第75話 イラと真琴②
1万字越えの戦闘回です。
「ふぅん。また懐かしいものが出てきたなぁ」
オウルファクト王国東部イゾの町。イラと真琴の戦いは意識を失った住民や冒険者たちの群れを舞台に第二幕を迎える。イラは“龍骸”を纏った真琴の姿に困惑し、真琴は分を超えた全身全霊を以ってイラを殺そうとする。
イラと真琴が対峙する状況を組み上げた女ですら、真琴の異形には混乱し、妖刀から逆流して伝わってくる負の情念に苦しめられていた。
けれど一人。たった一人だけ動じていない存在がいた。それは赤いロングコートを着た女同様、建物の屋根の上で、戦いを観戦していた。
どこにでもいそうな町娘の衣服を着て、腰に双子のように同じ形の刀を差した女。差した刀は装飾のない武骨なものだ。
浮かべているのは彼女は愉悦と期待。禍々しい雰囲気を纏い、顔にニタリとした嗤みを浮かべて、その龍を見ている。
「神代に封印されたはずのあのクソ龍か。リプスが聞いたら怒り狂いそうだ」
女に動揺はない。何せ女にとってその龍は既知の存在だ。
「でも完全に封印が解き放たれてるわけじゃないっぽいし、力もあの時と比べればカスみたいなものだし、ならまだいいかな」
現出している龍の力は、女の知るものの百分の一に満たない。それですら、リプスが言うには本来の力の十分の一に満たないという話だ。
「ま、あれを相手にイラ君がどう対抗するか。見物だね」
もとより女が観戦しているのはほんの気まぐれ。“憤怒”を一度拓いたイラがどうしているかと思って来てみただけだ。
特別なことがなければ手出しをするつもりはない。女はにやにや笑いを浮かべるままに、戦いを見ていた。
*
キチキチキチキチキチキチキチチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチキチ
瘴気をまき散らし、真琴を塗りつぶすように現界した一匹の龍。真琴を覆う龍の鱗が異様な音を立て始めた。鱗同士がこすれあう、虫の羽音の不快感だけ増幅させたかのような音だ。聞く者を発狂させる音を立てながら、真琴はイラに襲い掛かる。
「らりすかめろりお」
「真琴!!」
イラは真琴の名を呼んだ。だがその声が届くはずもない。伸ばされた手はイラの頭部を握りつぶそうと顔面に迫る。イラは首をひねり、いや、真横に大きく飛びのいてその手を躱した。
「りら」
ぐんと、真琴が手を握りしめる。同時にビシリと、手の周囲の空間が歪んだ。歪んだ空間が、収束され、圧縮される。紙一重で躱せば巻き込まれる。揺らぐ炎のような頭部に、ギラリと赤い光が灯る。目のようなそれはイラが避けた方向に動いた。
間欠泉。イラの足元から、レンガの道路を突き破って瘴気が噴き出してきた。イラは即座に真横にスライドして逃れる。
「しっ」
無論、逃げてばかりではない。イラは六色細剣を棒立ちの真琴に突き出す。
「くそ」
だがイラの六色細剣は真琴の“龍骸”の鎧によって阻まれた。切っ先は通らない。六色細剣から伝わってくるのは固いものに突き当たったような、びりびりとした感覚。龍尾がゆっくりと持ち上がる。
刹那、龍尾がイラに襲い掛かった。首を跳ね飛ばそうとする横薙ぎの一撃。イラは身を伏せて回避。通りを間近に収めたイラの視界がぐらつく。
「ごふっ」
毒だ。イラに盛られた毒は依然として彼の中にある。たて続けに激しく動いたせいか、手足の感覚が次第になくなっていく。
「……まずいな」
イラの真上を通り抜けていった龍尾を見上げ、イラは眉を顰める。イラは精霊を集め、陣を形成。詠唱する。
「アクオグ エスクチカイ」
真琴を包み込む劫火。真っ黒な真琴は真っ赤な炎に焼かれた。炎に包まれた真琴は一言。
「ああいうええお」
不協和音が奏でられ、それだけで炎は霧散した。
