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仙道は立ち上がった。
「総理、行きましょう」
「あ、ああ……」
逃げようとする際に、あのアタッシュケース──《箱》が視界に入った。パソコンの乗ったパイプ椅子は倒れていたが、そちらのほうは、もとのままだった。
「それはもういらん。ただのおもちゃになった」
総理はこれまでにも『おもちゃ』と表現していたが、本当の意味でそうなったということだろう。
「ま、待て!」
徳井も立ち上がっていた。右手を撃ち抜かれていたが、ほかの兵士とはちがい、脚は撃たれていない。
同じように脚部が無事な花房は、しかし右肩への銃撃で、出血が酷い。いまでは戦意を喪失し、倒れ込んでいた。とてもではないが、立ち上がれないだろう。
「あなたたちの負けです。もうやめてください」
「ふざけるな! 素人に、われわれが負けるはずはない」
徳井の眼は、退くことを知らなかった。
腰に収められていたなにかを抜いた。銃器のたぐいではない。ナイフだ。当然、彼らが携帯しているのだから、果物をむくような平和目的のものではない。軍用のそれだ。
「さがっててください」
仙道は、総理に言った。
「どうするんだ? 君が勝てるとは思えない……」
そのとおりだった。だが、この悪夢を終わらせるには、どこかで闘わなければならないのだと予感があった。
ジリッと、徳井が近づいてくる。
負傷しているはずの右手でナイフを握っていた。
仙道は、周囲に視線をはしらせた。
武器はあった。
最初にこのなかへ入ったとき、信者が床に突き刺した杖……。
教祖の霊力がやどっているそれは、持ち主の意志が生きているかのように、あのまま立ち上がっていた。
前方に徳井を見ながら、杖へにじり寄った。引き抜く。
「総理は、さきに逃げてください……」
「すまんな。私ではなにもできないから、行かせてもらうぞ。車で待ってる」
振り向くことはしなかったが、総理が駆け去っていくのが足音でわかった。逃げ足に使う余力はあったようだ。
「ほう。おもしろい。やる気か」
徳井の表情に、笑みが浮かんだ。
なにを思ったのか、ナイフを捨てた。
「われわれは、兵士じゃない。だからな、こういうものを持っている」
べつのなにかを取り出した。
短い棒のようなもの。いや、短くはなかった。鋭く振ると、三倍ほどの長さになった。特殊警棒だ。
おたがいが身構えた。
徳井が、摺り足で距離を詰めてくる。
仙道は動かずに、それを待った。
狩野勇の教えを思い出す。
人斬りの流派、その奥義を。
──仙道は、もう体験ずみだよ。
あのとき、狩野の父親がやったことを……。
「どうした? 行くぞ」
徳井は、余裕を取り戻していた。完全に自らの有利を確信していた。
仙道は、瞼を閉じた。
「血迷ったか? 勝機がないとみて、命を投げたのか!?」
──仙道、いまの技を教えてあげる。
……あれが技なのか!?
──究極の奥義だよ。
仙道は、なにもしない。ただ、制止しつづける。
──現に、仙道は正面から打っていかなかったでしょ?
……たしかに。
──素手の勝負では、そんなことにならない。銃での勝負でも、正面からかまわずに撃ち合うんだよ。剣での勝負だけが、ああなるんだ。
見えなくてもわかった。摺り足だから、足音では察知できない。徳井も剣道の心得があるのだろう。だが、どこに動いているのかが手に取るように理解できる。
……みんな、そうするのか?
──仙道のような素人でも、達人でも、同じだよ。
……どうして?
──剣術の精神性がそうさせるのか……それとも、なにかある、と深読みさせてしまうのかもしれない。
あのとき仙道は、急に眼をつぶった勇の父親に混乱してしまった。相手は達人中の達人だ。なにかある、と思った。それに勇の解説どおり、精神性が関係していたのかもしれない。不思議なことだが、正面から打ち合うことを卑怯だと感じたのだ。
だから、仙道は背後に回った。冷静に考えれば、そのほうが卑怯なおこないなのに。
気配を勘づかれないように、細心の注意をはらって父親の背中をとった。しかし、絶対に悟られていると思った。すぐには打ち込めなかったのは、そのためだ。
……きみのお父さんが凄いから、あんなことができたんだろう?
