第132話行き止まりは、なくして差し上げますわ
その夜、市場の島の通りという通りに、灯りがともされた。
夜市だった。
昨日、白く消えた三番通りも、すっかり元に戻っていた。白い石畳の両側に、屋台がずらりと並び、橙色の灯りが、どこまでも続いている。
通りの真ん中の一か所にだけ、人ひとり分の穴が、えぐれたまま残っていた。屋台は、そこを避けて並んでいた。
ただ、並んでいる品が、いつもと違った。
懐中時計。硝子の置物。額に入った絵に、仕立てのいい外套。家庭用の、小さな映像の板。
屋台の後ろで、身なりのいい方々が、自分の家から持ち出してきたらしい品を並べて、慣れない手つきで値札を書いていた。
【コメント】夜市ってこんな感じなの?
【コメント】いや、普段は食べ物とか雑貨だって
【コメント】売ってるの、家財道具じゃん
【コメント】銀行が閉まったから、現金が欲しいんだ
【コメント】取り付け騒ぎの余波
【コメント】ほぼお嬢のせいでは
「……すごい人」
小夜さんが、わたくしの袖を掴んだまま、つま先立ちになった。
通りは、肩と肩が触れ合うほどの人だった。売りに来た方と、安く買い叩きに来た方と、ただ見物に来た方とで、どこを向いても人の背中しか見えない。
人波の向こうに、見覚えのある屋台があった。
骨組みの木が、まだ新しい。柱を縛った縄の結び目に、見覚えがあった。
「よう、嬢ちゃんたち! 今日も来てくれたか!」
果物屋の方が、屋台の奥から手を振っていた。
その隣で、白い装甲の背中が、木箱を運んでいた。
【コメント】おっちゃん!
【コメント】屋台、戻ってる
【コメント】スタロもいる
【コメント】昨日の約束、守りに来たのか
【コメント】律儀
「……瑠璃華」
「ごきげんよう、スタロ様。お店のお手伝いですの?」
「横木を渡しに来た。……渡し終わったら、箱を運ばされてた」
スタロ様は、木箱を下ろして、通りの人混みを見回した。
「多すぎるな、今夜は」
*
通りの少し先で、短い悲鳴が上がった。
人垣が割れて、大きな影が、誰かの腕をねじり上げていた。熊の毛皮の胴着。腰の銭袋。
「はい、一人。……おい、そこの姉さん、財布これだろ」
ゲイリー様だった。
ねじり上げられた男の手から、女物の財布がぽとりと落ちた。
【コメント】ゲイリー!
【コメント】久しぶり
【コメント】何してんの
【コメント】スリ狩り?
「ゲイリー様。夜市の見回りですの?」
「世話役に雇われた。一晩いくらでな。……銀行の階段から流れてきたスリが、こっちに全部来てやがる」
ゲイリー様は、男を通りの端の衛兵の方へ放り投げると、首を鳴らした。
「これで七人目だ。捕まえても捕まえても、湧いてくる」
「まあ。お忙しいのですね」
「お嬢ちゃんは、何もしなくていいからな。頼むから」
【コメント】ゲイリー、学習してる
【コメント】「何もしなくていい」はフラグ
【コメント】ゲイリーが言うと重みが違う
そのときだった。
通りの奥の方から、人波が、どっと押し戻されてきた。
三番通りから枝分かれした、細い横道だった。
突き当たりに、買い取り屋の看板が光っている。硝子張りの、大きな店だった。その店先に向かって、包みや木箱を抱えた方々が、横道いっぱいに詰めかけていた。銀行が閉まった今、手っ取り早くお金に換えられるのは、あそこしかないのだろう。
「――本日の買い取りは、ここまで! ここまでだ!」
店主の声と一緒に、硝子の戸に、がしゃんと格子が下りた。
前の方々が、包みを抱えたまま、引き返そうとした。
後ろからは、まだ、閉まったことを知らない方々が押し寄せてくる。
「押すな!」
「戻れ、もう閉まった!」
「子どもが、子どもがいるの!」
声が、悲鳴に変わりはじめていた。