「随分と上等なレジスト能力をお持ちで」
ついイラの口から皮肉がこぼれた。冷や汗が額を伝う。それほどさっきの不協和音は厄介だった。
酒がまだ残っているせいか、見霊の義眼も、追憶の義眼も上手く機能していない。“憤怒”の原典抜きの最大出力の五割程度の働きしかしてくれない。
その状態で見たさっきの「音」は、精霊に直接干渉して陣を崩壊させる力があった。言うなれば、真琴の魔眼と義手を足してさらに強化したような能力だ。
それをおしゃべり感覚で行使させるとしたら、精霊術師殺しと言っていい異能だ。
そして真琴を覆う龍の形をした鎧。ぼそりと真琴は“龍骸”と呼んでいたか?あの“龍骸”は七色の精霊で構成されていた。
「最初の半透明は外界に現出した無色の精霊。鎧を黒く染めた瘴気としか言えないあれは六色そろった精霊の集合体」
今も真琴を取り巻く瘴気は黒の精霊一色ではない。判別できたのは精霊の色だけ。どうして六色そろってあんな濁ったものが生まれるのかまではわからない。
玉石であるイラですら、七色混成の精霊術など見たことも聞いたこともなかった。リリアーナやニントスであっても、不可能な芸当だろう。
六色そろって外界に干渉する概念術式。そこに内界位階から生ずる無色の精霊を混ぜ込めばどんな性質が生まれるのか。
「少なくとも、聖銀の刃を簡単には通さないほど強固な守りを生み出すことは確定か」
七色混成の根幹を今、推論しきることは不可能。見える能力に対応しながら戦うしかない。
「ふっ」
「ろろろろろろろろろろろろっろおろろっろぉぉぉぉおぉぉお!!!」
真琴が叫んだ。足元にいるイラを見やり、翼を大きく羽ばたかせる。
瘴気をばらまきながら高く飛翔した真琴は、周囲にたくさんの白炎の火球を生み出した。真琴は六色細剣の届かない範囲まで飛ぶと、イラとその周囲一帯に白炎を撃ち放った。
「この馬鹿!」
雨のように降り注ぐ白炎を見て、イラは叫んだ。イラ一人を狙うならまだいい。
しかし真琴はイラのいる一帯に、白炎を撃った。つまりイラが倒した住民たちまで白炎の範囲に入ってしまっている。
そしてその範囲の中に、イラはヘーハイトスの姿を見た。
イラは一瞬考え、取捨選択する。巻き込まれるのはヘーハイトス一人ではない。他にも十人以上の住民がいる。
全てを助けることは不可能だ。イラはヘーハイトスの近くに行くと、シリンダーを回転させて青に切り替え、「エタナウ」と詠唱して引き金を引いた。
白炎に向けた六色細剣から水の柱が立つ。メンテナンスをしたおかげで六色細剣の出力は上がっている。エクスの水槍に勝るとも劣らないそれは、白炎に触れると大きくえぐれた。
白炎は水に触れると膨張し、爆発した。イラは白炎の性質を把握する。
「イトニ」
土くれの礫を作って打つ。白炎には選択性はないらしい。土くれに触れて、白炎は勝手に爆発してくれる。
「ああいうええ」
だが真琴もそのままにさせてはくれない。不協和音を唱えて土くれを消滅させる。暴発させられなかった白炎の爆弾が通りに降り注ぐ。
「守り切るのは不可能か」
苦渋に満ちた声。白炎の雨が止む。ヘーハイトスは守り切った。しかし全てを救うことはできなかった。
イゾの町が燃え上がった。気を失い、手足を砕かれた人々に白炎を躱すすべはない。倒れた人間を燃料に、町が明るくなる。
せめてもの幸運は、焼かれて死んだ人間が白炎の火力で苦しむ間もなく絶命したことか。
「どうする」
「ぎぎぎぎぎぎ」
小休止。真琴は空中に留まり止まった。顔らしき部分にある赤い光はイラに向いているから、おそらく見ているということになるだろう。
ひとまずこの場から離れる方が先か。人がいないところまで真琴を連れて行けば、巻き添えを食らうということも……
