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907 サイキンの話

 人魚医学会の発表会場では、いまや無数の幻影が宙を漂いまくっている。


 これらはすべて、この空間中にひしめく細菌あるいはウイルスたちを霊体にして可視化しているという。


 球体状のヤツもいたり、それがちょっと伸びて楕円状になっているヤツもいる。

 さらにそこから波平さんの髪の毛みたいなのが一本ニョロッと飛び出ているやつとか。


 いずれもどこかで見覚えのあるようなビジュアル。


「ひぃいいいいいいッッ!? これは!? これはなんだぁあああああああッッ!?」

「魔女の新しい攻撃魔法薬か!? 殺されるぅううううううッッ!?」


 人魚医学会の人たちは、巻き起こる現象にただただ恐れおののくばかり。

 今にも出口に殺到して逃げ出しそうだ。


 それができないのは、何よりプラティとパッファが出口を固めて逃げられないようにしているから。鬼畜。


 そんな混乱の最中でも、霊体化した細菌たちはゆったりと中空を漂い……。


『むーん、むーん』

『はっこーするぞー、くさらせるぞー』

『びかびかー』


 実に脱力している。

 っていうか細菌ってこんなノリでいるの?


 まあ聞くところによれば細菌は単細胞生物。極めて単純な造りをしているために自分から移動する手段を持たず(例外もいるが)、基本風の吹くまま水の流れるまま、自然に任せて運ばれていき、運よく宿主となるべき生物の下に辿りつければ生き、さもなくば死ぬ。


 そんな連中なのでなおさら気楽なのだろう……か?


「さて、見えただけでは疑り深いアナタたちは納得しませんよね? ここからより深い実証とまいりましょう」


 ガラ・ルファが瞳をキラーンと輝かせて言う。

 絶好調ノリに乗ってるぞ彼女!?


「さて、ここにおります細菌さん、アナタのお名前は?」

『オイラはー、だいちょうきんだおー』


 大腸菌!?

 あの有名な!?


『みんなオイラのことワルモノ扱いしてるけどー。おなかの中で消化を助けるじゅーよーなきんでもあるんだおー。うんこにたくさん含まれてます』

「こちらの大腸菌さんは、アナタのお腹の中に含まれているものを霊体化しています」


 指さされるのは人魚医学会の一人。

 唐突に言われて困惑する。


「そ、その生き物が……、私の中に……!?」

「大腸菌は消化の働きを助ける大切な菌であると同時に、特定の病気を引き起こす病原菌にもなります。そのことを証明するために……大腸菌さん、ちょっと悪さしてもらえます?」

『わかったよー。びょーげんせーだいちょうきーん……おーッ! いーごーなーッ!』


 すると覿面、人魚医学会のメンバーの一人が苦しみ悶えだす。


「ひぎゃああああああああッッ!? いぎぎぎぎぎぎぎぎッッ!! 腹がッ、猛烈に腹が痛いいいいいいいッッ!? トイレに、トイレに行かせてくれええええええッッ!!」

「病原性の大腸菌による症状は、主に下痢、腹痛、嘔吐。患者の排出した便もしくは吐瀉物などを媒介にして広まります。主な感染対策としては排出物を厳重に封じ、不特定多数の人に触れさせないこと。大腸菌は空気中ではゆっくり時間をかけて死滅していく観察結果が出ています」


 ガラ・ルファが……細菌と会話して使役できる存在になってしまっている……!?


 彼女の命令一つで菌が働き、病気を引き起こす……。

 まるで彼女の異名『疫病の魔女』の通りではないか。


 ガラ・ルファが真なる『疫病の魔女』となった!?


「さて、皆さんは頑固で物分かりが悪いですから、たった一個の実証ではまだまだ納得しませんよね? 続いてはコレラ菌さんに出演していただきましょう」

「待て! わかった認める! お前の学説は正しい! だからもうやめてくれぇええええッッ!!」


 脅しにはあっさり屈した。


 これまで何があろうとガラ・ルファのことを認めようとしなかった人魚医学会が、決まってみれば何ともあっけない。


「えッ? もう終わりなんですか? ここから細菌を経て、次はウイルスさんの紹介もしたかったんですが」

『そうだぞ、情けないぞ!!』


 ガラ・ルファの隣で怒っている霊体は一体何の細菌なのだろうか?

 いやウイルス?


「紹介いたします……この子が難病ハイドロ・ランナウェイの病原となっているウイルスさんです」

『サイキンと一緒にするんじゃねえやいッ! オレたちゃ、由緒正しき分子構造体だぜ! コンピューターにだって寄生してやらあ!』


 それはまた別の定義のウイルスだ。


「私はこのハイドロ・ランナウェイの病原ウイルスさんとお話して……たくさんお話して、ついにわかり合うことができました。そしてウイルスさんにお願いを聞いてもらうことに成功したんです」

『おうッ! お嬢の頼みとなりゃあ断れねえや! オレの出す病毒ちったあ弱めてやってもいいぜ!』

「ちょっと?」

『い、いや大分弱めてやらあ! いやいっそ無毒にしてやらあ! お嬢に敵わねえなあまったくようぅ!!』


 ……。

 もしや……?