──ちがうよ。眼をつぶって、相手の攻撃を見切れるわけないだろ。心眼なんて、この世には存在しない。どんな剣豪でも、見えるから強いんだ。
……でも、気配とか察知できそうじゃないか。
──多少はできるよ。でも、打ち込まれた剣をよけることなんてできない。
……でも、きみのお父さんは、かわしたじゃないか。
──べつに心眼で見えているわけじゃない。みんな同じ行動をとるから、だれにだってかわせるよ。仙道でもね。
……ムリだろ?
──できるよ。コツは、時間だよ。
……時間?
──眼をつぶってから、心のなかでゆっくりと50数えるんだ。
それを聞いたときは信じられなかった。
(40、41、42)
徳井が、いまどの位置にいるのか……。
……絶対、そうなるのか?
──勝つ気があって、この技を知らなければ、だれでもそうする。
徳井は、まちがいなく背後をとっている。
(48、49)
……本当に、50でいいのか?
──まあ、そこはだいたいさ。それぐらいの時間をかけろってこと。
(50!)
仙道は、両手で握っていた杖から右手を放した。先端付近をつかんで、左の腋下から後ろへ突き出した。剣で言うところの、柄の部分での一撃だ。
あのとき──仙道の鳩尾すれすれで、竹刀の柄は止まっていた。仙道が、上段に振り上げた竹刀を打ちおろそうとしていた、まさにそのときだった。
背後をとった人間は、横からなぎはらったり、突きで攻撃しようとはしない。狩野勇いわく、絶対に上段から振りおろす──。
「う、ぐう……」
徳井のうめき声が聞こえた。ようやく仙道は、瞼を上げた。
背後を見た。
振りおろされた特殊警棒が、すんでのところで止まっていた。あのときの自分と同じだ。
ちがうのは、強烈な一撃をあびたことだろう。
「狩野流真剣術秘奥義、暗閃──」
上段のかまえから攻撃を加えようとする人間は、正面からの突きに弱い。突拍子もない攻撃ならば、なおさらだ。まちがいなく、虚を衝かれる。
徳井が膝をついた。この技がきまったとしても、倒せるかどうかは別問題だった。
どうやら、うまく鳩尾に当たってくれたようだ。
徳井は、呼吸がつらそうだった。地に転がって悶絶している。彼にしろ花房にしろ、しごかれた恨みがあった。だが仙道には、その恨みを晴らした爽快感はなかった。
教祖の杖を投げ捨てた。
倒れている兵士たちの安否を心配している余裕はない。急いで寺院を出た。徳井たちは、ここまで車を乗りつけていたようだ。仙道は気を失っていたので、それを知らなかった。数台ある車の前で、総理が待っていた。
「エンジンをかけておいた」
やって来たのが仙道で、心底ホッとしているようだった。
「ここではなにもなかった。いいか、先生。なにも見なかった」
それには納得しきれなかったが、総理が自分の身を案じてくれていることがわかったので、仙道はただうなずいた。
車を発進させて、悪夢のようなこの場所から出発した。
もう来ることはない場所だ。
一瞬、感慨のような、虚しさのような思いが駆けめぐったが、すぐに振り払った。
「……どうして、あれが消去するシステムだと気づいたんですか?」
「テログループの行動が、いちいちまわりくどかったからな。核の秘密をおおやけにしようとしたにしろ、発射させようとしたにしろ、本気でやろうと思えば、もっと早くできたはずだ。だが、それをしなかった」
「でも、消去しようとしてたのだって、もっと早くできたはずでしょう? それこそ、あんなシステムがあったのなら、総理を誘拐する必要自体がなかったんじゃないですか?」
