936 金と銀の相克
「えー、そんなこと言われても」
突如乱入せしS級冒険者ゴールデンバットの物言いに、同じくS級冒険者(今日限り)のシルバーウルフさんは困惑半分、呆れ半分の表情をした。
相手側の要求は『冒険者引退を撤回』とのこと。
「引退は各人の判断で行われることであって、他人の意見を受けるようなことではない。それはたとえギルドマスターなどの物言いであっても同じだ」
さすがのシルバーウルフさん、理詰めで諭す。
「だから仮に私がギルドマスターの権限でもってお前の引退を阻止しようとしても、それに何ら拘束力は発生しない。逆となればなおさらだ。つまりはお前に言われて私の引退をなかったことにする義理はない。以上」
「当然だ、誰であろうとオレの行動を制限することはできない。しかしオレが言うんだからお前は従うべきだろうが」
さすがのゴールデンバット、理屈などまったく通じない。
こんなのと何年も共にしてきたんだからシルバーウルフさんの苦労が偲ばれるというものだった。
その犬顔のマズルから濃厚なため息が出た。
「いい加減我慢の限界にゃーん。引退記念ということで二人でぶっ飛ばさないかにゃーん?」
「やめておけ。私たちが現役を去ることでコイツの看板としての価値は益々貴重なものになっていく。あまりご機嫌を損なわせるわけにもいかんのだ」
シルバーウルフさん、早くもギルドマスターとしての思考が巡っておられる。
元から兼任としての期間が長かったとはいえ、やっぱり損な性格だよな。
「あー、えん、うんうん」
考えをまとめ直すように長い咳払いをしてからシルバーウルフさん、言う。
「何が気に入らないのかな? 私が引退することでお前に生じる不利益など思いつかないのだが。よければ説明してくれると助かる」
噛んで含めて子どもに言い聞かせるような口調だった。
俺だってヴィール相手にあんな口調したこともねぇ。
「シルバーウルフよ覚えているか? オレたちが初めて冒険者ギルドに登録して冒険者になった日のことを」
「また随分昔の話を引っ張り出してくるなあ」
シルバーウルフさん難しい顔つきで頭をボリボリ掻く。
一時代を輝かせたS級冒険者二人の対峙に、歴史的瞬間と食いつく人たち。新たなS級になろうと集った受験者たちが今はギャラリーとなっている。
「そうだなあ、オレとお前が冒険者になったのは奇しくも同じ日だったからなあ」
「同じではない! オレの方が三分早かった!」
なんだ、その細かい拘り?
「たしかに登録用の書類を書き揃えて、受付へ提出するのにお前が先に並んでたんだよな。お前の背中見ながら自分の番が回ってくるのを待ってたって、記憶に残っているよ」
順番に並んでいたんなら、そりゃゴールデンバットが先だったという主張は成り立つが……。
「それだけじゃない! 最初のF級からE級に上がったのも、そこからさらにD級に上がったのも、C級B級A級に上がったのもすべてオレが先だった! 初めて単独でダンジョン制覇したり、功績を挙げた者だけがギルドから授与される特別勲章もオレが先に貰った! 無論S級になったのもオレが先だ!」
「そうだなあ、私はいつもお前の後塵を拝する形になっていたなあ」
思い出してきたのか、段々苦々しい表情になっていくシルバーウルフさん。
「それなのにここに来て、お前が私より先に引退するとはどういう了見か!? オレは常にお前より先んじる! つまり引退も私が先でなくてはならない! そうでなくてはオレのプライドが許さない!!」
「はあはあ、なるほど。なるほどねえ…………なるほど」
理解はできたが、心が理解を拒否しているような状況。
何度も『なるほど』を繰り返しているのは、自分に言い聞かせている面もあると思う。
「しかしそれとこれまでのとは意味合いが違ってくるんじゃないか? 昇格も実績もポジティブなことだから、そりゃ先に貰った方が自慢だろう。それに比べて引退というとネガティブな面も否めないし、できる限り長く現役についていた方が偉い。よってあとに引退する方がいいんじゃないかな?」
「いいや、なんに置いても先んじる方が優れている!」
「面倒くせぇなぁ……」
シルバーウルフさん、ドッと疲れた表情になってきた。
大変だなあの人も。
「……だが考えてみたら、我が冒険者人生ついにゴールデンバットに勝つことは一度もなかったというわけだな」
「……!」
しみじみと語るシルバーウルフさん。
「私だって悔しいと思ったさ。特に駆け出しの頃はな。何をやってもコイツが一歩先にいて、晴れやかにゴールを飾ったことは一度もない。『ゴールデンバットさえいなければ』そう思ったことは一度ではなかった……!」
そう思うのが自然だろうな。
負けて悔しいと思わなければ、本気でないということだ。
「しかしその悔しさが、今日の私を育てたのではないかと思っている。嬉しいことも悔しいことも、すべて私の冒険者人生だ。本当に様々なことがあったが、それ全部、今日をもって過去となった」
「お疲れ様にゃーん」
総括するシルバーウルフさんに、ブラックキャットさんが妻として寄り添う。
そんな姿に受験者たちは感動し、独りでに拍手が上がるのだった。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ……!
