第23話 冬のある日に
「はああああああ!」
気勢と共に剣を振る。その剣は鋭く空を切り、飛ぶ鳥すら落としそうな勢いだ。
「甘い!」
しかし、その剣が振るわれた相手はその剣でもまだ遅いと言わんばかりに剣を素手で叩き落とし、剣士に向かって蹴りを放つ。
腹部を突き抜けるような激烈な一撃。しかしその一撃が当たる前に、剣士は後方へ下がり、詠唱した。
「エザク エタナウ!」
放たれるのは風という名の暴力。かまいたちを伴った破壊の渦が男に迫る。
「エザク エタナウ」
だがしかし、男もまた同じ精霊術を行使する。剣士の風と男の風。混ざり合い、打ち消しあって一息の間は互角に見えた。だがその拮抗はすぐさま崩れる。
「ぐあっ!」
「イメージが足りていません。六十点です」
吹き飛ばされたのは剣士だ。後出しの風に、剣士の風は塗りつぶされた。
そこには圧倒的なまでの精霊術の力量差が存在していた。
吹き飛ばされ、体勢を崩した剣士に男が迫る。握られたのは拳。それにさらに風の手甲が加わり、一撃必殺の殴打が剣士に見舞われた。
「……っ!」
かわすことはできなかった。衝撃が剣士の全身に伝わり、剣士は崩れ落ち、沈黙した。崩れ落ちた剣士を確認し、男――イラはふぅと息を吐いた。
「随分と体が動くようになってきましたね。今日はここまでにしましょうか」
「強くなった実感は全くわかねぇけどな」
「そんなもんですよ。真琴」
「そうかよ……先生」
イラが差し出した手を、剣士――真琴はガシリと掴んだ。
第二章 騎士の中の騎士と騎士あらざる騎士
あの森での一幕から数か月が経ち、季節は冬へと移り変わっていた。白い息を吐きながら、二人は先ほどの模擬戦を振り返る。
「動きの変な癖も抜けて、随分と無駄のない、すっきりとした戦い方をできるようになりました。しかしその分素直すぎますね。もっとフェイントなどを入れるといいでしょう」
「そっか。つってもさ、俺くらい速いなら、フェイントなんて無しにそのまま斬った方が速いって気も……」
「調子に乗らない」
「あいてっ」
真琴をデコピンする。ペチンといい音が鳴り、真琴は両手で額を押さえる。
「痛いじゃんかよ」
「教育的指導です」
ふんと鼻で笑って、イラは答える。
「確かに君は速いですよ。けれど君以上に速い人間は探せばいくらでもいます。それに君より遅くても、戦法や技術次第で覆されることもままあります。特に自分が真琴に教えているのは対人戦闘。本能と肉体だけで戦う魔獣ではないんです」
影衆のシイナさんなどはいい例でしょう? そう言うイラに、真琴は渋面を作る。
「あー、あの変なしゃべり方の女か。ありゃやりにくかった」
真琴は異形の怪物と戦った後、一度だけ手合わせした少女のことを思い出す。変則的なナイフさばきに、こちらの思考を先読みした動き。速さや膂力だけなら真琴の方が上だったが、それ以外の面で真琴はシイナに大きく水を開けられてしまっていた。
結果、真琴はシイナに手も足も出なかった。
「あれだけの技術を今すぐ身につけろとはいいません。それに彼女の戦い方はきっと、門外不出の技術を幼い頃から学び、積み上げてきたものでしょうから」
「そなの?」
「えぇ。自分が他では見たこともない動きがいくつも盛り込まれていましたからね」
イラは自分の左目をトントンと叩きながら言う。イラの両目は人工の魔眼となっていて、特に左の義眼は相手の動きを見切り、記録する“追憶の義眼”と呼ばれる精霊器となっている。
真琴には伝えていないことだが、この義眼と全身に潜ませている“操糸”という別の精霊器を組み合わせることで、イラは数度見ただけで相手の技術を理解し、模倣することができる。
「ともあれ、力はないよりある方がいい。力があることで余計なしがらみにとらわれることもありますが、それでも無力に打ちひしがれるよりもましでしょう」
「……先生はそんな経験があんの? その、力がなくて打ちひしがれたり」
「……」
真琴の問いにイラは沈黙を選んだ。その問いに素直に答えるならイエスだ。憎悪と、その根本にある無力感がイラの始まりの感情。
「あ、いやいいや。やっぱり今のなし」
「そうですか?」
だがそれを真琴に話したくはなかった。どう答えようか。考えていると真琴が先に言葉を撤回した。真琴が質問した理由は語るイラの顔に、普段は見せない色があったから。質問を撤回したのはイラの顔に寸の間、苦悩が浮かんだからだ。
人の感情を読み取ろうという姿勢で、真琴は大きく成長していた。
「すみませんね。まぁ、シイナさんだけではありません。リリアーナや、恥ずかしながら自分のような玉石と呼ばれる者たちも同様ですね。彼らに至っては技術だけではなく、基礎的な地力も君を大きく上回っています」
「はは。それはよく分かってる」
イラの言葉に真琴は苦笑する。騎士学校入学当初、リリアーナやフィリーネに一方的にやられたのは未だ記憶に新しい。
「なぁ」
「はい?」
「そもそも玉石って何なんだ?」
だから真琴は玉石と呼ばれる彼らが一体何者なのかが気になった。真琴は玉石と呼ばれる人物がいることは知っている。オウルファクト王国の抱えるとんでもなく強い精霊術士だと。
けれどその玉石が具体的にどういった人物なのかは、よくよく考えてみれば知らない。リリアーナやフィリーネからはもちろん、イラからも玉石についての話題は出てこなかった。
