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噴炎


「それでは、ハリエット様も基礎訓練から始めてみましょうか」

 白のローブを着た、まるっきりサンタクロースみたいな風貌のダライアス先生が、ふぉっふぉっ、と笑いながら長くて白い髭を撫でる。今すぐ赤い服を着せたい。

「慌てず、ゆっくりですよ」

「はい」

 わたしは杖を握りしめ、三年ぶりに訓練場に立った。

 前は失敗したけれど、もう大丈夫。わたしはやれる子だ。

 動きやすいよう、兄のお下がりの服に着替えて髪もポニーテールにした。朝食後、ベティに頼んで結わえ直してもらったのだ。彼女の口惜しそうな顔と言ったらなかった。

「訓練だから仕方ないでしょう」と説き伏せると、ベティはまったく納得していない表情のまま、「では、せめてこれを……」と赤いリボンを結びつけてきた。

 そのくらいで気が済むならと彼女の好きにさせたわたしは、頭に大きなリボンを付けたポニーテール姿の自分を鏡で見て、ガッカリした。

 似合っていないわけではない。むしろ、この派手な顔によく映えている。似合い過ぎている。

 今日も元気にナチュラルボーン悪役令嬢のお通りだ。

 やはり問題は髪型ではなく顔の造形なんだと実感した。

 特にいけないのは、この目よ。

 赤いツリ目って、それだけでとにかく意地悪そうに見えちゃうんだもの。せめて緑や青色の眸だったら、もう少し柔らかな印象を与えられたはずなのに。

「さあ、杖を構えて……深呼吸です」

「はい、先生」

 わたしの顔面についての話は、とりあえず一旦保留にしておこう。とにかく今は杖先に集中だ。

 魔法が使えないと分かってからも手放すことが出来ず、たまに箱から出しては眺めていたわたしの杖。飴色で、繊細な彫刻が施されていて、柄の部分には真紅の宝石が嵌め込まれている。

 悲しいくらい綺麗なままの、杖。


 ――待たせてごめんね。やっと出番だよ。


 隣ではギル様がわたしの手元を注視している。彼の前で無様な姿は晒せない。

 全身に魔力を行き渡らせる。大丈夫、何も怖くない。自分の身体を、温かな風が取り巻く。髪が揺れ、シャツが小さく膨らむ。力が漲るのが分かって、心が浮き立った。

 やれる。

 今度こそ、わたしはやってみせる。

 指先まで浸透させた魔力を杖先に送り込み、心を繋ぐ。

 杖と魔力と心。この三位一体によって魔法が生まれるのだ。

 座学は完璧、あとは実践あるのみ。

「燃えろ!」

 ここだ!と言う最高のタイミングで、わたしは杖を振り上げた――



 ポヒュッ

 


 ……はずなんだけど、なんか間の抜けた音がしただけで終わりました。一瞬だけ杖の先端から火花っぽいものが出た気がするんだけど、それが何だと言うのだろうか。

「嘘みたい」

「……それはこちらの台詞だ」

 横で見ていたギル様が眉間を抑えて小さく呻いた。

「さーせん」

 思わずポロリと仮面が剥げ落ちましたよね。

 なんでよ。なんで火が出てこないのよ。杖の先端をマジマジと眺める。

「湿気ってんの?」

「そんなわけあるか」

 ギル様から貴重なツッコミを頂いてしまった。ありがたいんだか、悲しいんだか。

 杖の先っぽでこめかみを掻く。

「ハリエット」

 兄がわたしの手を取り、再度杖を構えさせる。顔が近い。なんか良い匂いがする。やめてお兄様、妹を無駄にときめかせないで。

「もう一度やってみろ」

「は、はい!」


 ペフッ……


「もう一度」

「おす!」


 プヒッ……


「もういち」

「へい!」


 パホッ……


「…………」

 もはや、誰も何も言わなくなってしまった。訓練場に沈黙が落ち、わたしの手からも杖が落ちる。わたしがその場に崩れ落ちずに済んだのは、兄が手を握ってくれていたおかげだ。

 だけど、心はもうバッキバキのベッキベキであった。ユンボで解体されたレベルで更地にされている。おかげさまで、だいぶ見晴らしが良くなりました……

「うぇっ……」

 じわりと涙が浮かぶ。

 ままならない現実に直面したとき、精神年齢は大人なのよと強がってはいても、所詮わたしは八歳の子どもなのだと痛感する。

 これは悔しい。とても悔しい。お兄様に良いところを見せて、落ちこぼれの汚名を返上する作戦が台無しだ。きっと今、わたしたちの間には埋められない時の川が流れているだろう。兄の心が亜光速で離れて行ってしまう。

「泣くな。これ以上の恥を晒してどうする」

 相変わらず言い方は厳しいけれど、杖を拾ってわたしに握らせてくれるギル様の手には気遣いがある。

 もしかするとこの人、案外面倒見が良いのかも知れない。――ひょっとして、実はわたし、そこまで嫌われてないの……?

 言葉の選択は本当にナイトメアレベルだけど、さっきも今も、こうして手を握ってくれている。

 温かくて心強い。兄の手は、もっと冷たいと思っていた。


 とは言え、上げてから落とされた心の傷は深い。

 悔し涙はそう簡単には止まらないのだ。


 だって、だってわたしは――


「わたしは!! やれば出来る子なのにーっ!!」

「……それを自分で言う奴は初めて見た」

 疲弊した様子で兄が呟く。次いで、サンタ先生が口髭を指先で撫でつけながら穏やかに告げた。

「お嬢様、杖を置いてみましょうか」

「……杖を?」

 わたしの鼻声と、兄の声が重なる。

 杖を置けだなんて、わたしってばそんなに魔法の才能がないのだろうか。だからサンタ先生にも匙を投げられるの?

