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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第153話 父が総長になる日

――帝国暦三二一年・秋初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団本庁舎――


 ■総騎士団本庁舎・会議室


 団長会議だった。


 いつもどおりの重い空気。


 硬い椅子。


 分厚い資料。


 そして、嫌な予感。


 出席しているのは、各騎士団長と、その副官たちである。


 第七騎士団長として、レオンハルト・ヴァイス。


 その後方には、第七騎士団副官としてエリシア・グランフェルトが控えている。


 それが、この場における二人の立ち位置だった。


 レオンは席へ着いた時点で、すでに少し嫌そうな顔をしていた。


 エリシアはそれを横目に見ながら、静かに資料を揃える。


 理由は分かっている。


 こういう場で出される話は、たいてい面倒なものだからだ。


 そして今日は、確実に面倒な話が出る。


 会議室の空気は、いつもより硬かった。


 団長たちの視線は慎重で、副官たちも余計な言葉を発しない。


 何かが発表される。


 それだけは、全員が感じていた。


 やがて、会議室の扉が開いた。


 ヴァルド・エイゼンが入ってくる。


 老齢ではあるが、その場の空気を一瞬で引き締める圧があった。


 総騎士団総長。


 東ロンバルディア騎士団領の頂点に立つ男である。


 ヴァルドが席へ着くと、会議室は自然と静まり返った。


「始める」


 短い声だった。


 いくつかの報告が続く。


 南方情勢。


 補給経路。


 新設騎士団の運用。


 中央区画の建設状況。


 どれも重要な報告である。


 だが、今日の本題ではない。


 全員が、それを分かっていた。


 ひととおりの報告を終えると、ヴァルドは手元の資料を閉じた。


「この秋をもって」


 低い声が落ちる。


「わしは、総長を退く」


 空気が止まった。


 完全に。


 誰も、すぐには声を出せなかった。


 予感はあった。


 噂もあった。


 だが、正式に告げられると、その重さはまるで違った。


 エリシアも、ほんのわずかに息を止める。


 総長が退く。


 騎士団領が変わる。


「後任については」


 ヴァルドは続けた。


「第三騎士団長、グラナート・グランフェルトを推す」


 一瞬、いくつもの視線が動いた。


 団長たちが。


 副官たちが。


 そして数人が、エリシアを見る。


 エリシアは表情を変えなかった。


 ただ、手元の資料を持つ指に、少しだけ力が入る。


 父が、総長になる。


 ■総騎士団本庁舎・会議室


 グラナート・グランフェルトは、静かに席へ着いていた。


 厳格で、無駄がない。


 表情にも、声にも、余計な揺れはない。


 突然の指名ではないのだろう。


 少なくとも本人は、すでに理解していたように見えた。


「グラナートなら妥当だ」


 どこかで小さな声がした。


「実績もある」


「第三騎士団を、あれだけ維持している男だ」


「年齢も立場も申し分ない」


 小さなざわめきが広がっていく。


 強い反発はなかった。


 当然だった。


 グラナート・グランフェルト。


 厳格な成果主義者。


 情に流されず、結果を見る男。


 好き嫌いは分かれる。


 だが、その実力を疑う者は少ない。


 一方のレオンは、ほんの少しだけ息を吐いていた。


 自分が総長に選ばれたわけではなかった。


 そこだけは、明らかに安心している。


 そして、その安心がかなり顔に出ていた。


 エリシアはそれに気づき、ほんの少しだけ視線を伏せた。


 少し前まで、レオンが次期総長になる可能性もあると聞かされていた。


 だから、レオンが安心するのも分かる。


 その代わりに、父がそこへ行く。


 自分の父が。


 騎士団領の頂点へ。


 エリシアの胸の奥に、言葉にならない重さが落ちた。


 ■総騎士団本庁舎・会議室


「なお」


 ヴァルドの声で、会議室が再び静まった。


「総長交代に伴い、運用体制も一部改める」


 その瞬間。


 レオンが、はっきりと嫌そうな顔をした。


 先ほどよりも、さらに分かりやすかった。


 エリシアは見なかったことにした。


 見たが、見なかったことにした。


 少し離れた位置では、メリーが資料を確認している。


 統括管理官補佐としての同席だった。


 表情は静かだったが、何かを知っているようにも見えた。


