獣人の少女
「こいつぁ驚いた…」
低く、いかつい声だった。木にもたれかかり、意識を失っているハルカを見て男が驚きの声を上げる。
「ブラックハウンドを見事な一撃で倒したのが、こんな姉ちゃんだとはな」
少々珍しい服を着たハルカをジロジロと眺める。ブラックハウンドは動きも素早く、リーチの長い尻尾の攻撃がかなり厄介な相手だ。それを一人で、あんなナイフ一本で倒し切るとは、腕の良いハンターなのだろう。死なせるには惜しい人材だった。
筋肉質でゴツイ身体つきをしたその男は、身をかがめて彼女の傷の具合を確認すると、傍らで必死に血を止めようと傷口を押さえ続ける幼い少女に声をかけた。
「ヴェチカ、もういい。手をどけろ。あ~、エナルセル!こっちだ。急いで来やがれ!回復薬を飲ませてから傷の手当てをしてやってくれ」
ヴェチカと呼ばれた少女は不安げな表情を浮かべながらも、手をどけてハルカの顔を覗き込む。かすかに呼吸音は聞こえるが、それは非常に弱々しかった。
「このお姉ちゃん、大丈夫かな?」
エナルセルと呼ばれた男が息を切らせながら駆けつけ、彼女に薬を飲ませるのを見ながらヴェチカは呟いた。
「ブラックハウンドにやられた傷はち~と厄介だからなぁ…随分血を失ってるみてぇだし、本人の体力次第だろう」
「………」
ヴェチカがすがるように男のズボンを握りしめる。
「心配するな。見たところ、この姉ちゃんもお前と同じ[イアハウト]だ。回復薬がよく効くだろうよ。…それよりお前も傷の治療をしとけよ」
ブラックハウンドの咆哮に驚いて手を滑らせ、手に切り傷を作っていたのを男は見ていた。
「うん。でももう平気…」
「そうか…、とりあえず当初の予定は全部中止だ。ラッセたち3人はもう一度この先の森の探索を頼む。ヴェチカはこの後…そうだな、しばらく姉ちゃんを見ててやれ」
周囲の警戒をしていた男たち3人にも声をかけ、これからの行動についてテキパキと指示を出す。
ハルカとブラックハウンドの戦闘が決着してから、そう時間を置かずにヴェチカ達が駆けつけられたのは、偶然に依るところが大きかった。
彼女が夜明け前にしか採取できない薬草を取りに行きたいと言い出さなければ、ブラックハウンドの咆哮に気付いてこの砦に駆けつける事は無かっただろう。
「姉ちゃん、運が良かったな」
男は治療の終わったハルカを抱き上げると、砦の中へ入っていった。
(ん…あれ?あの黒いエネミーはどうなったんだっけ?)
ハルカは意識を取り戻してから真っ先にその事を頭に思い浮かべた。どうやらしばらく眠っていたらしい。目を開けると見覚えのある天井が目に入った。
(廃砦の中?)
ゆっくりと上半身を起こす。上に掛けられていた毛織の掛物がずり落ちた。露わになった右脇腹には包帯が巻かれている。
(誰かに助けてもらったみたい…)
ふと左手が何かに包まれている事に気が付いた。
そこには小さな手で彼女の左手を握りながら、ベッドに顔を伏せて居眠りをする、幼い少女の姿があった。
少し薄めの栗色の髪から猫のような耳が突き出ている。加えて腰のあたりからはふさふさの尻尾が出ていた。まさにファンタジーの世界を題材にした漫画等でよく見る獣人そのままの姿だった。
「か、可愛いい…」
幼女は穏やかな寝息を立ててよく寝ている。ハルカは我慢できずに、恐る恐る頭を撫でてみた。柔らかい耳が心地いい。まさに極上の手触りだ。いつまでも撫でていたかったが、撫でまわしすぎたせいか、幼女は目を覚まし彼女を上目使いに見上げた。
「お、おはよう…」
なんとなく気まずくて、ぎこちなくハルカは挨拶をした。
『☆*○$@+○#△●、#*◇$▼+@+*…』
飛ぶように立ち上がった幼女が何事かを喋りかけてきているようだったが、ハルカには何を言っているのか理解出来なかった。
「ご、ごめんね。なんて言ってるのかわからないの」
ここは恐れていた言葉の通じないタイプの異世界のようだ。どうしよう?ハルカが迷っていると、幼女は踵を返して部屋の外へ駆けだして行った。
暫くすると、彼女は筋肉隆々のゴツイ男を連れて戻ってきた。この男の頭にも獣耳が存在している。同じく獣人のようだ。父親なのかもしれない。
『☆*○$@+○#△●』
男に声をかけられるが、やはり解らない。
「え~と、どうも言葉が通じ…」
喋っている途中で視界の隅にシステムメッセージが表示される。
-翻訳機能をオンにします-
それはゲームの中で外国語が話せないプレイヤーに提供されていた機能だった。
(たいがいの言語に対応していたけど異世界でも使えるのかな?)