「発射コードじゃないか? 私から聞き出さなければならなかったんだ。それに、あの女……テロリストたちではダメだったんだよ。公安のやつらの手で……もしくは、おたくのような一般人の手で消去させる必要があったんだ。だから、おまえさんが交渉人に選ばれたのかもしれんな」
「どうして、ぼくの手で?」
「そこまでは、わからん。私は、ただの総理大臣なんだから」
総理の言葉を、仙道はどこか虚ろに聞いていた。
空は明け、夜が終わろうとしていた。
敷地を出て、一般道に入ってからしばらくして、あの携帯で生徒のだれかにかけようかと考えた。
やめておいた。
明日──いや、今日、学校で会うことができるし、それにだれかではなく、みんなの声を聞きたかったからだ。
25
辻本は、怒りを胸に対策室でたたずんでいた。
ほかの人間は、すべて撤収している。
《箱》のことを知る者、知らない者……それぞれの企みと野望が、空間に混じり合っているようだった。
辻本は、負けたのだ。
(いや……)
すぐに思い直した。挽回のチャンスは残されている。
「まだいたんですか?」
声をかけられた。官房副長官補の林だ。
「そちらのほうこそ」
振り向いて、辻本は背筋が凍った。
「まだ処理することが残ってますので。坂巻とかいう部下は、さきに逝きましたよ」
〈バンッ〉
* * *
AからBへ、報告。
プラン④、完了。
《凡庸なる男》、多大なる貢献。
次の作戦を待つ。
以上。
* * *
BからCへ──。
「Aの選んだ交渉人を消す必要はないでしょう」
『情報が漏れる危険はないのか?』
「Aは、知らない男だと嘘の報告をしましたが、彼女の教師だったようです。信用はできるかと」
『総理は、しばらくそのままの予定だ』
「それがいいでしょう。今回の件で、それほどのバカではないことがわかりました」
『いつでも替えがきくしな』
「危機管理監のほうは?」
『心配ない。処理は終わった』
「では、私はこのまま地下に潜ります」
『いずれ、おまえの力が必要になる。そのときは、すぐにもどってくるんだ。わかったな、御影』
エピローグ
朝のチャイムが、晴れやかに響きわたった。
「みんな、おはよう」
いつもとかわらずに、仙道は呼びかけた。
「ライゾウちゃん」
「仙道」
みんなの顔には、笑みが浮かんでいる。
「迷惑をかけた……みんなには」
「なに言ってるの? そんなのおたがいさまでしょ、ライゾウちゃん」
出勤して早々、校長に呼び出され、昨日の生徒たちの素行について注意された。
なにせ、全員なにかしらのタイトルをもっているから、学校としても重い処分を課すことができないのだ。結局、仙道がかわりに怒られるというかたちに落ち着いた。
「でも感謝してね、あたしたちに」
立花鈴が、立ち上がりながら言った。
「ああ、もちろん」
「でもさ、リン。あんた今回、とくになにもしてないじゃん」
長岡美咲に指摘されて、彼女は憤慨したように声をあげた。
「ああ~!? そういうこと言っちゃうんだぁ!? あたしが、どんだけこの変態相手に身を削ったか!」
板倉光司を指さしながら、彼女は抗議を続ける。
「っていうか、あたしが一番の功労者じゃない!?」
「わ、わかったから……わたしが悪かったわよ」
美咲は必死にあやまるが、彼女の怒りはおさまりそうもない。
仙道も、彼女にアドバイスをもらった覚えがなかったから、美咲の言うとおりだと思ってしまったのだが、こっちはこっちでいろいろとあったようだ。
「悪かった。先生からもあやまるから、喧嘩はしないでくれ」
そこまで言って、どうにかおさまってくれた。
「みんなに感謝してる。本当にありがとう」
一人一人の顔を見た。
全員が一等星のように輝いていた。
(……ん?)
