夕闇のエンカウント
20 夕闇のエンカウント
アタシは今、桧山明さんの家の二階に居る。大きな寝室の更に奥にあるバスルームに身を潜めている。どうしてこうなったのか………いや、最初はこんなはずじゃあなかったんだ。ちょろっと、桧山明さんの家の前まで近づいて、敷地内に誰かいないか確かめたらすぐさま立ち去るつもりだったんだ………。でも、やっぱり塀がアタシの身長よりちょっと高くて中の様子を見ることができなかったから、アタシは仕方なく、敷地内に入ることにしたんだ。仕方なくなんだ、仕方なくなんだよ………でも、それが、そもそもの間違いだったんだよ………。
事は十数分前に遡る。桧山明さんの家の門の前まで来たアタシは、そこから敷地内をそろーっと見回した。ーーー人影はなかった。ここで引き返せば、まだよかった。うん。わかってる。でもやっぱり気になってアタシは桧山明さんの家の中を調べることにしたんだ………。
玄関の扉は開け放たれていた。土間と一段上がった床の境界にビシビシと《KEEP OUT》と書かれたテープが張りまくってある。でも、小柄なアタシがくぐれるくらいの空間があったから、アタシは身をかがめて、中に入った。ハイハイをしながらテープをくぐった。うわ、煤だらけだ。しかも濡れてる。ううう、汚れるー。あと冷たいー。腕時計もカチャリと床に着いちゃうー。ママのお下がりなのにー。外しときゃよかったー。
と、そんなことを考えてたら、奥の方から物音がした。おもわずビクッとして、アタシはしばらく動きを止めた。何?何なの?やっぱ誰か居るよね?奥から?でも玄関から入った形跡はなかったし………だって小柄なアタシがようやくくぐれる程度しかテープの隙間はなかったし………。
で、ここで気づいた。確か、犯人は玄関の真裏にあるリビングルームのサッシを破って侵入したんだった。ニュースで間取り図を交えて説明してた。さっき、塀の中に見えた頭のようなもの。生身の人間だったら、一般的な成人男性の身長だ。もし、この家に侵入するなら?証拠をなるべく残さずに。玄関からは入らない。だってテープだらけだし。ってか、玄関が開いてたっておかしくない?普通、閉めてるよね?あああ………何見落としてるんだ、アタシ。バカだぁ………探偵助手失格だぁ………。
多分、侵入者は、最初玄関から入ろうとしたんだ。そして扉を開けた。鍵がかかっていたのかどうかはわからないけど、とにかく、開けた。そしたら目の前にはこんなにびっしりと《KEEP OUT 》って書かれたテープが。それを見て、玄関からの侵入を諦めたんだ。そして、侵入経路を変えたんだ。犯人と同じ侵入経路に。さっき、ひょこっと頭が見えたのは、裏に回るために移動しているところだったんだ、きっと。
冷や汗が止まらない。心臓はバックバク。やばいやばいやばいやばいやばい。犯人?いやいやいやいやいや。さすがにそれはないっしょ。殺人事件だし、プロの犯行だってアラッチも言ってたし、そんなトンマなことはありえないっしょ。でもでも、不審者には違いない。どうしようどうしよう!見つかったらなんか変なことされるんじゃないかな?アタシ可愛い女子高生だし!どうしようどうしよう!
そんなことを考えていると、また奥から音が聞こえてきた。危機状態で、アタシの耳は恐ろしいほどに研ぎ澄まされていたから、ほんの僅かな音も聞き逃さなかった。耳をさらに済ましてみた。………ギシッ、ギシッっと床を踏む音が。なんかこっちに近づいてきてない?うわあ!やばいよやばいよ!
ここで、アタシは決定的なミスをした。後退せず、前進しちゃった。いや、だって、ハイハイで後ろに進むってのは不自然というかなんというか。とにかく、咄嗟に前に進んじゃったんだ。気が焦ったというか、その、目の前には階段があったのね。それでアタシは思わず二階に避難してやり過ごそうと考えちゃったの。
極力音を立てないようにして、階段を上がる。アタシは体重が軽いから、殆ど音は鳴らない。気づかれないように、ひたひたと上がっていく。
どうにか二階に上がってしばらく下の様子を伺った。そしたら、ぬうって影が見えるじゃない!玄関から入った光でできた影が階段に近づいてくるの!