玉石とは何か。王国ではある種のタブーにもなっているその質問に、イラは顎に手を当てる。その答えはいくつか浮かんだが、その中で最も当たり障りのない答えを返す。
「……玉石とは五年前に終わった帝国との戦争で特に際立った活躍をした六人の精霊術士や騎士を指します。君が直接知っているのは自分も含めて三人……ですか」
“白”のリリアーナ。“緑”のフィリーネ。そしてイラ。そのうち二人は騎士学校関係者だ。真琴がいた騎士学校に玉石の三分の一がいたと考えれば、リリアーナがどれほど本気で人材育成に取り込んでいたことが分かる。
「六人にはそれぞれ得意とする色が割り振られていますね。自分なら黄。リリアーナなら白というように。後は全員が固有術式を使うことができます」
「ふぅん」
分かったような、分からないような。大事なところをぼかして話されているような感じだ。
「その玉石の中でさ、先生はどのくらい?」
「どのくらいというと?」
問いの意味が分からず、首を傾げる。
「先生は玉石の中で何番目に強いのかって聞いてんの」
「あぁそういうことですか」
これまた答えに困る質問だ。ふむと考えこんだ後、イラは肩をすくめた。
「何番目か、と言われると断言はできませんね。一番目でもあるし、六番目でもあると言えます」
「は? どゆこと?」
「玉石はそれぞれの能力が先鋭化されていて、一概に誰が強いとかは言えないんですよ」
一番高度な精霊術を使えるのは誰か、という問いをされればイラは一番がリリアーナ、二番が“黒”のニントスだと答えるだろう。相手の意図を読んだり、戦況を読んだりする対人戦闘ならと言われれば、一番強いのはイラだ。
しかし精霊術による防御はどうかと言われると“緑”のフィリーネの独走状態で、大規模破壊の規模を聞かれればグランヘルムが一番でイラは四番目と答える。
「仮に玉石同士で戦ったとしましょう。まず全勝する人はいませんよ」
まず“緑”のフィリーネの防御を抜ける人間がいない。誰一人として緑の精霊術による防御膜を破れずに終わる未来が透けて見える。反面、フィリーネ自身も玉石に痛打を与える火力を持っていないから千日手だ。
対人戦が得意なイラも、エクスやグランヘルムになら勝てるだろうが、精霊術の技術で劣るニントスやリリアーナが相手となると少し厳しい。しかしエクスとリリアーナなら、エクスに軍配が上がる可能性もある。
要するに相性だ。
「そっか」
真琴はイラの説明を聞いて、あいまいに頷く。
「でもなーんかもやっとすんな」
「そんなもんですよ。ただまぁ……」
玉石の中で最強は誰かという問いには答えられない。しかし。
「ぎょ……おや?」
「ん?なんで?」
イラが口を開く直前、遠くからカラカラと馬車を引く音と誰かの足音が聞こえてきた。
「馬車?」
珍しいこともあったものだ。今真琴たちがいる新ロエ村は帝国と隣接した辺境だ。帝国と王国は休戦中ということもあって、国交はほとんどない。
馬を引く行商人が来ることすらここでは稀なのだ。
なのに遠くから聞こえてくる馬車の音から、馬の数は十を超えることが分かった。一匹狼の冒険者を雇って旅をする行商人にして数が多すぎ、大規模なキャラバンを作って旅をする大型商人がここに来るとしても数が少ないし、第一その想定が考えにくいものだ。
「先生……」
馬車の音はイラも聞き取っているはず。相手の正体を聞こうとイラの方を向いた真琴だったが、イラは気まずそうに顏をしかめていた。
「先生?」
「あー。あの人が来ましたか」
居心地悪そうにイラは頬を掻く。真琴が困惑しているうちに馬車の音はさらに大きくなり、その姿が見えてきた。
雪道を進む高級馬車には、両翼を広げたフクロウと宝石と象ったオウルファクト王国の国旗が高々と掲げられている。国旗を掲げるということは、国王の指示で動いていることを示す証だ。そしてその下にある二本目の旗は、二振りの剣と盾があしらわれた、騎士団を表す旗。
馬車はイラたちの家の前でピタリと止まった。そして先頭の馬車の扉が開く。中から一人の男が出てきた。
「久しいな。イラ・クリストルク」
「……えぇ、お久しぶりです。元気そうで何より」
「無論だ。王国を守る剣として、体調を崩すわけにはいかない」
重々しい声としかめ面で話すその男は銀と蒼に彩られた重厚な金属鎧を身につけ、手には余計な装飾の一切ない武骨な槍を手にしていた。壮年の男で全身から武人としての風格を漂わせている。
その男からは隙というものを全く感じず、近くにいるだけで息がつまるような圧迫感に襲われる。
「あ、あんたは……」
男のただものならざる雰囲気に呑まれかけている真琴はようやく一言だけ声を絞り出した。男は視線を真琴の方に向けると、険しい顔つきのまま答えた。
「年長者に対して『あんた』という言葉遣いは感心せんな。もっとよく考えて言葉は使うといい」
「なっ……!」
咎めるような男の言葉に、真琴はしばし言葉を失う。初対面の相手に対してその物言いは逆に失礼ではないのか。そう口を開こうとした時、イラが真琴を手で制して一歩前に出た。
「ここは冷えます。ひとまず自分の家で話をしませんか?“青の玉石”エクス・ナイツナイツさん」
「それもそうだな。ではご招待にあずかるとしよう」
イラの説明も含めた言葉に、真琴は息を飲む。玉石の一人であるエクスはイラの誘いに、笑み一つ浮かべぬまま頷いた。




