第7話 男二人で繰り広げられる共同生活について
「うぐっ……」
「もうお目覚めですか? 回復が早いですね」
頭部に鈍痛を感じながら真琴は目を開ける。頭の上からかけられる冷めた声。その声の主を思い出し、真琴はとっさに上半身を跳ね起こし、手で剣を探った。
「そう怯えなくとも殺しはしませんよ」
「俺は」
イラの声を聞きながら真琴は周囲の様子を探る。場所は真琴がリリアーナに放置された居間。そこに置いてあるソファに真琴は眠らされていた。だが窓の外はすでに真っ暗になっている。
イラは真琴の前に良い香りのする紅茶を置くと、向かいのソファに腰かけた。
「状況説明をお望みですか? ならばしてあげましょう。君はリリアーナに拘束されてここ、新ロエ村に来た。あなたはここから出て行くと言った。しかし自分としても勝手にそんなことをされるのは困る。だから模擬戦で勝敗をつけて、もしあなたが勝ったら自分が責任を持つので勝手に出て行ってもいいと言った。それで戦いの結果ですが」
「お、俺は負けてねぇ」
真琴の言葉は弱々しい。ククとイラは冷笑した。
「意識を落とされてよくそんなこと言えますね。君は敵の目の前で気絶したんですよ。つまり生かすも殺すも自分次第。これを敗北と呼ばずに何と言うのでしょう」
「てめぇ」
「君は自分に負けたんです。だから自分は君を逃がさない。しかしまぁ、リリアーナの頼みでもありますので、自分が君に色々教えることにします」
イラは渋面を作る真琴に、指を一本立てて見せた。
「まずは一か月、ここにいなさい。今回の件はさすがにリリアーナが暴走しすぎです。自分の指導が君に合うのか否か。自分としても無茶を言われたことは分かっていますしね。一か月後、ここから出て行くかどうかを決め直すといいですよ」
どうせ人生は長いのですから、一か月なんてあっという間ですよ。というおっさんのその言葉には今までとは違い、わずかに温かみがあった。言っていることはまさしくおっさんのそれだったが。
バツが悪くなって真琴は出された紅茶を一気に飲み干す。喉が火傷しそうな熱さだったがお構いなしだ。
「……わかったよ」
飲み干したカップを荒っぽく机に置く。そしてそっぽを向いて、小さな声で真琴は答えた。
*
実のところ、真琴はイラのことを認めてはいなかった。イラに対しても負けたとは思っていない。確かに一対一の戦いでは敗北したが、それは真琴が苦手な対人戦闘での話。魔獣討伐になればまた違うはずだった。
けれど真琴がイラから逃げようと思っても逃げきれないであろうことは事実。その日真琴は居間のソファで眠り、朝日が昇ると同時にイラに起こされた。
「起きなさい。もう太陽は昇り始めましたよ」
「んだよ。まだ夜だろ?」
未だに寝ぼけている真琴の頭にイラは拳骨を落とす。
「イッてぇな!」
「いいから起きなさい。食事が片付きません。支度ができたら奥の台所に来てください」
そう言ってイラはクルリと背を向けて家の奥へと向かって行った。眠気に負けて、真琴はフラリと布団にまた倒れ込む。
「ああそうだ。二度寝したら食事抜きですから」
二度寝しようとした真琴を見透かすように、イラは背中越しに言葉を投げかける。真琴はドキリとして、布団をのけてソファから降りるのであった。
イラの家は昨夜真琴が寝泊まりした居間とイラが寝泊まりする寝室。それに料理を行う台所他、トイレなど水を扱う場所に作業場という造りでできている。男一人が暮らすには十分広いだろうが、二人となるとやや手狭だ。
イラは真琴を家に置くつもりのようだが、そのあたりはどう思っているのだろうか。普段着に着替えて台所に行くと、王都のそれとは比べ物にならない質素な料理が並んでいた。
固い乾燥した拳大のパンが二つに具材のあまり入っていない淡い黄色のスープ。その横に少ない量を誤魔化すかのように青々とした野菜がどっさりと乗っている。
「しけた飯だな」
「それについては申し訳ありませんね。まさか同居人が増えるとは思ってもいなかったもので。北の方に獣がいる森があるのでそのうちそこに狩りに行くとしましょう」
イラは苦笑する。てっきり真琴はイラが反論してくると思っていたので出鼻をくじかれた形だ。
「森? だとするとそこに魔獣とか出んの?」
「ええ出ますね。それも割と強力な魔獣もごくごくまれに出るようですよ」
椅子に座りながら問いかけるとそんな返事が返ってきた。魔獣という言葉を聞いて真琴は目を輝かせる。
「へ、へぇ。魔獣が出るならいつもはどうしてんの? やっぱり冒険者?」
