23
ただ事でない、なにかが起こっていることだけはわかった。
パソコンの液晶画面は、いまでは白一色に明るいだけだ。
「きさま! なにをやらかした!?」
花房が凄んでみせるが、仙道にも理解できていないのだから、どう言い返していいのかも不明だ。
徳井は、だれかと連絡をとっているようだ。携帯を持つ手が、怒りなのか、おびえなのか震えている。どうやら妨害電波は解除されているらしい。テログループと彼らが一時的とはいえ、裏でつながっていたことを知ったいまでは、不思議なことではない。それにそもそも、動画をネット配信できたわけだから、通信手段などいくらでもあったのだろう。
ほかの兵士たちは、ある者は行動をとれず、その場に立ち尽くし、ある者は苛立ちをごまかすように歩き回っていた。
すでに撮影は中断されている。
「なにをしたんだ!?」
「ぼくはなにも……」
仙道は救いを求めるように、総理へ視線を移した。
「緊急コードじゃないか?」
総理が冷静に言った。はじめて、頼もしく思えた。
「緊急コード?」
「すべてを無に帰すための、奥の手だ。全部を隠蔽するためのな」
「どうなるんですか?」
「どうもこうもない。なにもなかったんだ。私は核の発射ボタンなど持っていなかったし、それを奪われてもいない。もちろん、核の発射施設も存在しない」
「……」
「だから、拉致もされていない……テロリストもいないし、交渉人もいなかった」
総理の言葉が、意味深に響いた。
「そうだ。なにも存在しなかった」
通話を終えた徳井が言った。
その意味するところは、仙道にもよくわかる。が、どちらにしろ殺されることにちがいはないのだ。いまさら恐怖を感じることはなかった。
「だから、私は殺せない……殺せなくなった──」
総理は、まるで勝利を信じているかのような表情だった。
「な? そうだろ、公安の諸君」
花房が舌打ちしていた。
拳銃を抜き、その銃口を総理の眉間に合わせた。
それでも、総理は殺されないことを確信していた。
「やめろ」
徳井の声が、冷たく響いた。
銃口がそれた。
「そうだな。それが利口だな。すべては、なにもなかったんだ。私は数日間、熱が出て官邸で療養していたことになる。この交渉人の先生も、ここには来ていない。同じように風邪をひいて自宅で寝込んでいた」
花房が、悔しそうに唇を噛みしめた。
どうやら総理は、自身の命だけでなく、仙道の安全も考えてくれたようだ。そこで気がついた。
「もしかして……」
眼を見開いて、仙道は総理のことを凝視してしまった。
総理は、ただうなずいただけだった。
知っていたのだ。あの何重にもかけられたプロテクトが、すべてを消すためのものだったことを……。
「そうもいかないんだよ」
しかし、徳井がつぶやいた。
「総理は明日、何事もなく公務についてもらうとしても、その先生には死んでもらう」
「なぜだ?」
「そういう命令が出てるんでな」
「辻本のアホ野郎か!」
「先生には死んでもらう。だれかが責任をとらなきゃならん。上は、総理も殺せとわめきたてていたが、いくら命令でも、それはできん。なんの得にもならないからな」
「バカだな、おまえたち。責任をとらされるのは、辻本のほうだぞ。やつが潰れたら、おまえらも一蓮托生で、地獄へ真っ逆さまだ」
「だまれ、腐った政治屋が!」
徳井は吐き捨てた。思い出してみても、花房ではなく、この男のほうがこれほど感情をあらわにしたのは、はじめて眼にする。
「上だけじゃなく、こっちにもメンツってものがあるんだ」
まるで、ヤクザ組織のような言動だった。
「警察官とは思えんな」
総理も同じように考えたようだ。
「われわれは、警察官ではない」
「では、おまえらは、なんだ? この国の破壊者は、おまえらではないか」
徳井の足が鋭く動いた。
腹部に一撃をあびて、総理の呼吸が途切れた。
「この国をよくするのは、われわれ公安だ。いや、ちがうな。もはや公安でもない。もっと崇高な理念と力をもった集団だ」
悶絶している総理をないことのように、徳井はわずか考え込んだ。
「神の軍団だよ」
陶酔したように、その言葉を口にした。
「神の怒りを買ったのだ。生贄が必要なんだよ」
貸せ──と、つぶやくと、花房の手から拳銃を取った。銃口を仙道へ向けた。
「神の軍団に殺されるのだから、先生、あんたは神の国へ昇るんだよ。幸せだな、おい」
引き金が絞られるのを、仙道の瞳は、ゆっくりととらえた。
生徒たち一人一人の顔が脳裏に浮かんだ。
そのときだった。
べつの方角から銃声があがった。
