906 見えないものを見ようとした結果
ガラ・ルファによるワクチン学論発表がついに始まった。
「……というわけでして、これが実用化されれば大変な効果が見込めるものともいます」
専門的な話は中略。
要するにワクチンがどういう概念で、どのような効果をもたらすかガラ・ルファの口から懇切丁寧に説明された。
その結果は……。
「……フン、くだらんな」
見事に通じていなかった。
人魚医学会のお偉いさん方はしたり顔をして、反撃開始とばかりにガラ・ルファの論にケチをつけ始める。
「人魚王ご夫妻まで抱き込んで、一体どんな詭弁を弄してくるかと思いきや、結局いつぞやの珍論を交ぜっ返しただけではないか」
「目に見えないほどの小さな生物が、体内に入って病気を引き起こしている……ですか。かつて彼女がこの人魚医学会で発表し、物笑いとなった奇説ではないですか」
「それが原因で学会から追われたというのに、学ばない小娘ですな」
「いかにも、同じ間違いを繰り返して違う結果を得ようなどと正気のサタデーですな」
あからさまにバカにしてくる。
アイツら……そもそもガラ・ルファの学説をまともに聞く気がないな?
「細菌って考え方は今でも画期的すぎるからねー」
俺の隣に控えたプラティが言う。
「受け入れにくいのは無論のこと、あの人魚医学会の石頭じゃ理解のキッカケすらつかめないのはしょうがないわ」
「そもそもアイツらが一度は否定した学説だからね。それを受け入れるってこたー自分たちが間違っていましたって認めるのと同じ。権威とプライドに凝り固まった連中には絶対にできないだろうねー」
パッファも同調して言う。
ちなみに彼女とアロワナさんの息子モビィ・ディックくんも今は祖父母の下に預けられている。
ウチのジュニアやノリトと一緒に。
ナーガスさんとシーラさんは本日お孫さんフィーバーだ。
「……フッ、相変わらず夢見がちなお嬢さんだな」
ただでさえ袋叩きのフルボッコなガラ・ルファへ、さらなる口撃が飛ぶ。
偉そうな人の多い人魚医学会の中で、比較的若そうな男の人だった。
「そのような夢物語を大真面目に語って恥をかいた過去を忘れてしまったのか? 腕前だけいいのだから黙って魔法薬作りに専念しておけばいいものを。何故わざわざ自分の才能を曇らせるのか」
「ううう……、ドコサ・ヘキサエンさん……相変わらず意地悪です……!」
ガラ・ルファも得意な反応。
あの口ぶりでは知り合いなのか?
「私が人魚医学会に所属していた頃のお知り合いです。いつも用のないのに現れては今みたいに嫌味を言ってくる、意地悪な人です!」
「キミにはキミの素晴らしい長所を伸ばしてほしかっただけだ。正気を疑われる珍説さえ唱えなければ、少なくとも最高の魔法医学士として学会でそれなりの地位を築けるというのに……」
たしかにドコサ・ヘキサエンさんなる人物の口調は高圧的ではあるものの、どこかしら心配そうな気配を窺わせる。
……はッ?
これはもしやツンデレということ!?
「ガラ・ルファよ。人魚医学会に戻りたいのならばまずは、自分の間違いを素直に認め、学会のお歴々に謝罪することだ。意地を張って正しさを主張するばかりでは何も解決しないぞ」
「……たしかにかつての細菌論説は皆さんに受け入れられませんでした。それを証明する方法がありませんでしたので」
しかしガラ・ルファもおずおずながら反駁する。
「ですが今は違います。私は長年の研究の末に、細菌の実在を証明するいくつかの方法を確立するのに成功しました!……いえ、多くの人々の協力あってのことですけど……!」
ガラ・ルファ!
そこで物怖じしなくていいから! 立派にキミの功績だから!
「ご覧ください、この顕微鏡を使えば何十万分の一という極微細の世界も肉眼で補足することが可能です! 農場で改造を繰り返した超ハイブリッドモデルです!」
あれ、本当にどういう仕組みになってるんだろうな?
十万クラスの倍率は明らかに光学じゃ捉えられない世界なんだよなー?
「これを使えば細菌どころかウイルスまでも克明に捉えることが可能。ちなみにウイルスとは、最近発見された細菌以上の単純な仕組みを持つ……!」
「必要ない」
「え?」
「ふん仰々しい道具まで持ち出してペテンに余念がないな。その道具で小さなものも見える? それが本当だという保証がどこにある? きっとインチキでそれらしく見せているだけに違いないわ」
人魚医学会の連中は、ガラ・ルファの顕微鏡をはなからインチキだと決めつけてきた。
現代医学の結晶に向かって!
