第四十三話 転機が訪れる
アストレアはともかくとして。
ソロモン、シスト、ブラズは、着々と追い詰められていった。
「……疾っ」
ソロモンの攻撃が斬られる。しかし、それでも明らかに手加減されていた。シトリーは今、アストレア・ヴィ・レイヴの全盛期の力を纏っている。その力をもって本気を出せば、ソロモンなぞ一瞬で細切れになるだろうから。
手の内を全部出させてから、殺す気なのだ。そのキラキラ光る瞳が、楽しそうに物語っている。『次は何をしてくれるんだろう』と。伝説のソロモン・ディビルズの曲芸を楽しんでいるのだ。
「……もう諦めることが、賢明な判断だと思われるが」
シストは、ジリ貧ではあるが必死に凌いでいた。『冥界の力』は厳密に言うと『魔力』とは違う。封魔結界の中でも不自由なく扱えるその力で、ツラトゥストラの猛攻を捌いていた。
しかし『死神の鎌』も『封印』も斬られてしまうことには変わりない。決定打がないまま、ただただ時間だけが過ぎていく。そして、時間とともにシストが負う傷だけが増えていくのだ。
「ははは! ああ、また、追い詰められちゃった」
そして、この中で唯一勝機があったであろうブラズも、もう手遅れだった。ブラズが脳天をかち割る前に、グリーディアは追い詰められ過ぎた。能力を知らなかったこと、開幕すぐに隠れられたこと。様々な要因はあるが、力を使わせる前に殺すという選択が、ブラズには取れなかった。慎重すぎるが故の過ちだった。
追い詰められるだけ強くなるグリーディア。この『強くなる』とは、『相手より強くなる』のである。だから『死神の衣』で溶かされた剣は『死神の衣』を難なく貫通するようになったし、同様に、『死神の衣』で爛れた拳は、もう二度と『死神の衣』では傷つかなくなった。
八方塞がり。なす術なし。
そんな状況が一番最初に動いたのは、ソロモンとシトリーの戦いだった。
「……くっ」
ソロモンはようやっと奥の手を解放する。できれば使いたくなかったモノだった。苦渋の声はシトリーの理不尽な強さへのものではなく、その選択を迫られたことへのものだった。
両の手に別々の『結界』を宿す。右は封魔。左は放魔。魔力を封印する結界と解放する結界だ。
パァン、と、ソロモンは体の前で両手を打ちつけた。
相反する性質を持った結界が、無理矢理に一つにされる。それらが互いに反発しあい、打ち消しあいながら結合することで、爆発的なエネルギーを得る。
磁石のようなものだ。同じ極の磁石が無理矢理に近づけられると、そこに強い反発力が生まれると思う。それを、ソロモンは出来る限り大規模にやったのだ。
ソロモンの背後に、魔人のようなもやが揺らいだ。それは破滅を告げるほどの力を前にして、シトリーが見た幻覚だったのか、否か、果たして。
ドゴォン! と。大暴発が起きた。火薬のそれではない。魔力の爆発だ。それも、ソロモンがあたり一帯全部の魔力を使い込んだとっておき。
しかし、シトリーは──笑った。
「はっ!」
シトリーがその姿を変える。アストレア・ヴィ・レイヴからシストへ。シストからブラズへ。そして、遂には右半身がブラズ、左半身がシストの姿をとった。それは身体の真ん中で二人を無理矢理繋ぎ合わせたかのような、歪な姿だった。
「封印、開放なら、こいつらの十八番だろぉ!?」
そして──爆風は、まるで巻き戻しでもするかのように収束していって、あとには無傷のシトリーが残った。
静寂。無風。そこは耳に痛いほど静かな世界だった。
「──はは」
ソロモンの乾いた笑い声が、無音の荒野に虚しく響いた。
ソロモンに、もう打つ手はない。これが使いたくなかった理由だった。あたり一帯全ての魔力を使ってしまうので、あの魔術を発動すると、周りの魔力を利用して戦う『結界魔術』は以後使い物にならなくなる。文字通り最後の一撃、諸刃の剣だった。
「もう終わりか。思ったよりも呆気なかったな」
シトリーはもとの姿に戻って、ぽりぽりと頭を掻いた。期待外れ。そう呆れられたのが、ソロモンにはありありとわかった。
「──はは」
でも、仕方ないじゃないか。ソロモンは悔しいだとか恥ずかしいだとかを感じる前に、諦念と、悲しさを感じた。ソロモンだって一千年も前の偉人と魔術で戦ったら勝てる自信がある。それだけの時間があればどれだけ技術が発展するのか。まして、高濃度の魔力で満たされた結界の中で過ごしたのならばなおさらだ。
そうして、惨めにシトリーの前に這いつくばる自分を俯瞰した。これでもかつては『序列八位』だったのだ。最強の一角を自負していたのだ。誇りや自信が、ただ未来人が相手だったというだけで、踏みにじられる。
どうしてこの俺が、無様に這いつくばっている?
