第59話 晶窟のオーガ討伐戦④
オーガから敗走し、どうにか晶窟から出た頃には、日は暮れ、すでに夜になっていた。真琴たちは晶窟から出ると同時に地面に転がり込み、大の字になって夜空を見上げていた。
「オーガが二体だと……? 聞いたことないぞ。そんなの」
「すまん」
晶窟から出て早々、肩で息をしながらのクイナスの言葉に、ベアが小さな声で謝る。事前情報になかったことを言っているのだろう。
「いや……ベアさんが謝ることじゃない。オーガが二体いるなんて考えてもいなかったからな」
ベアの言葉にクイナスは倒れたまま首を横に振った。そして起き上がると、仲間たちや武器の状態を確認し始めた。
「ヘーハイトスは矢が減ったくらいでほとんど無傷。装備も十分か。ベアさんも疲労が溜まっているがそれを除けばまだ戦える。俺も同じだ。だが」
クイナスは残る二人を見やった。
「マコト。お前はどうだ」
「俺か」
げほげほと咳き込む。押さえた手には赤いものがにじんでいた。
「ひどくても、鎧と骨と内臓をいくつかやられたくらいだ。まだ戦える」
「馬鹿言うな。それで戦えるわけないだろ」
厳しい口調で諭すクイナスに、真琴は黙り込む。クイナスは黙り込んだ真琴に対して、柔らかな表情を作った。
「マコトは俺をかばってくれた。しばらく休んでろ」
「あぁ。でもいけると思ったら俺はいくからな」
「はぁ……勝手にしろ」
真琴の言葉に、クイナスはため息をつくことで答えた。
「俺は強がりを言えるほど大丈夫じゃないな」
と言ったのはすぐには地面から起きあがることもできなさそうなガッツだ。そうだろうなとクイナスも頷いている。
ガッツの盾はオーガの鉈の直撃を受けたせいで真ん中が大きく一本線の形に歪んでいた。ガッツの大楯は、魔獣の怪力にも耐えられるようにと、薄い黄鉄を何枚も重ねて作った特別製だ。こまめに手入れをしてきたはずだが、オーガの決死の一撃のせいで限界を超えてしまったらしい。
ガッツ自身もダメージが大きい。撤退の二文字がクイナスの頭に浮かぶ。
「クイナス。ひとまず飯にしよう」
険しい顔のクイナスに、ひときわ軽くヘーハイトスが言った。晶窟の近くには、冒険の邪魔になると置いていった野外用の調理器具がある。
「腹ペコの状態じゃ、いい考えも浮かばないもんだ」
クイナスの肩に手を置き、ヘーハイトスは笑ってみせた。
*
「疲れた体に染みるな」
「嫌味かてめぇ……」
冬の冷たい空気が吹く中、真琴たちはたき火を囲んで食事をとっていた。ヘーハイトスが即席で作ったシチューをクイナスたちは美味そうに食べている。
「でもお前はまだ食えないだろ」
「ちっ!」
だが真琴だけは水を少し飲んだだけで、据え膳をされていた。別に意地悪をされているわけではない。オーガの一撃で内臓をやられたせいで、食事をとってもすぐに吐き出してしまうのだ。
「明日には残りを食わせてやる」
「そうかよ」
「いや、明日明後日という話ではないだろ……」
クイナスと真琴の会話にベアが口を挟んだ。真琴の怪我は腹部辺りの骨の骨折と、内臓の損傷。町に戻り、適切な治療をほどこさなければ命に関わるほどの重症だ。
「いんや、こいつは昔から怪我の治りが異常に速いんだ。無理はさせられないが、明日には大体治ってるだろ」
「あぁ」
しかし真琴には女神様からもらった肉体がある。真琴の肉体の治癒能力は指折りだ。無色の精霊の強化も合わせれば、戦わずに一日休めば、完璧ではないにしても大抵の怪我は治る。
「本当か……」
二人の会話にベアは信じられないという顔をした。だが同時に真琴なら、と思ってしまったことも確かだ。
先ほどのオーガとの戦いで、真琴はそれだけ別格の動きをしていた。
「それで、これからどうする?」
食事を一通り終えて、口を開いたのは珍しいことにガッツだった。彼はぼろぼろの鎧の上から胸に手を当て、他四人を眺める。
「オーガが二体だ。一度町へ帰って出直すべきだと俺は思うが」
まず始めに答えたのはベアだ。金級冒険者四人をして、オーガは一筋縄ではいかなかった。それが二体。誰一人欠けることなく晶窟から逃げ出せたのは奇跡に近いことだ。
