第37話 醜い強さの理由
「ただいま戻りました」
翌朝、イラは自分の家の扉を開けた。朝帰りだ。居間に入ると、そこには防具を身につけ、準備万端の状態でソファに座った真琴がいた。
「すみません。遅くなりました」
「おう」
真琴の声は暗い。それにイラの方を向こうとしない。
(これは……何かあったかな)
チラリと台所を見る。そこにはイラが洗った覚えのない二つ茶器が置いてあった。
「誰か来訪があったんですか?」
「……あぁ。あのエクスの副官の」
「なるほど」
イラは真琴の向かいのソファに腰掛ける。ピクリと、真琴の肩が揺れた。怖がられているのか?そうも思ったが、真琴がイラへの恐怖を感じている素振りはない。
気まずい。イラへの態度を決めかねている。そんな感じだ。
「……ベルロッドには、ひどいことをしました」
だからイラの方から切り込んでみた。真琴はハッとした顔で頭を上げる。ようやく真琴と目が合った。真琴の目の下にはクマ。あまり寝ていないことが分かった。
「なら、あいつの言ってたことは本当なのかよ」
「彼が何を言っていたかは知りません。ですが、大抵のところは真実でしょうね。ベルロッド……ルーメンドは俺にとって大事な友人だったのですから」
ルーメンド・ラン・ベルロッド。いつも頭にある、というわけではないが到底忘れられそうにない名前だ。
ルーメンドとイラがどのようにして出会い、会話をし、そして別れたのか。誰にも語るつもりはないが、最終的にイラの為したことは非道と罵られてしかるべきことで、ルーメンドのことは“透徹”が王国で恐れられる理由の一つでもある。
そして、ルーメンドの死後、”透徹”から一切の甘さが消えて、さらなる狂気に落ちたことはイラと親しかったごくごく一部の人間にだけ察することができた。
「じゃあ、なんでそんなことをしたんだよ。『ひどいこと』っていうくらいならしなければよかっただろ」
真琴の声は震えていた。イラに対する疑念。その裏返しにあるのはイラを信じたいという思い。だが同時にあの軍服たちを目の前にしたイラの狂気に満ちた顔も、真琴の頭にかすめる。
「……」
「そんだけ、帝国が憎かったのか?」
「憎いか、憎くないかでいえば、憎かったですよ。憎くて、憎くてしょうがない。もちろん今でも。あいつらにやられたことは決して許せるものではありません」
目を伏せ、深い憎悪をにじませるイラ。帝国がイラに何をし、また何を見せつけたのかをイラは片時も忘れることはなかった。
「なら何をされたんだよ。あんたは何をしたんだよ。皆教えてくれねぇ。エクスも、シイナも、それに先生も。なんであんたが昔……帝国との戦争の時にやったことを教えてくれねぇんだ」
今度は真琴がイラの過去に踏みこんだ。誰もが語りたがらないイラの過去。口には出さないが真琴が尊敬し、ひそかに感謝をしているイラのことを、真琴は知りたいと思う。
真琴の目に宿る強い光に、イラはわずかに息を飲む。出会った頃を思えば大きな変化だ。
(全くもって子どもは成長が早い)
帝国が王国に侵攻を開始したあの日。イラの大事なものが奪われたあの時、イラはまだ子どもで、けれどもっと幼い子どもを教える立場だった。彼らもイラの教えたことを乾いた綿のように吸収して、イラを驚かせたものだ。
「……少なくとも自分が口に出さないのは、それが自分にとって愛おしい、綺麗で無垢な思い出だからで、口に出してしまえばそれすら憎しみに塗りつぶされてしまうかもしれないからです。彼らが語りたがらないのは、恐怖と……後は君を怖がらせないようにでしょうね。何も知らずに教えを受けていた『先生』が、どれほど非人道的なことをしてきたかなんて普通は知りたくもないでしょう?」
「でも俺は知りたいんだよ」
迷いがない。真琴は一度こうと決めたら、これで中々頑固なところがある。
はぁ、とイラはため息をついた。
「……この村が『新』ロエ村であることは知っていますね」
「あん?当然だろ」
「ならこの村が元々ロエ村と呼ばれていたことは?」
「なんとなく。新ロエ村があるなら、旧ロエ村か、ロエ村があってもおかしくはないだろ」
「その通りです。この村は昔ロエ村と呼ばれていて、自分はその村の唯一の生き残りです」
「生き残り?」
「はい」
新ロエ村、もといロエ村は王国領であるが深い森をはさんで帝国領に面している。帝国領に面した王国領の村はロエ村以外にもいくつかあったが、不幸にも最初に狙われたのはロエ村だった。
