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「ヤバいよね……」

 鈴のつぶやきが、教室中に響いた。みな、言葉をなくし、静まり返っていたのだ。

 来蔵先生が、人を撃った。もちろん、それをしなければ、先生自身が殺されてしまう。正当防衛だ。それがわかっていても、ショックがあった。

 そして、そうまでしなければならなかったということは、来蔵先生の命が、本当に危ないということだ。

 それまでは、どこか現実とは考えられなかった。まるでゲームのなかの物語だと、気楽な思いがどこかにあった。

「美咲」

 勇に声をかけられて、ようやく美咲はわれを取り戻した。

「もう陽が暮れるぞ、どうする?」

「どうするって……」

「いつまでも、ここに閉じこもっているのか?」

 教室の扉には、机と椅子でバリケードをつくってある。さきほどから定期的に、教頭や学年主任の山川が拡声器で呼びかけてくるのだが、無視し続けていた。

『みんな、出てきなさい! こんなことをして、なんになるんだ!?』

 なにも知らない大人たちは、呑気なものだ。苛立たしさと怒りしか感じてこない。

「だけど、いつまでもここにいるわけにはいかない」

 美咲は、クラスメイトたちを見渡した。

 塾やバイトのある者もいるだろう。学校の授業は、どうせ大したことはやらない。そんなものを聞かなくても、将来を自分の能力だけで築けるだけの人材たちだ。が、プライベートの時間までを拘束するわけにはいかなかった。

 しかし、いつでも先生の力にはなってあげたい。美咲は、自分だけでもここにいるつもりだった。

「みんなは帰って」

「美咲は?」

「わたしは、ここに残る」

 鈴にそう答えていると、ははは、と板倉光司が笑い声をたてた。いつも感情が欠落しているような彼にしてはめずらしい。

 だが不謹慎な気がして、美咲は、キッと睨みつけた。

「考えてもみなよ。みんなとは、携帯でつながってるんだ。べつにこんなところで集まってなくてもいいんだよ」

 もっともなことを言われた。

 性格と性癖に問題はあるが、こういうときの客観力は頼りになるといわざるをえない。

「そうだな……みんな、携帯はいつでも出られるようにしておくんだ」

 勇が言った。

 みんなはうなずいて、帰り支度をはじめた。

「でも、どうするの? 普通に帰っちゃっていいの?」

 鈴が、素朴な疑問を口にする。

 このクラスの行動は、教員たちのあいだで大問題になっている。このままバリケードを解いて出ていっても、長時間の説教が待っているだろう。

「いや、ほら、ここ一階だろ?」

 勇の言うとおり、三年生の教室は一階に並んでいる。

 カーテンを開けて、窓の鍵をはずした。

「面倒だから、ここから出よう」

 みんなは、それに賛同した。次から次に、窓から逃亡する。

 最後に、勇と美咲が残った。

「さあ」

 勇にうながされて、美咲も外へ出た。勇も着地し、これでクラス全員が教室からいなくなった。

『早く出てきなさい!』

 学年主任の間抜けな声が、後ろから聞こえた。それに応えるはずもなく、美咲は家路を急いだ。


         * * *


 だいぶ暗くなってきた。早朝、廃ホテルから連れ出されたのが、数日前の出来事のようだった。

 スカイダイビングをやらされたり、テログループと政府との交渉をやらされたり、銃を突きつけられたり、逃げるために三階から飛び降りたり……。

 暗闇というわけではないが、日中とはちがって、移動が楽になった。逆に、敵の接近もわかりづらくなったのかもしれないが、そこは開き直るしかない。

 寺院の前では、まだ兵士が見張っていた。兵士という呼び方は近藤の見立てが正しい場合、的確でないのだろうが、仙道にとっては警察の特殊部隊も、自衛隊員も「兵士」にちがいなかった。

 彼らにも交代はあるのだろう。だが、仙道には同じ人間に見えた。ただし、みな統一の戦闘服を着ているのだから、ちがっていたとしても見分けはつかない。

 さて、ここからどうするか?