悔恨と羞恥は、遅れてやってきた。
悔しい。恨めしい。恥ずかしい。羞かしめられた。
勝手に期待して勝手に失望するなよ、元獣風情が。
「……あ?」
「起句!」
ソロモンは体内の魔力を解放した。体内の魔力を周囲にばらまいて、それを疑似的に『外部の魔力』として用いて、むりやり結界魔術を使う力技。
「承句!」
これが、思っていたよりも多くの魔力を放出した。せいぜいが結界魔術一発分だろうと思っていたのが、その軽く十倍はあった。それだけの大魔力をソロモンが身体に内包していたというわけだ。
「(これが、バアルの力……?)」
しかし、そんなことはどうでもいい。舐められたままでは終われない。今のソロモンの頭の中は、シトリーに一泡吹かせてやること。それだけでいっぱいだった。
「転句!」
そして、面食らったシトリーが、しかし状況を理解して、まだ何かやってくれるのかと期待に目を輝かせて後退して、ソロモンが「結句!」と叫ぼうとした時だった。
「──まあ、待ってよ」と。
「……え?」
パァン、と。ソロモンが練った魔力が、霧散した。
乱入者。ソロモンとシトリーの戦いに割り込む者。
ここはシトリーが創り出した二人だけの世界。ソロモンとシトリーしか存在していなかった世界。そこに乱入者など、本来ならあるわけがなかった。
「誰だ、てめぇ!?」
それはシトリーも同じ考えだったらしく、表情を一変させて問い詰める。特に彼は、自慢の魔術を破られてこの世界に侵入されたわけだから、その動揺っぷりもソロモンの比ではなかった。
果たして、乱入者は。
ソロモンの最後の一撃を止めたそいつは。
「僕は第三席、『序列三十七位』フェネクス。ようやく、名前を思い出せたよ」
そう言ってソロモンの方を振り返って優しく微笑むそいつは。
あの、妙に人を苛つかせる子供だった。
○
淡い緑の髪の子供。首に、変な形の時計をかけた子供。
出会い頭にソロモンらに泣きつき、慰めるのに苦労した子供。シトリーとの戦闘直前に、ソロモンが結界内に閉じ込めて保護した子供。
それが、あろうことかシトリー・グリフォンが創り出した世界にまで侵入してきていた。
「どうして、君がここに……?」
「くそっ、バティンは何をやっている!?」
ソロモンの困惑とシトリーの悪態は、ほとんど同時に呟かれた。
子供──フェネクスは笑う。
「はは。ソロモン、今は何も考えず、これを制御してくれないかな」
そう言って、フェネクスは途方もない量と、質を持った魔力を解放した。
「はあ!? なんだこの魔力、出来るわけないだろう!」
「『塗装』や『魔力操作』は得意なんだろう? ほら、頑張って制御してこれを『結界』にするんだ! そうしてシトリーを閉じ込めてしまえ!」
ソロモンはやった。やるしかなかった。なぜならばやらなければソロモンが死ぬから。ピンを切った手榴弾をほいっ、と投げ渡されたようなものだった。優しく、しかし迅速にこの魔力を制御しなければ、大爆発でも生温い災害が勃発する。
「……くっ。うおおおお!」
ぐねぐねと渦巻く魔力を押さえつけるソロモン。量だけではないのだ。これはおそらく『概創霊装』の力を解放した魔力。だから、質の部分でも、ソロモンが今まで扱ったことのない魔力だった。
果たして、──ソロモンは成功させた。
フェネクスの無茶振りを、こなした。はあ、はあと肩で息をするソロモンは、ぷはぁと後ろに倒れ込んだ。そして、シトリーは結界に閉じ込められた。
だが、いまさら結界に閉じ込めた程度で、シトリーをどうにかできるのか?
それはシトリーも同じ考えだったらしい。「いまさらこんなもの……!」と、姿をアストレアのものに変えて、斬り刻もうもした。
だが──
「違う。違うよソロモン。ただの結界じゃない。僕の魔力を使って創った結界だろう」
──パリィン! と。シトリーの剣は、結界に容易く弾かれる。
「……は?」
「裁定しろ、『審判の時計』」
フェネクスの首にかけられていた時計が、一際存在感を放つように煌めいた。その瞬間、ソロモンの結界──いや、フェネクスの概創霊装の魔力を用いて創られた結界も、同様に輝きを放った。
パアァ、と。その光が収まってしかし、中から出てきたのは無傷のシトリーだった。
「……え? お、おいフェネクス! なんともなってないみたいだぞ!」
フェネクスが笑う。次の瞬間、シトリーが、まるでこの世の終わりの様な顔をして、顔を覆ってその場に膝をついた。
「くっそぉぉ!」
そして、シトリーは一転怒りの形相で立ち上がりフェネクスに殴りかかる。あっ、と止めようとするソロモンだが、フェネクスが笑ったままなので見ていると、シトリーの殴打はまるで『ぽかぽか』と擬音が鳴っているかのような、可愛らしいものだった。
「くそっ、くそっ!」
ぽかぽか、ぽかぽかと。シトリーは、大の大人が、フェネクスに殴りかかっている。それは、酷く滑稽な光景だった。
「『審判の時計』。僕は最強じゃないけれど、僕がいる限り最強を許さない力だ」
フェネクスが言った。
「まあ、『そいつの一番強い力』を封印する概創霊装なんだけどさ。シトリーって『純愛の首輪』で変身しなかったら、一般人並みの力もないんだよね」
泣きながら殴り続けるシトリー。「返せ、返してくれよっ、俺の『純愛の首輪』!」と。大の大人が、必死に子供に懇願している。ぽかぽかと、それこそ駄々をこねる子供のように。
「お、おう」と。
先ほどまで絶望の象徴のようにまで見えたシトリーだったが、ソロモンは哀れまずにはいられなかった。