その時、イラの全身を悪寒が走り抜けた。その元凶は頭上にいる真琴。イラはとっさに細剣を体の前に出した。
「ぬふっ」
「きしあひあし」
目の前には真琴。真っ黒な龍の形の真琴がイラに龍剣と“勤勉”の剣で斬りつけていた。イラは真琴の動きを認識することができなかった。ならば、この移動は、
「加速……! 速過ぎる」
白炎のことを考えても“龍骸”には、龍剣の能力を強化する力がある。イラが加速を含めた一撃を受け切れたのは、来るとわかっていたからではない。
幾千の戦いを経たイラの持つ勘があったから、イラは命をつなぐことができた。
イラは履いたブーツの靴底を削りながら後ろに後退する。真琴の膂力を押さえるために、全身の骨がきしむ。靴底とレンガがこすれあい、火花が散る。真琴に力負けしている。イラは歯を食いしばって六色細剣を強く握りしめる。
真琴に押されて、目まぐるしく視界は変わる。イラはその中からクイナスやガッツ。見知った人物の顔を見つける。イラは真琴と競り合いながらイラは精霊を集める。掌握するのは六色の精霊。それでもってイラは自分にしか使えない精霊術を放つ。
「ウレアノト アリ ウテツオト エロマム」
透徹の固有術式。イラは自分が顔を知る人間を透徹の檻で囲んだ。これから多少の余波で死んでしまうことはないはずだ。
「しぃっ」
イラは六色細剣を左に傾けた。真琴の勢いを反らし、真横に流す。ついでに引き金を引いて「エタナウ」真琴を思い切り吹き飛ばす。
「がぎぐげご」
空中を錐揉み状に飛んでいった真琴はイラから二十メートルほど離れたあたりで体勢を立て直す。イラと正対した真琴はすぐイラに向かって直進してきた。黒く染まった龍剣には禍々しい瘴気が渦巻いている。イラを間合いに収めたところで真琴は龍剣を振りあげた。
振り下ろされると同時に、渦巻いていた瘴気が迫ってきた。イラは半身になって瘴気と剣を避け、六色細剣で斬りつける。
「ああああっ!!」
「ふっぐげがごぉ!!」
背後から汚らしい断末魔が聞こえてくる。イラが躱した瘴気に住民の誰かが触れたのだろう。もともと気が触れていたような状態だったが、完璧に発狂し、精神が壊れて息絶えたことが分かった。
「くそったれが」
イラは背後の断末魔から意識をそらした。イラは真琴を制圧するために、住民の命を切り捨てることにした。全てを捨てるわけではない。イラと真琴を知る人間は透徹で守った。けれど全てを救えるほどイラは強くない。だから見知らぬ人間の被害は考えないようにした。
「何が玉石だよ」
じくじくと、罪悪感がイラの心を苛む。
六色細剣はやはり真琴の“龍骸”を突破することはできない。戦争の時は共に戦うべき仲間を平然と切り捨て、殺しさえしたくせに、何を今さら善人ぶっているのだろう。
真琴は両翼を大きく広げて、イラを挟み潰そうとする。自分が善人だとは思っていない。
ただ。
イラは翼の片方に六色細剣の柄頭を当てて、軌道を反らし、転がり込んで回避。敵も味方も山ほど殺しておいて自分が善人と言えるほど面の皮は厚くない。
回避しながらイラは詠唱「ウウフオボ オレライクウ」。近くにいた住民を暴風で吹き飛ばす。だがあえて悪人ぶる趣味もない。
真琴は翼の一撃をいなされて、憤慨したように瘴気の塊をイラに見舞う。救える命があるなら、救うべきだ。
イラは瘴気を六色細剣で引き裂く。それが偽善と呼ばれるものであることは知っている。
引き裂いた先に真琴が龍尾を動かす。偽善者で結構。
イラは龍尾を六色細剣で龍尾を受け、衝撃を逃がすために後ろに飛ぶ。イラは無意味に誰かを殺したいわけでも、傷つけたいわけでもない。
遠くなる真琴を見ながらイラは詠唱する。
「ウレアノト アリ ウテツオト エタナウ」
生み出した透徹の結晶を放つ。真琴は透徹の結晶を見て、顔をわずかに動かす。
