835 皇帝竜夫婦訪問記・魔族後編
「我らの周りのこととなると、どうしても政略結婚の類となってしまいますがな。ヒトの社会にはそういうこともあるという参考程度に聞いていただきたい」
魔王殿がが語ることは、ただのお話として聞いても面白く、おれもマリー姉上も聞き入るばかりだった。
「たとえば……まずそうですな我が右腕、魔王軍の全権を担わせた四天王ベルフェガミリアの話をいたしましょう」
その名は知っているぞ。
ウチの父上が言ってた『たとえ下等な人間でも絶対に手を出してはいけないヤバいヤツが何人かいる』と。
その一人として挙がった名前が、たしかベルフェガミリア?
「実は彼は私の兄に当たる。さっき話した我が父が、生来の奔放さのままに手を付けまくった娘の一人が生んだ息子だ。魔王家の血を引きながら認められず、寄る辺ない者として世界中を放浪していた時期もあったそうだ」
そうした時期を経て魔王軍に入り、メキメキと頭角を現す。
彼の出自がいつどうやって魔王殿にまで届いたかまでは語られなかったが、とにかく秘された兄弟を腹心に迎えられたのは、当時戦争真っただ中の魔王殿にとって随分頼もしいことだっただろう。
「そんな兄を四天王として引き上げるために、もっとも問題となったのが家格だった。先代魔王の御落胤とはいえ、正式には認められていない庶子。しかもたとえ魔王家の血を引いていても四天王にはそれぞれの聖剣継承家系しか就けない。そこでとった手段が……」
政略結婚。
「堕聖剣フィアゲルプの家系に、ちょうど年頃の釣り合う女性がいて、他に男子もおらず跡取りが空席だったので、婿入りという形で滑り込ませた。おかげでもっとも信頼のおけるもっとも実力ある男が中枢を占め、万事が様々にやりやすくなった」
「でも、相手の女の方は納得しているの? いきなり会ったこともない人と結婚させられるなんて……!」
「貴族の女はそれが普通なのです。貴族にとって結婚とは家と家の繋がり。先祖より受け継いできた家系を存続……あわよくばより繁栄させて次代へ受け継がせるためにもよりよい縁と結びつかねばならぬのです」
「そういうこと……!?」
説明を受けながらもマリー姉上は釈然としない面持ちだった。
いまだ結婚によって家を存続繁栄させるという考え方は、種族として最強唯一を押し進められるドラゴンとしては理解しがたいのだろう。
「夫婦仲は良好なのかしら?」
「主君として、部下のプライバシーにはできるだけ立ち入らないように心掛けているので詳しくはわかりませぬ。ヤツ自身も性格に難のある男ですからな、家庭のことはあまり話したがらず……」
魔王殿の寂しげな苦笑には一体いかなる意味があるのか?
「しかし酷いことになっていたら隠そうとしても我が耳には届きます。何も聞こえてこぬということは、それなりに上手くやっているのでしょう。それに貴族といえど義務でする結婚ばかりではありません。アナタ方と一緒に式を挙げたバティなどが好例です」
「ああ、あの子……!」
姉上の表情が一気に華やいだ。
合同結婚式と銘打って同じ日に誓いを立てたバティは、たしか魔族で相手の男性も魔王軍に所属するエリート軍人であったはず。
「バティは平民出身で門地の有利さはないが、服作りの名声がそれ以上の強みを出している」
「そうなのよ! あの子の作る服はとてもいいものよ!」
マリー姉上がすっかりファンに……!?
「バティの作る服は、今や上流階級のステータスになっている。オルバ……バティの夫だが、彼に取り入ることで優先的に彼女の作った服が手に入るとしたら、大抵のものが躊躇わぬだろう。それが彼らの家にどれほどの有益をもたらすか……」
ヘタな上位家系と縁を結ぶよりずっとプラスなことなのかもしれない。
ニンゲンの生み出す技術はわからないが、手に持った職だけで数百年と続いた伝統に迫る益を生み出せるのは凄まじいことだと思う。
「社会に染み付く習わしや仕来りすら押しのけてしまえる技術や能力というのは凄まじいものだ。彼女はまさしく自分の才覚でみずからの道を切り拓いた。見習いたいものだな」
「もちろんあの子にはそれだけの権利があるものだわ!」
マリー姉上のリスペクトが凄まじい。
奇しくも同じ日に式を挙げた仲間同士として、経過が幸せであることは喜ばしいことだ。
そう言えば夫同士でもそれぞれに誼を結んでいたのだった。
せっかく魔国に寄ったのだからバティ殿の夫……オルバ殿にも一言挨拶していくとしよう。
「それから他に誰がいたか……」
「魔王様、失礼いたします」
さらに話に花が咲きそうになったところへ、ふいの入室。
何やら年配の男性魔族が魔王殿へ向かって歩み寄る。
「こちらの案件ですが早急に魔王様の裁可が必要となっております。お目をお通しくださいませ」
「ルキフ・フォカレよ、見てわからんか? 我は今大切な客のもてなしているところだ。書類ならあとにしろ」
「しかしながら……」
どうやら忙しいようだ。
我々も急に押しかけてきたクチだから何とも心苦しいな。ドラゴンの力で何でも押し通せるなんて思ってやいないし。
「ええい融通の利かんヤツめ。だったら我が書類に目を通している間にお前が彼らのもてなしをするがいい。心して臨めよ、この方々を怒らせたら魔都など一瞬のうちに火の海となって灰も残らぬ。この書類も、書いてある案件そのものもまとめてな」
「焼き尽くしませんけど!?」
もうそんな暴虐するドラゴンの時代は終わったんですけど!?