 どうにかして、あの見張りをかわし、なかへ入らなければ……。

 さすがに、隠れた位置から銃撃するのはためらわれた。サイレンサー付きの拳銃ならば発砲音では気づかれないかもしれないが、当てる自信がなかった。何発も撃ち込めば、一発ぐらいは命中するかもしれない。しかし、サイレンサーで完全に音が消えるわけではないことを近藤から教えられている。ほかの兵士に気づかれる危険が高い。それに、人殺しにはなりたくなかった。

(おびきよせるか……)

 地面には、手頃な石ころが落ちていた。

 牛舎の陰から、石を投げた。

 石は、兵士のすぐ前に落下した。

 ちょうどいい場所だ。

 兵士が不審な様子で周囲を警戒している。うまくいけば、持ち場を離れてくれるかもしれない。離れた。

 心臓の鼓動が一気に跳ねた。

 よりによって、こちらにやってきた。

 そうなって理解した。石の飛んできた角度などから、この場所が割り出されたのだ。投げるのだったら、わざと位置を変える必要があったのだ。素人の浅知恵とはこのことだ。

 どうするか……。

 さきほどのテを使うしかない。

 小林の教えを思い出す。

 兵士がやって来た。細かな位置まではバレていないはずだ。仙道は、体勢を低くした。

 兵士は、キョロキョロと四方に注意を向けている。背中を見せているあいだに、仙道は近寄った。生きた心地がしなかった。

 気配を察知されたのか、兵士がビクッと反応し、振り返ろうとした。

 同時に、首を絞めた。

 声をあげられたら、それで仲間がやって来るだろう。必死に絞めた。抱きつくように両足を兵士の胴体に巻きつけて、倒れこんだ。

 小林の教えとは、少し絞め方がちがっていたかもしれない。かまわずに、そのまま力を込めた。

 ガクッと、兵士が落ちた。

 成功した。教えられた技は、片羽絞めというらしいが、いまのはちゃんとした技だったのだろうか。どうやったのかは、覚えていない。腕がほどけたら殺されると思って絞めつづけた。

 息をしているのか、確かめた。

 大丈夫だ。死んでいない。だが、ここは森のなかというわけではないから、このままにはしけおけない。牛舎のなかほどに兵士を引きずっていった。

 まだゲージのいくつかには、干し草がのこっていた。それをかき集めて、兵士にかぶせることにした。さらに、牛をつなぎとめておくのに使用していたのか、頑丈そうなロープが数本みつかった。手足を縛ろうとしたが、あることを思いついた。仙道は、兵士の制服を脱がせた。これを着れば、発見される確率は減るはずだ。

 手足を縛り、口にもロープを巻きつけた。気絶したままの兵士の上に、干し草をかぶせた。

 そこまでやっても、まだ不安だった。

 服を着替えると、仙道は身を潜めて牛舎を出た。寺院とは逆の方角だ。

 電波がつながるところまで後退し、携帯を手にした。

『もしもし!? 先生!?』

「塚本か?」

 塚本は、全国ボーイスカウト選手権で三年連続入賞しているそうだ。どんなコンテストなのかわからなかったが、知名度のわりに栄誉ある大会なのだそうだ。

「ロープの縛り方を教えてくれ。絶対に解けないやつ」

 こういうことの知識は、並ではない。

『まえに教えたことあるじゃん』

「そんなこと言ったって、難しい縛り方だったから、もう忘れちゃってるよ」

『しょうがねえなぁ。まず、ロープを二つに折って、先端に輪をつくる。縛りたいものに二重になったロープを巻きつけて、それを輪に通す。そして──』

 五分ほどレクチャーを受けた。

 聞いているうちに思い出してきた。

「ありがとう」

 忘れないうちに、急いで牛舎へもどった。

 干し草が蠢いていた。どうやら、意識を取り戻しているようだ。

 草をどかした。危なかった。腕のロープが解けかかっていた。しかし、このまま縛りなおしたら抵抗されてしまうだろう。

「悪く思わないでくれ」

 再び兵士を絞めた。手足の不自由な相手では、教科書どおりに技が決まった。

 失神しているその隙に、絶対に解けないという縛り方で、両手と両足を縛りなおした。さらにもう一本、長めのロープをみつけてきて、這って動くこともできないように胴体と柵をくくりつける。