「かきくくけけけ……けぇ!?」
不協和音で透徹は砕ける。その様子をイラは観察しながら足を地面につける。瞬歩。距離を詰め、真琴の腹を“龍骸”越しに六色細剣で振りぬいた。斬撃な無理なら打撃で。斬撃ではなく、打撃に意識を切り替えた一撃。効果はあった。
真琴は打ち据えられた腹をよじり、真横に体を二つに折る。衝撃は問題なく伝わる。なら“鎧通し”の類も効果はあるのかもしれない。
イラはシリンダーを黄に回転させて、細剣の刃を岩石で包む。
「しぃぃぃぃぃっ!!」
イラはたて続けに細剣で真琴を殴りつける。「がっ!げっ!こぉ!はん!ひぁっ!」と真琴が苦悶の声を上げる。だがそれは象に蟻の一打を当てているに等しい。
「じ……が」
真琴はイラの猛打に対し、下がらずに瘴気を纏って突っ込んできた。イラはとっさに転がり込んで回避。起き上がると同時に真琴は建物の上のあたりまで飛翔する。そして龍の両翼を広げた。
「なんだ……?」
イラは真琴の翼の大きさが広がっていることに気が付いた。藍色の夜空を真琴から広がる翼がじわじわと覆い隠す。
その光景はまるで、永遠に続く闇が美しい夜空を侵食しているかのようだった。翼からじわじわと伸びる瘴気の翼はやがて、夜空全てを覆い隠す。
異様な空気がイゾの町を満たす。光源が真琴の放った白炎だけになった。おぞましい何かがイラをつけ狙う。空気に瘴気が混じり、イラの精神を脅かす。腐った精霊の瘴気はイラの力でもっても掌握できるものではない。無意識のうちに、イラはシリンダーを黄から白に切り替える。
「は……」
吐いた息から血がこぼれた。瘴気と毒が結びつき、イラはもう手足から先の感覚がなくなっていた。今自分が立っているのか、座っているのかあいまいになる。
「エタナウ」
真琴は翼を広げたまま空中にぶら下がっている。空に闇の帳が落ち、聞こえてくるのは燃える白炎の音だけになる。沈黙の中にイラの詠唱が響く。白の治癒。イラは息をすることもままならない状況下で、できるだけのことをする。
解毒の精霊術は上手く作用し、イラの体から毒を抜く。しかし全てではないし、場に満ちる瘴気はどうしようもない。
「だが、せい。じね」
ぽつんと、真琴から言葉が出た。精霊術を破壊する不協和音ではない。怨嗟ともうめき声ともつかぬ声は、不吉にイラを追い詰める。
ピキン
真琴を見上げるイラの視界がずれた。真琴の片翼が切断されたように二つになる。またピキンと鳴った。今度は翼が四つになり、真琴の胴体も何センチか横にずれた。
「冗談だろ?」
ピキピキピキピキ。ガラスが割れるような甲高い音はやまない。二つに割れ、四つに割れ、真琴が、真琴を取り巻く空間が万華鏡のようにずれていく。それが二重になり三重になり、幾重にも重なっていく。
不可思議なずれ。その現象の正体をイラは知っていた。
「“壊界”だと!?」
空間のずれは留まるところを知らない。ずれは空から次第に地上へ降りてくる。まずい。イラは真琴から離れるように動き出した。
「っつあぁ!!」
ピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキピキ
ずれはイラに向かって迫る。このずれは空間そのもののずれだ。あの領域に存在してしまえば、空間ごとイラの体はずれて切断される。
走る。
走る。
走る。
イラはずれから逃げるように走る。ずれの迫る速度は速くない。イラはチラリと背後を振り返る。真琴はずれを生み出すことに全力を注いでいるのか、その場から動く様子はない。動きたくとも、空間のずれの生まれた状況で動けるものはいないだろう。