オーガが群れることはまずない。ならばその情報をギルドに持ち帰り、改めて討伐隊を組むべきではないか。
しかしクイナスもヘーハイトスもベアの意見に頷かなかった。
「ありではある」
「だが問題が二つあるな」
ヘーハイトスは指を二本立てた。
「まず帰りの馬車は三日後にしか来ない。もう夜だから実質二日か。歩いて帰ってもいいが、そうするのは大変だな。こっちはまぁ、三日俺たちが待てばいいだけの話だが」
馬車で半日。歩けば一日はかかるだろう。疲労しきった体でそれはやや辛い。
「もう一つ。こっちは問題というよりもメリットだな」
「メリット?」
「あぁ。チャンスと言ってもいいな。二体目のオーガが出る直前。俺たちは確かにオーガを追い詰めていた。それこそオーガを殺しきるところまでだ」
ヘーハイトスは口元を片方だけ歪ませた。クイナスやガッツも見れば同じ表情をしている。真琴もヘーハイトスの言いたいことに気がついて思わずにやっと笑った。
「どういうことだ」
ベアだけがわけが分からず、困惑している。
「簡単なことだ。オーガは今傷ついている。この状況で明日にでも攻めれば、オーガの片方は倒せるんじゃないか?もしかすれば二体同時討伐だ」
「なっ……!」
ヘーハイトスの言葉にベアは絶句した。二体目の出現によって、ベアたちは潰走のような形で逃げ出してきたのだ。それなのにこの冒険者たちはまたすぐに晶窟に戻るべきだと言っている。
疲労が溜まり、武器も摩耗している状態を理解した上で、だ。
「ありえないだろう! 今挑んでも殺されるだけだ!」
「ならどうする?」
ベアの反論に、クイナスが口を開いた。
「オーガは高位の魔獣だ。今でこそ腕と顎を斬り落とし、目も潰しちゃいるが、十日もすればまた元通りになるぞ。最初になんで一体しか出てこなかったのかは分からない。だが次も同じとは俺には思えない。あの狭い洞窟で、万全のオーガ二体なんてそれこそ勝ち目がないだろ。それに」
オーガを一度に二体討伐するなんて、最高の冒険じゃねぇか。
語るクイナスの目には、少年のような輝きがあった。
そしてそれはクイナス一人のものではないらしい。ヘーハイトスにも、そしてガッツの目にも同じものがあった。くだらない虚栄心のためではない。さながら龍退治に憧れて、実際やってみようとするようなものだ。
しかもそれは無謀ではないからなお恐ろしい。子どもの憧れを、“龍王の咆哮”は大人の計算込みでやろうと言っている。
これが金級冒険者と銀級冒険者の違いなのだろうか。安定を求める銀級と、死地へ喜々として乗り込んでいく金級。十は年下の二人の意見に、ベアは黙り込む。
「ただベアさんの言う通り、こっちも満身創痍ってのは本当だな。ガッツ。お前明日に行くとしたらどれくらい戦える?」
「一人で前衛を張るのは無理だ。ベアさんと二人なら何とか」
「そうか」
ベアにはああ言ってみたが、クイナスも確実に勝てない戦いをするつもりはない。童心を無くしたつもりはないが、もういい大人なのだ。可能、不可能の分別くらいはつく。
あまり長い時間をおけばオーガが回復する。しかし無理に突撃すれば、万全の状態で挑めないクイナス達が殺される。
行くか、戻るか。相手は無傷のオーガ一体と、瀕死のオーガがもう一体。味方は疲労を溜めた仲間たち。
「悩みどころではあるんだよな」
一行のリーダーとして、クイナスは打てる手を探す。
「マコト。お前の龍剣の炎でオーガを丸焼きにはできないか?」
「あーできるっちゃできるが駄目だろうな。龍剣の炎も炎なんだ。あんな狭いところで使ったら酸欠で死ぬ」
「サンケツ?……とにかくできないってことか?」
「オーガと道連れになるつもりじゃないなら」
「そうか」
真琴の言葉は今ひとつピンとこなかったこともあるが、以前から時々あったことだ。大方真琴の語る異世界とやらの知識だろうとクイナスは勝手に考えていた。
それに狭い洞窟で炎を使って、なぜか炎に焼かれていなくても死んでしまった冒険者の話は聞いたことがある。
