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 アタッシュケースを取りにもどろうとしたのはいいが、牛舎を出てしばらくしたあたりで、前にも後ろにも進めなくなった。完全に陽が暮れて、視界がまったくきかなくなってしまったのだ。

 四方すべてが、漆黒の闇に包まれていた。

 思いついた。携帯の明かりを使うことにした。が、役には立たなかった。正規品の携帯とは光量がちがう。かろうじて暗闇でも使用はできるが、懐中電灯のようには使えない。

 兵士の装備には、ライトがふくまれているかもしれない。そう思って、着替えた戦闘服をくまなく調べてみたが、そのようなものはなかった。ならば、ヘルメットに装着されているかもしれないと確認してみたが、そのようなものも見当たらない。

 どうにも身動きができなくなった。

 次第に恐怖がわいてくる。

 闇が、これほど恐ろしいものだと……。

 星だけが、皓々と天を彩っている。月も出ていない。

 美しい星空が、時を止めていた。

 自分は、いったいなにをしているのか?

 こんなところで、なにを……。

 もはや、方向感覚は無くなっている。自分がどちらに向かっていたのか、どちらから来たのか……。

 焦っているのに、星空が時間を制止させている。

 いまの感情すらわからなくなっている。

 ただ、星の美しさだけは確実だった。

 東京生まれの仙道は、こんな星々を見たことはなかった。旅行先で、田舎の星空を眺めたことぐらいはある。だが、ここまでの完全なる闇のなかで眼にしたのは初めてだ。

「星、か……」

 一等星のきらめきのように、アイディアが浮かんだ。

 少ない光で眼には厳しかったが、それでも携帯の画面に並ぶ名前のリストから、ある生徒をさがした。

「もしもし? 星見か?」

『先生! わたしです。でも……わたしでお役に立てますか?』

 彼女の名前は、星見かなえという。天体の知識に長けていて、自ら星を発見したこともある。その星は、『かなえ』と名付けられたそうだ。まさしく苗字のごとく、天体の申し子というわけだ。

「とにかく状況を説明すると、まったく方向がわからないんだ。真っ暗で。まえに言ってたろ、星とか星座から方角を導き出す方法」

『あ、はい』

「それを教えてくれないか!?」

『どんな星が見えますか?』

「いっぱいあって、どれがどれだか……」

『北極星をさがしましょう。いまの北極星は、こぐま座α星ポラリス』

「待ってくれ。いまのって……北極星って、その時々でちがうのか?」

『大むかしは、こぐま座β星コカブ。紀元前一五〇〇年ごろから、西暦五〇〇年ごろまでです。さらにそのまえは、りゅう座α星ドゥバンでした』

 壮大な話すぎて、ついていけなかった。

『わたしたちが生きているうちは、ポラリスです。遥か未来は、ケフェウス座γ星エライになります』

「それ、何年後なんだ?」

『西暦四〇〇〇年ぐらいですね』

 そのころには、はたして人類が存続しているだろうか……。

『北極星のさがし方には、二つの方法があります。カシオペア座からさがす方法と、北斗七星からさがす方法。形として簡単なのは、カシオペアです。まずは、それをみつけてください』

「どういうのだっけ?」

『W』

 思い出した。

 しかし、こうも多くのなかから星座をさがしだすのは、素人では不可能だ。

『そこは空気が澄んでいるところで、六等星ぐらいまで目視できるみたいですね。都会では、三等星ぐらいまでしか見えませんから。じゃあまず、空を全体的に眺めてください』

「わかった」

『光の弱い星は無視して、三等星以上だけを見るようにしてください。四等星から六等星の数は八〇〇〇以上もありますけど、三等星よりも明るい星は、そう多くありません。一等星は二一個。二等星六七個。三等星一九〇個』

 言っている意味はわかるのだが、そう簡単なことではない。とにかく、明るい星だけに注目した。

『カシオペアは、五個のうち二等星は三つ。あとは三等星です』

「あれかなぁ……」

 それらしい形は見て取れた。自信はなかったが……。

『それでは、Wの真ん中の延長線上にあたりをつけてください。本当はもっとやり方があるんですけど、ちょっと難しいので』

「あたりをつけるって……」

『そこに杓形の星座がありませんか? こぐま座です』

「いや、そんなものは……」

『ではその、あたりをつけたところを中心にして、カシオペアと向かい合うように北斗七星があるはずです。それも杓形です。もっと大きな。δ星以外は二等星ですから、星のいっぱい見える空では、形さえ知っていれば、カシオペアよりもわかりやすいと思います』

「……なんとなく」

『杓の水をすくう部分の先端の二つ、α星ドゥーベとβ星メラクの長さを五倍に伸ばした場所、そこに北極星があります』

 そういえば、むかしプラネタリュウムでその方法を習ったことがある。

 さがし方はわかったが、まったく自信がない。そもそも、カシオペアにしろ北斗七星にしろ、それ自体が正解しているのかも不安なのだ。

「……星がありすぎるんだ」

『ポラリスは二等星です』

 星の等級など、普段考えたこともない。

『先生、落ち着いてください。先生は、わたしに言いましたよね? 四等星でも五等星でも輝いていることにかわりはないと』

 そんな話をしただろうか?

