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          24


 仙道は立ち上がった。

「総理、行きましょう」

「あ、ああ……」

 逃げようとする際に、あのアタッシュケース──《箱》が視界に入った。パソコンの乗ったパイプ椅子は倒れていたが、そちらのほうは、もとのままだった。

「それはもういらん。ただのおもちゃになった」

 総理はこれまでにも『おもちゃ』と表現していたが、本当の意味でそうなったということだろう。

「ま、待て!」

 徳井も立ち上がっていた。右手を撃ち抜かれていたが、ほかの兵士とはちがい、脚は撃たれていない。

 同じように脚部が無事な花房は、しかし右肩への銃撃で、出血が酷い。いまでは戦意を喪失し、倒れ込んでいた。とてもではないが、立ち上がれないだろう。

「あなたたちの負けです。もうやめてください」

「ふざけるな! 素人に、われわれが負けるはずはない」

 徳井の眼は、退くことを知らなかった。

 腰に収められていたなにかを抜いた。銃器のたぐいではない。ナイフだ。当然、彼らが携帯しているのだから、果物をむくような平和目的のものではない。軍用のそれだ。

「さがっててください」

 仙道は、総理に言った。

「どうするんだ? 君が勝てるとは思えない……」

 そのとおりだった。だが、この悪夢を終わらせるには、どこかで闘わなければならないのだと予感があった。

 ジリッと、徳井が近づいてくる。

 負傷しているはずの右手でナイフを握っていた。

 仙道は、周囲に視線をはしらせた。

 武器はあった。

 最初にこのなかへ入ったとき、信者が床に突き刺した杖……。

 教祖の霊力がやどっているそれは、持ち主の意志が生きているかのように、あのまま立ち上がっていた。

 前方に徳井を見ながら、杖へにじり寄った。引き抜く。

「総理は、さきに逃げてください……」

「すまんな。私ではなにもできないから、行かせてもらうぞ。車で待ってる」

 振り向くことはしなかったが、総理が駆け去っていくのが足音でわかった。逃げ足に使う余力はあったようだ。

「ほう。おもしろい。やる気か」

 徳井の表情に、笑みが浮かんだ。

 なにを思ったのか、ナイフを捨てた。

「われわれは、兵士じゃない。だからな、こういうものを持っている」

 べつのなにかを取り出した。

 短い棒のようなもの。いや、短くはなかった。鋭く振ると、三倍ほどの長さになった。特殊警棒だ。

 おたがいが身構えた。

 徳井が、摺り足で距離を詰めてくる。

 仙道は動かずに、それを待った。

 狩野勇の教えを思い出す。

 人斬りの流派、その奥義を。

 ──仙道は、もう体験ずみだよ。

 あのとき、狩野の父親がやったことを……。

「どうした? 行くぞ」

 徳井は、余裕を取り戻していた。完全に自らの有利を確信していた。

 仙道は、瞼を閉じた。

「血迷ったか? 勝機がないとみて、命を投げたのか!?」

 ──仙道、いまの技を教えてあげる。

 ……あれが技なのか!?

 ──究極の奥義だよ。

 仙道は、なにもしない。ただ、制止しつづける。

 ──現に、仙道は正面から打っていかなかったでしょ?

 ……たしかに。

 ──素手の勝負では、そんなことにならない。銃での勝負でも、正面からかまわずに撃ち合うんだよ。剣での勝負だけが、ああなるんだ。

 見えなくてもわかった。摺り足だから、足音では察知できない。徳井も剣道の心得があるのだろう。だが、どこに動いているのかが手に取るように理解できる。

 ……みんな、そうするのか?

 ──仙道のような素人でも、達人でも、同じだよ。

 ……どうして?

 ──剣術の精神性がそうさせるのか……それとも、なにかある、と深読みさせてしまうのかもしれない。

 あのとき仙道は、急に眼をつぶった勇の父親に混乱してしまった。相手は達人中の達人だ。なにかある、と思った。それに勇の解説どおり、精神性が関係していたのかもしれない。不思議なことだが、正面から打ち合うことを卑怯だと感じたのだ。

だから、仙道は背後に回った。冷静に考えれば、そのほうが卑怯なおこないなのに。

 気配を勘づかれないように、細心の注意をはらって父親の背中をとった。しかし、絶対に悟られていると思った。すぐには打ち込めなかったのは、そのためだ。

 ……きみのお父さんが凄いから、あんなことができたんだろう?