イラはクイナスたちのいる方向とは逆に走った。だから彼らは無事なはずだ。しかしそれ以外の人間は保証できない。すでにたくさんの人間がこのずれの中に巻き込まれている。助ける術はない。だから感情を押し殺して走る。
津波のように迫るずれはすでに地面に触れ、町を巻き込んでいる。瞬歩。距離を一気に伸ばし、イラは真琴と向き合う。
イラの目はずれた町の光景が映った。現実の光景のはずなのに、砕けたガラス越しに見たような光景は、イラの正気を削る。
「どこまで殺すつもりだ」
空間のずれはイラのいた通りを飲み込み、両隣の通りまで飲み込んでいた。町の何パーセントかが滅ぶことが確定した。
「真琴!!」
ずれの津波はイラの眼前の前まで迫る。イラは叫んだ。ピキィィン。ひと際甲高い音が響き渡る。そして、
ずれた空間が暴威を発した。
*
“黒の玉石”ニントス・ラン・スピーナル。彼(と言えば本人は否定するだろうが)は二つの固有術式を所有している。“天転壊界”という彼の二つ名のもとにもなっている精霊術だ。
どちらも違った方向性に強力無比な精霊術だが、その一つの“壊界”は文字通り「世界を壊す」能力。空間断裂の力がある。
真琴がやってみせたよりも小規模だがより致命的な殺傷力をもつ“壊界”は二段階の破壊を行う。
一段階目は空間切断。空間を切断し、その座標にいた存在を全て切断する。これは強力であることに違いはないが、射程が狭い。
何せ効果範囲が線でしかないのだ。その線を起点にいくらか面でのずれが生じるが、予兆はあるし、わかっていれば回避は難しくない。しかし“壊界”の恐ろしさは二段階目にある。
真琴が作り出した空間のずれ。そのずれを、世界が放っておくわけがない。ずれを修正するように、揺り戻しが起きる。
揺り戻しから来る衝撃波が襲ってきた。一本のずれで、人を数人飲み込むほどの衝撃が生じる。それを真琴は何百、何千と生成した。
ならば、起きる衝撃は相応のものだ。
「ふ……ぬぅ!!」
世界が揺れる。イラは衝撃波に押し飛ばされた。荒れ狂う空間の暴威にあくまで一個人でしかないイラは抗えない。体勢を維持することもできずに、紙切れのように宙に高く舞う。
無論、暴威にさらされるのはイラだけではない。戦後きれいに整備され、形作られてきた町も破壊に巻き込まれる。
ずれで切断された人々は細切れになった肉体を血霧に変える。歩きやすかったはずの通りはレンガをはがれ、砕け散る。生活の匂いの根付いていた建物は跡形もなく、瓦礫に変わり、それが飛んでいって、切断から免れた他の建物も仲間にしようと手を伸ばす。
廃墟と化した一角でイラは次に備えて精霊術を編む。
「ウレアノト アリ ウテツオト エロマム エテナサク」
イラが身を守るための透徹の守りを生み出す。視界に七色に輝く結晶が生まれ、あとを追うようにゴゥンと衝撃が走った。
透徹の守りを押しつぶそうとする衝撃。真琴が動き出したか。白炎の爆撃が襲ってきた。
「ちぃっ!」
透徹の結晶はあらゆる攻撃を意に介さないほどの強度を誇る。白炎はあらゆるものを焼き尽くし、破壊するほどの威力を誇る。矛盾。真琴の知る矛と盾の逸話の再現だ。
しかしこの場においては盾に軍配が上がったらしい。白炎の爆撃を受けても、透徹の盾は砕けなかった。
これで白炎の爆弾が一つだけならよかった。けれど一つだけなわけがない。目まぐるしい白炎の爆発はイラと透徹を襲う。イラは細かなヒビの入り出した透徹に歯ぎしりした。
「こいつは……」
そしてドンと、ひと際強い衝撃が透徹を襲った。白炎の中に見える黒い手。黒い手は生まれたヒビに指を差し入れ、ぎりぎりと力をこめる。
「まずっ」
バキン。透徹が砕けた。白炎をかき分けて黒い龍形の怪物が見える。
「ウレアノト アリ イエリエス オルタウ エソロク ウコイスコル」
反射的に、イラは奥の手の一つを詠唱する。砕けた透徹が雑多な精霊術に変異し、止まらない白炎の嵐を散らす。