ああ、ヤバイ!二階に上がってくるんじゃねえか!?なんとかやり過ごそうとしてたのに!二階に上がってくるなんて!いや!そもそも二階に上がったアタシがバカなんだ!あの時後ろ向きにハイハイしてさっさと玄関から出て逃げればよかったんだよ!
声を上げる?いや、この家の感じだと、今ここで大声を上げても聞こえない感じがする。ヤバイヤバイヤバイヤバイ!とにかく、次の避難先を探さないと!
………
で、今、アタシは、二階の一番奥にあった部屋の更に奥にあるバスルームで息を潜めてるってわけだ………。どんづまりもどんづまり。逃げ場、なし。窓があるけれど、小さすぎてそこからは脱出できそうにない。それにどうせ二階だし………小さな四角い窓から見える空は紫色に染まってきてる。アタシの心の色っつうか顔色そのものだ………ううう………アタシ………どんだけバカなんだぁ………。
咄嗟に廊下を伝って入った部屋だけど、随分大きな部屋だ。備え付けのバスルームがあるなんて。そういえば、焼け焦げたキングサイズのベッドがあった。ああ、ここ、桧山明さんの寝室なんじゃね?
まてまてまて。ここ、本命じゃん。不審者がどういう目的でここに来てるかわかんないけど、来るならここが本命の部屋じゃん!そうでなくても、虱潰しに家探しするなら結局ここにはくるけどさ!まず真っ先に来そうなとこじゃん!
ってかなんか音した!部屋に入ってきたっぽい!?
うわー!?どうしよどうしよどうしよ!?
◆
僕はフラフラと階段を上がる。
ーーーギシリ、ギシリ。
目的の場所はわかっている。
他の部屋には目もくれず、そこに向かう。
部屋の中に入る。焼け焦げた風景。
どこか懐かしさを感じる風景。
紙片と木片を手に。
部屋の中央に設置する。
そして、着火する。
ジッジッジッ。
僕はそこに座り込み、徐々に火を大きくしていく。
ひたすらに、ひたすらに。
十分な火力を帯びた後、錆びた銅線を放り込むのだ。
ーーーアキラを呼ぶために。
◆
人の気配がする。確実に扉の向こう。部屋の中には居る。でもこっちには入ってこない。結構時間経ってるのに。ええと、うん、もう六時過ぎてるし。何してんだよう………ううう。なんか焦げ臭さが増してる気がする。パチパチ音が聞こえるし………。侵入者は何やってんだよう。さっさと立ち去れよう………。ってか何?焚き火?いや、放火?おいおいおいおい!そりゃあ困るって!つかコイツ、一連の放火犯何じゃあねえの!?ああああ!不審者どころか大不審者じゃん!犯罪者!やり過ごすとかもう無理じゃん!
つか、なんで立ち去らないの!?放火目的なら、さっさと出てってよー!アタシ、逃げ遅れて焼き死んじゃうじゃん!てかもう煙たいし!窒息もありえるよ!
ーーーもう、仕方ない。強行手段に出よう。えいやあと、扉を開け放って、脱兎のごとく逃げ出すしか無い。でも、アタシの居るバスルームは部屋の更に奥だから、確実に、放火犯と対面する。勢いだけじゃあそいつの脇をすり抜けて逃げるのは難しい。何か無いか………何か方法が………と、アタシの眼に、希望の光を放つアイテムが映った。シャンプーだ!そうだ。こいつを使おう。そいつの顔めがけてシャンプーを浴びせてやるんだ!目に染みるぞ!絶対にうろたえる!そうやって隙を作れば、逃げ延びる確率は上がるに違いない!
ーーーもう、このプランしかない。やるしかないんだ。
(窮鼠猫を噛むっていうんだぞ!その気になればなんとかなるなる!)