『わたしは、六等星です。都会の空では、ほとんど見えない。長岡さんや立花さんは、一等星。ほかのみんなも、光り輝いています。でも、わたしは見劣りする小さな星……』

「……」

『そんなわたしを、先生は励ましてくれました。わずかな光でも、輝いていることにかわりはないって』

 どうしてだろう。彼女の声を聞いていると、星空が透明感を増した。より星々は輝き、その一粒一粒がくっきりと眼に飛び込んできた。

「あれか……」

 仙道は、つぶやいた。

 北極星がわかる。

「わかった。あったよ」

『そっちが北の方角になります』

 だが、そこで気がついた。そもそも自分は、東西南北どちらへ行きたいのだろう。それがわからないのなら、北の方角を知ったところで意味がない。

 まったく無駄なことをしてしまった。

「ごめん、星見。行きたい方向がわからないんだ」

『昼間を思い出してください。どちらに太陽が出ていましたか?』

「太陽?」

『どちらに陽が沈んでいましたか?』

 そうか。さきほどあの森のなかへ向かうとき、夕陽に向かって進んでいた。

『陽が沈む方向はわかりますよね?』

 西へ向かわなければならない。北極星が北──わかった。

「ありがとう」

『がんばってください』

 電話を切ったあと、仙道は慎重に西へ進んだ。なにも見えないから、さすがに腰が引けていた。まさか、凶暴な野生動物が待ちかまえていないよな!?──そんなことまで考えた。さすがに、日本に生息する危険生物を電話で聞くことはしなかったが、諸橋という男子生徒が凄い知識をもっている。

 闇を歩いていると、自身の力の無さがよくわかる。一人では、なにもできない。並以下の人間だ。それにくらべて、生徒たちの能力には頭がさがる。物凄い生徒たちに囲まれているのだと、しみじみ実感した。

 しばらく星を頼りに前進すると、すぐさきになにかがあることを察知できた。なにも見えないが、そこに木々の群れがあることがわかる。ようやく、森にたどりついたのだ。

 さて、さらにここからが困難だ。どうすべきか……いっそ、このまま木にもたれかかって夜明けを待とうか──そう案をめぐらせた。牛舎に隠れているよりは、みつかる可能性は低いはずだ。それとも、あの縛り上げた兵士のように、枯れ草をかぶっていたほうがよかっただろうか。

「ん?」

 仙道は、森のなかに幾筋もの光の線を見て取った。

 なんだろう?

 すぐに、思い当たった。ライトの光だ。

 さきほど撃った兵士がみつかり、警戒しているのだろうか。はたして、あの兵士は生きて発見されたのか、それとも……。

 そのことを考えるのはやめた。それよりも、いまのことを考えなければ。

 簡単に答えは出た。

 あのライトを奪えばいいのだ。

(……)

 自分の思考に、仙道はうすら寒さを感じた。これまでの日常を送っていれば、そんな発想は絶対に生まれない。昨日からの非現実が、自分をそんな人間につくりかえたのだ。

 ライトの灯が見えるということは、目標になるものが視認できるということだ。闇をめざして進むよりは、だいぶ楽といえる。

 仙道は、いくつかある光源のうち、一つだけ離れた位置をさぐっている人間に狙いをさだめた。

 慎重に進んでいく。足元にも気を配った。

 小枝でも踏んで、音をたてるわけにもいかない。

 今日一日で、隠密行動が板についていた。

 草や落ち葉を踏みつける音は発生させているが、それは彼ら自身にも当てはまる。静かに近づけば、察知されることはないだろう。相手の位置がまるわかりで、さらにこちらの姿はとらえられない。こんな容易なことはなかった。屈強な戦士が敵とはいえ、仙道は余裕を体感していた。

 仙道が狙いをさだめた兵士は、ライトを上下左右に動かしながら、ゆっくりと動いている。それ以上近づけば、気配で勘づかれるような距離にまで縮めた。

 が、ここからどうすればよいのか、わからなくなった。

 余裕は、たちどころに消えていた。

 なにせ、相手の発するライトの光だけは見える。しかし、姿までは見えない。一か八かで、小林から習った絞め技をかけるしかないのだろうか。ライトを照らしている場所から相手のいる位置と、どちらを向いているのかは割り出せる。まさか自分の背後を照らす人間はいないだろう。

 銃器で人を傷つけたことで、なにかが吹っ切れたのだろうか。恐怖は薄く、勇気は枯渇していない。

 心のなかで、一、二、三、と数えた。

 鼓動の高鳴りを抑え込んで、仙道は兵士に襲いかかった。

 なるようになれ──そんな、開き直りもあった。ここまでやれば、あとは神の采配に従うまでだ。

 つかんだ!