 ──ちがうよ。眼をつぶって、相手の攻撃を見切れるわけないだろ。心眼なんて、この世には存在しない。どんな剣豪でも、見えるから強いんだ。

 ……でも、気配とか察知できそうじゃないか。

 ──多少はできるよ。でも、打ち込まれた剣をよけることなんてできない。

 ……でも、きみのお父さんは、かわしたじゃないか。

 ──べつに心眼で見えているわけじゃない。みんな同じ行動をとるから、だれにだってかわせるよ。仙道でもね。

 ……ムリだろ?

 ──できるよ。コツは、時間だよ。

 ……時間?

 ──眼をつぶってから、心のなかでゆっくりと50数えるんだ。

 それを聞いたときは信じられなかった。

(40、41、42)

 徳井が、いまどの位置にいるのか……。

 ……絶対、そうなるのか?

 ──勝つ気があって、この技を知らなければ、だれでもそうする。

 徳井は、まちがいなく背後をとっている。

(48、49)

 ……本当に、50でいいのか?

 ──まあ、そこはだいたいさ。それぐらいの時間をかけろってこと。

(50!)

 仙道は、両手で握っていた杖から右手を放した。先端付近をつかんで、左の腋下から後ろへ突き出した。剣で言うところの、柄の部分での一撃だ。

 あのとき──仙道の鳩尾すれすれで、竹刀の柄は止まっていた。仙道が、上段に振り上げた竹刀を打ちおろそうとしていた、まさにそのときだった。

 背後をとった人間は、横からなぎはらったり、突きで攻撃しようとはしない。狩野勇いわく、絶対に上段から振りおろす──。

「う、ぐう……」

 徳井のうめき声が聞こえた。ようやく仙道は、瞼を上げた。

 背後を見た。

 振りおろされた特殊警棒が、すんでのところで止まっていた。あのときの自分と同じだ。

ちがうのは、強烈な一撃をあびたことだろう。

「狩野流真剣術秘奥義、暗閃──」

 上段のかまえから攻撃を加えようとする人間は、正面からの突きに弱い。突拍子もない攻撃ならば、なおさらだ。まちがいなく、虚を衝かれる。

 徳井が膝をついた。この技がきまったとしても、倒せるかどうかは別問題だった。

 どうやら、うまく鳩尾に当たってくれたようだ。

 徳井は、呼吸がつらそうだった。地に転がって悶絶している。彼にしろ花房にしろ、しごかれた恨みがあった。だが仙道には、その恨みを晴らした爽快感はなかった。

 教祖の杖を投げ捨てた。

 倒れている兵士たちの安否を心配している余裕はない。急いで寺院を出た。徳井たちは、ここまで車を乗りつけていたようだ。仙道は気を失っていたので、それを知らなかった。数台ある車の前で、総理が待っていた。

「エンジンをかけておいた」

 やって来たのが仙道で、心底ホッとしているようだった。

「ここではなにもなかった。いいか、先生。なにも見なかった」

 それには納得しきれなかったが、総理が自分の身を案じてくれていることがわかったので、仙道はただうなずいた。

 車を発進させて、悪夢のようなこの場所から出発した。

 もう来ることはない場所だ。

 一瞬、感慨のような、虚しさのような思いが駆けめぐったが、すぐに振り払った。

「……どうして、あれが消去するシステムだと気づいたんですか?」

「テログループの行動が、いちいちまわりくどかったからな。核の秘密をおおやけにしようとしたにしろ、発射させようとしたにしろ、本気でやろうと思えば、もっと早くできたはずだ。だが、それをしなかった」

「でも、消去しようとしてたのだって、もっと早くできたはずでしょう? それこそ、あんなシステムがあったのなら、総理を誘拐する必要自体がなかったんじゃないですか?」

「発射コードじゃないか? 私から聞き出さなければならなかったんだ。それに、あの女……テロリストたちではダメだったんだよ。公安のやつらの手で……もしくは、おたくのような一般人の手で消去させる必要があったんだ。だから、おまえさんが交渉人に選ばれたのかもしれんな」

