751 悩まない男たち
私の名はオルバ。
栄えある魔王軍の上級士官である。
具体的な役職は四天王補佐。
魔王軍の頂点に立つ四天王、さらにその中でトップに躍り出た魔軍司令ベルフェガミリア様から直接指示を受ける立場。
最出世というべきだろう。
軍部においてこれ以上のポストは、四天王それ自体しかない。
年齢やキャリアによっては、ここを『あがり』としてもいいぐらいの優良席であるが、私個人としてはまだ若く、またそれなりに有名な貴族出身でもあるので、さらに上の四天王まで狙えるとはいわれている。
しかしそうした恵まれた環境に反し、私はいましばらくして魔王軍を去る予定だ。
退役の理由は結婚。
普通寿退社といったら女性がするのではないか? と言われそうだが私に関しては色々特殊な事情があった。
まず先の話にも出たように、私の出自が貴族にあること。
しかも魔国においては中々由緒正しい名家なので、しっかりと管理し次代へと受け継いでいかねばならない。
私自身、魔王軍での実務で充分に経験を積んできたので、そろそろ本格的に当主となってお家を守る義務を果たさねば……という段階に入ってきたのだ。
そのきっかけとなったのが、私の結婚。
そうこのたび結婚することになった。
その相手というのが中々に特殊な例で、私が当主としての仕事に専念せねばならなくなった理由の一旦となっている。
そんな私の愛しいフィアンセ、バティというのがかつての同僚。
退役前の彼女も四天王補佐の役職についており、今は魔王妃であるアスタレス様の補佐官を務めていた。
平民からの叩き上げという異色の経歴で、対して『お家の七光り』で出世したとよく言われる私にとってはコンプレックスの対象ですらあった。
しかしながら機転の利く判断力と気さくな態度で、補佐官としても目覚ましい活躍を見せて、私とも両四天王を繋ぐパイプ役としてすぐさま親しくなった。
彼女の上司が四天王から降りたのを機に、彼女自身も補佐官だけでなく軍自体から脱退。
野に下りかねてからの夢であったという仕立て師の職に就いている。
結婚相手としての彼女は、実のところかなりの優良物件。
平民といえど、魔王軍で四天王補佐にまでのし上がった経歴は強く、それに加えて直接仕えた四天王が今や魔王妃として輿入れしている。
魔王室と直接のパイプがある。魔族上流社会においてこれ以上のステータスはなく、もし彼女が社交界に出ていれば、それこそ求婚は引きも切らないであろう。
しかしそのすべてを彼女は拒絶する、と断言できる。
私以外の男になど興味がないから?
いやいや……いくら何でもそこまでいい気にはなれない。
彼女には、貴族の奥様として収まりきれない理由……夢があることを知っているのだ私は。
子どもの頃からの夢であったという、服作りの仕事。
退役してようやく実現できた夢。その活動は好調で、今や彼女の作り上げる衣服は有名ブランドとなって魔国の流行最先端をひた走っているという。
そんな絶好調の彼女といえども、貴族と結婚したなら仕事は辞めねばならない。
上流階級の奥方が、手の職を持つなどはしたない。
そんな風潮が今なお蔓延しているのだから、そんな窮屈な枠に彼女が収まりきれるわけがなかった。
彼女に交際を申し込み、ながらく恋人としての付き合いを続けながらなかなか結婚まで踏み込めなかったのにも、そこに理由があった。
そうしてグズグズしているうちに大きな動きがあって、ドラゴンが襲来し魔王様がお認めになったことで結婚成立。
どういうこと?
何が起こったの?
と問い返したくもなったが、とにかく私とバティの結婚がなんかそれで公になった。
一番懸念していたバティの結婚後の仕事も続けていくことができて、私としても一安心と言ったところだ。
魔王様曰く、人族との戦争が終わり融和政策も進む昨今では、戦いに向けられるエネルギーも減り、余剰を引き受ける受け皿が必要とのこと。
これからは貴族の奥方と言えども手に職を持ち、家計を支える助けにならねばならん、ということらしい。
私もその意見には大いに賛成で、バティが私と結婚したあとも服作りの仕事を続けてほしいという私の希望に大いに適っていた。
また、平和な時代に即した軍縮というテーマも、退役して当主としての役割に打ち込もうという私には都合がいい。
軍縮はもう数年前から始まった事業であったが、その流れは今なお継続している。
だからこそ私の退役もスルリと承認されたのだが、それにも我が上司たるあの御方の影響が色濃いと言わざるを得なかった。
そう、日頃から面倒くさがりのあの人が、部下の一人を引き留めるのに躍起になるわけがないのだから……。
* * *
そして某日。
喫茶店『ラウンジアレス』にて……。
「ではオルバくんの前途を祝しまして……」
「かんぱーい」
……。
我が上司ベルフェガミリアの主催による、私の送別会が行われていた。
しかし送別会が喫茶店ってどういうこと?