「いえ大抵は村人たちだけで処理してしまいますね。強力な魔獣が出てくるのは本当に数年に一度程度で、基本的に大した魔獣が出てくるわけでもないので」
「ちぇっ。そうかよ」
もし高位の魔獣が出たらおっさんを見返せると思ったのだが残念だ。真琴は肩を落とす。気落ちした感情を振り払うように真琴は食事を口に運ぶ。
モシャモシャと野菜を口に詰め込んでいると、すでに食事を終えていたイラが口を開いた。
「さて、ひとまず一か月と時間を区切ってあれこれと指導を行うわけですが、その前に生活のルールを決めておきましょう」
「ふーふ?」
口にものを入れたまま真琴は首を傾げる。
「はい。例えば起床は日の出と同時。就寝は日が落ちて三時間以内とかそういうものです」
「もがぁ!?」
「まずは口の中のものを飲みこんでください」
呆れた口調で言われた真琴は急いで口の中のものを飲みこみ、もう一度ご丁寧に「はぁ!?」と言い直した。
「いや早すぎんだろ!?」
「別に早いことはないと思いますが。自分はいつもそのくらいの時間に起きていますし、暗くなったら眠るのが人として当然のあり方です。君だって冒険者をやっていた時は早寝早起きだったでしょう?」
「そりゃそうだけどさ」
確かにイラの言う通り、真琴も冒険者として新入りだった頃は日が昇る前にギルド会館まで行って依頼を取ってきたものだ。しかしそれはあくまでランクが低かった頃の話であり、未だ異世界生活の興奮冷めやらぬ真琴にとっては苦ではなかった。
それに朝日よりも早く起きる生活をしていたのは一か月程度のもので、それ以降になるとランクも上がり、早起きする必要がなくなった。それにさぼりにさぼった学校での自堕落な生活に慣れ切った真琴にとって、早起きは下手な魔獣よりも厄介な敵である。
「勘弁してくれよぉ。俺、朝はゆっくり寝てぇんだよぉ」
机に突っ伏す真琴だがイラは取り合ってくれない。
「ともかく、寝起きの時間は譲る気はないです。諦めてください。その代わりと言っては何ですが、自分の寝室を君の私室にしても構いません。自分は居間か作業場で寝泊まりするので」
「いいのかよ」
随分とビップ待遇だ。職人や精霊術士など師弟関係を結ぶ場合、師匠は全てにおいて弟子よりも優先される。それは弟子が学ぶ側、受け取る側であるのと同時に、お客さんではないのだとしているからだ。
イラのその提案は暗に真琴は弟子ではないと言っているに等しい。そもそも師弟関係であれば弟子の食事を師匠が弟子よりも早く起き、作っていること自体がおかしいのだ。
そういった事情を含めての問いだったが、イラは軽く頷いた。
「いいんですよ。君だって自分の弟子になりたいわけではないでしょう? 自分も弟子を取るつもりはありません。いわば技術だけを教える教師と生徒の関係。それも仮のです。必要以上に君の自由を拘束するつもりは自分にはありません」
家事手伝いは結構好きですからね、と言って笑う。
「ならいいけどよ」
真琴の中に形容しがたい感情が渦巻く。
「いいんです。では」
そうやってイラが主導権を握る形で二人の生活のやり方を決めていく。食事は基本的にイラが作る。ただし片づけは真琴がやること。ここにあるものは好きに使って構わないが、精霊器に関するものはイラの許可を取ること。生活の中で授業、イラの持つ知識や技術を伝えるが、行うのは午前半日。それ以外の時間は真琴の好きに使っていい。イラもその時間は自分の好きなことをやる。
一通りルールのすり合わせが済んだところで真琴が聞いた。
「なぁおっさんは」
「おっさん、ですか」
その言葉にショックを受けたようにイラの頬が引きつる。真琴はそれに構わず続けた。
「おっさんは何をしている奴なの?俺あんたのこと全然知らないんだけど」
真琴は突然リリアーナにここに連れてこられたのだ。準備や説明を受ける暇なんてなかった。
何気ない問いだったのだが、イラは顎に手を当てて少し考え込んだ。
「君は、自分のことについてリリアーナから何も聞いていないのですか?」
「ん? ああそうだよ。『貴方にふさわしい人のところに案内する』っていきなり言われて拘束されたんだよ」
「雑すぎる……いえ、そう、ですか。そうですね。自分は精霊術士でもありますが、本職は精霊器の職人です。とはいえ戦争経験者ですし、精霊術の腕には……多少は自信がありますね」
その言葉からはどこか影が感じられた。言及することがためらわれ、真琴はしばし口ごもる。場の空気を入れ替えるようにイラが手を打った。
「ひとまず、食事も終わりましたし、授業の一回目といきましょうか」
そう言ってイラは立ち上がった。