「りりあなろろ」
それもすぐ霧散する。不協和音が精霊術をかき乱す。
「くっ……」
接近してきた真琴は姿をさらに変貌させていた。漆黒の“龍骸”はそのままに、揺らぐ頭に灯る赤い目はそのままに、空間破壊の際に伸ばしていた翼は、翼の形を失い、瘴気を噴出するだけとなり、推進力を生む機械になっている。
形をなくした翼の代わりにか、翼の付け根辺りから、手が伸びていた。真琴本来のそれより腕が長く、手の平も大きい。生者を死の世界へと引きずりこもうとするようなかぎ爪をもった手。
透徹を破壊したのもこの手だ。それが八本。真琴の手も含めて合計十本。イラの息の根を止めようと迫りくる。
抵抗するためにイラは六色細剣を振りあげる。……振りあげる?イラは六色細剣を持った手がちゃんと動いているか、寸の間視線を向ける。
剣はきちんと上がっていた。シリンダーを回転。「エタナウ」再び治癒の精霊術を自分にかける。
手足の感覚がわずかに返ってくる。
「ころころころころてててててててしてしててててして」
「しぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!!」
真琴は口から精霊術師殺しの言葉を吐き続けている。精霊術は使えない。イラは六色細剣一本で真琴の十の手を向かい合う。真琴は二本の手で龍剣と『勤勉』を操り、八本の腕でイラをつかみ殺そうとする。
空中戦だ。イラはブーツの精霊器を起動。空中に立って真琴を迎撃する。
集中しろ。イラは全神経を真琴に集中する。今この瞬間は真琴以外のことを考えるな。
イラの二重、三重にぶれていた視界が安定する。音が消えて、真琴と、イラの動きに影響するものだけが残る。
最初。
真琴は右手の龍剣と左から伸びる四本の腕でつかみにきた。龍剣と六色細剣を打ち合う。六色細剣の刃がしなる。膂力は真琴の方が上。わずかに遅れて手が来る。上上左下。六色細剣を持つ右手をしならせる。上の二本を払う。左手で左からのものを打ち据え、右足で下から来た手を蹴り払う。
次。
“勤勉”が大きく振りかぶられて、下ろされる。六色細剣。身幅から離れるように弾き飛ばす。右から伸びる腕三本の追撃。全て上から。一歩下がる。落ちてきた腕が空を切る。
次。
また龍剣。遅れて“勤勉”。二歩分下がって間合いを取る。下に通り抜けていった腕三本が返ってくる。舞踏を踊るように、一回転。回し蹴りで腕を跳ね飛ばす。
次。
龍尾が来た。逃がすまいと斜め四方向から手。一歩だけの瞬歩。前進。イラは真琴と吐息がかかる距離まで詰めた。これもまた間合いの外。左腕で肘打ち。衝撃を貫通。真琴の心臓がある位置を貫く。真琴は寸の間動きを鈍らせたがまたすぐに動き出す。
次。
伸びる八本腕を全て自分の方へ。つまりイラの背中に向ける。後ろに逃れる範囲はない。判断は一瞬。真琴の肩に手を乗せ、空中を蹴る。イラは真琴の上に飛びあがった。イラの姿を一瞬見失った真琴を見下ろし、イラは一回転。真琴の頭部に足刀蹴りをする。
次。
真琴はイラの足刀蹴りに体勢を崩す。崩しながら手を伸ばしてきた。八本の腕を一本に束ね、巨大な集合体となって襲い掛かる。イラは空中を駆けて腕を避ける。追ってくる。逃げる。追ってくる。舌打ちを一つ。イラは精霊器を解除。自然落下で腕の下を取る。交差の刹那。イラの眼前に銀閃が奔る。
次。
六色細剣で斬られた腕は手首から先を落としつつ、再びばらけ、先端を再生成する。真琴自身もイラを狙いに来る。乱戦。落下しながら八本の腕と二本の剣を一本の六色細剣でさばく。さばく。さばく。さばく。さばく。さばく。さばく。さばく。さばく。さばく。
次。