「村は焼かれ、生まれ育った家は壊され、挙句の果てには……」
大事な恋人と教え子を目の前で皆殺しにされた。それもただ殺すだけではない。帝国兵はいかにむごたらしく、残虐に殺せるかで賭けすらしていた。その賭けの採点者はイラ。イラは醜い笑いを浮かべる帝国兵に抑え込まれ、大事な人たちを殺され続けた。
彼らの救いを求める声は今でもイラの耳にこびりついている。彼らが少しずつ人間から死体に変わっていく様は瞼の裏に刻みこまれている。
「あの日、俺の中に消えない憎しみの炎が生まれた」
帝国が憎い。でもイラは強くなかった。少なくとも帝国が攻めてきたあの時は、イラは“玉石”と呼ばれる実力どころか精霊術士として最低限の実力しか備えていなかった。
「俺は才能がなかった。憎しみを、復讐を果たせるだけの力はなかった」
血反吐を吐きながら己を痛めつけ、鍛え上げても、それは小さな一歩でしかない。グランヘルムのような本当に才ある者の鼻歌まじりの努力にも劣る。天才と凡人の間には隔絶した差があるのだ。素のままのイラではそれを埋めることはできなかった。
「なら、どうしたんだ?」
「簡単なことです。並の努力で不可能なら、並ではないことをすればいい」
凡人であるイラには一つの才能があった。精霊器作り。人が魔獣に勝てない。けれど剣を使えば勝てる。赤子は大人に勝てない。けれど銃があれば、引金を引く筋肉だけで大人を殺せる。
弱者が強者に抗うための力。それが武器、精霊器だ。
「精霊器。武器。非才な我が身を作り変えるために、俺はこの身に精霊器を埋め込みました」
精霊を見る才能がなかった。だから右目を抉り出して精霊を見る魔眼を埋め込んだ。
相手の動きが目で追えなかった。だから左目を抉り出して相手の動きを見切る魔眼を埋め込んだ。
体の動きが追いつかなかった。だから筋繊維と神経細胞に動きを補助する糸を一本一本埋め込んだ。
適性が足りなかった。だから自分の魂に異形の概念を入れ込んだ。心に干渉して、作り変えた。
強さが欲しかった。だから心臓を取り変えて、戦うための心臓にした。
もちろん始めは失敗ばかりだった。体内に埋め込んだ異物は激痛と情動の破壊を行い、昼夜を問わずイラを苛んだ。肉体は悲鳴を上げるように痛みを訴え、飽和した喜怒哀楽は絶えず訪れ、過去のトラウマと幸福な日々が脳裏に交互に再生された。黒色だった髪の色はストレスで抜け落ち、灰色、白、それすら通りこして銀へと変化していった。
イラはより過酷な苦痛があると分かっていながら何度も目を抉り、皮膚を裂いて神経に糸を埋め込み、引き抜き、心を砕いて概念を取り込んだ。何度も何度も何度も何度も。
そしてイラの髪が黒から銀に変わり切った頃。
「ようやく天才たちと対等。肩を並べることができました」
だからこそイラはエクスのことを苦手とし、けれど尊敬もしているのだという。
「エクスさんは自分とは異なり、真っ当な努力の末に今の力を手にしましたから。自分が言うのも何ですが、彼も自分側。凡人です。それを自分はずるをすることで打ち破り、彼は努力と信念で乗り越えた」
ともあれ、イラは肉体改造をし、一つの固有術式と一つの“根幹”を手に入れることで完成した。“透徹の暴霊”イラ・クリストルクの誕生だ。
「ですがそうまでしても肩を並べただけ。足りないものは山ほどあった」
「だから、なのか?」
「はい。自分は帝国を滅ぼしたいために徹底的に自分をすり減らした。それでも足りなかった。だから仲間をすり減らしたんです」
よく知らない仲間の命なんて、いくら使っても心は痛まなかった。生餌にし、大規模精霊術行使に巻き込み、仲間ごと剣で帝国兵を突き刺した。痛むはずの心は、あったはずの良心は憎悪の炎と作り変えられて歪になった精神が封じ込んだ。
「とはいえ、ベルロッドのことは、ルーメンドのことはしこりとして残りました。だからこそなんでしょうね」
戦争が終わったあの日、あの時。狂っていたはずのイラはグランヘルムを殺すことができなかった。仲間殺しへの恐怖。他者への情。捨てたはずの良心の呵責。あるいはヘルミナたちを知るグランヘルムを殺すことへのためらいもあったのかもしれない。
イラの復讐心は折られて、立ち止まってしまった。
「ざっとこんなもんですよ。自分の昔話は」