「どうして、ぼくの手で?」

「そこまでは、わからん。私は、ただの総理大臣なんだから」

 総理の言葉を、仙道はどこか虚ろに聞いていた。

 空は明け、夜が終わろうとしていた。

 敷地を出て、一般道に入ってからしばらくして、あの携帯で生徒のだれかにかけようかと考えた。

 やめておいた。

 明日──いや、今日、学校で会うことができるし、それにだれかではなく、みんなの声を聞きたかったからだ。




          25


 辻本は、怒りを胸に対策室でたたずんでいた。

 ほかの人間は、すべて撤収している。

《箱》のことを知る者、知らない者……それぞれの企みと野望が、空間に混じり合っているようだった。

 辻本は、負けたのだ。

(いや……)

 すぐに思い直した。挽回のチャンスは残されている。

「まだいたんですか?」

 声をかけられた。官房副長官補の林だ。

「そちらのほうこそ」

 振り向いて、辻本は背筋が凍った。

「まだ処理することが残ってますので。坂巻とかいう部下は、さきに逝きましたよ」

〈バンッ〉


         * * *


AからBへ、報告。

 プラン④、完了。

《凡庸なる男》、多大なる貢献。

 次の作戦を待つ。

 以上。


         * * *


 BからCへ──。

「Aの選んだ交渉人を消す必要はないでしょう」

『情報が漏れる危険はないのか?』

「Aは、知らない男だと嘘の報告をしましたが、彼女の教師だったようです。信用はできるかと」

『総理は、しばらくそのままの予定だ』

「それがいいでしょう。今回の件で、それほどのバカではないことがわかりました」

『いつでも替えがきくしな』

「危機管理監のほうは?」

『心配ない。処理は終わった』

「では、私はこのまま地下に潜ります」

『いずれ、おまえの力が必要になる。そのときは、すぐにもどってくるんだ。わかったな、御影』




         エピローグ


 朝のチャイムが、晴れやかに響きわたった。

「みんな、おはよう」

 いつもとかわらずに、仙道は呼びかけた。

「ライゾウちゃん」

「仙道」

 みんなの顔には、笑みが浮かんでいる。

「迷惑をかけた……みんなには」

「なに言ってるの? そんなのおたがいさまでしょ、ライゾウちゃん」

 出勤して早々、校長に呼び出され、昨日の生徒たちの素行について注意された。

 なにせ、全員なにかしらのタイトルをもっているから、学校としても重い処分を課すことができないのだ。結局、仙道がかわりに怒られるというかたちに落ち着いた。

「でも感謝してね、あたしたちに」

 立花鈴が、立ち上がりながら言った。

「ああ、もちろん」

「でもさ、リン。あんた今回、とくになにもしてないじゃん」

 長岡美咲に指摘されて、彼女は憤慨したように声をあげた。

「ああ~!? そういうこと言っちゃうんだぁ!? あたしが、どんだけこの変態相手に身を削ったか!」

 板倉光司を指さしながら、彼女は抗議を続ける。

「っていうか、あたしが一番の功労者じゃない!?」

「わ、わかったから……わたしが悪かったわよ」

 美咲は必死にあやまるが、彼女の怒りはおさまりそうもない。

 仙道も、彼女にアドバイスをもらった覚えがなかったから、美咲の言うとおりだと思ってしまったのだが、こっちはこっちでいろいろとあったようだ。

「悪かった。先生からもあやまるから、喧嘩はしないでくれ」

 そこまで言って、どうにかおさまってくれた。

「みんなに感謝してる。本当にありがとう」

 一人一人の顔を見た。

 全員が一等星のように輝いていた。

(……ん?)

