第74話 イラと真琴①
「があああああっ!!」
憎悪に顔を歪ませた真琴が龍剣で斬りかかる。剣筋は鋭く、速い。これまでのような作業気分ではいられない。イラは剣の軌道を見とると、六色細剣で龍剣を受け止めた。
「エタナウ」
龍剣は膨大な破壊力を内包した剣だ。並みの剣では受け太刀すら敵わない。六色細剣は龍剣の刃を受けて大きくしなる。だが折れない。六色細剣の刀身に使われている純聖銀は柔軟で衝撃を程よく逃がす。
イラは引き金を引きながら詠唱。イラと真琴の間に竜巻を引き起こす。
「くっ」
吹き荒れる風に真琴は思わずと言った様子で後ろに飛びのいた。イラも風に乗って距離を取る。真琴が突然の風に体勢を崩す様子もない。つくづく成長したものだ。その成長が、イラには腹立たしい。
「真琴。自分の声が聞こえていますか」
駄目もとで、イラは真琴に呼びかける。真琴はまず確実に何者かから操られている。それがどういう原理によるものかはわからないが、親しい者の呼びかけで正気に返るという話はよく聞くものだ。
「死ね」
だが真琴はイラに呼びかけに殺意で答えるだけだった。イラは一度剣を下ろす。そして真琴を強くにらみつけた。
「そうですか」
自分の呼び声は真琴には届かない。ならばこれ以上呼びかけることに意味はない。まずは無力化することが必要か。イラは改めて真琴を観察する。
最後に真琴と訓練をしたのはいつだっただろう。新ロエ村を旅立つ直前。森での帝国との戦いを乗り越えて、真琴はずっと強くなっていた。けれどまだイラが余裕で見て取れるくらいの隙や甘さもあった。
しかし今は違う。真琴は下段気味に龍剣を構えて、イラの挙動を見逃すまいとしている。
重心は低く、足の指先から剣の切っ先まで力が込められている。イラがどう来ようが、棒立ちのままやられてくれることはないだろう。
手強い。イラは真琴からそんな印象を受けた。確実に、真琴はまた強くなっている。毒に侵されたイラでも無傷で制圧することは難しいと思う程度には。
その時、真琴の姿が右に傾き、掻き消えた。加速だ。イラは即座に六色細剣を右に差し出す。そこに龍剣を振り切った真琴の姿が現れる。
カキィィンと、金属のぶつかり合う高い音が深夜の町に響く。イラは真横に現れた真琴を冷たい目で見る。
「かはっ」
「甘いですよ」
加速の反動だろう。苦しそうに顔を歪める真琴に、イラは躊躇なく蹴りつけた。風を切り裂くその一撃を真琴は後ろに退いて避ける。イラが下がる真琴を追撃する。
真琴は相手との実力差がある時に、現状を打破するためによく「加速」を使う。確かに真琴の使う加速は優秀な能力だ。イラですら視認することが難しい速度で移動してくる。
しかし加速には発動時間が短さと、使った後の反動という大きな弱点がある。イラであれば、加速の動きを見切ることは簡単だし、対応も容易だ。
使いどころを間違えれば、真琴の加速はイラにとって、ただの獲物でしかない。
戦いの基本は相手に余裕を与えないこと。真琴にも口を酸っぱく教えていることだ。体力的にであれ、精神的にであれ、時間的にであれ、余裕を生んでしまうということは、反撃の余地を与えてしまうということだ。
イラは真琴を六色細剣の間合いにとらえる。六色細剣は通常の剣よりずっと長い。六色細剣は届き、龍剣は届かないという間合いを保ちつつ、行き着く間もなく真琴に切りかかる。
真琴は後退と細剣の猛攻を凌ぐことに手一杯で、反撃できる余裕はない。対してイラは、真琴が防戦一方でもイラの細剣を凌ぎきっていることに驚いていた。
イラは特別手を抜いているわけではない。殺さないようにと意識しているだけで本気だ。本気で真琴を攻め立てている。それなのに対応できているということは、それだけ真琴がイラや玉石のいる領域に近づいているということだ。
真琴の先生としてそれは喜ぶべきではあるが、イラは大きく舌打ちをした。真琴は下がる。下がりながらイラの剣撃を紙一重で凌ぐ。一歩、二歩、三歩。下がりに下がって三十七歩。イラは真琴に有効打を与えられない。
「ちっ! 厄介な」
「ぐぬぅ……あぁ!!」