アタシはそう自分に言い聞かせて、何とか自分を奮い立たせて、飛び出す準備をし始めた。
◆
「〈オカルト〉、ですか?」
唐突にそう言われて、笹中透は、思わずオウム返しをした。
「そう、〈オカルト〉だ。俺はそういった類のものが引き起こす事件の解決を生業にしている。〈探偵〉として仕事を受けてはいるが、アオイが俺に求めているのは〈拝み屋〉としての仕事だよ。事件解決のための〈祓い〉を円滑に行うために、俺にはあらゆる連関性を探ることが必要なんだ。」
「オカルト。超常現象の類。そんなものの捜査だって?馬鹿げている。そんなものがあるはずが………」
「特殊犯罪課の課員にあるまじき言葉だな、ササ君。君が知らないだけで、確かにそういった事象は存在する。それが害悪を為す時に、治め、鎮めるのが〈拝み屋〉の仕事だ。俺の場合はチョット違うけどな………俺の〈摂理の鍵〉は強制的に………」
そこまで言ったところで、荒井総二は、おっと!と言い、口をつぐんだ。うっかりしゃべりすぎてしまった。まあ、言ったところで笹中透は信じないだろうが。それでも、無意味に言いふらすものでもない。
二人の間に沈黙が漂う。無言の時間が過ぎていく。笹中透は困惑していた。荒井総二から話を聴きだしたものの、それは荒唐無稽すぎる話だった。信じる?彼を?はぐらかしているだけで他に隠している真実があるかもしれない。どうやって探る?
笹中透は考える。浮かぶ、名前。湊葵から唐突に聞かれた名前。あの人は意味のない事柄にわざわざ関心を持ったりはしない。それについて意見を求めるなんてナンセンスなこともしないはずだ。だったら意味がある。出処は?天音佳奈の能力からか?特殊な、超常的な能力からの?
「ーーー〈アキラとコーイチ〉?」
そう、思わず声に出して呟いた。と、同時に、二階の方で物音がした。その瞬間、ガタンガタンと建物全体が震えだした。地震か?笹中透はそう思ったが、荒井総二は即座に否定した。
「コイツは〈澱〉だ。気配がする。唐突に来やがった。………何かが〈澱〉の琴線に触れ、活性化させた?なんだ?おい、ササナカ。さっきなんて呟いた?」
「〈アキラとコーイチ〉。湊警視に心当たりはないかと聞かれた人物名だ………」
再び、その名前を口に出した瞬間、更に建物全体が揺れた。空気が震え、唸る。色彩に違和感が。モノトーンの世界に色が立ち現れた。
ーーー緑色が。光となって。方向は?ーーー直上からだ。笹中透は天井を見上げた。緑色に染まっていた。シーリングライトなどではない。そんなものは焼失している。あったとて、電気も通じていない。何が光っているのだ?天井それ自体が?いや、漏れ出ている様な印象が。二階から?直上は?ーーー桧山明夫妻の寝室。浮かぶ言葉。〈オカルト〉。荒井総二の声で。オカルト現象が起こっているというのか? オカルトにうってつけの場?分厚い天井を通じて光が?何が?何が起こっているんだ?
笹中透は天井を見上げたまま立ち尽くしていた。自分の身の回りに起こっている不可思議な状況を整理するのに手間取っている。と、荒井総二が、笹中透の横をすり抜け、二階に駆け上がっていった。笹中透は我に返り、慌てて後を追う。
荒井総二が二階に上がると、そこは緑色の炎に包まれていた。しかし、熱くもなく、何かが燃えているわけでもない。ーーーボヤ騒ぎで目撃された状況に似ている。これはビンゴかもしれない。咳き込む。煙だ。袖口で鼻口を押さえる。
(実体の炎?〈澱〉がそこまで顕在化してるのか?いや別だ。今の今まで澱の気配は感じなかった)
煙が流れてくる方向を見やる。ーーー寝室だ。夫婦が殺された場所からだ。扉が開いている。影が廊下に差すのが見える。
(クソ!〈澱〉の調査にばかり気を取られて、人の気配に気づけなかったのか俺は!なんて阿呆なんだ! 焦げ臭さ。建物の持つそれだけじゃあなかった。誰かが俺の真上で焚き火してやがった。道理で異常に焦げ臭いはずだ!クソ!間が抜けているにも程がある!阿呆め!俺!)