「これでよし」

 干し草をかぶせて、カムフラージュも完璧だった。

 ヘルメットを装着し、MP5という短機関銃をかまえながら寺院に近づいた。とくに騒ぎになっていないようだから、見張りが倒されたことは発覚していないようだ。

 鳥居のような門をくぐり、本殿へ。

 と、入り口にたどりつく途中で、べつの兵士が現れた。

 ドクドクと、血流がうるさい。

「どうした!? なぜ、持ち場を離れた」

「い、いや……ちょっと物音がしたんだ」

 仲間になりきって、そう答えた。絶対にバレたと思った。

「早くもどれ!」

 しかし近づいた兵士はそう言い残すと、自分の持ち場へもどるのだろうか、遠ざかっていった。

 暗くなっていたことも幸いしたのだ。

 どうにか生き残った。

 仙道は、まわりをさぐった。

 ここを見ている人間はいない。いまの兵士も、建物の角を曲がってからは姿を確認できない。

 いまならば、なかをうかがえる。

 仙道は、寺院のなかへ入ることにした。階段を上がって、朱色の扉に手をかける。

 扉を薄く開けた。

 すぐに緊迫感が伝わってきた。

「いつまでこんなことをするつもりかね!?」

 仙道は扉を大きく開けて、なかに入った。たて込んでいるようだから、こちらの存在には気がつかないだろう。

 人の集まっている中央付近まで隠れるような障害物はないが、照明も中央しか灯していないので、周囲の空間は闇が覆っている。

 忍び足で近づいた。

 戦闘員と思われるのは、三人。さらにもう一人いるのだが、ヘルメットをかぶっておらず、かもし出す雰囲気から、兵士たちの上官だと感じた。

 その四人によって、行動を抑制されている……もっといえば、銃を突きつけられて拘束されている人物が、声を荒らげていたのだ。

 総理大臣だった。

 床を見れば、二人が転がっている。

 そのうちの一人は、のたうつように身体を動かしているが、もう一人はピクリともしない。

「早く手当てしなければ、死んでしまうぞ!」

「運転手のほうは、もう死んでるよ」

「金石は、まだ生きてる……殺すつもりか!?」

「あなたさえいればいい。あなたの秘書のかわりは、官房長官でもいいはずだ」

 なんの会話なのか理解できないが、転がっている二人とも命の危険があるようだ。

「おまえたちの目的は、あれなのか!?」

「そういうことです」

「この国を転覆させるつもりか!?」

「それは、あなたの責任でしょう」

 上官が、鋭く言い返した。

「あんなものがあるなどと、国民が知ったらどうなりますかな?」

「……」

 総理大臣は、押し黙ってしまった。

「あれがみつかることを祈っていてください」

「……この私も殺すのか!?」

「場合によっては」

 仙道の予想は当たっていた。やはり、彼らは救出部隊ではなかったのだ。会話に出てくる「あれ」とは、《箱》とイコールなのではないか──仙道は直感した。

 だとしたら、テロリストのリーダーだったあの女性から、いまは自分のもとに移っている。みつかっていなければ、あの幹のなかに──。

 あれを差し出せば、総理大臣を解放するのだろうか?

 が、仙道自身が、確実に命を奪われるだろう。

 いや、うまくやればいい。

 姿を見せずして、あのアタッシュケースを発見されやすいところに置いておく。仙道はそのあと逃げる。上官らしき男の話を信じるのだとすれば、それで総理は殺されないはずだ。

 仙道は、出入口にもどった。

 扉を開けようとするまえに、だれかに開けられていた。

 兵士だった。

 一瞬、ドキリとしたが、いまは自分も同じ格好をしているのだ。

 焦りながらも、その兵士とすれちがいに扉の外へ出ようとした。

「おい」

 声をかけられた。

「は、はい!」

「表の見張りか?」

「そ、そうであります!」

「なぜ、持ち場を離れた? さっきもだったな」

 どうやら、寺院前で会った兵士のようだ。

「あ、いえ……」

 答えに窮してしまった。

「す、すぐにもどります!」

 とにかく、ここから離れるしかない。

「待て! 顔を見せろ」

 無情にも、呼び止められた。

「どうした!?」

 覚悟を決めるしかなかった。暗いから、素顔を見せてもどうにかなるかもしれない……。

 仙道は、バイザーのついたヘルメットを取った。

「所属は?」

 そう訊かれたということは、本当にどうにかなってくれたということだろうか?

 すくなくとも、顔だけでは部外者だとわからなかったらしい。

「所属は!?」

「え、えーと……」

 近藤は、なんと言っていたか……。

「SAT……」

「だから、どのチームなんだ!? ABCDどのチームなんだ!?」

「Dです!」

「新入りか。たるんでるぞ! 持ち場にもどれ!」

「はい!」

 そそくさと、外へ出だ。

 恐怖よりも、可笑しさがこみあげていた。どうにかなってしまったことに、笑いが止まらなかった。

「ん?」

 牛舎まで急ぎ足で到着したとき、いまの兵士の声に思い当たった。

 どこかで耳にしたことがあるんじゃないか……!?

 しかし、思い出すまでには至らなかった。


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