第1話閑話同時視聴3人とビル1棟
☆ 視聴者視点 ☆
眠れない夜は、新着配信を一覧の下から眺めることにしている。
視聴者ゼロの配信には、独特の味がある。誰も見ていない場所で、誰かが何かを始めようとしている。その最初の目撃者になる感覚が、たぶん好きなのだ。
その夜、いちばん下にあったのがそれだった。
【初配信】九条院瑠璃華、参りますわ
サムネイルは金髪の縦ロールに、黒と赤のドレス、日傘。エバーポートでお嬢様ロールプレイをやる配信者は珍しくもない。三日で飽きて消えるのが大半だ。
寝返りを打ちながらタップする。同時視聴は、俺を入れて三人だった。
「ごきげんよう、皆様。九条院瑠璃華ですわ。本日より、この街の平和のため、微力ながら尽くさせていただきますの」
画面の中で、彼女は日傘の縁を軽く持ち上げて一礼した。
背景は、例の治安の悪い市場通りだ。露店の天幕が色あせて垂れ下がり、客引きの声と、何かを値切る怒鳴り声が混ざっている。そんな中を、ドレスの裾が静かに進んでいく。
【コメント】初見です!応援してます!
【コメント】ドリルでっか
妙な歩き方だ、と思った。
一歩ずつ、足の裏で地面を確かめるように置いていく。優雅と言えば優雅だが、操作に慣れていない新人のそれにも見える。
そのくせ、目だけはよく動いた。路地の入口を覗き込み、露店の奥を眺め、店先で揉めている二人連れをしばらく見つめてから、残念そうに視線を外す。散歩ではない。何かを探している目だった。
四つ辻で足を止め、彼女は小さく首を傾げた。
「このあたり、何か起きそうな気配がいたしますわね」
起きるわけないだろ、と思った。
配信の初日に、都合よく事件が転がってくるなら誰も苦労しない。
【コメント】気配(何もない)
「――泥棒っ!」
声は、青果店の方からだった。
痩せた男が、林檎を二つ抱えて通りに飛び出してくる。進路の真正面に、ちょうど彼女がいた。
男は脇をすり抜けた。肩がぶつかりそうな距離だった。
彼女は、振り向きもしなかった。
「あら」
それだけ言って、日傘を肩に預け直す。
「お嬢様は、殿方を追いかけたりはいたしませんの」
いや、追えよ。
声に出していた。深夜の自室で、スマホに向かって。
【コメント】追わないんかい
【コメント】初見です!がんばってください!
男の背中が、通りの奥へ小さくなっていく。まっすぐ伸びた道の突き当たり近くに、五階建ての雑居ビルが一棟、半分だけ画面に収まっていた。
彼女はそちらを眺めたまま、独り言のように呟いた。
「……あちらは、行き止まりにしておきましょうか」
通りの奥が、白く光った。
ビルが、なかった。
正確には、光が引いたあとに灰色の煙の壁が立っていて、ひと呼吸遅れて爆音が来た。配信のマイクが割れ、スマホのスピーカーが悲鳴みたいな音を立てた。慌てて音量を下げる。
煙が道なりに流れてきて、画面が白く濁る。天幕が煽られてばたばたと鳴っている。
濁りが晴れたとき、通りは塞がっていた。
横倒しになったビルの残骸が、道幅いっぱいに積み上がっている。その手前で、林檎泥棒が尻もちをついていた。腕の中から林檎がひとつ転げ落ち、瓦礫の縁で止まった。
【コメント】は?
【コメント】ビルどこ
【コメント】今なにした????
【コメント】ガス爆発でたまたま崩れた説
【コメント】このタイミングで??
【コメント】隠しスキルとか
【コメント】初配信の新人が隠し玉持ってるわけ
最後のコメントは、そこで途切れていた。書きかけのまま送ってしまったらしい。
俺にも分からなかった。
彼女は、さっきと同じ場所に立っていた。日傘は肩に預けたまま。構えてすらいない。詠唱らしき声も、身構える仕草も、彼女の周りには何もなかった。
少なくとも、俺が見ていた画面の中には。
同時視聴の数字が、三から十一に跳ねた。
彼女は歩き出した。
例の、一歩ずつ確かめる歩き方で。
【コメント】歩くの遅くない?
【コメント】ビル倒せる人の移動速度じゃない
【コメント】なんで今それを気にした
泥棒のところへ着くまで、たっぷり一分はかかった。そのあいだ男は、逃げるでもなく、瓦礫と彼女を交互に見上げていた。逃げ道がないのだから当然だ。いや、たぶん、それ以前の問題だった。
ようやく辿り着いた彼女は、男の前で日傘を傾け、にっこりと微笑んだ。
「逃げ道がなければ、追いかける必要もございませんでしょう?」
男は何も言わなかった。言えなかったのだと思う。
彼女は転がっていた林檎を拾い上げ、男の腕からもうひとつを受け取った。男は、差し出すように素直に渡した。
その頃には、画面の端がうるさくなっていた。
瓦礫の向こうに、いくつもの人影が駆け寄っていくのが見える。誰かが誰かの名前を呼んでいる。何度も、同じ名前を。
カメラは彼女を追っているから、それ以上は映らない。映らないことに、少しだけほっとした。
【コメント】あのビル一階に食堂入ってなかった?
【コメント】今のビルの三階にいたんだが?????
【コメント】今リスポーン地点なんだが?????
【コメント】被害者本人来てて草
【コメント】草じゃねえよ
【コメント】NPCの人らは……
同時視聴は、四十を超えていた。近くにいたプレイヤーが、騒ぎの出どころを探して辿り着いてきたらしい。三階にいたという誰かの書き込みは、そのあとも三回続いた。全部、疑問符の数が増えていった。
【コメント】これ賞金首確定だろ
【コメント】初配信で指名手配はさすがに伝説
【コメント】……表示出なくない?
出なかった。
少なくとも、俺が見ている間は。
彼女は林檎を二つ抱え、また一分かけて青果店まで戻った。店主の親父は、ずっと同じ格好で口を開けていた。
「こちら、お返しいたしますわ」
差し出された林檎を、親父は受け取った。受け取ったというより、手のひらに置かれるままにしていた。
彼女はそれから、ようやくカメラの方を向いた。背後の空では、まだ灰色の煙がゆっくりと崩れている。
「これで、あの方にこの先盗まれるはずだった品々も、すべて守られましたわね」
満足げだった。
本当に、心の底から満足げだった。その顔のどこにも、いま自分の後ろで起きていることへの曇りはなかった。
「九条院瑠璃華の初陣、いかがでしたかしら。皆様、ごきげんよう」
【コメント】初陣の規模じゃない
【コメント】ごきげんようで締めるな
【コメント】おうえん、してます……?
最初に「応援してます」と書いた誰かの、三回目のコメントだった。疑問符がついていた。
配信はそこで終わった。
結局、あのビルがなぜ倒れたのか、彼女は一度も説明しなかった。そもそも、説明が必要なことだと思っている様子すらなかった。
暗くなった画面に、自分の顔が映っていた。
眠気は、跡形もなく消えていた。
気づけば俺は、チャンネル登録のボタンを押していた。
理由は、今でもうまく説明できない。




