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第17話 不壊の怪物


「テ、リ、ィ……リィィ!」

 先ほどイラが与えたダメージは怪物にとっていかほどのものだったのか。分かることは怪物が今まで以上に本気になったということだ。

 怪物は魔獣をけし掛けつつ、触手を足代わりにして突進してきた。その速度は先ほどの比ではなく、また魔獣を巻きこむことに頓着する様子もない。


「チイッ! イオロイ エザク」

 イラは両手に風の鎧を生み出し、その鎧ごしに怪物を掴んだ。


「しっ!」

「リィィ!」

 そして真横に薙ぎ払う。重い。怪物の持つ重量にイラは冷や汗を流す。


 薙ぎ払われた怪物は木々をへし折りながら再び空を舞い、だがそれだけに留まらなかった。空中に浮いたまま触手を生やしてイラに放つ。イラはわずかに目を見開き、流水の剣で斬りさばく。

 散った触手が辺りに飛び散り、汚い黒をまき散らす。


「このっ」

「ティ、リィィィィィ!」

 ドスンと怪物は地面に着地し、今度は触手ではなく、獣の足を出して地面を疾走した。


「んな!」

 とっさに真横に飛んでかわす。怪物は野性の獣顔負けの俊敏な動きでイラをつけ狙う。


 シリンダーを回転。黄のカードリッジをセットし引金を引く。岩石を生成して怪物の足元に投げつけた。それも怪物は素晴らしい反射速度で避けて見せる。着地地点に足をつけようとしたところでイラは指を鳴らす。すると四足の内の一つが泥になった地面に沈んだ。

「リィ?」

 自分の思う通りに動かない体に怪物は戸惑いを見せる。その隙に詠唱。


「ウレアノト アリ ネグネク ウテツオト エソボロウ イタグ」


 “穿つ透徹の礫”。それを周囲ではなく、怪物のいる範囲に絞って放った。

「リ、ティィィィ!」

「これで終わると思うな。ウレアノト アリ ネク ウテツオト ウーイズ エタナウ」

 身体にいくつもの貫通痕を空けた怪物にさらに追撃。水晶の剣を10本生成し、それを怪物に放って突き刺す。


「リィ」

「まだだ。ウレアノト アリ ウテツオト オレカヅク エサコ アラク イツ」


 “穿つ透徹の礫”と水晶の剣に干渉して、それらをバラバラに砕く。バラバラになる時にできた破片が怪物を内側から侵す。


「ィ…」

「まだまだ。ウレアノト アリ イエリエス オルタウ エソロク ウコイスコル」


 程よく怪物の体内に結晶が入り込んだところで、イラはもう一枚手札をさらす。生成した透徹の水晶を下級の精霊術に変化される“放たれた精霊たちの悪戯”だ。内から外から怪物を食い散らかした水晶が、さらにはじけて破滅をもたらす。


「r…」

 怪物はもはや鳴くことすらできずにその暴虐を受け止めた。どす黒い皮膚が七色に輝き、泡立つ皮膚を突き破るように水や炎の茨があふれ出る。

 一気に密度の薄くなった怪物だが、まだ動いている。汚らしい黒の中に汚らしい黒の瞳を作ってギョロリとイラをにらみつけた。


「ァァ……」

「っ!」

 これまでとは違う呻き。イラは危険を感じてその場から飛び退く。そこに黒の拳が降り注いだ。


「これは」

「ァ……ィ、リア。アアアァアァァィイイィイッィイイウウリリリリ!!!!!」


 怪物から生えているのは四本の巨大な拳。それは怪物の腕というよりも別の生き物のそれのように見える。いや、それはさっきの獣の足もそうだ。


 巨大な拳に獣の足。


 そこに強い違和感を覚える。何となく、怪物らしくない。


「おっさん! それは“森の王”の腕だ!」

 イラが思考の中に沈みそうになった時、背後からマコトの声が聞こえた。ハッとして、怪物を改めて観察する。


「まさか。そういうことなのか?」

 怪物の巨躯の中にはかつて“森の王”と呼ばれたそれが封印されていた。いやイラの猛攻によって肉体がずたずたに破壊されたからその残骸と言うべきだが。そしてその他にも森に棲む多種多様な魔獣の死骸。その中には獣型の魔獣もいる。