 ウイルス及び細菌のワクチン化って、そういうプロセスで行っているのか!?


 なんかこう科学的なアプローチではなく、ダイレクトにウイルス細菌相手に説得!?


「はい、そうですよ! 最初は純粋に細菌さんたちとお話したくて、博士の憑依魔術などのコツを教えてもらってやっと交信できるようになったんです。そこから無毒化、ワクチン化の流れに行きつけました」


 まさしく天才の発想はわからねえ……。


 と、ともかくこれにて人魚医学会における細菌ウイルス論争は、終結したということでよろしいのだろうかな。

 随分力づくな勝負のつけ方だったような気もするけれども。


「見事な論説だった……、私たちの負けだな」


 おッ、ツンデレのドコサ・ヘキサエンさん?


 ガラ・ルファの下へと歩み寄ってきたその表情には、それまであった険がなかった。


「実際に負けてしまえば、受け入れるのはこんなにも簡単だったのだな。キミが天才であること、誰にも見えない世界がキミには見えていることが……。キミを守りたいのならばキミの説を信じてやるべきだったのに、逆に説き伏せ、世間に合わせることこそがキミのためだと思い込んでいた……!」


 だから率先してガラ・ルファの論説を挫こうとしていたと?


 まあ彼女自身に社会適応性はゼロだからなあ。

 ガラ・ルファのためを思えば、負担になっても考えを改めさせて社会に沿わせる道を選ぶべきか……。


「しかし私の考えこそが間違っていたようだ。……キミのような天才こそが社会を変えて前進させていく。私はその手伝いに徹すべきだった。今からでも遅くはない、キミの偉業の手助けをさせてくれまいか!!」

「都合のいいこと言いだしたわね」


 プラティ黙って。


「キミを、この人魚医学会の名誉会長に指名したい! そしてキミが旗手となってワクチンを人魚国に広めてくれ! 私はその助けに全力を尽くそう! そして……二人の協力をより密とするためにも……私と結婚してくれまいかッ!?」


 おおッ、どさくさに紛れてプロポーズにまで行った!?


 ああいうノリと勢いで結婚まで押し切ってしまうのは人魚族のお家芸だが、男から女性へと迫るのは珍しいパターン!


 果たしてガラ・ルファもこの勢いを受け止め、他の魔女同様既婚者の域に足を踏み込むのか!?


「嫌です」


 うぉおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!?


 断ったぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?


 今までにないパターン!?


 ドコサ・ヘキサエンさんが吹っ飛んだ。何の衝撃も受けていないのに四メートルほど宙を飛び、そのまま地面に叩きつけられてゴロゴロ床を転がり、壁にぶち当たって止まった!?


「だって名誉会長なんてめんどくさいんですもの! 私は研究だけをしていたいんです! 学会の面倒な仕事になんて関わりたくないです!」


 あ、そっちの方ね。

 いかにも研究熱心な天才肌の主張だが、ではプロポーズの方は?


「私は農場で一生研究し続けるつもりなので人魚国には帰れません! なので結婚もできません! 悪しからず!」


 ぺこりと頭を下げるガラ・ルファの前で、玉砕男となったドコサ・ヘキサエンさんは真っ白に燃え尽きてしまっていた。


 ううむ憐れ。

 しかし、もっと早い段階で素直に好意を伝えていればもっと違った結果があったかもしれないのでツンデレも考え物かな、と思う。


 モノトーンで打ちひしがれるドコサ・ヘキサエンさんに、二体の霊体細菌が寄り添っていた。


『げんきだしてー、にゅうさんいんりょう、のむー?』

『フラれたぐらいで情けねえ! 男ならシャキッとしろい! ウイルスには性別もねえがな!』


 失礼、二つのうち一つはウイルスだった。


 細菌&ウイルスに慰められるなんて人類初何だろうな。


 思わぬ終わり方ではあったが、とにかく人魚国ワクチン論争は、細菌ウイルスの実在を説くガラ・ルファの勝利によって終わった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >『サイキンと一緒にするんじゃねえやいッ! オレたちゃ、由緒正しき分子構造体だぜ! コンピューターにだって寄生してやらあ!』 では、同じ素材で寄生してもらおましょう
[良い点] 消毒液片手にウィルスと話し合って作ってそうなワクチンが新しすぎる
[一言] 乳酸菌の霊体ってCV田中理恵だったりしない?
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