「詳細は、追って通達する」


 ヴァルドは短く告げる。


「だが、騎士団領はこれまでどおりではない」


 南方は不穏。


 帝都との調整も増える。


 新設騎士団も動き始めた。


 騎士団領全体をまとめる、新しい運用が必要になる。


 その言葉に、何人かの視線がレオンへ向いた。


 レオンは見ないふりをした。


 見ないふりをしたが、おそらく気づいている。


 エリシアも気づいていた。


 父が総長になる。


 だが、それだけでは終わらない。


 レオンにも、何かが用意されている。


 騎士団領は、形を変えようとしていた。


 ■総騎士団本庁舎・会議室前廊下


 会議が終わった。


 団長たちが席を立ち、副官たちが資料をまとめる。


 会議室には再びざわめきが戻った。


 だが、先ほどまでとは明らかに空気が違う。


「グランフェルト副官」


 誰かがエリシアへ声をかけた。


 エリシアは振り返る。


「はい」


「次期総長のご息女か」


 その言葉に悪意はなかった。


 ただの確認だった。


 けれど、確かに立場が変わった音がした。


 エリシアは静かに頭を下げる。


「私は、第七騎士団副官です」


 そして、淡々と続けた。


「それ以上でも、それ以下でもありません」


 声は乱れなかった。


 相手は短く頷き、その場を離れていく。


 エリシアは、その背を見送った。


 これから増えるのだろう。


 こうした視線が。


 こうした呼ばれ方が。


 こうした扱われ方が。


 胸の奥には、少しだけ硬いものが残った。


 ■総騎士団本庁舎・廊下


「エリシアさん」


 リリアが、小さく声をかけた。


 いつの間にか、会議室の外で待っていたらしい。


 少し心配そうな顔をしている。


「大丈夫ですか?」


 エリシアは少しだけ目を伏せた。


「問題ありません」


 いつもの答えだった。


 けれど、返事までにわずかな間があった。


 リリアは、それに気づいた。


 だが、何も言わなかった。


 ただ、柔らかく微笑む。


「無理はしないでくださいね」


「ありがとうございます」


 エリシアは短く答えた。


 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


 ■総騎士団本庁舎・廊下奥


 グラナートが歩いてくる。


 周囲の者たちが、自然と道を開けた。


 まだ、正式な就任前である。


 だが空気は、すでに変わり始めていた。


 エリシアは姿勢を正す。


「グラナート団長」


 父上とは呼ばなかった。


 この場では。


 騎士団の一員として。


 第七騎士団副官として。


 グラナートは娘を見た。


 だが、その目は父親のものではなかった。


 少なくとも、表向きは。


「立場が変わる」


 低い声だった。


「周囲の目も変わる」


「はい」


「だが、お前の務めは変わらん」


 グラナートは、変わらない口調で続ける。


「第七騎士団副官として、結果を出せ」


 厳しい。


 当然のように情はない。


 特別扱いもない。


 だが、エリシアはその言葉に少しだけ救われた。


 自分は、次期総長の娘として立つのではない。第七騎士団副官として立てばよい。


「承知しました」


 エリシアは深く頭を下げた。


 グラナートはそれ以上何も言わず、歩いていく。


 その背は遠かった。


 父としても。


 騎士としても。


 そして、これからは。


 総長としても。


 ■総騎士団本庁舎・廊下


 エリシアは、しばらくその場に立っていた。


 胸の奥には、まだ重さがある。


 誇らしさ。


 不安。


 寂しさ。


 そして、わずかな悔しさ。


 どれもうまく、言葉にはできなかった。


「エリシア」


 いつもの声がした。


 振り返る。


 少し先で、レオンがこちらを見ていた。


 何も変わらない顔で。


 いつものように。


「戻るぞ」


 短く、少し雑な言葉だった。


 説明もない。


 だが、エリシアは少しだけ息を吐いた。


「はい」


 周囲の目が変わる。


 父の立場も変わる。


 騎士団領も変わっていく。


 それでも今、この声だけは変わらなかった。


 エリシアは資料を抱え直し、レオンの後ろを歩き始める。


 父が、総長になる。


 周囲の目は、きっと変わる。


 自分の立つ場所も、少しずつ変わっていく。


 けれど。


「エリシア」


 その呼び方だけは、まだ変わらなかった。

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