第四十五話 ツラトゥストラは再会する
勇者が死んだ。
その身が朽ちていくのを、俺は黙って見ていることしかできなかった。そも、殺した張本人すら、何が起きたのか分かっていない様子で、身をこわばらせていて、だから、俺は何もいえなかった。
うわあああああ! と。殺した張本人──お嬢様は、もう朽ちて真白い灰になってしまった勇者に、泣きついた。
○
殺したわけではないというのは、俺もわかっていた。勇者──いや、もう先代勇者と呼ばなければならないのか。何はともあれ、先代勇者たる師範代が、お嬢様の御飯に自身の肉体を混ぜたのだ。指を切り落としてミンチにしては味噌汁に入れて、血を絞り出してはトマトジュースに混ぜて、と。
昔から、好き嫌いはするなと教わっていた。だからお嬢様は、苦かっただろう、不味かっただろう、そして、訝しんだだろうに、朝食として出されたソレを食べ切ってしまった。人肉を、人の生き血を、飲み干してしまった。
おえ、おえっ、と。お嬢様は必死に御飯を吐き出そうとした。でも、そんなことをしたところで灰になった師範代が蘇るわけでもなければ、床が汚れるのみだった。だけど、まだ幼かった俺はそれを止めるなんて発想すら浮かばなくて、ただただ呆然としていた。
それからのお嬢様の日々は地獄だったと思う。
師範代は、勇者決定の神聖な闘技で、最有力候補だったハルパスを殺した。そして、ハルパスに敗れたはずのお嬢様に、その勇者を継承したのだ。
「──を助けてやってはくれないか」
俺だけが、師範代から事情を聞いていた。俺だけが、お嬢様の味方だった。俺だけが、俺だけが、俺だけが。
「俺は──に勇者を継がせる。ハルパスがな、『ソロモンの悪魔』の一柱だったんだ。彼を除けば──最優なのは自明だろう」
師範代は泣きながら俺に語った。
「……でも、でも、俺は今さら後悔してるんだ。ハルパスは確かに『ソロモンの悪魔』だったが、そんなに悪いやつだったかと。確かに闘争を好んだが、それは殺されるほどの罪過だろうか……いや、そもそもあいつは『悪魔』だなんて呼ばれてもいいのか?」
殺したのは早計だったのだ、と。
「ああ、叶うことなら、ハルパスに命を以って償いたい」
師範代は俺以外にこのことを告げなかった。ハルパスの尊厳を守るためだ。ハルパスが『ソロモンの悪魔』だったこと、それゆえに師範代がハルパスを殺したこと。これを公表するのは、ハルパスの剣に対する真摯な態度を愚弄することと同義だったのだろう。
ならばどうして俺には伝えたのだろうと思うが、それはきっとお嬢様のためだ。このままではお嬢様には敵しかいない。不平不満の声。不正統後継者だと言う声。それらのために、歳も近く、剣もそこそこ扱える俺が、お嬢様のお守りに選ばれたのだ。
「アストレア様。今日の道場は、どうされますか」
「あ、ああ。やる、やるよ……」
アストレアの名も継承されて、道場も再開して、お嬢様は依然最強で、しかしお嬢様は日に日にやつれていった。その不死が不完全だったのも、お嬢様の心を追い詰めた。
それから幾らの年月が過ぎたのだろうか。ある日、お嬢様が言った。
「……もう、無理だ……」
お嬢様は俺に、勇者を継ぐ気はないかと聞いた。俺はもう見るに耐えなくて、それを了承した。きっとこれも、不正統後継だとかなんだとか言われるのだろう。しかし、そんな自分の身を顧みず、俺はお嬢様の助けになることを望んだ。早く彼女を解放してあげたかった。今思えば多分、俺は彼女を好きだったのだと思う。
勇者は引き継がれなかった。
お嬢様は何度も自分の身体を斬り刻んだ。俺も、吐き気を抑えて人肉を貪り食った。人の血というのは──お嬢様は蛇人だったが──ざらざらとしていて、とても喉を通る代物ではないのだというのを俺は初めて知った。人肉も然り。とても噛み千切れない。
でも、俺は無理やりに咀嚼して、無理やりに飲み込み続けた。お嬢様が用意し続けるからだ。「なんで、なんで」と言いながら、お嬢様は身体を斬り刻み、血を流し続ける。その誠意に応えるように、俺も食事を続けなければならなかった。
だが、勇者は引き継がれなかったのだ。
俺は道場を抜けて方々を巡ることを決意した。強くなるためだ。俺が弱いから、勇者は俺を認めてくれなかった。俺が弱いから、お嬢様は未だ苦しみ続けている。俺が弱いから、あの日から、歯車は止まったままなのだ。
「いつか、俺はもっともっと強くなって、あなたの前に現れます。その日まで、どうにか耐えられますか」
お嬢様は無理だ、やめて、いなくならないでと言った。俺は安心させるように言った。
「大丈夫です。あなたは強い。では、いずれまた、俺は勇者をもらいに来ます」
正直、後ろ髪を引かれる思いだった。でも、このままでは何も解決しないのだ。茨の道を進む覚悟で、武者修行でもするように、俺は今でも世界各地を回っている。
○
そうしてツラトゥストラは今、魔界にいた。
きっかけは多分、他の城六伯と同じだった。モラクスと利害が一致したのだ。千年夜城で魔力がこの世から消えると、ツラトゥストラは最強に一歩、近付くことができる。強くなれば【勇者】に認められ、お嬢様を苦痛から解放できる。そう思ったから彼はモラクスに仕えている。
