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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章101話 クリスさんは一体、何しに来たのだろう?

――帝国暦三二二年・夏初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


 その時だった。


 第一執務室の扉が開いた。


「よお」


 クリスが入ってきた。


「…………」


 イリスは固まった。


 どうして。


 よりによって、なぜこのタイミングで来るのだろう。


 第一執務室の女性たちが、一斉にクリスを見る。


「……何だよ」


 クリスが足を止めた。


「何でみんな俺を見てるんだ?」


 イリスもクリスを見る。


 先ほどまで聞いていた話を思い出すと、次第に腹が立ってきた。


 せっかく、あれだけ擁護したというのに。


 少しずつクリスへの見方を改めていたところで、女性を頻繁に買っているなどという話まで聞かされた。


 一体、自分は何のためにクリスを擁護していたのだろう。


「クリスさん」


「何ですか、殿下」


「見損ないました」


「は?」


 クリスの顔が固まった。


「何でいきなり見損なわれてるんですか?」


「ご自分の胸に聞いてください」


 クリスは一応、自分の胸に手を当てた。


「…………」


 全く心当たりがないようだった。


「聞いても何も分からないんですけど」


 周囲からも冷たい視線が向けられている。


「何なんだよ、本当に」


 クリスはレオンを見る。


「何の話してたんだ?」


「お前の好きなもの」


「俺の?」


「ああ」


「何を言った?」


「お前が好きなのは、酒と馬と、あと、おん――」


「むぐっ」


 クリスが一瞬でレオンとの距離を詰め、その口を手で塞いだ。


「お前、何言ってんだ!」


「むぐ……?」


「こんな女ばっかりいるところで、何てこと言おうとしてるんだ!」


 レオンがクリスの手を外した。


「何だよ。俺は嘘は言ってないぞ」


「そういうことじゃない!」


「じゃあ何だ?」


「少しは場所と相手を考えろ!」


「事実でも言わない方がいいことがあるのか?」


「ある!」


「そうなのか」


「お前、本当に分かってなかったのかよ!」


「ああ」


「何で即答できるんだ!」


 クリスは頭を抱えた。


 その時。


「何のお話をしているんですか?」


 扉の方から声がした。


「…………」


 クリスが固まった。


 リリアだった。


 少しブラウンの混じった長い金髪には青いリボンが添えられ、白い肌にはいつもの穏やかな表情が浮かんでいる。


 リリアはクリスとレオンを交互に見た。


「クリスさん、何をしているんですか?」


「いや、何でもない」


「そうですか?」


「ああ」


 リリアは少し首を傾げた。


「でも、今、『おん』って聞こえませんでした?」


「…………」


 クリスが止まる。


「聞こえたか?」


 レオンが尋ねた。


「はい。何のお話だったんですか?」


「今、クリスが一番好きなものは何かって話をしてたんだ」


「レオン!」


「何だ?」


「だから喋るなって言っただろ!」


「でも、リリアに聞かれたから」


「答えなくていいんだよ!」


「そうなのか?」


「今はな!」


 リリアは不思議そうに二人を見る。


「では、その『おん』なんとかというものが、クリスさんの一番お好きなものなんですか?」


「…………」


 クリスは答えなかった。


 リリアがクリスを見る。


「クリスさんが一番お好きなのは、何なんですか?」


「…………」


 女性たちの視線が一斉にクリスへ集まった。


 リリアだけが、何も知らない顔で答えを待っている。


「俺が一番好きなのは……」


 クリスが口を開いた。


「おん……」


「おん……?」


 リリアも同じように口にした。


 小さく首を傾げる。


 その動きに合わせて、長い金髪に結ばれた青いリボンが、ふわりと揺れた。


「…………」


 クリスはリリアを見る。


「おん……?」


 リリアはそのまま続きを待っている。


「…………」


 クリスは口を開きかけたまま黙った。


 その視線がわずかに泳ぐ。


「……温泉だ」


「温泉?」


「ああ!」


 クリスは力強く頷いた。


「温泉。俺は温泉が好きなんだ」


「そうだったんですか」


 リリアが微笑んだ。


「私も温泉は好きです」


 フィアナも口を挟む。


「私も温泉は好きですよ」


「だろ?」


 クリスがすぐに食いついた。


「いいよな、温泉」


「そうですね」


「疲れも取れるしな」


「はい」


「俺、本当に好きなんだよ」


「…………」


 女性たちは誰も何も言わなかった。


 クリスだけが必死だった。


 何も知らないリリアは、素直に頷いている。


「クリスさんも来られましたし、お茶を用意してきますね」


「ああ。ありがとう、リリア」


「はい」


 リリアは穏やかに微笑むと、隣の部屋へ向かった。


 扉が閉まる。


「…………」


「…………」


「…………」


 残った女性たちが、一斉にクリスを見た。


「何だよ」


 クリスが言う。


「本当に温泉好きだからな」


「…………」


「嘘じゃないぞ」


 レオンが首を傾げた。


「いや、誰も何も言ってないが」


「…………」


「何でそんなに必死なんだ?」


「お前は黙ってろ!」


「またか?」


「まただ!」