 首に腕を巻きつけることに成功した。声を出されるまえに絞めあげる……はずだった。

「くっ! 敵だ!」

 だが、兵士の口からは大声があふれていた。

 一斉に、ライトの灯が仙道に集中した。

 首を絞めていたはずの腕がはずされて、逆にねじり上げられていた。

 ヘルメットを取られ、強烈な光が眼を射抜いた。間近でライトを当てられたのだ。

 どうやら懐中電灯を持っていたのではなく、銃に装着されたライトの光だったらしい。

 向けられたライトの数が、銃口の数とイコールになる。抵抗できるわけもなかった。

 地面に顔を叩きつけられて、腕をさらにしぼられた。

 痛みで動けない。

 調子に乗りすぎたのだ。戦闘のプロと、なんの取り柄もない教師が争えば、こうなることはあたりまえではないか!

 生徒たちの力を、自分の能力と勘違いした結果だ。

 足音で、数人の兵士たちが集まっていることがわかった。

「つかまえた」

「どうする?」

「こいつは仲間を撃った。殺そう」

「待て。応急手当をしていた」

 視界を奪われたまま、会話だけが聞こえる。

 死刑宣告を待つ被告人のようだった。

「それに、殺害指令は撤回された。あくまでも、《箱》奪還がわれわれの任務だ」

「いや、最初の命令は殲滅だった。敵である以上、生かしてはおけない」

 どうやら、死刑で決まりそうだ。

 銃声が轟いた。

 死んだと思った。

「被弾した!」

 が、仙道に痛みはなかった。

「散開しろ! 散開っ!」

 眼前のライトがどかされ、兵士たちが離れていく。

 その後も、二発、三発と銃声が鳴る。

 仙道だけが取り残された。あんなにまぶしかったのに、完全なる闇がもどっていた。周囲に気配もなくなった。

 数秒、呆然とした。

〈もう一つ、カシをつくってやった〉

 女の声が、闇夜にこだました。

 仙道は、周囲を見回す。しかし、どこからの声なのか不明だった。

〈ここから、そこがよく見えるよ。あんたの間抜け面もね〉

 言われたからではないが、表情を引き締めた。

 あのテロリストの女性は、きっと暗闇でも見える特殊なゴーグルのようなものをつけているのだ。

「た、助けてくれたんですか!?」

 大きめの声で呼びかけた。逃げた兵士たちに聞かれることはないだろう。

〈ライフルでヤツらを狙ってやったのさ〉

「どこにいるんですか!?」

〈下をさぐってみな〉

 下? どういう意味なのか理解できなかった。

「どこかの下」ということなのか……それとも、なにかの比喩だろうか?

 仙道は、もっと単純な、言葉どおりの意味かもしれないと思い、しゃがみこんだ。手がなにかに触れた。筒状のものだった。銃器に装着されていたライトだ。さきほど突きつけられたものだろう。彼女は、あの兵士の銃を狙撃したのではないだろうか。ライトだけを落した。そのときに、スイッチがオフになったのだと考えられた。

 スイッチを入れたら、まぶしい光があたりを照らした。通常の懐中電灯としても使えるようだ。

〈それで、闇でも行動できるだろ?〉

「あ、あの!」

 だがそれ以上、なにも応えてくれなかった。もうどこかへ行ってしまったようだ。

 仙道はライトをあてて、アタッシュケースを隠してある巨木へ向かった。視界さえ確保できれば、目印を頼りに、それほど迷うことはなかった。

 あの女性に、このアタッシュケースを渡すと告げようと思ったのだが、それはかなわなかった。無断でそうすることに抵抗はあったが、やめるつもりはなかった。命を助けてもらったとしても、テロリストにかわりはない。悪者に、そこまでの義理を感じる必要もないはずだ。

 仙道は、自らに言い聞かせるように決意を固めると、アタッシュケースを手にして、寺院へもどっていった。


         * * *


 AからBへ、回答。

 その懸念は、まちがっています。

 以上。


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