「お疲れさまー!」
「今までありがとうシルバーウルフ様! アナタこそ最高のS級冒険者です!」
「アナタの功績は皆が忘れないよー!」
「これからもギルドマスターとして頑張ってください!!」
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ……!
「待てコラァああああああああッッ!!」
なんだよ折角いい感じにまとまろうとしていたのに。
誰だ無粋な口出しをするのは?
ゴールデンバットか。決まり切っていたな。
「だから引退するなどオレが許さんと言っているだろうが! オレがいる限りお前も現役で頑張れ! オレが引退するまでお前も引退するな!」
「さすがになぁ、私自身の意思だけでなくギルド運営の問題も関わってくるし……」
「ギルドなんか他に誰でも任せられるだろうが! このオレのライバルはお前以外いないんだ! お前が去ってどうする!?」
さすがに干渉が過ぎるんではなかろうか。
シルバーウルフさんも昔からの付き合いからか強く反発できないようだし、こうなったら第三者の介入でしかことを治められないのではないか。
とすると動くべきは主人公のこの俺!?
「うるさいにゃーん」
「ぐぼほぇあッッ!?」
しかし俺が動くより早くゴールデンバットが蹴り飛ばされて地面を転がる。
弾丸のようなキックを放ったのは黒き女豹ブラックキャットさん。
「いつまでも未練がましく女々しいにゃーん。それがS級冒険者の振る舞いにゃん?」
「ひ、引っ込んでろ……これは男同士の……ぐほぉわえッッ!?」
容赦なき第二蹴が顔面に入った!?
慈悲もない、完全に蹴り慣れた動きだ!?
「駆け出しの頃ならともかく、S級になってからは私とヤツの対立も剣呑になる時があってな。お互いの意思だけで決められるものでもないからどうしても平行線になる時があって」
シルバーウルフさんが落ち着いて解説するものの……いいんですかアナタの奥さん看板冒険者をボコボコ蹴りまくっていますが。
「そうして決裂寸前の時に間に入ってくれたのが彼女……ブラックキャットだ。同じS級で対等だし、口出しも充分にできる。私とヤツが対立した時は、大抵彼女が意見をまとめてくれたものだ」
「意見をまとめるって、あんな風に?」
ヤクザキック、ヤクザキック、ねこパンチ、ヤクザキック。
「大抵の場合ゴールデンバットのヤツが納得すればまとまる話なんで……」
恐ろしい交渉法もあったもんだ。
「テメー、我がままもいい加減にしろにゃーん。オメーはただ寂しいから駄々こねてるだけにゃーん」
「ぐぶぅ!?」
それは図星を刺されて困惑してのリアクションか、ただ蹴られての悲鳴か。
「お前にとっての冒険者生活、シルウルちゃんに勝つことが張り合いだったからにゃーん。周囲からの賞賛にも飽き飽きして、たった一人自分に迫ってくるシルウルちゃんに競り勝つことだけでしか手ごたえを得られなかったにゃーん」
「え?」
「だからシルウルちゃんに引退してほしくないんだろうけど、この人はこれから冒険者全員を背負う立場になるにゃーん。わきまえるにゃーん」
あー。
そんな感じの。
究極の実力をもって名誉実績すべてを手に入れながら、しかし充実感はたった一人のライバルからしか得られなかった。
「……だったらなんだよ悪いか!? うわーん引退するなよ! ずっとオレと一緒に競い合うんだよ! そしてオレが全勝する! うわーん!!」
ついには手足をジタバタさせだす最高冒険者。
そうして恥も外聞もなく言ってるともそこはかとなく自分勝手。
「うーん、そこまで重要に思ってくれていたのは嬉しいが……」
「だったら引退やめる!?」
「ギルドマスターとしての立場がなあ」
「うわーん!」
もはや揺るぎない意志がわかってゴールデンバット潰走する。
「もういい! ここまで頼んでも聞いてくれないならオレも考えがあるぞ! オレは冒険者を辞める!」
「ええー?」
「そして新たにオレ主導のギルドを立ち上げてやる! これからはギルドマスターとして勝負だ! どちらがより大きなギルドを作れるかな!? そして勝つのは必ずオレだ! ハハハハハハハハハハハ!」
言うだけ言ってゴールデンバットは去っていった。
コウモリの翼で空を飛び。
「……するってーと、さらにもう一人のS級冒険者がギルドから抜けることに?」
ギルド運営に携わるシルバーウルフさん。
またしても悩ましい問題にブチ当たるのだった。
やっぱり苦労人だこの人。
そう思ったところで、長く続いたS級冒険者昇格試験。これにて締めくくりとなりました。