【コメント】やばい
【コメント】買い取り屋に殺到してたのか
【コメント】前は戻ろうとして、後ろは押してる
【コメント】これ、一番危ないやつ
スタロ様が、屋台の屋根を蹴った。
光の足場を三つ渡って、横道の入口の真上に降りる。両腕を広げて、入ってこようとする人の波を、体で押し返した。
「入るな! 戻れ! 中の人が、出られないんだ!」
押し返した分だけ、横から別の波が来る。白い装甲が、人の波の中で、少しずつ後ろへずれていく。
「……スタロ様」
「撃つなよ!」
スタロ様は、こちらを振り返りもせずに叫んだ。
「あの中、全部、ただの人だ! 悪党なんか一人もいない! 指は、ささないからな!」
言い終わったところで、白い兜が、ぴくりとこちらを向いた。
「でしたら、お待ちする理由もございませんわね」
【コメント】あ
【コメント】ささないって言ったら、待たないんだった
【コメント】スタロ、言っちゃった
【コメント】待て待て待て
横道の突き当たり、格子の下りた店先に、看板を吊るす柱が立っていた。
その柱の中ほどに、買い取り屋の小僧さんが、人波から逃げるようにしがみついていた。人の頭の上に、小僧さんの顔だけが、こちらからもよく見えた。
柔らかい目だった。
「瑠璃華、何する――」
小夜さんが、わたくしの袖を引いた。
「行き止まりでしたら、なくして差し上げればよろしいのですわ」
その目を、お借りした。
――すぐ足もとの、格子。その奥の、金庫室の壁。
買い取り屋の奥が、白く光った。
【コメント】店の奥!?
【コメント】突き当たりを抜いた!
【コメント】店ごと
【コメント】店の向こう、隣の通りまで抜けた
【コメント】人が流れてく
【コメント】詰まってたのが、一気に抜けた
煙の向こうで、横道の突き当たりに、大きな穴が開いていた。
金庫室の壁も、店の屋根も、まとめてなくなっていた。その向こうに、隣の通りの灯りが見えた。
詰まっていた人波が、その穴へ向かって、どっと流れ出していった。
押されていた方々が、膝をついて、咳き込んで、それから、互いの顔を見て、泣き出したり笑い出したりしていた。
【コメント】助かった……のか?
【コメント】将棋倒しは防いだ
【コメント】店の近くにいた人は?
【コメント】光の粒、いくつか昇ってた
【コメント】見なかったことにしたい
【コメント】行き止まりを作るのが得意な人が、行き止まりをなくした
【コメント】初配信の真逆
【コメント】どっちにしても何か吹っ飛ぶ
スタロ様が、横道の入口で、腕を下ろした。
兜の奥で、長く息を吐いたようだった。
「……助かった人の方が、多い」
小さな声だった。
「それは、分かってる。……分かってるけどな」
スタロ様は、それ以上、何も言わなかった。
ゲイリー様が、人混みをかき分けて、横道の穴を覗き込んだ。
「店ひとつで、通り道ひとつか」
「お値打ちでしたでしょう?」
「値段の付け方が、おかしいんだよ」
【コメント】お値打ち
【コメント】買い取り屋に聞いてみろ
【コメント】通りに何か散らばってる
【コメント】買い取られた品だ
【コメント】時計とか指輪とか映像の板とか
【コメント】売った人たちが、自分のを拾いに走ってる
【コメント】売ったのに戻ってきた(物理)
【コメント】それは泥棒では
わたくしは、日傘を傾けて、袖を握ったままの小夜さんの方を振り返った。
小夜さんは、横道の穴を見つめたまま、黙っていた。
そのすぐ後ろで、家財を並べていた屋台のご婦人が、隣の方に、小声で何か言っていた。
「……ねえ。あの子」
「どの子」
「日傘の娘と一緒の子。……昼間、銀行の中にいた子じゃない?」
小夜さんの肩が、ほんの少しだけ、動いた。