荒井総二はそう自分に悪態をつきながら部屋に向かう。
扉の前に来た。その部屋には一人の男が立っていた。足元にはメラメラと燃える橙の炎が。それに照らされた黒い影が荒井総二にかかる。橙の炎の先。男と相対するかのように、緑色の炎の、中心となっているものがあった。〈澱〉だ。
ーーーそれは、おぼろげながら少年の形をしていた。眼と口ががらんどうで、気味の悪い埴輪のような表情をしている。その眼の奥は真っ暗で何も見えない。漆黒より黒い、絶望で塗り込められたような眼をしていた。 緑色の炎。それは緑色の炎の中心に居た。
ーーー〈澱〉だ。荒井総二が、探していた、対処すべき対象が、立ち現れた。
「な………なんなんだ?緑色の炎?男?少年?一体………?」
肩越しに、笹中透の声がした。上ずっていた。目の前の光景に、理解が追いついていない声色だった。
荒井総二はちらと笹中透の方を横目で見る。と、手に銃を構えていた。銃口は男と〈澱〉の間をフラフラと揺れている。荒井総二は右手で遊底を押さえつけ、小指を撃鉄の間に挟み、弾丸が撃てない状態にした。そしてそのまま銃口を下げさせ、
「こんなもん、アレには通じねえ。わかるだろ?鉛弾でどうこうできる類じゃねえ。俺の領分だ。」
そう言って、左腕を前に付き出し身構えた。
(地力で殺れる?否。予想以上のタマだ。やはり〈摂理の鍵〉を使うしか?発動可能?否。材料が足らない………無理にでも地力で殺ってみるしかねえか、クソッ………!)
意に反するタイミングと方法になるが、仕方がない。確実に殺れる保証はないが殺るしか無い。荒井総二は本格対峙を覚悟した。器官に意識を通わせ、魔術行使の準備をする。超常的なものを滅する力を溜めるために。
ーーーが、戦闘態勢に入ろうとする荒井総二の意に反して、少年のようなものは、何もすることもなく、ゆらゆらと揺れながら消えていった。
(去った?ココは本丸じゃあないのか?〈澱〉も拡散して消えつつある………?)
数秒で、その緑色の炎に包まれた空間は通常の空間に戻った。
笹中透は呆然としている。今まで体験したことのない出来事に遭遇して、面食らったようだ。荒井総二は、周囲を警戒しつつ、立ち尽くしている男に声を掛けた。
「おい、しっかりしろ、おい?」
何度か声をかけ、頬を数回叩くと、男ははっとして荒井総二の顔を見つめ返した。目は虚ろで、心ここにあらずといったところだ。
「おい、オマエは誰だ?何でこんなところにいる?」
荒井総二の質問に、男は茫洋とした意識の中、なんとか言葉を絞り出した。
「ぼ………僕は………ナガセだ………アキラは?………アキラに何処に行った………?アレはアキラだよな………?やっと会えたのに、どこに………」
ーーーアキラ。そうか、ならばこの男は………。荒井総二の中で、ばらんばらんであったパズルのピースが埋まり始めた。コイツは当たりだ。確信して、言う。
「おい、ササナカ!いい加減呆けてないでしゃきっとしろ!この男、ナガセ ナガセ〈コーイチ〉を保護しろ。あと消火だ。コイツの火遊びのケツ吹かにゃあならん。」
笹中透は、一喝された後、冷静さを取り戻し、荒井総二の指示に従った。荒井総二は橙の炎を見やる。実体の炎だ。時折緑色がちらつく。それを見て思う。
(故に、か。儀式としての、か。〈澱〉の誘発因子増大と俺の存在が一時的に励起させただけか………しかし………)
事件は核心に近づいてきている。本丸を見極めるのは、そう遠い時分ではない。〈摂理の鍵〉の発動条件が揃うのも近い。そう、荒井総二は思った。そして、笹中透に言う。
「ササナカ見たか?これが俺の、そして君が所属している特殊犯罪課が接触する事象だ。覚えとけ。まあ、俺が解決したらそんな記憶も消えちまうかもしれな………」
と、言いかけたところで、いきなり奥の扉が勢い良く開け放たれた。荒井総二は思わず振り返る。
「うわあああああああああああ!」
と、甲高い声とともに、シャンプーの液が顔をめがけて飛んできた。「うわっ」と、荒井総二は思わず声を上げ怯んだ。視界がぼやける。反射的に眼を拭う。と、襲撃者が自分の横を通り抜けようとするの感じた。咄嗟に足を引っ掛け、いなす。襲撃者はその場にすてんと転んだ。
「いてててて………」
聞き覚えがある声がした。荒井総二のぼやけた視界が元に戻る。
その声の主と目が合う。一瞬、間を置いた後、二人は同時に言った。
「こんなところでなにやってんだ?カオリ………」
「こんなところでなにやってるの?アラッチ………」