だけれど、それだけではなく、思わぬ収穫もあった。それはモラクスの邪魔をしようとする奴らのレベルの高さだ。
考えてみれば当然の話だった。世界から魔力を奪われるとなれば、誰もがなりふり構わず妨害にくるだろう。輩どもはこれでも少ない方だと思う。モラクスは相当上手く隠蔽しているらしかったが、たまに来るそれらは大抵、強敵だった。武者修行中であるツラトゥストラからすれば、これほど嬉しいことはない。
そしてそれは今日も、同じである。
「……ちぃっ!」
ツラトゥストラはたまらず後退した。目の前の少女は先ほどまで息を切らして逃げ回っていたのだが、どういうわけか、ここへきて急に元気になった。ちょうど、シトリー・グリフォンがやられたあたりからか。
しかし、それでも、ツラトゥストラが今までこの少女に与えた傷が消えるわけではない。はあ、はあと息切れはそのままに、少女──シストは呟いた。
「……っはあ。ブラズ、勝ったのね……。私に『力』回さなくったっていいってのに……」
さて、冗談だろうか。あろうことか、シストの傷がたちどころに治っていく。十数秒もすれば、まるで戦う前と同じ身姿にまで戻っていた。呆気に取られて呆然とするツラトゥストラに、息すら整った状態で、シストが言った。
「……私、実は死霊なの」
瞬間、ツラトゥストラは弾き飛ばされていた。それはとてつもない衝撃で、先に張った封魔結界にぶつかって止まるまで、ツラトゥストラは宙を飛んだ。
「主人から送られてくる借り物の力で威張りたくなんてないんだけど、私が死んだらブラズに迷惑がかかっちゃうから」
声がしたのは、目の前。シストはとてつもない速さでツラトゥストラに追いついて、死神の鎌を振り下ろす。
「……っ」
ツラトゥストラは剣で庇う。咄嗟のことで、『死神の鎌』に形を与えるのを忘れていた。それが異常な雰囲気を纏っていることくらいには、ツラトゥストラも留意していたというのに。
鍔迫り合いなど起きなかった。触れたところから、ツラトゥストラの剣が消えるように融解した。溶けたのだ。まさしく『死』を思わせる腐乱だった。
「結!」
剣から手を離して、『死神の鎌』を結界で包む。そのまま『上書き塗装』して、そこに『形』の概念を入れ込もうとした。
だが、それらの『処理』が完了する前に、結界が『死神の鎌』の瘴気に溶かされて消えた。
「!?」
「なるほど。波動はともかく死神の鎌本体はは『上書き塗装』できないのね。まあできても困るんだけど」
その手応えは、この世の物ではありえなかった。神代や、神話の時代の代物、そう、まるで、勇者の扱う『神剣』のような、何をも寄せ付けない完成された武器を思わせた。
そうとわかったシストは接近戦を試みる。速度の関係が逆転したから、先ほどまでと打って変わって、ツラトゥストラが防戦一方となっていた。
先ほどまではツラトゥストラの方が素早かったから、シストは接近戦は部が悪いと『波動』を当てようと躍起になっていた。だからツラトゥストラはそれを避けながら懐に潜り込み、斬りかかれば良かった。今は、シストの方が速いから、彼女は自ら進んで近づいて、『死神の鎌』でツラトゥストラを貫こうとする。
「(これが、魔術に頼った者の末路か……!)」
律儀に剣術を、スピードを追い求めていれば、また違った結果になっていたかもしれない。『結界魔術』という安易な逃げ道、強くなるために近道をしたがゆえに、今、自分は窮地に立たされているのか、と。
そんなのは、認められなかった。
「行燈凝結!」
「!?」
ツラトゥストラはまず、封魔結界を解いた。そして、流入してくる数多の魔力を一点に集めて、その狭い空間に閉じ込めた。
その一点というのは、すなわち、ツラトゥストラとシストが戦っていたあたりである。
「これで、速さは奪った!」
そう。まるで水の中にいるように、濃密な魔力に身体をとられて、そこでは一定以上のスピードが出せないようになっていた。だが、あくまで一定以上のスピードが出せないだけであって、一定以下の速度であれば、問題ない。
つまり、『速過ぎる者だけが止められる空間』である。
「うおおおおお!」
「ちぃっ……!」
ツラトゥストラは雄叫びと共にシストに斬りかかり、シストは舌打ちをしながらも『死神の鎌』を横薙ぎに振り回そうとして、そして。
「うおおおお!」
「はああああ!」
ツラトゥストラは『死神の鎌』を突破できない。だから、シストに刃を届かせようと思ったら、それを器用に掻い潜りながら、剣を振らなければならない。『死神の鎌』に当たるだけでもだめだ。触れたそばから、剣が溶かされてしまうから。
その一瞬の遠回りが、勝敗を分けた。
キン、と。剣閃の音だけが、響いた。誰もその刀身を見ることは叶わなかった。あまりの速度に、あたり一帯には暴風が舞うほどだった。
アストレア・ヴィ・レイヴ。今代勇者が参上。
彼女は神速でツラトゥストラの得物を斬り落として、それからツラトゥストラをシストの『死神の鎌』の射程圏外まで抱えて運び出して。
そしてフワッ、と軽やかに着地して、それからにっこりと笑って、言った。
「久しぶりだな、ツラトゥストラ」
お姫様を扱うように抱っこされ、見下ろされ、そんなことを言われたツラトゥストラは、顔を真っ赤にして抗議した。
「……俺の、負けだ。……だから、おろせ」




