囲まれて、少しも怖がっていない顔で空を見上げていた。

 「海の向こうに、おじいさんがいる気がしてね」と笑い、指輪の嵌った手を空へ伸ばす。

 指先が薄く光り、輪郭がすうっと揺らぐ。

 シャッターの音が、風のなかで小さく溶けていく。

 ナミは目を逸らさなかった。最後まで、ちゃんと見送った。

 「ありがとう」と誰かが言う。言ったのは、消えていくおばあさんだったのか、孫の女の子だったのか、ソラだったのか。わからない。

 潮が打ち寄せて、堤防の下で砕けた。

 ユウは、その話を廊下の向こうで聞いてしまった。

 放課後の図書館前、ナミがソラに笑って手を振る。二人の肩から下がるカメラが同じ方向に揺れる。

 ユウは足を止め、少しだけ身を隠した。

 胸の奥がざらつく。

 写真。光。消える人。

 頭のなかの言葉が、砂になって喉を乾かす。

 翌日、ユウはわざと遅く教室に入った。ナミと目が合わないように、背を向ける。

 午前中の授業はほとんど聞こえない。黒板の文字は形だけで、意味を持たない。

 休み時間、廊下の窓から見える空に、白い筋が立つ。誰かの名前は、もう口にしない。

 「……春日」

 肩を叩かれて振り向くと、クラスメイトの佐伯が心配そうな顔をしていた。

 「補習、出るか? 来週からテストだぞ」

 「うん。ごめん、行く」

 口だけ返事して、足は別の方向へ向かう。屋上。鍵は、今日も開いていた。

 風の匂いが強い。

 フェンス越しに海が光り、グラウンドの白線が歪んで見える。

 そこに、先客がいた。

 ナミだった。フェンスにもたれ、カメラを膝に置き、目を閉じている。

 ユウは反射的に踵を返した。見つからないうちに戻ろうとする。

 「春日くん」

 呼ばれて、足が止まる。

 ナミは目を開け、笑っている。

 逃げられない。逃げちゃいけない。

 「君、光が嫌いなんだね」

 唐突に言われ、胸が凍った。

 「嫌い……か、どうか、もうわかんない」

「うん。嫌いって言ったら、きっと光は悲しむね」

 「光には感情なんてない」

 「でも、照らされた私たちにはある」

 ナミはそう言って、ポケットから小さなものを取り出した。

 薄い銀のチェーン。先に、小さな透明の雫がついている。中に砂粒みたいな金色の欠片。

 ユウは息を詰めた。

 「……それ」

 「ミナちゃんの、だよね」

 ナミは手のひらの上でペンダントを転がし、そっと差し出した。

 「校舎の裏のフェンスのところで拾ったの。あの日のあと、ずっと探してたのに、見つからなかったんでしょ」

 ユウの喉がきゅっと痛む。

 手を伸ばし、でもすぐには掴めなくて、空中で迷う。

 「どうして、君が」

 「光を追ってたら、足もとにも小さな光が落ちてくるの。これは、風に運ばれてた」

 ユウはやっとの思いでペンダントを受け取り、拳のなかで強く握った。

 胸の奥のどろりとしたものに、ひびが入る。

 「ありがとう」

 それしか言えなかった。

 ナミは首を振る。

 「ありがとうは、私のほうだよ。光が嫌いな君が、私のこと、まだ見てくれてる」

 言葉の意味がすぐにはわからなかった。ただ、口びるが震える。

 ナミはフェンス越しの空に視線を戻し、少し声を落とした。

 「浅海くんと、町の人の写真を撮ってる。嫌だったら、言ってね。春日くんが嫌なことは、したくない」

 「……俺に、決める権利なんてないだろ」

 「あるよ。君は私の『見送り方』のひとりだから」

 ナミの言葉はさらりとしていたけれど、ユウの胸に重く落ちた。

 見送り方。

 ミナを、うまく見送れなかった自分。

 写真なんて、ずるい。最後の瞬間だけを切り取って、「ちゃんと見てた」と言えるなんて。

 心のなかでそう毒づいて、それでも、ナミの横顔から目を逸らせなかった。