「分かった」


 レオンは素直に黙った。


 クリスの眉間にしわが寄った。


 マリニーファが冷たい目を向けた。


「ついにリリアにまで嘘をついたんですね」


「違う!」


「何が違うのですか?」


「温泉が好きなのは本当だ!」


「一番お好きなのですか?」


「…………」


「黙りましたね」


「そこを聞くな!」


 フィアナも呆れたようにクリスを見る。


「さっき、『おん……』でずいぶん止まっていましたよね」


「あれは温泉の『おん』だ!」


「温泉と言うだけなら、あんなに悩まないと思います」


 ココも続ける。


「ずいぶん苦しそうでした」


「苦しい時だってあるんだよ!」


「温泉と言うだけでですか?」


「うるさい!」


 マリニーファが腕を組んだ。


「女性をしょっちゅう買っているうえに、リリアの前では嘘までつくのですね」


「だから、その言い方がおかしいんだよ!」


「何がおかしいのですか?」


「色々だよ!」


「でも、しょっちゅう買ってるって話自体は嘘じゃないぞ」


 レオンがまた口を挟んだ。


「…………」


 クリスがレオンを睨む。


 だが、その間にもマリニーファは続けた。


「仕事もろくにせず、女性を買って遊んでいるという話も聞きましたが」


「何でそこまで話が増えてるんだよ!」


「違うのですか?」


「仕事はしてる!」


「女性の方は?」


「…………」


「また黙りました」


「そこだけ切り取るな!」


 周囲の女性書記官からも冷たい声が飛ぶ。


「クリス大隊長って、そういう方だったんですね」


「見損ないました」


「仕事はちゃんとなさった方がいいと思います」


「女性関係も少し考えた方がいいのでは?」


「お前ら好き勝手言いやがって!」


 クリスは顔を赤くした。


「そもそも、俺だけじゃないからな!」


「…………」


 女性たちの目がさらに冷たくなる。


「何ですか、その言い方」


「男なら、そういうことくらいあるんだよ!」


 クリスはレオンを指さした。


「こいつだってそうだ!」


「俺?」


「このレオンだって、こんな顔してるけど買ったことあるんだぞ!」


「…………」


 第一執務室が一瞬、静かになった。


 女性たちがレオンを見る。


 レオンも自分を指さした。


「俺か?」


「お前だよ!」


「何で今その話が出るんだ?」


「俺だけ悪人みたいに言われてるからだよ!」


「でも、お前の話をしてたんだろ?」


「そうだけど!」


「じゃあ、俺は関係ないんじゃないか?」


「そういう正論を今言うな!」


 女性たちはすぐにクリスへ視線を戻した。


「副長が?」


 フィアナが眉を寄せる。


「そんなわけないじゃないですか」


「あるんだよ!」


「副長まで巻き込まないでください」


 ココも呆れた顔をする。


「また適当なことを言って逃げようとしているようにしか見えません」


「本当だって!」


 マリニーファの視線はさらに冷たかった。


「クリス様と副長を一緒にしないでいただけますか?」


「何で俺だけ信用されないんだよ!」


「日頃の行いではないでしょうか」


「お前は最初から俺の評価が低いだろ!」


「はい」


「そこは否定しろよ!」


 クリスは周囲を見回した。


 その視線が、少し離れた席にいるライで止まる。


「ライ!」


「何ですか?」


「お前だってあるだろ!」


「何の話ですか」


「女だよ!」


「自分まで巻き込まないでください!」


「何でだよ!」


「何で僕がこんな話に巻き込まれないといけないんですか!」


 クリスはさらに近くの男性書記官たちを指さした。


「こいつらだって同じだ!」


「クリス大隊長」


「自分たちまで巻き込まないでください」


「うるさい! 何で全員俺を見捨てるんだよ!」


 女性たちの視線がますます冷たくなる。


「最低ですね」


「自分だけでは足りず、周りの方まで巻き込むんですか?」


「副長まで巻き込んで」


「リリアさんには嘘までついて」


「違う! 温泉は本当に好きなんだって!」


「そこはもうどうでもいいです」


「よくない!」

 

 クリスはその後も、温泉がどれほど素晴らしいかを熱心に語り続けていた。


 だが、イリスはもうほとんど聞いていなかった。

 

 先ほどから、レオンが余計な一言を挟むたびに話がおかしくなっている。

 

 それだけで、頭が痛かった。


「クリス様」


 マリニーファが冷たく呼ぶ。


「何だよ!」


「見苦しいです」


「…………」


 クリスの目元が少し潤んだ。


「もういい!」


 叫ぶ。


「お前ら全員嫌いだ!」


 クリスはそのまま第一執務室を飛び出していった。


 扉が勢いよく閉まる。


 第一執務室が静かになった。


「…………」


 イリスはしばらく閉じた扉を見ていた。


 それから、レオンへ視線を戻す。


「副長」


「何だ?」


「結局、クリスさんが一番好きなのは何だったのでしょうか」


「そうだな」


 レオンは真剣な顔で考えた。


「酒じゃない。馬より女だろうし、温泉も本当に好きらしい」


「はい」


「なら、多分」


 少し考えてから、レオンは答えた。


「温泉に入ってる女が一番好きなんだろう」


「…………」


「それなら二つ一緒だ」


「そんなものは売ってませんからね」


 イリスは答えた。


 それから、しばらくして。


 ふと思った。


 そういえば。


 「クリスさんは一体、何しに来たのだろう」


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