イラの猛攻を凌ぎ切ったわけではない。だが真琴に余裕が生まれた。時間という余裕が。チロリと、イラの頬を撫でる熱気。イラは即座に後ろに飛びのいた。退くイラの目に映るのは、真っ白な炎。苦し紛れに白炎をばらまいたか。白炎は真琴が持つ手札の中でも特に強力な一枚だ。
イラは下がって距離の余裕を取り、六色細剣を振るう。迫りくる白炎を蹴散らした向こうに真琴はいた。真琴は緑の精霊術の陣を編んでいる。陣形から察するに中級。
「ウボイ オウ エザク ウラヌオボ アウ イサタウ」
ただの精霊術ではない。真琴の左手は“勤勉”が握られ、魔眼で精霊術が操作までされている。間違いなく、真琴の放てる最大火力の精霊術。イラは六色細剣を地面に突き刺して引き金を引く。
突き刺したところを起点に大地が隆起した。レンガ造りの通りが防壁となり、真琴の風を弾き飛ばす。防壁はきしみ、風に圧されてひび割れるが、イラが精霊をさらに流しこむことで真琴の風を受け切った。
しかしその壁が突然白く発光した。壁を突き抜けてくるのは龍剣の白炎。風に乗って火勢がさらに増している。イラは迷いなく壁を避けるように、左に緩いカーブを描きながら前進。白炎を放つために龍剣を振りきった状態の真琴に迫る。
「しぃあ!」
「かぁっ!!」
鋭い踏み込みから放たれる目にもとまらぬ刺突。真琴が顔をイラに向けるより先に、腹に小さな貫通痕が生まれる。憎悪に満ちていた真琴の顔に苦痛の色が浮かぶ。
イラは止まらずに六色細剣を引き抜いて連撃を見舞おうとする。真琴の姿が消える。加速だ。全力で後ろに下がった真琴をイラは即座に、一瞬で距離を詰める。
「なんで」
「君にはまだ教えていない技です」
遠くにいたはずのイラが目の前にいる。イラは口から黒ずんだ血をぺっと吐き捨てた。加速の反動を、憎悪すら忘れて真琴が唖然とする。
イラが使ったのは無色の精霊を瞬間的、爆発的に活性化させて、脚力を強化。長い距離を一瞬で詰める高等技能。
帝国では“縮地”、あるいは“瞬歩”と呼ばれる、玉石の中ではイラとエクス。そしてグランヘルムの三人が習得している技術だ。
瞬歩の距離はそのまま使い手の無色の精霊の操作技術に依存する。瞬歩使いの平均距離はおよそ十歩の距離。五メートル前後だ。
対してイラの瞬歩は五十歩の距離を詰める。大抵の距離なら瞬歩一つでどうにかできる。間合いを自在にできるイラは、対人戦闘で大きなアドバンテージを持っている。
加速で遠くに逃げようと、イラは猟犬のように追ってくる。
イラは六色細剣で空けた穴に向けて拳で殴りつけた。同時に殴った衝撃を傷口から全身に伝える。回避できずにイラの一撃をくらった真琴の足が浮いた。
「かっ……」
真琴の口から吐息とも、悲鳴ともとれる声がこぼれる。イラの拳打はダメージを空中に逃すことすら許さない。余すところなく全身で重い一撃を食らった真琴はそのまま膝から崩れ落ちた。
*
何をされたのか、全く理解できなかった。真琴は目の前にいる殺すべき敵を前にして、呆然として血をこぼす。
「手間をかけさせる」
地面に崩れ落ちた真琴を見下ろす敵。イラ・クリストルク。真琴の先生にして、必ず殺さないといけない相手。
イラは固有術式を使うことすらなく、真琴を制圧した。精霊術も六色細剣以外には使ってすらいない。真琴はイラにまともな手傷を負わせることすらできなかった。
隔絶した実力差。真琴はこれほどイラが憎いのに、イラに手が届かない。
「ぐ……そ」
真琴は全身に痛みを感じていた。皮膚の上からだけではない。体の内側。肉や骨、内臓までダメージがいったかもしれない。ハイオーガとの死闘で受けた傷がまた開いたのか。
「真琴。自分の声が聞こえますか」
憎い相手が真琴に声をかける。慈悲でもかけようというのか。くそくらえだ。真琴は憎しみをこめた視線をイラに向ける。視線を受けて、イラは辛そうに顔をそむけた。
なぜそんな顔をする。真琴には理解できない。真琴の頭にあるのはどうやればイラを殺せるか。この憎悪を、この憎しみをどうすれば果たせるか。それだけだ。
真琴は自分の中に根付いた憎悪の理由がないことに気づいていなかった。なぜイラを憎んでいるのかもわからず、ただ憎いから殺そうとする。
迷いの消えた、目的の絞られた真琴は絶好調だったはずだ。鎧こそハイオーガに破壊されたが、龍剣も、“勤勉”もあった。イラに作ってもらったコートもだ。魔眼もあれば、義手もあった。
