ジュリアンとローザリア
それから、私たちは王城で頻繁に顔を合わせるようになった。
学友――というものだろうか。
遊ぶと言っても、ローザリアの常軌を逸した砂遊びをただ黙って眺めたり、ふらりと姿を消す彼女を血眼になって探し回ったりするばかりの日々。
砂粒が意思を持ったように舞い踊り、精巧な城を築いては砂上の楼閣として崩れ落ちていく様は、酷く無機質で、けれど私にとっては目が離せないほど新鮮だった。
彼女は、魔力においても行動においても、常に私の常識の遥か先を行っていた。
少し目を離した隙に、風を操りふわりと窓から抜け出してしまう。
王太子の枠に囚われていた私には、そんな思考すら持ち合わせていなかったのだ。
慌てて風魔法で彼女の背を追って、初めて自分にもこんなことができるのだと気づかされた。
クロイツ領にも頻繁に足を運んだ。
一人で海へ向かおうとする彼女を見つけ出し、必死でその後を追いかけたこともある。
「せめて護衛くらいつけなさい!」
潮騒の音にかき消されそうな声で、王太子の体面もかなぐり捨てて叱りつける私を、ローザリアは不思議そうに見つめ返した。
おそらく、あの瞬間だと思う。
ローザリアの底知れない瞳が、私を「ジュリアン」という個として認識したのは。
結局、大人たちに見つかって二人揃って大目玉を食らったものの、不思議と落ち込む気にはなれなかった。
常に大人の期待に応え、完璧な王太子であろうと振る舞ってきた私にとって、それはひどく奇妙な感覚だった。けれど、隣で心底どうでもよさそうにしているローザリアを見ていると、自らの”失敗”すら些末なことのように思えてきたのだ。
押し付けられた役割という重鎧が、ふっと軽くなるような心地。ほんの少し視点が変わるだけで、世界はまるで違って見える。
そしてそれはきっと、ローザリアにとっても同じだったのだろう。
その日を境に、今まで「デンカ、デンカ」とまるで記号のようだった呼び名が、「ジュリアン」へと変わった。
――彼女の破天荒に付き合えるのは、自分だけ。
その心地よい自負が、陽だまりのように私の内側で静かに育っていくのを感じていた。
それは勉学においても同じだった。
私が苦労して身に着けた理論を、ローザリアはたやすく実践してしまう。正直、そこに恐れに似た感情を抱いていたのは事実だ。
ある日、いつものように王城の庭で彼女の遊びを眺めていた時のこと。
その日の彼女は、魔法で起こした大きな火に、力任せに大量の水をぶつけることに酷く夢中になっていた。
当然、真正面からぶつかり合った魔力は派手な水蒸気爆発を起こす。白い蒸気がむせ返るような熱を帯びて吹き上がり、視界を白く染め上げる。それを何度も繰り返すものだから、彼女の豪奢なドレスはいつも泥と水で台無しになっていた。
――ふとした好奇心だった。私も彼女の隣で火を起こしてみた。
風を送り込み、ローザリアの火と同程度の大きさにまで育てる。そうして足元の『土』を薄く広げて火の根元をそっと塞ぎ、同時に小さな『風』で熱だけを上空へ逃がす。
暴れる魔力をなだめすかし、自然の理へと還してやる。すると破裂音もなく、火は静かにふっと消え去った。
教科書通りだ。
満足して一歩下がると、ローザリアが不思議そうに目を丸くしていた。
「……なに、したの?」
「え?」
「水、かけてないのに、火が消えたわ」
――まさか。
属性の循環の理論を知らないのか?
