閑話⑥ エクス
予定を変更して閑話を一話投稿。数日おきに投稿していきます。
「冬に飲む酒はまた格別だな」
新ロエ村を出て、王都に帰還したエクスはグランヘルムに直接報告をした後、荷物を自室に置いて行きつけの酒場に来ていた。
淡い青色の酒を口に含む。柔らかな甘みと酸味を味わいながら喉に通す。そして小さいながらも見事に整えられた庭を眺めた。
老齢を感じさせる木々には若い雪が降り積もり、水を受け止める石桶の表面は澄んだ氷が張っている。
今回の戦いで失ったものは大きい。明日から利権をむさぼりたい貴族たちの激しい突き上げで忙しくなるだろう。
「しばらくはここに来れないかもしれないな」
エクスがぼそりと呟く。すると厨房の奥から店長が顔を出した。
「おや?そうなんですか?」
「あぁ。大きな失敗してな。忙しくなりそうだ」
「珍しいですね」
「そうでもないさ。齢を重ねて“玉石”などと呼ばれるようになったが、今でも失敗ばかり。槍も精霊術も未熟極まりなくて涙が出てくる」
「いえいえ、そうではなく」
「む?」
店長は厨房から出て、エクスの隣の席に座り込んだ。丁度エクス以外の最後の客が帰ったところだ。女将もその客を見送ると、酒を持ってエクスの隣に座った。エクスが丁度店長夫妻に挟まれる形だ。
「エクスさんが、いや兄貴がへこんでるのが珍しいんだよ。ほら、兄貴は失敗しても大体『次のために鍛えるんだー』って言ってるだろ?だからしょぼくれてるのはあんまり見ない」
「お前は私のことをよく見ているな」
「たった一人の兄貴だからな」
店長――エクスの弟のノラはニカっと笑った。
*
「そうかもしれない」
弟を前に、エクスは杯を置いた。
「イラ・クリストルクという男を知ってるか?」
「知ってるかも何も、兄さんと同じ玉石だろ?今は王都にいないらしいけど。そいつがどうかしたの?」
「私はあいつのことがずっと気にくわなかった」
「へぇ」
声を上げたのは女将だ。ノラもくいっと眉を上げた。生真面目なエクスが人を嫌うなど珍しい。少なくともノラはエクスが誰かを気に食わないなどということを言うのは初めて聞いた。
「何せあいつは戦争中、王や王妃に真っ向から反抗していたからな。作戦は聞かない。命令は無視する。仲間は生餌にする。そのことを悪びれもしない。しかも王と王妃は奴のことを罰せず、自由にさせていた。理解ができなかったよ。どうしてこのような狂人を重用するのか理解できなかった」
「ふぅん」
重々しくため息をつくエクス。ノラは自分のために酒を注ぎ、くいっと飲み干した。エクスが頼んだのと同じ酒。瓶で買うと金貨を何枚も積まないといけない額だ。
「だから私とあいつは何度もぶつかった。命令を聞け。作戦通りに動けとな。そして何度も負けた」
「負けたんだ」
「そうだ。あれほど同じ相手に敗北したのはサギタ師とお前くらいだ」
ノラは空になったエクスの杯に酒を注ぐ。酒瓶を置いて、エクスの方を向いて頬杖をついた。
今でこそ隠れた名店の店主となっているノラだが、かつてはエクスとも対等以上に戦うことのできる戦士だった。しかし家との軋轢で道を外し、エクスとの死闘を経て、今ここに座っている。
ノラには片腕がない。エクスが斬り落とした。そのことがノラとエクスの戦いの証だ。
「お前の時とは違い、上手くいかなかった。戦って、負けなければ分からないことがある。私はイラがずっと間違っていると思っていたんだ」
「いたんだってことは、それは違ったの?」
「あぁ。戦いが終わったあの日にようやく気づくことができた」
今でも忘れることはできない。戦争が終わり、それでもイラは戦い続けようと国王であるグランヘルムにさえ剣を向けた。『憤怒』の刀で味方を全員殺そうとまでした。
しかしイラは剣を振り下ろすことはできなかった。その代わりにイラは絶叫した。帝国への怨嗟の全てを吐きだして絶望した。
そこまであってようやくエクスは気づくことができたのだ。
「奴は、イラ・クリストルクも始めから狂人だったわけではない。戦いや殺しに快楽を覚える人間ではないとな。奴も、いやあいつこそが戦争の何よりの被害者だったのだと」
狂っているのではなく、狂わされた。壊れたのではなく、壊された。憎しみを抑えきれず、復讐を決意し、気が狂うほどの信念を持ってイラは“玉石”になった。
その想いの強さに、理由の深さにエクスはずっと気づくことができなかった。
「私はずっと間違えていた。あいつのことを見誤っていたのさ」
懺悔のような告白を終え、エクスは酒をわずかに含んだ。どことなく、酒に苦みを感じる。これはエクスの気まずさだろうか。
ノラはエクスの告白を聞いて、囁くように言った。
「でもさ。兄貴だって言う程余裕はなかったんじゃない?」
「余裕?」
「そう」
ノラは頬杖を止めて机を指でトンと叩く。
「戦争の時は俺も従軍して雑用やら料理やらやってたからさ。よく分かってる。誰にも余裕なんてなかったよ。一人ひとりの戦う理由なんてそれこそ、グランヘルム様くらいしか分かってなかったでしょ。本当に頭がイッちまった奴もいくらでもいたんだし。兄貴が勘違いしてもしょうがない。それにイラ・クリストルクが作戦を無視して、命令を聞かなかったことは事実で、それは本人も分かってるんじゃない?」
「それは……確かにそうだが」
「なら話はそれだけだよ」
ノラはエクスに向かって、机に肘をつけたまま指さした。
「兄貴は戦争の時イラ・クリストルクを見誤っていた。でも今はそれが違うと分かった。イラ・クリストルクも昔は狂っていた。でも今は違う。それでいいじゃない。大事なのはその後。今だよ」
「……そうだな」
エクスは表情を崩して苦笑した。言われてみればその通りだ。エクスの中に残っていたわだかまりがほどけた気がした。
「ノラだってそうやって今があるのだものな」
「そういうこと」
ノラは格好つけて言い、女将とエクスは二人して静かに笑った。ノラは笑う二人にむっとしたが、穏やかに笑う二人に自分も笑みを作った。
雪は止むことなくしんしんと降り積もる。穏やかな「家族」の光景がそこにはあった。
以上、エクスの独白のような閑話でした。本話に登場したノラについてはシリーズにある『野良犬と呼ばれた弟』<https://ncode.syosetu.com/n7314ew/>に詳しく書いているのでよろしければご覧ください。
エクスとグランヘルムが若い(幼い)頃のエピソードです。