 その日の帰り道、ユウはペンダントを何度も指で確かめた。

 透明の雫を通した夕陽が、指の節に柔らかく広がる。

 ミナの部屋の引き出しに入れてあったはずだ。どうしてベランダの外に落ち、校舎の裏まで運ばれたのか。

 考えるほど、答えは遠ざかる。

 「兄ちゃん」

 耳の奥で、小さな声がする。もういないはずの声。

 ユウは振り返り、誰もいない夕暮れの路地に立ち尽くした。

 夜、夢を見た。

 ミナがベランダで手を伸ばし、「きれいだね」と笑う。

 あの日と同じ。光が立ちのぼり、髪がやわらかく揺れて、足もとが薄く透けていく。

 ユウは叫び、走る。間に合わない。指先が、彼女の袖に触れた——つもりだった。

 次の瞬間、ミナの顔がゆっくりと別の顔に変わる。

 ナミの顔。

 同じ笑い方で、同じ色の涙を光らせる。

 「春日くん」

 名前を呼ばれた気がして、目が覚めた。

 カーテンのすき間に、白いものが揺れた。

 窓の外。ベランダの手すりに、夜の海のような髪がかかる。

 ユウは反射的に飛び起き、ペンダントを握る。

 月明かりが雲から抜け、輪郭が現れる。

 ナミが、そこにいた。

 白い短いワンピースの裾が風に揺れ、足首から上にかけて淡く透けている。

 声が出なかった。

 ベランダの鍵を開ける手が震える。ガラス戸が音を立てた。

 「起こして、ごめん」

 ナミは小さく会釈した。声は風よりも軽い。

 「どうして……」

 「歩いてたら、ここに来ちゃって」

 「夜に、ひとりで?」

「うん。たぶん、眠ってた。気づいたら、ここにいたの。私、最近ね、夜の海みたいに引かれるの」

 ユウは彼女の足もとを見た。かすかに床板が透けて、月の光が抜けている。

 怖さより先に、守らなきゃという気持ちが胸を埋めた。

 「中に入れ」

 「いいの?」

 「いい。落ちたら困る」

 ナミは頷いて、静かに部屋に足を踏み入れた。床に影ができない。

 ユウは戸を閉め、カーテンを引いた。月光が薄く布に滲む。

 部屋のなかの匂いが変わる。潮と風と、写真用の現像液みたいな、すこし甘い匂い。

 「浅海くんにはメールした。『今日はもう撮らない』って」

 「撮らない、って」

 「うん。春日くんが、光を嫌いなら。今日は撮らない日」

 ユウは言葉を探した。

 「……ソラのこと、嫌いじゃない。ただ、わからないんだ。写真にするって、なんだ」

 「浅海くんは、記録だって言う。私は……記録もだけど、お願いみたいに撮るの」

 「お願い?」

 「残って。消えても、残って。そうやってレンズに祈る」

 祈る、という言葉の軽さに、ユウは少し救われる。

 重くない祈り。願いごとみたいな祈り。

 「ねえ、お願いがもうひとつ」

 ナミが言う。

 「ペンダント、見せてくれる?」

 ユウは胸もとから取り出し、手のひらにのせた。

 雫のなかの金色が、室内の灯りでやわらかく光る。

 「きれい」

 ナミは顔を近づけ、息を止めるみたいに見つめた。

 その瞳が、ほんの一瞬だけ、どこか遠くを映した。

 「ミナちゃん、空が好きだった?」

 「……ああ。ベランダから、よく星を数えてた」

 「じゃあ、きっとこれ、星の欠片だ」

 ナミは子どもみたいに言い切って、それから少し恥ずかしそうに笑った。

 「ごめん。きれいごと、言ってるだけかも」

 「いいよ。きれいごと、聞きたかった」

 ふたりの間に、短い静けさが落ちる。

 時計の針の音。外の道路を走るバイクの遠い響き。

 ユウは気づく。ナミの肩が、少し震えている。

 「こわくないって、言ったけど」

 ナミが肩越しにささやく。

 「ほんとは、すこしだけ、こわい。浅海くんと撮ってると、落ち着くんだ。私の最後が、ちゃんと世界のどこかに残るって思えるから。でも……今日は、残らなくてもいい日がいい」