「それに爆発もしなかった。どうして?」
「――水は火と喧嘩するから、弾けるんだよ。土は火を包んで眠らせる。魔法は円みたいに繋がってるから……」
学んだ知識をそのまま口にする。
他の同年代の子供はともかく、ローザリアであればこれくらいの基礎は既に習得していると思っていたのだが。
ローザリアは、泥まみれになった自身のドレスの裾と、私の顔を交互に見比べた。
「……円。ジュリアンって、すごい人?」
純粋に投げかけられた言葉に、一瞬時が止まった。
もちろん、王太子という立場は”すごい”のだろう。
けれど、彼女が口にしたそれは、権力や立場に向けられた響きではない。ただ純粋な、未知の構造への感嘆だった。
それが嬉しくて自然と顔が緩む。
「ありがとう。ローザリアは、どうやって魔法を学んだの?」
「わからない。勉強、嫌いだし」
衝撃だった。
彼女は、理論を理解しているわけではなかった。
ただ、直感で「わかってしまう」。彼女にとって魔法とは、どこまでいっても遊び道具に過ぎないのだ。
それはそれで脅威ではある。けれど。
理論を積み上げた先にある私の魔法と、直感のみで繰り出される彼女の魔法。遊びの中でしか生まれないものは確かにあるだろうが、理論を積み重ねた先にしか辿り着けない場所だって、きっとあるはずだ。
(勉強を、しっかり頑張ろう。もちろん今までだってそうしてきたけれど――)
ただ完璧な王太子になるためではない。
彼女の規格外の直感を、私がこの知恵で支えてやるために。
それは当時の私にとって、酷く魅力的な役割に思えた。
彼女に対して抱いていたこの感情が何だったのかはわからない。
けれど、彼女にとってほんの少し「特別な自分」でいられるという自負。そういったものが、奇妙なほど私を掻き立てた。
だからこそ――彼女が退屈に感じているであろう勉学の席にすら、私は彼女を誘ったのだ。
「ローザリア、今日の課題を頑張ったら、おやつのパンケーキをもう一枚増やしてもらえるよう頼んだんだ。だから――私の勉強に付き合ってもらえない?」
そう提案すると、彼女は少しだけ目を丸くして、それから「わかった。やる」と頷いた。
たった一枚のパンケーキ。彼女にとって、机に向かうことなど何一つ得るものがない時間だったはずだ。それなのに、その素直な欲求だけで、彼女は私の隣で羽根ペンを動かしてくれた。
その事実もまた、私の自尊心を密かにくすぐった。
「ジュリアン殿下であれば、あのローザリア様を机に向かわせることができる」
大人たちが背後でそう囁き合っていることにも、私はとうに気づいていたのだ。
いつしか、並んで机に向かう静かな時間が当たり前になっていった。
午後の柔らかな日差しが差し込む図書室。インクの匂いと、羊皮紙をめくる微かな音。
私が分厚い魔導書を読み解き、理論を頭に叩き込んでいる横で、ローザリアは退屈そうに指先で小さな魔法を作っては消して遊ぶ。
――そんな穏やかな時間の中で、私は見てしまったのだ。
ある時、彼女が指先で作っていた火の玉の周りに、水と、風と、土が同時に浮かび上がった。
相反する属性を平然と並存させる、あの、異常な魔力制御。 私が息を呑んで見つめていると、彼女は「あ、これ以上は疲れそう」と呟き、もう片方の手をかざした。
水でも、土でもない。彼女の手から漏れ出したのは、夜の底のように深く、冷たい『何か』だった。 それが空中の四属性をふわりと包み込んだ瞬間、水蒸気爆発を起こすこともなく、煙すら上げずにその存在ごと『消滅』したのだ。
「……ローザリア、今のは」
「ん? 喧嘩させないなら、これでいいんでしょ? なかったことにしたの」
無邪気に笑う彼女の手には、まだ薄っすらと黒い残滓が揺らめいている。
息を呑んだ。
それは、私の持つどの魔導書にも、基礎理論の教科書にも載っていない力だった。
考えられるのは一つ。 歴史の暗部や御伽噺の中で、忌避されるべきものとして語られるだけの――『闇』の魔力だ。
まさか、ローザリアはそれを持っているというのか。
王太子である私ですらきちんと教えられたことのない未知の力を、彼女はただの「便利な火消し」として、呼吸をするように引き出していた。
もしこれが少しでも制御を外れたらどうなるか。理論を学び始めた私には、その得体の知れない危うさがわかった。けれど、直感だけで魔法を操る彼女は、自分がどれほど規格外なことをしているのか、欠片も理解していないのだ。
(やっぱり、私がしっかり学ばなければならない)
未知の力への恐怖よりも、少し背伸びをした保護欲。
――いや、子供特有の全能感だったかもしれない。
彼女が恐れを知らずに新しい魔法を編み出すなら、私がもっと知識をつけて、彼女の無茶を安全に終わらせてやる方法を見つけよう。 彼女の破天荒な力に付き合い、手綱を握れるのは私だけだ。
王太子ではない自分の価値が、そこにあるような気がしていた。
――十歳になった彼女が、あの訓練場で取り返しのつかない『本当の暴走』を起こし。 私のちっぽけな全能感など一瞬で飲み込むほどの、闇と雷が交じった圧倒的な奔流を見せつけて、私から遠ざかっていく、あの日までは。