拳銃を握る徳井の右手から、鮮血がほとばしっていた。
「生き残りか!」
仙道は、瞬間的に頭を低くした。
銃声が轟くたびに、公安兵士が倒れていく。
どうやら、みな脚を狙撃されているようだ。
だれの仕業によるものか、瞬時に理解していた。
彼女だ。フラミンゴ──テロリストの生き残り……しかしいまでは、凶悪な組織ではなく、元自衛隊員であることを知っている。秘密裏に創設された国内鎮圧のための特殊部隊の人間だ。
「《御影》か! 黙って逃げればよかったものを……おまえの抹殺命令も出ているぞ!」
すぐ耳元で、徳井の声がした。仙道は盾がわりにされていた。身を隠すような場所が見当たらなかったのだろう。花房のほうも、総理を人質にしていた。
「どこだ!? 卑怯な真似をせず、出てこい!」
空間の中央部は明るいが、周囲はあいかわらずの闇だ。
彼女からは、格好の標的だ。
〈よく言えたものだな〉
女性の声が、徳井の言葉に応えた。
一箇所からではなく、移動しながら狙撃しているようだ。すでに徳井と花房以外の兵士たちは倒れている。みな脚部の負傷なので、即死するようなことはない。が、止血しなければ、そのかぎりではないはずだ。
「クソッ!」
ごく間近で発砲があった。鼓膜が悲鳴をあげた。
花房が怒りにまかせて撃ち込んだものだ。徳井に貸した自身の拳銃を拾ったのだろう。
〈どこを狙ってる〉
まったくちがう方向から声がした。
〈おまえたちは、わたしの術中にはまった。もう蜘蛛の巣からは逃げられない〉
「スパイダー・スナイパー……聞いたことがあるぞ。狙撃手は普通、一箇所に身を潜めてターゲットを仕留めるものだ。だがそいつは、つねに移動しながらでも狙撃を繰り返す」
徳井の説明が、まるでおとぎ話のように聞こえた。
「蜘蛛の巣にかかった獲物のように、狙われた人間は、そのエリアから動けない……三六〇度、どこからでも狙撃がくる」
思わず仙道は、ゴクリと唾を飲み込んでしまった。寺院のなかを見回した。このどこからでも弾丸は飛んでくる。
「一人……海外での戦闘経験があると耳にした……それが、あの女か……」
徳井の声音には、畏怖がこもっていた。
しかし自衛隊員が戦闘経験とは、どういうことだろう?
それを確かめるための質問が許されるような空気ではなかった。
徳井も花房も、仙道と総理のまわりを動きながら身構えていた。盾を得ているとしても、後ろからの狙撃には意味がない。つねに動いているであろう彼女に対抗して、彼らも動きを止めることができないのだ。
この寺院のなかに、蜘蛛の巣は仕掛けられている。
《フラミンゴ》と名乗るより、《スパイダー》と名乗ったほうが的確だった。
「撃てるものなら撃ってみろ! こいつらに当たるかもしれんぞ」
悔しまぎれに花房が放った言葉だが、仙道はともかく、「こいつ」呼ばわりされた総理が哀れだった。
〈バカか。おまえたちにとって総理大臣がだれでもいいように、わたしにとってもどうでもいいことだ。筋肉バカ、おまえのほうは人質がいないのと同じなんだよ〉
バンッ!
そう言いおわった直後に、花房が吹き飛んだ。肩を射抜かれていた。ヒッ、と総理が声をもらした。あと数センチで総理の顔面に命中していた。
「こ、殺してやる……」
だが、花房の戦意は消えていなかった。
すぐに起き上がると、いま落した拳銃を拾い上げた。左手で拳銃を向けた。
「出てこい!」
バンッ!
今度は、拳銃が跳ねとんだ。
花房の左手から血は出ていないから、銃身に当たったのだ。
〈銃器をすべて壊す。先生、伏せてて〉
『先生』という響きに、なつかしいものがこみ上げた。以前感じた思いは、まちがいではなかった。
だれかと関係がある──徳井は言った。すると、彼女に自分は会ったことがあるのだろうか。仙道は思いをめぐらせてみたが、この非常事態では考えまで行きつくことはなかった。
銃声が、幾度となく響いた。人体を狙ったものではなく、自動小銃などを破壊するための銃撃だった。
何十発放たれたであろうか。途中、弾丸補充のためか、やむこともあったが、数秒もしないうちに再開していた。
そのあいだ、仙道はとにかく身を低くしていた。それしかできることもなかった。
脚を負傷した兵士たちのなかにはホルスターに収められていた拳銃を抜く者もいたが、彼女はそれすらも正確に撃ち抜いていた。
〈もういいな。銃は、あらかた壊した。あとは、先生の力で脱出してください〉
最後まで、姿を見せることはなかった。
それっきり、声も聞こえなくなった。