全ての攻撃をさばく。手先の感覚がない。全ての地面が近づいてくる。悪寒が走る。そうだ。斬り落とした腕はどうなった?風切り音。切断された腕が短剣のようになり、イラを背後から貫こうとする。
前面には八本腕を広げた真琴。背面には瘴気の短剣。左右に逃れようにも、八本腕はイラのいる空域を包み込むように展開され、まだ龍尾は動かされていない。精霊術も不協和音のせいで使えない。
駄目だ。
打てる手がない。諦める。イラはブーツの精霊器を起動し、空中で静止する。六色細剣で払うのは八本腕と真琴の剣だけ。体を禍々しいものが突き刺さる感覚。背中に迫る短剣をイラは受ける。
「くっ」
短剣から瘴気が流れ込んできた。視界がぼやける。消えていた音が返ってき、ハウリングしてイラを苛む。自分が今立っているのか、座っているのか、寝ているのか。生きているのか、死んでいるのかすらぼやけてくる。
「なら」
体の感覚機能が使えないのなら、積み上げた戦闘経験を信じるだけだ。
目が使えない。耳が働いてくれない。体が動いているかどうかもわからない。イラは地面に墜落する。その感覚すら遠い。転がりながら身を起こし、片膝立ちで細剣を振るう。それは真琴の突き出した龍剣とぶつかった。
「……つあ」
振る。振る。振る。六色細剣を振る。「エタナウ」引き金を引く。少しは体調がましになる。また六色細剣を手繰る。イラはほとんど神懸り的な精度で真琴の猛攻と対抗する。
「しぃぃぃぃ!!」
八本腕の一本がイラをかすめる。血が噴き出る。龍剣が腕を裂く。衝撃で感覚をすでに失った腕がしびれる。腕がイラの腹をとらえた。六色細剣が奔る。腕が切り捨てられる。隙が生まれる。
真琴の“勤勉”がイラの肩口を抉りこむように貫いた。
「……!!?」
“勤勉”と共に活性化した瘴気が勢いよく体内に送り込まれる。意識が明滅するほどの激痛。真琴が剣を引き抜き、距離を取った。イラは離れた真琴を見る。
その時、“龍骸”が掻き消えた。イラの目は真琴をとらえる。空白。不協和音が消える。イラはイラの意に関わらず、生きるための行動をとる。
「ウレアノト アリ」
先生として、イラは真琴に言葉をかけたかった。そうするべきであるとは分かった。しかしイラは詠唱した。生きるために、陣を編む。
「先生」
“龍骸”が消えて真琴の素顔が露わになる。真琴は泣いていた。目を深淵の闇に染め、コンコンと闇を垂れ流しながら、黒く染まった血液を流して泣いていた。
「ごめん」
「ウテツオト」
イラの目には、真琴は正気であるように見えた。イラを殺そうとはしていない。いつもと同じ真琴。真琴は“龍骸”を纏っていない。龍剣も手にしていない。あるのは“勤勉”の剣だけ。
武装の消失。“龍骸”は龍剣の機能を高める。イラは最後の一節を唱える。
「助けて」
「エロマム」
イラと真琴の間を遮るように、透徹の守りが展開される。イラと真琴を包み込むように、展開される無尽の斬撃。幻影剣。終わりを知らない斬撃の嵐は透徹を切り刻み、侵し、ついに透徹を破壊する。
イラは、幻影剣の斬撃に切り刻まれた。
「あ……」
斬撃が終わる。こぼれた声は誰のものだったか。真琴は再び“龍骸”に包まれる。真琴の涙も、救いを求めるような表情も黒に消える。
イラは切り刻まれ、全身から血を流していた。彼は“龍骸”に包まれた真琴を見、何かつぶやいた後、
どさりと、前のめりに倒れた。倒れた場所から血だまりが広がる。“龍骸”を纏った真琴は標的を失ったように動かない。黙したまま、イラを見下ろしている。倒れたイラは血だまりの中に沈んで動かない。
まるで、死んでしまったかのように。
静寂が、
崩壊した町を包んだ。
いつも思うんです。主人公は、追い詰められるべきなのだと。
感想、ブクマ、ポイント評価、誤字報告などいただけると嬉しいです。




