第171話介錯、承りましたわ
買い取りの塔の前の広場は、昼の鐘より前から、人で埋まっていた。
硝子の板を積んだ荷車が、昨日の倍は並んでいる。その後ろに、家財を背負った住人の方々が、昨日よりも長い列を作っていた。戸口の帳場には、サイコロの布を巻いた方が三人、算盤を弾いていた。荷車と荷車のあいだには、見物のプレイヤーの方々が、ぎっしりと詰めかけていた。
【コメント】こんにちは
【コメント】人多すぎ
【コメント】決闘の見物と、盗品売りと、ごちゃまぜ
【コメント】板の荷車、昨日より増えてる
【コメント】坂の下の窓、全部剝がされてないか
【コメント】簞笥の列も伸びてる
広場の真ん中に、Yokozuna様が立っていた。
黒い布を締め直して、腕を組んでいる。わたくしの姿を見つけると、にっこり笑って、組んでいた腕をほどいた。
「来てくれたか、お嬢さん」
「お招きでしたもの」
わたくしは、広場の縁で、足を止めた。
荷車の列。包みを背負った方々。帳場で算盤を弾く方々。一昨日、坂の上の辻でお見かけしたお顔ぶれも、ここに、まとめていらした。
「まあ。昨日より、お客様が増えておりますわね」
【コメント】あ
【コメント】今、広場全体を見た
【コメント】お客様、って言った
【コメント】逃げろ、荷車の人たち
【コメント】見物の人たちも逃げろ
三歩後ろで、ゲイリー様が、低く言った。
「……今日は、俺は手ぇ出さねえ。あいつの札は、昨日、俺が取り損ねた」
「でしたら、どうして、こちらに」
「取り損ねた札がどうなるか、見届けに来た」
港の鐘楼から、昼の鐘が渡ってきた。
Yokozuna様が、広場の真ん中で、すっと腰を落とした。
けれど、拳は、まだ石畳についていなかった。
「お嬢さんには、三十秒の制約があるんじゃったな。……わしは、それを待とう。数え終わったら、行くぞ」
【コメント】知ってる
【コメント】三十秒ルール、ヴィランにまで知れ渡ってる
【コメント】待ってくれるヴィラン
【コメント】礼儀正しい
【コメント】これ、三十秒で何か仕込む気か
「お心遣い、痛み入りますわ」
わたくしは、日傘を傾けた。
「では、お言葉に甘えて。……三十、数えさせていただきますわ」
十。
広場の向こう、荷揚げ場の奥に、倉の白い塔がもうひとつ立っていた。その三階の窓から、荷運びのお爺さんが、身を乗り出していた。窓の板は、剝がされて、なかった。窓枠に両手をついて、広場を見下ろしていた。柔らかい目だった。
広場の荷車が、一台、また一台と、向きを変えはじめた。見物の方々の何人かが、後ずさりを始めた。けれど、詰めかけた人の数が多すぎて、なかなか抜けられない。帳場の方々は、算盤を抱えて、塔の奥へ逃げ込んだ。
家財を背負った方々の列だけは、ほとんど動かなかった。背負ったものが、重すぎた。
二十。
【コメント】Yokozuna、まだ構えてないぞ
【コメント】数え終わってから、って言ってたからな
【コメント】簞笥の列、逃げられてない
【コメント】下ろせ、簞笥
Yokozuna様が、目を閉じた。
二十八。
二十九。
――窓のない窓枠。広場を埋める荷車と、板と、人の頭。真ん中の、黒い布の大きな背中。広場の外れ、荷揚げ場へ上がる古い石段の上に、紺の上着がひとつ。その方だけが、こちらではなく、鳴り終えた鐘楼を見上げていた。その向こうの、買い取りの塔の、開け放たれた戸口。
三十。
両の拳が、石畳についた。
「発気揚々――のこったァ!」
白。
【コメント】
【コメント】同時
【コメント】完全に同時に突っ込んだ
【コメント】広場ごと
【コメント】塔ごと
【コメント】荷車も、板も
【コメント】見物も
【コメント】簞笥の列も
【コメント】家財売りに来てただけだろ、あの人ら
【コメント】決闘の場に見に来る方が悪い
【コメント】見に来たんじゃねえよ、売りに来たんだよ
光が引いたとき、広場は、なかった。
荷車の列も、積まれた板も、見物の方々も、簞笥を背負った方々も。買い取りの塔は、一階の正面が、ごっそりとえぐれていた。白い石畳に、大きな、浅いすり鉢のような窪みができていた。
光の粒が、数えきれないほど、昇っていった。
すり鉢の縁の向こうで、荷揚げ場へ上がる石段だけが、古い石の色のまま、上へ続いていた。
すり鉢の、真ん中に。
鉄の色をした大きな体が、尻餅をついていた。
【コメント】は?