「とすれば、どうするか」
クイナスが悩んでいるのを真琴は地面に寝転がったまま眺めていた。クイナスだけではない。ガッツ。ヘーハイトス。ベア。他の冒険者の顔を順に見ていって、今度は騎士学校に入ってから出会った人たちの顔を思い浮かべる。
“白の玉石”リリアーナ。“緑の玉石”フィリーネ。影衆のシイナ。“青の玉石”エクス。そして自分の“先生”イラ。
誰もが自分よりも強くて、オーガごとき、一蹴してしまえるであろう者たち。
「なぁ、クイナス。俺に考えがあるんだけど」
目をつむり、息を大きく吸って吐くと、真琴はクイナスを真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「なんだ?」
「俺一人で無傷のオーガを相手する。クイナス達は四人で瀕死のオーガを相手してくれ」
「なっ!?」
クイナスは絶句した。真琴が冗談を言っている様子はない。全員の視線が真琴に集まった。真琴は寝転がり、空に目を向けて噛みしめるように言った。
「狭い晶窟の中で、万全のオーガ二体相手だと勝ち目はない。だからすぐにでも強襲した方がいい。でも皆疲れているし、ボロボロだ。多分戦力を分散してちゃ勝てない。等分するために、集めなきゃ駄目だ」
「でもな」
「俺と初めて会った時のこと覚えてるか?」
真琴は身を起こして“龍王の咆哮”たちを見た。真琴とクイナスたちが初めてであったのも洞窟に住みついたオーガ退治の依頼だった。
「あぁ。あの時はお前が先走って突っ込んで、結局俺らがフォローいれて何とかなった奴だな」
一人オーガに斬りかかった真琴だったが、真琴はオーガ相手に力で押し負け、殺されそうになった。住みついたオーガがまだ若かったからよかったものの、もし今日出会ったような十分に成長しきったオーガだったなら、本当に殺されていたかもしれない。
あの時の真琴は自分の実力を過信した無謀だったと、クイナスは思っている。
「そうだな。でも俺はあの時と今じゃ大分違うよ」
真琴は自分の左手に目を向ける。良くできているがそれは義手だ。森に潜む怪物と対峙した時、真琴は自分自身の命を守るために、自ら腕を斬り落とした。この傷は敗北の傷であると同時に、真琴の成長の証でもあるのだ。
「二匹目のオーガ。あいつはオーガにしてはちょっと小柄だった。多分若いか……メス何だろうと思う。なら多分俺一人でも勝てるはずだ」
「……」
真琴の言葉に、クイナスは考えこむ。オーガと一対一で戦う。危険で、無謀だ。
「マコトは俺たちの手伝いはいらないのか?」
「そうじゃないさ。俺だって成長したんだぜってクイナスたちに見せたいだけ。昔みたく自信満々ってことはないけど、これでも大分強くなったはずだぜ?」
その言葉にいくらかの嘘があることを真琴は自覚していた。強くなったことは嘘ではない。けれど、
「俺は未熟だからさ。皆と合わせて戦うよりも一人の方がやりやすいんだ」
その言葉にも嘘はない。だが真琴の脳裏には昔イラから言われた言葉が蘇っていた。
『以前自分は自分の戦い方が騎士のそれと近いと話していたと思いますが、自分は正直集団戦が苦手です』
特出した戦力は集団戦に向かない。特出していても集団戦ができる人間はいるだろうが、少なくとも真琴には難しい。
五人の中で、真琴は一人実力が頭一つ抜けていた。誰かに合わせた戦いが、真琴は苦手だった。
「だからそうしないか。多分、それが一番勝率が高い」
「……そう、か」
クイナスは苦い表情だ。彼自身感じていたことだ。クランにいた頃から真琴の戦力は頭一つ抜けている。さっきの戦いを見ていても、力の差はさらに開いているように見えた。
もしかすると、今の真琴が全力を出せば金級の一つ上、聖銀級にも手が届くかもしれない。
「分かった。なら真琴にオーガ一体を任せる」
「ありがとな。クイナス」
長考の末の答えに、真琴は小さく頭を下げた。
「ごめん」
小さくつぶやく。しかし真琴はクイナスたちと道を違えてしまったような気がした。