 ユウは、言葉より先に動いた。

 そっと、彼女の手を握る。冷たくも熱くもない。だけど、確かにそこにある。

 「ここにいろ。朝までいていい」

 「ほんとに?」

 「うん」

 ナミは小さく頷き、部屋の隅に置いた丸椅子に座った。

 膝を抱え、額をのせる。

 その姿は、ミナが風邪をひいた夜と同じだった。ユウの胸の奥で、やわらかな痛みが広がる。

 「春日くん」

 「なに」

 「光が嫌いでも、私のことは嫌いにならないで」

 「ならない」

 返した声は、自分で思っていたよりも速かった。

 ナミは、どこか安心したように目を細める。

 「ありがとう」

 それで、十分だった。

 やがて、ナミは眠った。

 ユウは椅子の背からすべり落ちないよう、そっと枕とタオルケットを置く。布の重みが彼女を通り抜け、床の木目の上で止まる。

 触れているのか、触れていないのか、わからない。

 窓の外の雲が切れて、また月が射す。

 ペンダントの雫が光り、天井に小さな輪を映す。

 ミナ。

 名前だけを、心のなかで呼ぶ。

 返事はない。それでも、胸の奥のどこかが、ちゃんと頷いた気がした。

 朝。

 目が覚めると、丸椅子は空っぽだった。

 カーテンの隙間から淡い光が差し、机の上に小さな紙切れが置かれている。

 「おはよう」から始まる、短いメモ。

 手書きの文字。

 『起こさないでごめん。浅海くんと朝の海を撮りに行く。今日は“笑っている背中”を集める日。春日くんの背中も、いつか。ペンダント、返してくれてありがとう。』

 最後の行の横に、小さな星の絵。

 ユウは、メモをペン立てに差し、顔を洗って制服に袖を通した。

 鏡のなかの自分は、まだ疲れた目をしている。けれど、どこかが軽い。

 学校へ向かう途中、堤防のほうからシャッター音が聞こえた。

 ソラの低い声。ナミの短い笑い声。

 ユウは足を止め、躊躇して、結局そちらへ向かった。

 朝の海は、色を選んでいる最中みたいな灰色で、波の端だけが白く光っていた。

 ソラがカメラを構え、ナミが被写体と向き合う。

 被写体は、新聞屋の配達員の少年だった。

 「撮るよ。こっち、見なくていい」

 ソラに言われ、少年は自転車にまたがったまま、海と朝日を同時に見るみたいに遠くを見ている。

 シャッターが切られる。

 ナミは、少年の背中に向けて手を振った。

 少年は振り向かず、片手を上げる。

 それで、十分だ。

 ユウは二人に近づいた。

 「おはよう」

 声をかけると、ナミは振り向いて、嬉しそうに目を見開いた。

 「春日くん」

 ソラは会釈し、少し首を傾げる。

「……来たんだ」

 「見に来ただけ。文句、言いに来たわけじゃない」

 ソラは口角だけで笑って、カメラの電源を落とした。

 「よかった。文句なら、図書館のカウンターで受け付けることにしてる」

 「なんだそれ」

 「小さな冗談」

 くだらない会話。けれど、必要だった。

 ナミがユウの袖をそっと引く。

 「ねえ、今日の放課後、屋上で会える?」

 「いいよ」

 「話したいことがあるの。浅海くんのプロジェクトのこと。それから……私のこと」

 ユウは頷いた。

 波の音が近づき、また遠ざかる。

 ソラがレンズを拭く指先に、薄く震えがあるのを見た。

 彼だって、平気な顔をしているだけなのかもしれない。

 写真を撮る人は、強いから撮るのか。弱いから撮るのか。

 ユウにはまだ、答えがなかった。

 その日の授業は、少しだけ聞こえた。

 数学の関数が、波の形に見える。国語の詩に、海と光の言葉が重なる。

 昼休み、佐伯がパンを二つ持ってきて、机に置いた。

 「昨日の返事、まだ本気か? 補習」

 「……本気だよ」

 「なら、五時。職員室前集合な」

 佐伯はそれ以上追及せず、紙パックのミルクティーを差し出してきた。

 ユウは受け取り、ストローを差す。甘い。

 甘さが、思っていたよりもちゃんと味がする。

 放課後。

 屋上の鍵は、やっぱり開いていた。

 ナミはフェンスの前に立ち、風に髪を遊ばせている。

 彼女の足もと、影はまた少し薄くなっている気がした。

 「浅海くんのプロジェクトの名前、『光の図鑑』っていうの」

 ナミは話し始めた。

 「名前だけはやわらかいね」

 「やわらかくしたいんだって。固い言葉で固めると、怖さだけが残るから」

 「……載りたいのか、そこに」

 ナミは少しだけ黙り、やがて頷いた。

 「うん。載りたい。私の最後が、誰かのページの間に、そっと挟まっていてほしい」

 「俺は、まだわからない」

 「わからないままでいてくれていい。春日くんが『嫌だ』って言ったら、私はやめるよ」

