1046 もっとも晴れやかな日
その日、世界がもっとも幸福に包まれた日だったかもしれない。
世界中で多くの赤ちゃんが生まれ、そのすべてが健康だった。
出産後、健康に不調があった母体もなく、ほぼ例外なく健康。
この世界を生きる新たな生命が、一気にドンと数を増やしたのだ。
ウチの子ショウタロウもその一人。
兄にあたるジュニア、ノリトも弟の誕生に大いに沸いた。
「この子をラーフラと名付ける」
名づけないで。
ジュニアくん、三男は既にこの父が命名したので、勝手にラーフラ(障害)呼ばわりしないでお願いだから。
この子はキミの悟りの障害になったりしないから。
そもそも悟る気なのキミ、ねえ?
「ショウタロウがおとこの名前でなにが悪いー!」
悪くないよ、何も悪くないよ!!
ノリトも何でもミームに当てはめる癖をやめなさい! 小児が陥る悪癖じゃないんだよ、それは!
もうちょう大きくなってからしなさい! 具体的には十四歳ぐらいに!
ふう……。
ウチの長男次男もすっかり濃い個性を獲得して……。
こんな二人の兄に続いて三男のショウタロウも独自の個性を獲得していくんだろうかこれから?
賑やかなことになりそうだ。
『あー、しんどかった! 疲れた疲れた、くたびれた!』
そう言ってこれ見よがしにやってきたのは出産を司る神エレテュイアさん!
お疲れ様でした!
この一ヶ月、アンタが一番輝いてたよ!
産土神の権能を獲得した大地の精霊たちの助けがあったとはいえ、一番最前線で激戦を繰り広げたのは本職にあらせられるエレテュイアさんだった。
アンタが間違いなくMVPだよ!
よく頑張ってくれた!
さあこの砂糖をたっぷり入れたエスプレッソでカフェインと糖分を補給してくれ!
『ごきゅっぐん!!』
うおおおおおッッ!?
一気に入った!?
『徹夜明けのコーヒーが胃に染みわたるわ……! 乾いた体が潤っていく……!』
お疲れ様でした!
本当にご苦労様でした!!
『……誤解しないでね。私だって出産を司る存在である以上、子どもも好きだしママさんのことも心から応援したいと思っているわ。毒母ヘラの都合に振り回されたこともあった。それがこんなにたくさんの出産を片っ端から守護れて、何か大事なことを思い出した気がしたわ……!』
エレテュイアさんが、修羅場を潜り抜けておかしなテンションになっていた。
『ありがとう、かつて確かに持っていたはずの重要なことを思い出させてくれて。私はこれから天界に帰って……泥のように眠るわ』
はい、しっかりお休みください。
安らかにお眠りを。
エレテュイアさんが始発で帰られたあと、大地の精霊たちもボツボツ帰還し始めた。
「ひとしごと終わったですー」
「やり遂げたじっかんですー」
「やり甲斐こそがほうしゅうですー」
さすがに元気いっぱいの精霊たちも、人の誕生を守護する重要業務に神経を使ったのかお疲れムードだった。
たしかに疲れたろうな。
皆よく頑張ってくれた。
キミらをねぎらうためのご馳走もしっかり用意しておいた。
バター、二トンだ!
さあ、遠慮なく貪るがいい!!
「きゃあああああああああッッ!!」
「バターのおうちです! バターのお山ですぅうううう!!」
「遠慮なくむさぼりきこしめすですぅうううううッッ!!」
大地の精霊たちはバターが大好き。
もはや誰も覚えていない設定かと思いきや、しっかり活用されているぞ!!