「えー? だって本格的にしたら舞踏会だの晩餐会になっちゃうじゃん? 招待客も呼ばなきゃだし、それらも派閥と照らし合わせて吟味したりとかして面倒くさい」
「ガチで面倒くさいヤツ!」
そんな正真正銘言面倒くさいのをウチのベルフェガミリア様がやりたがるわけもないよな。
だからと言って喫茶店は砕かせすぎではないでしょうか?
酒すら出ねえ。
「何、惜別をコーヒーの味で彩るのも乙じゃないか。この苦味は人生の味だよ」
「適当なこと言いやがって……!」
しかし軍から去ることによって、これ以降ベルフェガミリア様の面倒くさがりに振り回されることもなくなる。
それだけは心よりホッとするが……。
「ベルフェガミリア殿からの解放おめでとう」
「ど、どうも……!?」
「これでこの自由人を留める鎖が一本失われたということか。私の四天王としての役割が益々重要性を増したということだ……!!」
「あとはよろしくお願いします」
そんな『おめでたい』と言いながらまったくおめでたくなさそうなオーラを噴出しているのは、さらなる四天王の一人『貪』のマモル様。
私同様ベルフェガミリア様の面倒くささに振り回される苦労人の一人だ。
これまでは私とマモル様とで協力して何とかベルフェガミリア様に仕事させたり、サボり中なのを見つけ出して連れ戻しもしたが……。
これからはマモルさまの負担が益々増えていくわけだ。
苦労の多い人だな……。
「まあキミにとっては栄転と言っていい退任だからさ。心から『おめでとう』とは言うよ。それに対して私自身の未来を思うとねえ……!」
「これからもベルフェガミリア様をよろしくお願いします……!」
「それだと私とベルフェガミリア様が結婚するみたいじゃないか……!?」
ちなみにだが、魔王軍の頂点マモルさまもベルフェガミリア様も既婚である。
双方実力を見込まれて貪聖剣ツヴァイブラウ及び堕聖剣フィアゲルプの継承家系に婿入りした、入り婿四天王だ。
ゆえに夫婦生活の酸いも甘いも、若僧の私などより断然知り尽くしていると言っていい。
人生の先輩。
ここで少しは夫婦円満の秘密をお教授願いたいところだが……。
「面倒くさい」
「苦労が多い」
まともに聞き出すのは難しそうだった。
「しかしまあキミも面倒そうな物件を嫁に迎えたよね。かつての冷血将軍アスタレスの副官殿だろう? 上官の冷血ぶりがどれだけ移っているかわかったものじゃない」
「アスタレス将軍が冷血であったのは戦場でだけでしょう。いまやどこをとっても非の打ち所のない堂々たる国母です。それにウチのバティは冷血どころがむしろ情熱的ですよ。仕事に関しては特に」
「だからあえて魔王軍人の座から退いたってのかい? キミほど優秀なら当主との兼業は普通に可能だ。そのまま堅実に勤め上げていれば四天王を狙える目もあったというのに」
「それにはやはり妻のサポートが必要になります。私は逆です。妻のサポートをしたいのです」
これからの平和な時代に軍部の長にのし上がったところで所詮は名誉職。
むしろバティが作り出す衣服を世界中に広めていくことの方が時代に適合して貢献しているのじゃないかと思えてくる。
「ウチの母も、その考えに同意してくれています。長年貴族社会で生きて古い魔族かと思っていましたが意外にすんなり受け入れてくれましたよ」
「息子可愛さに折れたんだろうよ。その代わり嫁への風当たりがどうなるかわからんから精々注意しておくことだ。まあ婿入りの我々には縁のない話だがね」
嫌なこと言うなあ……。
たしかに結婚後のトラブルというのは嫌というほど耳にするものだが。
嫁姑問題ももちろんのことだが、性格の不一致とか経済問題とか。
……。
なんだか不安になったところで目の前に既婚者が二人もいる。
この人生の先達から何かアドバイスでももらえないことだろうか。
「……お二人にとって結婚とはいかがなものでしょう?」
「うーん?」
ベルフェガミリア様とマモル様。
二人はそれぞれ考え込むような顔つきで……。
「結婚なんてするもんじゃないな!」
「結婚はいいぞぉ……!」
それぞれ真逆の結論を突きつけてきた。
どっちよ?
ちなみに結婚否定派がベルフェガミリア様で、結婚肯定派がマモル様である。
「結婚するとなあ……何というか人生が満ち足りるんだよな! 生きる目標も明確になる! 妻と子どもを守るためにより一層働くぞ! という気持ちになる! 若者よ安心しなさい、結婚はキミの人生を豊かにするだろう!」
「マモルくんは政略結婚とはいえ相手が幼馴染だからねえ。ロマンも実利も全部込みの結婚なんてそう滅多にないだろうよ。オルバくん、コイツの口車に乗らない方がいいぜ。コイツは苦労人に見せかけた世界トップクラスの果報者さ」
聞いて却ってわからなくなってきた。
まあ、いいさ、夫婦の形は人それぞれだし、私は私で他にない夫婦の形うを彼女と築き上げていくとしよう。