 「それも違う気がする。俺のせいにしたくない」

 「じゃあ、私のせいにして」

 ナミはふっと笑った。

 こんなときに笑える人は、強いか、壊れかけか、その両方だ。

 フェンスの向こう、遠い港に白い線が立つ。

 人々のざわめきが町のどこかで起き、やがて静まる。

 ナミの手首の痣は、昼間よりも色が浅い。けれど、目を凝らすと、内側から淡く光っているのがわかる。

 ユウは言った。

 「……もし撮るなら、俺もそこにいる」

 「見送り方、してくれる?」

 「うん。逃げない」

 ナミは目を閉じて、深くはない呼吸をひとつ整えた。

 「ありがとう」

 それだけ言って、彼女はフェンスにもたれ、夕陽を見送った。

 日が沈む瞬間、誰もいなくなったベンチの背もたれが赤く染まり、それがすぐ冷める。

 そこに、たしかに今日があった。

 夜、ユウはまた夢を見た。

 でも今度は、ミナもナミも消えなかった。

 ふたりは並んで、ペンダントの雫を覗き込み、同時に顔を上げる。

 「走って」と、ミナが言った。

 「撮らせて」と、ナミが言った。

 ユウは笑って、目を覚ました。

 カーテンを開けると、月はもう高く、雲はどこにもなかった。

 ベランダには誰もいない。でも、手すりに小さな指の跡が潮で残っている。

 そこに、昨夜の体温が、微かに残っているような気がした。

 次の朝、浅海ソラが職員室の前でユウを待っていた。

 「少し、時間いい?」

 ユウは頷く。

 「話がある。誤解されたくないから」

 ソラは屋外のベンチへ歩き、鞄から封筒を出した。例の同意書。

 「撮る撮らないは、ナミが決める。君も決めていい。俺は、頼まれたことを丁寧にやるだけだ。ねじれたらやめる。騒ぎになったら消す。怖くなったら逃げる。それでいいと思ってる」

 拍子抜けするくらい、弱い宣言だった。

 ユウは思わず笑った。

 「弱いな」

 「うん。だから、見ることだけは強くいたい」

 ソラはそう言って、古いフィルムカメラをユウに渡した。

 「触ってみる?」

 ユウは受け取り、そっと構える。ファインダーを覗くと、校舎の壁が四角い枠のなかで少しだけ違うものに見える。

 見られているから、世界が形を変える。そんな錯覚。

 「重い」

 「責任が入ってるから」

 ひどく青臭い会話。でも、いまはその青さがありがたい。

 夕方、海の防波堤。

 ナミは白いシャツに紺のスカート、髪は後ろでまとめ、風でほどけかけている。

 ゆっくり歩き、立ち止まり、海に背を向けて笑う。

 ソラが距離をとり、シャッターを切る。

 ユウは少し離れた場所で、そのすべてを見ていた。

 見送り方は、いくつもあっていい。

 カラスが一羽、空を横切る。遠くの灯台が早めの光を点す。

 ナミがふいにこちらを見た。

 「春日くん」

 呼ばれて近づくと、彼女はそっと手を伸ばし、ユウの胸に触れた。

 そこに、ペンダントがあると知っているみたいに。

 「ねえ、お願い。次は、君の走る背中が見たい」

 ユウは、答えなかった。代わりに、靴ひもを結びなおした。

 砂地を蹴って、小さく走り出す。

 潮の匂い。風の音。心臓が跳ねる。

 ソラのシャッターが、遠くで一度だけ鳴った。

 夜。

 窓の外には、誰もいなかった。

 でも、月明かりは薄く部屋を照らし、机の上のメモの横でペンダントが小さく光っている。

 ユウはベッドに仰向けになり、目を閉じた。

 光が嫌いだと、もう言わない。

 好きだとも、まだ言えない。

 その間にある言葉を、今は知らない。

 ——世界が少しずつ終わっていく。

 けれど、その少しのあいだに、集められる光が確かにある。

 ナミが集めているのは、たぶん人の「さよなら」の形だ。

 ソラが撮っているのは、きっと人の「またね」の形だ。

 ユウが握っているのは、たぶんそのどちらでもない。

 でも、どちらにもなれる。

 そんな気がして、心が少しだけ軽くなった。

 そして深夜。

 ユウは寝返りを打ち、目を開けた。

 カーテンのすき間に、また白いものが揺れた気がして、そっと立ち上がる。

 窓を開ける。

 外気は冷たい。

 誰もいないベランダ。

 手すりの上に、光の粉のようなものがほんの少し、たしかに残っていた。

 指先で集めてみると、それはたちまち消え、空に溶けた。

 遠く、海のほうで小さな柱が立つ。

 ユウはペンダントを握りしめ、静かに目を閉じた。

 ——明日、走ろう。

 誰かの見送り方になるためじゃない。

 自分の「またね」を、自分で決めるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