 そのとき、べつの顔が頭に浮かんだ。

 名前は、まだ思い出せない。だが、顔は……。


         * * *


 わたしは、人を殺したい衝動をどうにか抑えて生きてきた。

 高校生のとき、ついに我慢ができなくなり、先生に相談した。担任ではなく、副担任の新人だった。どうして、そんな頼りのない人に相談したのだろう。自分でもよくわからない。

 先生は、やはり答えに困っていた。それが普通の反応だってことは、わたしだって知っていた。でも、失望は大きかった。わたしは、学校をやめる決意をした。

 それからわたしは、海外へ渡った。中東のある国だ。そこでは、過激な原理主義者が結集して、テロ国家をつくっていた。兵士の花嫁になるためにやって来た女性はいたが、兵士志望の女は、ほとんどいなかった。おもしろがられたわたしは、そこで鍛えられ、一年後には優秀なテロ兵士として育っていた。その国にいれば、いくらでも人を殺せた。

 いつのころからだろう。人を殺めようとした瞬間に、あの先生の顔が浮かぶようになっていた。

 どうしてだかはわからなかったが、わたしは殺すことに快感を得ることができなくなってしまった。そんなとき、国連軍がテロ国家を打倒するために攻めてきた。それまでも空爆はおこなわれていたが、地上作戦がついにはじまったのだ。

 日本の自衛隊も、後方支援としてやって来た。わたしは、自爆テロの命令をうけた。同じ日本人だからだと思う。作戦を実行するために、自衛隊の駐留基地に潜入した。容易なことだった。

 そこでわたしは、あの人と出会った。

 御影冷二。

 彼には、一目で本質を見破られた。

 この国にいても死ぬだけだから、おれといっしょに来い、と誘われた。テロリストを相手に、なにを言っているのかと思った。

 だが、わたしは自爆をやめ、その誘いにのった。

 テロリストである過去は抹消され、彼の部下として日本に帰ってきた。

 彼が、ただの自衛隊員でないことは感じていた。日本に帰ってしばらくしたころに、彼は自衛隊をやめると言い出した。しかし、それはある目的のためで、いっしょに来いと、ここでも誘われた。もともと自衛隊に信念もなかったわたしは、ほかの部下とともに彼に従った。

 そして、今回の作戦が練られた。実行のまえに、彼は自害した。ほかの部下は、そう信じている。わたしだけは真相を知っていた。

 Aとして、B──彼と連絡をとる立場だった。

 作戦には、だれか民間人を使うと彼から指示があった。その選出も、わたしの仕事だった。わたしは、ある人にやらせることにした。

 あの先生だ。

 Bには先生との関係を偽り、報告した。

 作戦のプランは、四つに分かれていた。

 プラン①──核の存在をネット配信で拡散する。

 プラン②──核を自分たちで発射する。

 プラン③──核を、Cの下請け……公安の人間に発射させる。

 プラン④──核を、交渉人の手で発射させる。

 プランが変更になっていくにつれ、わたしはBの思惑に気づいていった。公表でも、発射でもない。消去だと。

 最良のシナリオは、先生の手で核システムを消去することなのだ。

 当事者ではなく、善良な市民による……。

 どうして彼は、それをわたしに教えてくれなかったのだろう?

 答えはわかっている。わたしも、彼の駒の一つにすぎないからだ。

 駒であっとしても、わたしの生き方は、もう変えられない。

 思えば、なぜあの先生を選んだのだろうか?

 きっと、確かめたかったのだ。

 あの先生が、どういう教師に成長していたか……

 殺人に興味を失ったのは、なぜなのか?

 それを知りたかった。

 あの先生なら、それを教えてくれるかもしれない。

 あのときは、なにも教えてくれなかった……いまならば。 

 先生は、頼りないながらも、立派な教師になっていた。

 わたしの顔も名前も覚えていないようだったけど、整形していたし、それは仕方がないことだ。

 うらやましかった。

 いまの生徒たちが……。

 わたしも、いま教え子だったら、べつの人生を歩んでいただろうか?

 先生を見ていて思った。わたしが殺したかったのは、他人ではなく、自分自身だったのだと。

 わたしは、わたしが嫌いだった。

 あの先生といると、わたしは自分が好きになっていく。

 不思議だ。どうしてだろう?

 先生自身は、その才能に気づいているのだろうか。

 気づいていない。

 気づいていたら、もっとうだつがあがっている。

 あの、うだつのあがらなさは、永遠だな。

 わたしは、笑いながらそう思った。


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