一人の平凡な男が憎悪を胸に抱き、全てを捨て、すり減らしながら戦い続けた挙句、復讐を折られて絶望した。言葉にすればそれだけの話。どこにでもあるような、タイトルをつけるならさしずめ『とある復讐者の絶望』だろうか。その程度の陳腐な話だ。
「後に残ったのは人の皮を被った化け物と、そんな彼を恐れ、憎む仲間たちだけ」
周りを顧みなかった罰だ。けれど後悔はしていない。あるとするなら始まりの日にヘルミナたちを守れなかった弱い自分だけ。もし記憶を持ったまま過去に帰れるとしても、イラは同じ選択をすることをためらわないだろう。
例えその末に蔑みと絶望が待っているのだとしても。
「だから恐れ、軽蔑しても構いません。むしろ自分はそうされて当たり前の人間なんです。だから……」
「軽蔑なんてしねぇよ」
底へ底へと沈みこみそうなイラに真琴が口を開いた。その言葉にイラは真琴を見つける。
いつの間にかに真琴から感じられた迷いは消えていた。
「怖い。その気持ちはなくなんねぇ。でも軽蔑なんてできるわけないだろ。先生、あんたは頑張ったんだ。自分にできることを何でもやって、たった一つの気持ちを大事にしたんだろ?そんな奴を俺は軽蔑なんてできねぇ。……する奴がいたら俺が怒ってやる」
「君は……」
「俺が女神様から力を与えられただけのちっぽけな奴だからかもしんねぇけど、先生の真似はできねぇなって思うよ。そんな風に自分を追い詰めて、追い詰めて、そこまでして強くなりたいって思うことはできねぇ。やっぱり先生はすごいよ。俺……先生のことを尊敬する」
この話を聞いてどこにイラを尊敬する要素があったのか。真琴はどこかずれている。だが。
「ありがとうございます。そう言ってくれたのは君が初めてですよ」
尊敬。その言葉はイラから最も遠い言葉だと思っていた。今もそうであるとは思えない。けれど真琴からの尊敬を無為にはできないと、イラは思った。
*
昔話が終わって、イラは一枚の地図を机に広げた。
「エクスさんと今日の作戦を決めてきました」
広げられた地図は森の大まかな地理を描いたものだ。そこにはいくつか丸がつけられていた。
「君たちは今日から森の中を捜索します。メンバーはエクスさんが連れてきた騎士団の三十人とエクスさん、そして君です」
二人一組を作り、決して一人にならないようにしながら森を捜索する。もし敵と遭遇したら一名が抑えているうちにもう一名が精霊器で連絡を取ると同時に狼煙を打ち上げる。狼煙を見れば全体がそちらへ向かう。始めに接敵した相手は無理せず戦いを長引かせることに勤め、頭数が揃うかエクスが到着した時点で戦闘を開始する。
広域を捜索しつつも騎士の命を最優先においた布陣だ。
「二人一組と言ってもエクスさんは単独で捜索するそうですが」
“玉石”たるエクスならば、単独の方が効率がいい。当然のように捜索する範囲も一番広い。
「そうかよ……あれ?なら先生は?」
「自分はここで待機、というか村の護衛ですね」
「え……」
イラの言葉に真琴はパチパチと瞬きをした。てっきりイラも森の捜索に参加するものだと思っていたのだ。
「まさかエクスの奴が……」
「違いますよ。これは自分が言い出したことです。さっき言ったでしょう?俺は帝国が憎いんです」
帝国を前にして、冷静になれるかどうかは分からない。それがイラとエクスの共通の見解だ。
「帝国は憎い。ですがこの作戦は連携が要です。いくら強力と言っても暴発する危険の高い駒を使うわけにもいきません。それに村も守らないといけないでしょう?自分と、負傷したシイナさんの二人なら、村を守り切れるはずです」
騎士だけで村を守ろうとすると、少なくない数の騎士が必要になる。人的コストを考えても、これが最適解だ。
「ってことは俺と先生は離れ離れか」
「えぇ、ですが自分は信じていますよ」
真琴はこの数か月で技術的にも、精神的にも大きく成長している。実際軍服たちとの戦いでも一人生き残ることができた。
「自分は自分の戦いがあります。真琴も真琴の戦いをしてください」
イラは拳を握った腕を突き出した。いつか真琴が暇つぶしがてらに教えた冒険者流の健闘を祈るというサインだ。
「先生……おう分かった。やってやるよ」
そんなイラに対し、真琴もまた、拳を握った腕でガツンとイラの腕を叩いた。
イラがずる(チート)をしたと取るかどうかは読んでくださる皆さまの判断に任せます。
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