真琴は間違いなく全力で戦った。それでもなお、わずかなりとも届かない。
加速は見切られる。
精霊術は相殺される。
剣術は通用しない。
白炎すら、簡単に対処される。
手札の数はあっても、一枚一枚がまだ薄い。様々な技を教えてくれた憎たらしいイラ・クリストルクの言葉だ。
「この……程度で」
「まだ粘りますか」
しかし、この思いを遂げるために、真琴は寝てはいられないのだ。全身に残るダメージを無視して、跳ね上がり、イラに龍剣を見舞う。
その剣の刀身は消えていた。幻影剣。不可視分裂の刃でイラを殺そうとする。
けれど、種の割れた幻影剣など怖くない。イラは引き金を引いて流水の刃を形成。幻影剣を受け止める。そして腰を落として空いたもう片方の拳を構えた。
また来る。イラ・クリストルクの重い打撃。真琴は龍剣で拳と打ち合おうとする。腰だめの状態から放たれるイラの一撃。それに合わせて真琴は幻影剣を解除して、龍剣を横薙ぎに振るう。
当たればイラの手は両断されることは間違いない。当たれば、だが。
イラは拳の軌道を変則的に切り替える。狙いを真琴の体から龍剣の腹に。イラの拳は龍剣の真横をふわりとなでるように滑った。それだけで龍剣の流れは逸れていく。真琴に隙が生まれる。
真琴がイラの手の内を知っているように、イラも真琴の手の内を知っている。追い詰められた時の、真琴の粘り強さを知っている。それだけではない。イラは真琴の技や得手不得手。癖も全て知っている。反対に真琴はイラの強さの底を一切知らない。知っているのは真琴が引き出せる表層の部分だけだ。
千近い相手を無力化し、毒で身を侵されても、真琴がイラの知る戦い方をする限り、差は絶対に埋まらないのだ。
龍剣をいなされ、イラの拳が再び迫る。これを食らえば終わりだ。心臓狙いの一撃を受ければ真琴の意識は確実に刈り取られる。意識を取り戻しても、心臓に深刻な痛打を受ければ体は動かせないだろう。
殺したい。真琴は思った。
勝ちたい。真琴は思った。
強くなりたい。
イラ・クリストルクに、先生に勝てるくらいに強く。真琴の頭にイラとクイナスが話していたことがよぎる。
強くなりたいのであれば、禁忌を侵すことをためらうな。狂気に足を踏み入れてでも、強さを願え。
「俺は」
「これは?」
イラの拳が真琴の心臓を撃ち抜いた。いや、撃ち抜くはずだった。
イラの拳は、半透明の異形に受け止められていた。殴ったイラの拳から、ボタボタと血がこぼれる。
真琴を覆う半透明の鎧。それは龍の形をしていた。背中から生える巨大な両翼。触れるものを抉り殺す爪。長くのたうつ龍尾。鎧全体を覆う凶悪な鱗。
不完全で、未完成で、まだ全貌を晒していないそれは、しかしイラに不吉な予感を覚えさせた。
「“龍骸”」
真琴は使うまいと思っていた龍剣四つ目の異能を解放する。憎悪に染まっていた真琴を上書きするように、龍剣からどす黒い感情があふれ出てくる。
女に植え付けられた憎悪と、龍剣からとめどなく流れ込んでくる負の情念。二つの闇は混ざり合い、ほどけあい、溶け合って真琴を蹂躙する。
もともと憎しみに支配されていた真琴は、この津波のような情念をコントロールできるはずもなかった。
「が……あぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
“龍骸”が黒に染まっていく。飲み込まれていく。真琴は“勤勉”の魔剣を抜き、両手に剣を構える。けれど真琴の姿は真っ黒な瘴気に隠れてすぐに見えなくなる。
吹き荒れる瘴気は半透明だった“龍骸”に取り込まれ、鎧を黒く染める。処女雪が時間とともに黒く汚れるように、真琴を飽和した悪意が包み込む。
「真琴……?」
イラは困惑した顔で真琴を見つめた。否、真琴を包み込んだ真っ黒な龍を見た。龍はあふれた瘴気を全てその身に取り込んで、一個の存在として確立した。
「あ、あれもをあれあ……おれお」
黒一色に染められた顔のない龍。炎のように揺らぐ頭部のあたりから意味不明な言語を発せられる。同時に、イゾの町に瘴気の嵐が吹き荒れた。
次話は一万字超えになります。