【コメント】生きてる
【コメント】無傷!?
【コメント】お嬢の直撃で!?
【コメント】尻餅ついてるだけ
【コメント】硬すぎるだろ
【コメント】あの爆発を正面から受けて、尻餅だけ
わたくしは、すり鉢の縁で、日傘を傾け直した。
「まあ。頑丈ですこと」
もう一度、三十秒を数えるつもりだった。
Yokozuna様が、すり鉢の底で、腹を抱えて笑いだした。
「ガハハハハ! いや、まいった、まいった!」
尻餅をついたまま、大きな手で、白い石畳をばんばん叩く。
「お嬢さん、相撲ではのう、足の裏以外が地面についたら、負けなんじゃ。……見てみい、この尻を。つまりは、わしの負けじゃ!」
【コメント】www
【コメント】負け宣言
【コメント】無傷なのに負け
【コメント】相撲のルールで負けた
【コメント】お嬢、勝ったのに顔が微妙
【コメント】勝たされた顔だ
わたくしは、少し考えた。
日傘の先が、ほんの少しだけ、下がった。
「……まあ。わたくし、勝たせていただきましたのね」
「おう。気持ちのいい負けじゃった」
Yokozuna様は、尻餅をついたまま、両手を膝に置いて、背筋を伸ばした。鉄の色は、まだ、肌の上にあった。
「ひとつ、頼みがある。……今撃っても、無駄撃ちじゃ。わしの体が、まだ鉄のうちはのう。少し待ってくれ」
それから、まっすぐに、わたくしを見上げた。
「切れたら、介錯を頼む」
【コメント】介錯
【コメント】負けたから、とどめを頼むのか
【コメント】潔すぎる
【コメント】賞金首だぞ、あいつ。死んだら全部ばら撒く
【コメント】分かってて言ってる
【コメント】横綱だ……
わたくしは、日傘を、まっすぐに戻した。
それから、軽く膝を折った。
「承りましたわ。……鉄のお色が引くまで、数えておりますわ」
十。
Yokozuna様は、目を閉じて、すり鉢の底に座っていた。
二十。
背中の後ろで、毛皮が、一度だけ動いて、止まった。
肌の上の鉄の色が、肩から、少しずつ、引いていった。
二十八。
日に焼けた、ただの肌の色に、戻った。
Yokozuna様は、目を開けて、にっと笑った。
「本望じゃ!」
――窓枠の向こう。すり鉢の底の、日に焼けた大きな背中。
三十。
白。
すり鉢の底で、光の粒が、ひとつ、昇っていった。
粒のあとに、いろいろなものが、ばらばらと散らばった。銭の袋。手ぬぐい。それから、小瓶が、何本も。石畳の窪みを、からからと転がっていく。
【コメント】ポーション、何本持ってたんだ
【コメント】全部ばら撒いた
【コメント】串、何百本分だ
【コメント】Yokozuna、かっこよかったな
【コメント】ヴィランなのに
【コメント】相撲、ちょっと見てみようかな
【コメント】まんまと宣伝された
ゲイリー様が、すり鉢の縁にしゃがみ込んで、転がってきた小瓶を一本、拾い上げた。
しばらく、それを眺めていた。
「……おい。それ、俺の客だったんだが」
「存じておりますわ」
ゲイリー様は、小瓶を、すり鉢の底へ、そっと転がし戻した。
「……頼まれたのは、あんただ。拾わねえよ」
わたくしは、空いた広場を、端から端まで見渡した。
荷車も、帳場も、見物の方々も、もうなかった。白い石畳の上を、潮の匂いのする風が、まっすぐに通り抜けていった。
すり鉢の縁に、帳面が一冊、開いたまま落ちていた。
帳場にあったものらしい。頁が、風にめくれていた。
――簞笥一棹、銅貨三枚。
――鍋、釜、銅貨二枚。
――網一山、銅貨四枚。
同じ字で、同じ値で、何頁も続いていた。表紙の裏に、判子がひとつ、押してあった。
【コメント】帳面
【コメント】買い取りの台帳か
【コメント】簞笥、銅貨三枚って書いてある
【コメント】その判子、見たことある
【コメント】交換所のだ。賭け札換金したときの受け取りに、同じの押してあった
【コメント】賭場とは関係ない、って建前の店な
【コメント】帳場で算盤弾いてたの、サイコロの布だったよな
わたくしは、帳面を拾い上げて、砂を払った。
「お預かりいたしますわ。……どなたかが、取りにいらっしゃるまで」
帳面を袖にしまってから、わたくしは、一度だけ、鐘楼の方を振り返った。
鐘楼の屋根の上を、鳥が一羽、横切っていった。その下の古い石段には、もう、どなたもいらっしゃらなかった。