「い、いえこれは本当に本物なんです! 覗いてみればわかります!」
「必要ない」
「一目だけでいいんです! 見ていただければ!」
「必要ない」
「そうしなければ細菌の実在を証明できません!」
「証明する必要などない。お前の言ってることはすべてウソ、その結論があるだけじゃ」
取り付く島がない。
これじゃ討論の形も成していないじゃないか。
「老いさらばえ、頭もカチコチに固まって新しいことも考えつけなくなったヤツが時代の変化を押しとどめるには、手段は一つしかない」
パッファが言った。
「否定することさ。議論なんか必要ない、ただひたすら否定。意見を戦わせることなく否定するだけしていれば。既に培われた権威によって新意見なんて簡単に封殺できる」
これで議論が成立するのか?
「まあまあ皆様、あまり厳しく接しては可哀想ではないですか。相手はうら若い女性ですゆえ」
そこへ仲裁役のように割って入るのがさっきのドコサ・ヘキサエンさん。
「そして若い女性だからこそ、みずからの過ちをなかなか認められぬものです。ここは年長者の方が歩み寄り、悔い改める機会を与えるべきではないですか? 彼女が反省し、自説の間違いをおのずから認めれば人魚王家も無茶な決定を取り下げてくれることでしょう」
「……かつてもこんな感じでした」
ガラ・ルファ?
なんか趣が違ってきた?
「誰も私の推論に真面目に取り合ってくれず、鼻で笑われるだけでした。だから私は逃げ出した……。そうです、私は人魚医学会から追い出されたんじゃない、自分から逃げたんです」
しかし彼女はその先で新しい仲間と出会った。
農場で出会った仲間たちに励まされて自分の才能と向き合い。そしてついに細菌の実在を突き止めて有効活用する手段まで確立できたんじゃないか。
「私はもう逃げません。農場で一緒に過ごしてきた仲間たちが私に強さを教えてくれたから……。そして私に逃げる気さえ起らなければ、アナタたちなんかに負ける要素なんて万に一つも起こりえないんです!」
おお!?
ガラ・ルファの身体から気迫が……!
「アナタたちが頑として顕微鏡を覗かず、細菌の実在を確認しないと言うんなら、けっこう。こちらも他の手段を講じるまでです。アナタたちがどんなに目を背けようと視界に入ってこざるを得ないほどにドカンと突きつけてやるまでのことです」
何をする気なんだガラ・ルファ?
いや、そもそもこの世界は科学万能の現代日本とは違う。
科学とさらにもう一つ、それにも匹敵する超万能テクノロジー魔法が存在する世界だった!
「こんなこともあろうかと用意してきた新魔法があります。さあ細菌よ! 蒙昧なる者たちの前にその姿を表せ!」
などと呪文らしきことを唱えるが、ガラ・ルファは懐から取り出した試験管からコルクの蓋をキュポンと抜いて、中身の魔法薬を振り撒く。
彼女は人魚だから、魔法薬によって魔法を使うのだった。
撒き散らされる魔法薬は、それ自体が持つ効能なのかさらなる微細な飛沫になって散り、空間の中に溶け込むように広がっていく。
「……一体何が?」
「苦し紛れのこけおどしか?」
その場に集った人魚医学会の面々も、事態を飲み込めずに困惑していたが、目に見えた変化はすぐに現れた。
『さ~い~き~ん~の~』
『はなし~』
うわわわわわわわわわッ!?
なんか出てきた!?
空間から立ち上るように現れた、何か?
その姿は丸とか四角とかを雑然と組み合わせたような……シンプルではあるが、俺はその形に見覚えがあった。
それは顕微鏡で見る細菌もしくはウイルスの形そのものじゃないか!
この単細胞生物どもめが!
「細菌に酷似したものが……、スイカぐらいの大きさになって空中を漂っている……!?」
まさかガラ・ルファが撒いた魔法薬の効能は……!?
細菌を巨大化する薬!?
「いいえ、違います。さすがに数ミクロン級の物体をスイカ大にまで体積増加する効能なんて爆発的な効能は、魔法薬でも実現不可能です」
そ、そうだよな……!
人間に置き換えれば一振りで地球並にデカくしてしまうってことだもんな!?
「この魔法薬は、私が農場で働けていたからこそ開発できたもの。ヴィールさんのお山に住む樹霊さんたちの存在をヒントに、細菌を霊的に可視化しようというコンセプトで作りました」
樹霊。
樹木に憑りついて、まさに樹や果実が生きているように振舞っているアイツらか。
アレを細菌で再現しようと?
「先生や博士にもアドバイスをもらい、試行錯誤の末に完成まで漕ぎつけることができました。これこそが細菌可視化の最終手段! さあ人魚医学会の皆さん! 今こそ存分に、細菌をその目でかっぽじってご覧になってください!」
細菌の霊体を可視化できるようになる魔法薬!?
ファンタジー要素の本領発揮! そう科学だけがすべてじゃない!
いかにもガラ・ルファらしい、マッドサイエンティックな手法によって反撃の狼煙が上がった!!