今回大働きしてくれた大地の精霊たちのためにもガッツリとしたご褒美が必要と思ってな。
サテュロスのパヌたちにも協力いただいて大規模なのを作らせてもらった。
「バターの海に溺れるですぅうううううッッ!!」
「チーズにかじりつくネズミさんの気分ですー!!」
「チーズとバターは別物ですぅうううううう!!」
心底楽しんでくれているようでよかった。
このまま冬が来たら、大地の精霊たちはまた土に潜って眠りにつくからな。
大地の栄気そのものであり、四季の循環の中でもっとも力が低まる冬には休眠が必要なのだ。
その前にしっかりねぎらうことができてよかった。
* * *
そして、同じく無事出産を済ませた他の家庭を見ていくことにしよう。
一番近場だと俺たちの大事な仲間、オークボとゴブ吉の家庭だ。
……っていう言い方だとオークボとゴブ吉が一つの家庭を営んでいるようで語弊があるな。
そうではなくオークボの家庭と、ゴブ吉の家庭がそれぞれあるんだ。
そしてそれぞれに子どもが生まれた。
オークボのところはゾス・サイラが、それはもう珠のように可愛らしい女の子を生んだ。
ゴブ吉のところも女の子だったらしい。
華やかでよろしいことだ。
オークボもゴブ吉も、モンスターである自分が親になることに少なからぬ戸惑いを感じていたようだが、結局のところ生まれてきた子たちは、なんだかごく普通の人間に近い。
母親側である人魚の形質もどの程度受け継いでいるのか?
それを言うなら俺の子であるジュニア、ノリト、ショウタロウも今んとこ欠片も人魚らしさを発現してないんだが、そこのところはこれからどうなるかわからんよな。
オークボ、ゴブ吉各々の娘さんらもこれからどうなるかわからん。
皆で幸せな家庭を築きつつ、経過を見守っていきたいと思う。
そしてもう一組。
我が農場でお産に臨んだブラッディマリーさんも無事女の子を出産した。
史上初の、有性生殖によって誕生したドラゴン。
卵で生まれるの? と思ったら結局赤ちゃんとして生まれたようだ。
母ドラゴンが人間形態で出産に臨むと、人間形態の赤ん坊が生まれる模様。
その方が人からの介護なりを受けられて便利というのもあるだろうが、ドラゴンたち自身も便利な生き物だなと思った。
ただ実際に出産を体験したマリーさん、思った以上に大変な思いをしたようで。
「痛い! 苦しい! これなら敵ドラゴンのブレスをまともに浴びた方がいくらもマシ!!」
と喚き散らしておった。
「ニンゲンはこんなに苦しい思いを皆してるの!? 凄すぎるニンゲン! 私もう二度とニンゲンを見下さないわ!!」
皆ってことはないですけどね。
少なくとも全人類の二分の一は、生みの苦しみを経験することなく一生を終えるわけだし……。
そして一方、父親となったアードヘッグさんは大喜びで、我が娘を抱きしめながらむせび泣いていた。
やはり見た目通りの子煩悩だった。
早速その場で名前を付けることとなり、ドラゴンの新時代を切り拓くであろう幼子の、記念すべき命名の儀が執り行われる。
まずマリーさんの発案で……。
「私とアードヘッグの第一子なのよ! それこそ空前絶後最大最強の、頂点に立つべき象徴であることを直感的にわかる名前にしないといけないわ!」
と鼻息荒く語る。
出産を済ませた直後だというのに、やはりドラゴンは体力もバケモノだった。
「そこで私が考えたのは! スーパーデンジャラスハイビートマーベラスウルトラレジェンドオールマイトドメスティックデンジャラスハイパースーパーファイヤーサンダーアトミックロマンティックオールフォーワンダホー……!!」
はい、そこまで。
そんなジュゲムジュゲムみたいなやめましょうよ。
キラキラネームだってもうちょい控えめだわ。
このままマリーさんの案を押し通したら、きっと物心ついたあとのお子さんに恨まれるだろうので、ここはアードヘッグさん。
皇帝竜であるアナタに一つ、名づけのお手本を見せていただきたい!!
「ええええッ!? 名前!? 名前えーと……!?」
突然振られたアードヘッグさん、しどろもどろに熟考しながら……。
「……アドッ、いや……ボウアというのはどうだろうか?」
はい、よいです決まり。
マリーさんとアードヘッグさんとの間に生まれた新たな命は、ボウアちゃんと名付けられた。
グリンツェルドラゴンのボウア。
彼女がこれからのドラゴンの歴史にどんな一文を書き加えるのか、今はまだわからない。