そう疑問に思った彼女に男の声が響く。
「これってアースリングの言葉か?困ったな…俺たちに喋れる奴はいないんだが…」
「あ、分る…」
彼らの声が意味を持つ言葉として聞こえてきた。
「俺はアルゴだ。クラン・銀の咆哮の頭をやってる。こっちの小さいのはヴェチカだ」
「私はハルカ。今回は助けてもらったみたいで、その…、ありがとう」
言葉が通じると分ってほっとした両者は、お互いに自己紹介をしあった。
「礼ならヴェチカに言いな。コイツが我儘言わなきゃ、この辺りには来てなかった」
少し恥ずかしいのか、ヴェチカはアルゴの影からこちらを伺うように見ていた。
「そうなんだ。ありがとうね」
そう言葉をかけると、ヴェチカは頬を染めて頷いた。
「それにしてもすごい回復力だな。いくら[イアハウト]だって言っても、こんなに短時間で回復する奴は初めて見たぜ」
彼の言葉の中に聞きなれない単語があった。
「あの…[イアハウト]って何?」
「何って…知らないのか?そういや姉ちゃん一人か?仲間はどうした?」
質問に質問で返された。常識的に一人で行動はしないものなのだろうか?トラブルを未然に防ぐためにも、ここは記憶喪失の線で行くしかないかと、ハルカは腹を決めた。
「その…、海で溺れたみたいで…気が付いたらこの先にある海岸の砂浜に倒れてたの。なんだか以前の記憶はあやふやで…よく覚えていないわ」
おそるおそる答える。
「海流にもまれて頭でも打ったのかもしれね~な。このあたりの海路はよく荒れるし…、船から落っこちたんなら捜索願いが出てるかもしれん。街に戻ったらギルドで聞いてみてやるよ」
アルゴは気の毒にといった表情でハルカに言った。
「で、[イアハウト]だったか…、昔、東から海を越えて渡ってきた星渡の民の子孫をそう呼ぶんだよ。姉ちゃんみたいにちょっと変わった服やら武器やら受け継いでて、傷の治りが早かったり、薬が効きやすかったりするのが特徴だな。このヴェチカもそうだ」
そう言ってヴェチカの頭を撫でる。
「姉ちゃんもその回復力からしてイアハウトなんだと思うぜ。着てる服もめずらしいしな」
アルゴの話の中からもう一つ気になる単語が出てきた。
「イアハウトに…星渡の民」
アースリングというのは、おそらくプレイヤーの事だ。やっぱり自分以外にもこの惑星に降りる事が出来た人達がいる。ハルカの中にじわじわと喜びが広がった。
「そのアースリングに会う事ってできるかな?」
アルゴに聞いてみる。プレイヤーなのだとしたら、ぜひ会って話がしたかった。
「ご先祖様に興味を持つのも解らんでもないが…ん~~、まだ何人か生きてるって噂も有るが…どうなんだろうな?長命種のエルフでさえ1000年生きたって話は聞かないからな」
突飛な質問に困ったようにアルゴは答えた。
「え?アースリングがこの大陸に来たのって…」
「今が皇紀957年だから、ざっと数えても1000年以上前って事になるな。」
ハルカは眠っていたポッドから冷気が漏れていた事を思い出した。そして、惑星へ降下できない脱出艇、AIからのエネルギー切れのメッセージ…自分は1000年もあのサテライトベルトで救助を待って眠らされていたのだろうか?
彼女はベットに座ったまま呆然としていた。アルゴがまだ何か話をしていたが、まったく耳に入っていなかった。