 思わず兄を見上げる。不安に揺れる涙目のわたしと、眉をひそめた彼の思案げな目が交差した。

「ダライアス先生……」

 兄の呼びかけに、お髭の老師はにこやかに頷いた。

「ごく稀に、杖を使えない魔法使いがいるのですよ」

「えっ?」

 何それ、そんなの教科書のどこにも書いてなかったし、魔法学の先生も教えてくれなかったわよ。

 魔法使いと言えば杖が付き物だ。杖無しで魔法を振るってる人なんて、今までに見たことがない。

 杖と魔力と心の三位一体はどこに行ったのか。いきなり定石ぶち壊しにくるのはやめてください。ビギナーには教科書の知識だけが頼りなのよ。

「本当に、ごくごくレアなケースでしてね」

 灰色の目を茶目っ気たっぷりにウインクして見せたサンタ先生が、戸惑うわたしの手からそっと杖を抜き取る。

「さあ、そのまま手のひらに意識を集中させてごらんなさい。指先でも良いですよ。魔力を染み渡らせて、心に繋ぐのです」

「はい! サンタ先生!」

「ダライアスですぞ」

 言われた通り、魔力と心を繋いで意識を集中させると、昨日の夜と同じようにお腹の底で熱の塊が生まれ、ぐつぐつと血の沸いてくる気配を感じた。

 手のひらに熱が溜まる。

 火の加護を受けたわたしは、もう二度と火では死なない。

 死んでたまるものか。

 あの夜に死んだ“わたし”の、人生最期にして最大の怒りをこの一撃に込めて――気付けば声の限りに叫んでいた。



「非常口の意味を知れェエいッ!!」



 わたしの感情と比例するように、勢い良く火柱が天を衝いた。うねり、回転し、訓練場の床石をメキメキと捲き上げながら燃え盛るそれは、竜巻に似ているけれど非なるものだ。

「ひええ……」

 自分で生み出しておきながら情けない声が漏れる。

 完全にやり過ぎだ。

「これはまた派手にやりましたなあ」

 火炎放射器が子どものおもちゃに思えるような火災旋風を見上げながら、白いローブを赤く染めたサンタクロースだけが呑気に笑った。




◆




 先生の保護魔法のおかげでわたし達は怪我こそしなかったけれど、訓練場自体に仕掛けられていた防護魔法は、わたしの炎が一気に焼いて吹き飛ばしてしまったらしい。

 石床が抉られ、丸焦げになった訓練場を前に、土下座したい気持ちでいっぱいになる。

「この度は、なんとお詫び申し上げたらよいか……」

 項垂れるわたしに、先生は「とんでもない」と目を丸くした。

「気に病む必要などありません。素晴らしい才能ではないですか」

「でも……」

「心のコントロールさえ出来れば、ハリエット様は最高の火炎魔法の使い手になれるでしょうな」

 嬉しそうに灰色の目をキラキラさせる先生に、魔法オタクの気質を見る。元オタク仲間として、彼の言葉に偽りのないことは伝わった。

「ありがとうございます、サンタ先生」

「ダライアスですぞ」

「でも、なぜ魔力じゃなくて心のコントロールなのですか?」

 小首を傾げたわたしに、先生は鷹揚にかまえてお髭を撫でた。

「見たところ、ハリエット様の魔力循環に問題はありません。であれば、調整すべきは心の方かと」

「……なるほど」

 言われてみれば確かに、感情のまま魔法を放った自覚はある。思えば昨日も腹の底から怒りが湧いて、気付けば天蓋が燃えていたっけ。

 つまるところ、わたしの魔法は憤怒に支配されていることになる。


 わたしはシヴァの化身か。


「ひとまず休憩に致しましょうか。その間にここを修復しておきますよ」

「お手数をお掛けします……」

「なんの」

 サンタ先生は、まるで子どものイタズラみたいに笑ってくれるけど、屋敷の一角を焼け野原にしたわたしの罪は重いし、肩身も狭い。

 訓練場の隅に設置された休憩スペースへ兄と並んで戻る途中、いたたまれずに口を開いた。

「……お兄様、申し訳ありません」

「何がだ」

「わたくしのせいで訓練を中断させてしまいました」

 お邪魔はしません、なんて言っておいて、結局思いっきりギル様の邪魔をしてしまった自分が情けない。

 ショボくれていたら、「うっとうしい」と両断されてしまった。

 匠の斬れ味だ。

「魔法が使えなければ泣くくせに、使えたら使えたで今度は落ち込むのか。意味が分からない、おまえは何がしたい?」

 厳しい視線がわたしを貫く。

 けれど、真正面から受け止めた兄の目には、恐れていた嫌悪も侮蔑も宿ってはいなかった。

「ウジウジするなら他所でやれ、目障りだ」

「ギ、お兄様……」

 真摯であるがゆえに容赦なくザクザク刺さるギル兄さんのありがたいお言葉を要約すると、「失敗なんて気にするな、魔法が使えたことを素直に喜べばいい」となる。

 言葉の棘に覆われた荊の森を掻い潜った先で、わたしはいよいよ対ギル様翻訳スキルを会得した。

 素直じゃないのは一体誰だと言う話だけれど、もはやこの回りくどさと鋭利さがギル様の持ち味なので、そのままの君でいて欲しい。

 ヒロインになんかデレないで!


「分かりました! わたくし、この地を焦土と化するつもりでこれからも精進します!」

「勇んで覆轍を踏みに行くな、バカ!」


 ――お兄様、難しい言葉をご存知ですのね。




 

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