 この怪物は取り込んだ魔獣ないし生命の特性を使うことができる。


「タチわりぃなおい」


 生物というものは成長の過程で何かしら切り捨てているものだ。それは例えば速さを求めて重さを捨てたり、頑丈さを求めて攻撃力を捨てたり、あるいは中庸さを求めて先鋭を捨てたりだ。人間だって知能を得るために強靭な肉体を捨てた。

 何にせよ、一つの生命体が全ての特性を得るなんて不可能なのだ。

 だがこの怪物は違う。おそらくあの不定形の肉体が、その不可能を可能にした。そもそも生命かどうかも怪しい存在だ。その程度、朝飯前ということだろう。速さを持ちながら重く、頑丈でありながら高い攻撃力を持つ。存在の弱点を徹底的に潰していった結果があの不定形の姿であり、死を超越するための手段が、無色の精霊の代わりの黒の精霊なのだろう。


 自然発生したにしては意図的過ぎる。これは明らかに計算されて作られたものだ。イラの最悪に近い予想はどうやら当たったらしい。

「『()()』の原典。ゼロから生命を作る冒涜的な能力か」

 世界に14しかない“大罪”と“美徳”の魔剣。一度手にすれば、同じ“大罪”“美徳”の魔剣の持ち主か、玉石級の精霊術士以外倒せないと言われるほどの力を秘めたそれはしかし、半数近くが所在不明となっている。


 それは“大罪”“美徳”の魔剣がいつの時代から存在しているか分からない剣だからであり、戦乱の最中に紛失するということが多々あったからだ。

 ゆえに、現在所在が判明している“大罪”“美徳”の魔剣の数は八本。そして所在が判明している中に“色欲”の名前はあったはずだ。


「あぁ、あぁ思い出しましたよ。確か“色欲”は帝国が持っているんじゃあありませんでしたっけねぇ」


 その事実に思い至り、イラの中の自制心が吹き飛んだ。


「あのくそども。また王国にちょっかいかけてきやがった。ったく死ねよ。てめえらに吸わせる息がもったいねぇだろうが……死ね死ね死ね死ね死ね」

 イラはブツブツ呟きながら、自身にかけていた制限を解いていく。この怪物が正体不明の何かではなく、帝国からの「()()()()()()」であるとするならば、全力で「()()()」をしなければならないだろう。


「“操糸”の活動率を三十パーセントから五、いや六十%に。“見霊の義眼”、“追憶の義眼”も同様に。“偽装変遷の器”と“拡魂杯”を可能なラインまで活性化。“玉の心臓”から貯蓄精霊を肉体へ。……“操糸”“見霊の義眼”“追憶の義眼”“偽装変遷の器”“拡魂杯”“玉の心臓”の動作確認完了」

 根幹がない状態でできる最大の自己強化を施す。全身が無理をさせるなと悲鳴を上げ、軋み、痛みを走らせるが、全てを無視する。


 帝国に害をなせるのなら、そんなこと気にしない。このまま全てを置き去りにして帝国まで行ってやろうか。それはさぞ楽しいことだろう。そうだ。何をためらうことがある。もう八年もこらえたじゃないか。これ以上こらえる必要なんてない。


 全てを破壊したいというこの衝動に身を――


「おっさん?」

「……あぁ」

 そんなイラにマコトが声をかけた。それで飛び出しかけたイラの動きが止まる。イラは口を開きかけ、また閉じる。それから大きく息を吐き、頭を振った。


「すみません。少々取り乱してしまったようです。もう大丈夫ですのでご安心を」

 引き留められた。どうやら“拡魂杯”を活性化させたことで周囲に漂う黒の精霊の影響をモロに受けてしまったらしい。


「まさか君が自分を止めてくれるとは思いませんでしたよ」

 出会ってまだ2週間だというのに。おかしな話だ。再燃した帝国への憎悪の炎は消えていないが、冷静は取り戻した。イラは活性化させた“見霊の義眼”で改めて怪物を眺める。イラの藍の瞳が薄く輝く。