その一方でマリー姉上はマイペースで……。
「あら、だったらそこのおじいさまの結婚の話を伺いたいわ。そんな年配なんだからご結婚もされてるんでしょう? 今、そういう話を聞きたくてあちこち回っているのよ」
「結婚の話……であるか?」
「そう、ここの前は人魚国に行ってきたのよ」
マリー姉上の口調にはどことなく高圧的なところがあった。
人魚国と魔国では、それこそ地の果てぐらいの距離感。それを一っ飛びにできるドラゴンの能力を見せつけたいのだろう。
「ふーむ、しかし私の結婚話といってもあまり愉快なものではないと思うが……」
「ありきたりでもいいのよ。色んな話をサンプルにして参考にしたいの」
あのマリー姉上……!?
今日初めて会った相手にあまりに無茶振りではありませんか?
「まあ私が話している間、魔王様が素直に書類を読んでいてくれるなら吝かではないが……。ああそう、申し遅れたが私はルキフ・フォカレ。魔国の宰相を務めておる」
「あら宰相なら私の知り合いにもいるわよ。大海を治める可愛い女宰相がね」
なんでそんな対抗的なんですか姉上。
「私が結婚したのは……、もう何十年前になることか。仕事が忙しくて婚期も逃しかけていたところを、周囲から強く推されて見合いで結婚してな。相手はそれなりに豊かな上位貴族の御令嬢であった」
「けっこういい条件で結婚なさったのね」
「これでも新進気鋭の名官僚だったのでな。当時の魔王の下で大量の仕事を回していたし、出世も早かったから有望株と思われたのだろう。案外縁談は多く舞い込んでいた。決めたのはその中の一件というわけだ」
当時の魔王って……もしやさっき話題に上がったばかりの……?
「それでも結婚して特に変わったことはなかったがな。あの当時の魔王は相変わらず思い付きで大量の仕事を回してくるので、それに追い回されての毎日であった。やっと仕事に一区切りがついて、二年ぶりの休日を取って帰ってみたら……」
「二年……!?」
「屋敷はもぬけの殻であった」
結婚した奥さんは、既にその時から一年近く前に愛想を尽かして実家に帰ってしまったらしい。
既に離縁の手続きも終えられて、宰相殿は結果をただ受け取っただけ。
「まあ、ある意味当然だと思ったがな。仕事ばかりにかまけて一年以上も顔を合わさぬ夫など見捨てられて当然よ。事実を突きつけられた時はショックであったし、彼女に悪いとも思った。しかしまあ本当に驚いたのは、そのあとに起こったことであったが……」
「な、何なんです……?」
「彼女が、魔王の第十九妃として輿入れしたのだよ。もちろん私と正式に離縁したあとでな」
あのクソ先代ぃいいいいいいいいッッ!?
さすがにおれも叫ばずにおれなかった。
それってアレだろう!? さっき魔王殿が言っていた、色んな女に手を出しまくった先代魔王のことだろう!?
何をやっとるんだソイツは!?
「聞いてもないのに色々吹き込んでくるヤツが多くてな。私が職務に忙殺されている時から交渉があったらしい。彼女は、私の留守中の暇潰しに夜会やら茶会に渡り歩いていたらしいからな。そういうところは遊び好き魔王のテリトリーよ」
「あの……何か……ごめんなさいね?」
「いやいや、すべては仕事の忙しさにかまけた自分が悪いのよ。まあその忙しさを作った元凶も当時のクソ魔王だったがの」
さすがにマリー姉上もいたたまれない表情になって謝罪する。
私だってどうしていいかわからず胸が締め付けられるようだ。
さらに書類に目を通していた魔王殿が顔を上げて。
「……今の話は我も初めて聞いたが……ルキフ・フォカレは親父殿のことを殴った方がいいと思うが?」
「言われるまでもなく殴ったことはありますとも。現役時代に五回、あの方が退位されたあとも三回ぐらいは殴りましたかな?」
「もっと殴っていいと思うぞ?」
おれも心から同意した。
「まあ、あの方には、自分が病気なりなんなりでいよいよ死ぬ時になったらその寸前にナイフで突き刺していいと許可を貰っておりますし、それで納得することにしております」
「我が許可するから今すぐ刺していいぞ」
「そんな時間があるなら仕事をしておった方がいいですな。何しろ今は、進める事業のすべてが魔国のためになると確信できるものばかりですので、やり甲斐はこの上ない」
こんなになっても人のために一心不乱に仕事に打ち込めるなんて、何という人だ……!?
今回は結婚の話を重点的に聞くはずだったのに普通に尊敬してしまった。
「私はそういうのに縁がないのでしょうな。それならそれでいいことです。本当に仕事にも家庭にも縁のある者はホレ、あそこにいますでな」
部屋にある窓から外を見ると、息を弾ませ道を走っていく人影があった。
あの顔には見覚えがある。いつだったか我がダンジョンを攻略したクローニンズの一人ではないか?
窓越しの遠い距離ではあるがドラゴンの聴覚をもって『よぉーしッ! 今日も仕事を頑張るぞぉーッ!!』という声が聞こえた。
「くふふふふふふ……! 幸せ者が走っていくわ。幼少からの想い人と政略で結ばれた幸せ者がのう。これからの魔国はああいう手合いが増えてくれた方が健全でよいわ」
などと言って不敵に笑う魔族の宰相に、ドラゴンであるおれまでもが圧倒されるのだった。