そのとき、べつの顔が頭に浮かんだ。
名前は、まだ思い出せない。だが、顔は……。
* * *
わたしは、人を殺したい衝動をどうにか抑えて生きてきた。
高校生のとき、ついに我慢ができなくなり、先生に相談した。担任ではなく、副担任の新人だった。どうして、そんな頼りのない人に相談したのだろう。自分でもよくわからない。
先生は、やはり答えに困っていた。それが普通の反応だってことは、わたしだって知っていた。でも、失望は大きかった。わたしは、学校をやめる決意をした。
それからわたしは、海外へ渡った。中東のある国だ。そこでは、過激な原理主義者が結集して、テロ国家をつくっていた。兵士の花嫁になるためにやって来た女性はいたが、兵士志望の女は、ほとんどいなかった。おもしろがられたわたしは、そこで鍛えられ、一年後には優秀なテロ兵士として育っていた。その国にいれば、いくらでも人を殺せた。
いつのころからだろう。人を殺めようとした瞬間に、あの先生の顔が浮かぶようになっていた。
どうしてだかはわからなかったが、わたしは殺すことに快感を得ることができなくなってしまった。そんなとき、国連軍がテロ国家を打倒するために攻めてきた。それまでも空爆はおこなわれていたが、地上作戦がついにはじまったのだ。
日本の自衛隊も、後方支援としてやって来た。わたしは、自爆テロの命令をうけた。同じ日本人だからだと思う。作戦を実行するために、自衛隊の駐留基地に潜入した。容易なことだった。
そこでわたしは、あの人と出会った。
御影冷二。
彼には、一目で本質を見破られた。
この国にいても死ぬだけだから、おれといっしょに来い、と誘われた。テロリストを相手に、なにを言っているのかと思った。
だが、わたしは自爆をやめ、その誘いにのった。
テロリストである過去は抹消され、彼の部下として日本に帰ってきた。
彼が、ただの自衛隊員でないことは感じていた。日本に帰ってしばらくしたころに、彼は自衛隊をやめると言い出した。しかし、それはある目的のためで、いっしょに来いと、ここでも誘われた。もともと自衛隊に信念もなかったわたしは、ほかの部下とともに彼に従った。
そして、今回の作戦が練られた。実行のまえに、彼は自害した。ほかの部下は、そう信じている。わたしだけは真相を知っていた。
Aとして、B──彼と連絡をとる立場だった。
作戦には、だれか民間人を使うと彼から指示があった。その選出も、わたしの仕事だった。わたしは、ある人にやらせることにした。
あの先生だ。
Bには先生との関係を偽り、報告した。
作戦のプランは、四つに分かれていた。
プラン①──核の存在をネット配信で拡散する。
プラン②──核を自分たちで発射する。
プラン③──核を、Cの下請け……公安の人間に発射させる。
プラン④──核を、交渉人の手で発射させる。
プランが変更になっていくにつれ、わたしはBの思惑に気づいていった。公表でも、発射でもない。消去だと。
最良のシナリオは、先生の手で核システムを消去することなのだ。
当事者ではなく、善良な市民による……。
どうして彼は、それをわたしに教えてくれなかったのだろう?
答えはわかっている。わたしも、彼の駒の一つにすぎないからだ。
駒であっとしても、わたしの生き方は、もう変えられない。
思えば、なぜあの先生を選んだのだろうか?
きっと、確かめたかったのだ。
あの先生が、どういう教師に成長していたか……
殺人に興味を失ったのは、なぜなのか?
それを知りたかった。
あの先生なら、それを教えてくれるかもしれない。
あのときは、なにも教えてくれなかった……いまならば。
先生は、頼りないながらも、立派な教師になっていた。
わたしの顔も名前も覚えていないようだったけど、整形していたし、それは仕方がないことだ。
うらやましかった。
いまの生徒たちが……。
わたしも、いま教え子だったら、べつの人生を歩んでいただろうか?
先生を見ていて思った。わたしが殺したかったのは、他人ではなく、自分自身だったのだと。
わたしは、わたしが嫌いだった。
あの先生といると、わたしは自分が好きになっていく。
不思議だ。どうしてだろう?
先生自身は、その才能に気づいているのだろうか。
気づいていない。
気づいていたら、もっとうだつがあがっている。
あの、うだつのあがらなさは、永遠だな。
わたしは、笑いながらそう思った。