 怪物は取り込んだ生命の能力を使うことができる。そのせいであれこれ能力がついてわけが分からなくなっているが、あの怪物の根幹となっているのはその生命の収集だろう。

 あの巨躯も、獣の足も、岩石のような拳も全てがその収集能力が根本にあるとするならば、もしかしたら寄生体の能力も“森の王”の森にいる魔獣を従える能力を収集した結果からかもしれない。

 精霊は精霊術の干渉を受けない限りは、物質位階の環境を正確に写し取る。そして精霊の素の動きを見れば、その存在がどういったメカニズムの元に動いているのかも分かる。


「見ろ」

 “見霊の義眼”の力は精霊を視認と観測。眼鏡で抑制し、非活性化状態にある普段ならぼんやりとした精霊しか見えないが、最大限活性化させて深度と精度を高めた今ならば、この怪物の正体もつかめるはずだ。


 怪物が“森の王”の腕でイラに殴りかかる。速度、威力共に討伐ランク聖銀“森の王”のそれと何ら劣るわけではないのだが、操糸と追憶の義眼を活性化させたイラにとってはあくびが出るほどのものでしかない。ひょいひょいと拳をかわす。


 拳をかわしながら怪物を『見る』。怪物は黒の精霊で動いている。内界位階の精霊というものはただ中にあるのではなく、個という世界を支えるために常に活動している。規則的かつ美しく、そして最低限に。だからその無色の精霊を最低限以上に動かすことが『戦士』の第一歩になるわけだが、この怪物の精霊の動きはあり方同様不自然だ。


 内界位階は一つの世界。内界では精霊は一つの円のような動きをするはずだが、この怪物の中では大小さまざまな円があり、それを乱暴に溶接したような動きを見せている。読み取るべきはその円一つ一つの意味。精霊術の陣は精霊の動きを元に作られた。だからイラも怪物に手の内を可能な限りさらけ出させて解析する。


「ウレアノト アリ ネク ウテツオト」

 トン、と軽く大地を蹴って怪物に肉薄。左手に作った水晶の剣を怪物に深く突き刺す。

「リィィ!」

 怪物はいやいやというように触手を生やし、イラに叩き落す。イラはそれを身のこなしと流水の剣で受け流す。


「ウレアノト アリ ウテツオト オレカヅク エサコ アラク イツ」

 そして詠唱。突き刺した剣が弾け、怪物を襲う。その傷を怪物は修復する。その様子をイラは見霊の義眼でじっと見る。


 ズキンと目が痛んだ。それからタラリとした粘性の強い赤い血が、イラの藍の瞳から流れる。

「っ」

「リィ!」

 それを好機と見たか、怪物はイラに銃口を向け、撃った。


「おっさん!」

 不意打ちだったからか、それとも弾丸が速すぎたのか。怪物の弾丸はイラの肩に命中した。マコトが驚きの叫びを上げる。

「ィィ」

 ようやく当たったかと怪物が喜悦をもらした。


 だが。


「申し訳ありませんが」

「え?」

 怪物の弾丸の撃たれたものは、そこから浸食され脳を乗っ取られる。そのはずなのにイラは一向に脳を侵される様子はない。


「自分にその手の能力は効きませんよ?」


 被弾したイラの肩から怪物の弾丸がポロリとこぼれる。そしてイラの肩から何か「白い糸」のようなものが見えた。

「“操糸”。これであなたの乗っ取りの能力が脳に糸を送り、半死体状態にして肉体を操るものだと分かりました。ですが自分はすでに似たようなものを体内に取り込んでいるもので、自動的に弾かれたようですね。全く、ようやく正体がつかめました。()()()()()。その二つがあなた本来の能力であり、それこそがあなたの根幹であることも」

 触手、拳、再生、そして寄生。それだけの能力を見霊の義眼で見せられたのだ。おかげでこの怪物が何たるか理解できた。

 そして正体が分かれば対処もできる。滅ぼすことだって、できる。イラは総毛立つほどの満面の笑みで言った。


「さて、殲滅を始めましょうか」

 イラ無双です。

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