熱の行く先
次の日の朝。
噂のパンケーキを食べたあと、馬車で保養地にやってきた。
湯気があちこちで立ちのぼり、岩場の間を小道がのびている。かすかに硫黄が混じった風が、ちょっと懐かしい。
“温泉”は、私の知っているものとは少し違った。
ごつごつした岩場に溜まった湯が、
赤 → 金 → 青のグラデーションに色づき、
表面では小さな気泡がぽこぽこと弾けている。
「うわぁ……なんて幻想的なの」
小さな色温泉が点々と続き、湯気で揺らめくその光景は、まるで別世界だ。
「ふふ、不思議でしょう?
このあたりはこういう高温の泉が多いの。
浸かるなら下の湯治場のほうね」
ローザ様が言ったそばから、しゅわっ!っと横で小さな温泉が勢いよく湧き上がり、思わず跳ねた。
「わぁあっ!?」
「ふふ、間欠泉ね。ここでは日常よ」
観光客でにぎわう遊歩道には、間欠泉を待ち構える子供たちの声が響いていて、なんだか微笑ましい。
「ん? あれは……?」
泉の脇に、大きな何かが打ち上げられている。
(え……骨……よね?)
「ああ、鹿ね。時々落ちてしまう子がいるみたい」
「……げっ、そんなに熱いんですか」
「ええ。温泉によっては、落ちたら数分で死に至るみたいよ。
人間は落ちてないから安心して?」
それは……安心していいのだろうか。
一応柵はあるものの、そんなに厳重なものとも思えない。
「昨日新しく湧き出たという温泉もこの辺りのはずなんだけど……」
ローザ様が周囲を見回しながら歩いていた、その時だった。
ぽつ、ぽつ、と微かな音が岩場の奥から立ち昇る。
さっきまで静かだった一角が、脈を打つようにふくらんだ。
「ん? ローザ様、あれ……」
「……ええ、少し活発ね」
落ち着いたローザ様の声とは対照的に、
周囲の観光客がざわつき始める。
「見て! あそこ膨らんでない!?」「何……?」
次の瞬間――。
ぶわっと、地面が息を吐くように盛り上がり、
表面が揺れて、中から湯が押し上がった。
「危ない、下がって!!」
とっさに叫んだその直後。
ドン、と赤い中心部が破裂した。
高温の湯と蒸気が一気に吹き上がり、
飛沫がこちらへ向かってくる。
(まずい……!)
反射的に、結界を展開した。
ぱしん――。
透明な膜に触れた熱水が、白い閃きを散らして弾ける。
「きゃっ!」「うそ……」
観光客たちがどよめき、子どもが驚いたように肩をすくめた。
「今の……魔法!?」誰かの震えた声が漏れる。
(……よかった……!危なかった……!)
私が息をつくと、ローザ様がそっと指先を上げる。
何も動いていないのに、
さっきまで荒れていた温泉の脈動が、すっと静まっていった。
「ローザ様……今、熱……?」
「ちょっとね。どこか放出先を探さないと……
海はダメね、少しのことで生物が死んでしまうから」
「……大丈夫、なんですか?」
「そうねぇ、これくらいの熱ならしばらくは大丈夫だから安心して」
「しばらく……?本当ですか!?」
「うーん……経験則としか言いようがないのだけれど。
闇の魔法は、まだ解明されていないことばかりだから。
これくらいなら均衡の範囲内ね」
「均衡?」
言いながら、結界を解除する。
「ええ。
均衡を失うと膨れすぎて暴走することもあるし、
そのまま大きく――育つだけで済むこともあるわ」
――なるほど。
”均衡”がポイントなのだとすると、今までの事が腑に落ちる。
闇の魔力は吸い込んで大きくなるブラックホールのようなものなのだ。
だからこそ、大きくなりすぎないように調整しているということなのだろう。
教室の温度を下げた時も火竜の時も、熱はすぐに放出していた。
ライナーの衝撃波もそうだ。すぐに本人に返していた。
最近ローザ様の魔力干渉が激しかったのは――
(火竜の熱が、桁違いだったから……?)
学園の噴水を干上がらせたのは“排出”の一環で、
それすら追いつかず、残りをクロイツ家の噴水で逃がしたのだとしたら——。
(……そして、一部は間に合わなくて、完全に“取り込まれた”)
確信ではない。
ただ、そう考えると色々な点が繋がる気がした。
「さ、行きましょう、リリィ。
下の湯治場なら、安心して浸かれるわ」
胸の中で点と点が線になりかけていたところで、
ローザ様の声に引き戻された。
「は、はい……!」
下の湯治場は、さっきの色温泉とはまったく違う雰囲気だった。
白い湯煙がふわりと漂い、木造りの回廊が静かに伸びている。
湯気の奥からふわりと漂ってくるのは、海風に溶けたような、ほのかに甘い鉱石の香りだった。
薬草とも違う、金属とも違う、“火の名残”がやさしく丸くなったみたいな匂いだ。
湯治客がぽつり、ぽつりと歩くたび、湯気が形を変える。
「ここなら、落ち着いて浸かれるわ」
ローザ様が案内してくれたのは、海に面した露天風呂だった。
湯気に包まれた岩場の向こうで、波が静かに寄せて返す。
風が頬をなでて、思わず深呼吸した。
「……わぁ……」
言葉にするまでもないほど気持ちいい。
海風と温泉の温かさが全身をほどいてくれるようだった。
「はぁ、癒されるわ」
ローザ様が髪をゆるく束ね直しながら、横目で私を見る。
「うん、本当に……
って、すみません!」
ぽつりと自然に出た言葉に慌てて、湯がパシャリと跳ねる。
ローザ様は、ゆるく瞬きをしてから、くすっと笑った。
「あら?それ、いいじゃない?
これからもそうやって話したら?」
「う―ん、いや、でも……」
「そもそも、学園ではみんな身分に関係なく平等なのよ。
それなのに、みんな私に敬語を使うんだもの。
アルデン先輩なんて、上級生なのに!」
「まぁ、さすがにローザ様ですしねぇ」
「ほら、それ!せっかく裸の付き合いをしてるのに、
そんな他人行儀じゃ寂しいわ」
「えぇぇぇぇ」
「……みんな、そうやって私と距離をおくのね……」
「いやいや、そんなこと思ってないくせに何言ってるんですか」
「ふふふ、でも、リリィには気楽に話してほしいわ。
だって、そちらの方が本音で話せるでしょう?
私に気楽に話してくるのって、ジュリアン殿下しかいないんですもの」
……それは、確かに。
ローザ様が殿下に気安く話すのは、そういう寂しさを知っているからなのかもしれない。
「……さすがに”様”ははずせないけど……」
一拍おいて、口にする。
「努力、してみま・・・してみるわ」
そう言うとローザ様がふわりと、
本当に嬉しそうに、笑った。
「ふふふ、ありがとう、リリィ」
湯気の向こうで、海がきらきら光っている。
その美しさより──
隣で笑うローザ様のほうが、胸に残った。
肩まで湯に沈んでいるだけなのに、
体の奥がじんわり温かくて、
心までふわっとほぐれていく。
「……あぁ、いいお湯ね」
ローザ様が小さく伸びをした。
その仕草が、学園で見る“完璧美麗な公爵令嬢”ではなくて、ただ疲れを癒やす年相応の少女で。
(……そうよね、同い年、なのよね)
視線をそらすつもりが、またローザ様の横顔に戻ってしまう。
「何か言いたそうね?」
「い、いえっ!? べつに!」
「あら、言葉遣い、戻ってるわよ」
すべて見透かしてるみたいな、あの微笑み。
胸の奥が、温泉のお湯よりも熱くなる。
しばらく二人で、波の音と湯気の揺れを眺めるだけの静かな時間が流れた。
やがてローザ様が立ち上がり、湯を滴らせながら言う。
「そろそろ上がりましょうか。のぼせてしまうもの」
「……はい」
(あ、また敬語になっちゃった)
でも、ローザ様は何も言わない。
湯から上がり、素足で木の回廊を歩く。
海風がひんやりして、頬がさっきより熱く感じた。
ローザ様は前髪をタオルで押さえながら、くるりと振り返る。
「リリィ、のぼせてない? ……うん、顔赤いわね」
「え、いや、そこまででも……」
「よし。じゃあ帰ったら冷たいもの食べましょう。
甘いのがいいわよね? こういう時はアイスかしら」
「えっ、アイス……!」
(この世界ではかなりの高級品なのに……!)
「リリィはアイスは何味が好きかしら?
バニラ?チョコ?
クロイツ領の牛乳はコクがあるから、ミルクもお勧めなのだけれど……」
珍しく、ローザ様が早口になっていく。
「ロ、ローザ様……落ち着いて……!」
「今日はいっぱい歩いたし、ゆっくり休んで、
それから甘いもので元気になりましょうね、リリィ」
(もう、絶対、ローザ様が食べたいだけじゃない)
軽い足取りで歩くローザ様を、
私は浮きたつ気持ちで追いかける。
風に、熱の気配が溶けていく。
湯気の向こうに揺れる背中が、
なんだかいつもより近く感じた。
次回、月曜日更新します。
更新日に悩んでいたのですが、今後しばらくは月、水、金、土の20時で固定にしようかと。
どうぞよろしくお願いします。




