13
「ヤバいよね……」
鈴のつぶやきが、教室中に響いた。みな、言葉をなくし、静まり返っていたのだ。
来蔵先生が、人を撃った。もちろん、それをしなければ、先生自身が殺されてしまう。正当防衛だ。それがわかっていても、ショックがあった。
そして、そうまでしなければならなかったということは、来蔵先生の命が、本当に危ないということだ。
それまでは、どこか現実とは考えられなかった。まるでゲームのなかの物語だと、気楽な思いがどこかにあった。
「美咲」
勇に声をかけられて、ようやく美咲はわれを取り戻した。
「もう陽が暮れるぞ、どうする?」
「どうするって……」
「いつまでも、ここに閉じこもっているのか?」
教室の扉には、机と椅子でバリケードをつくってある。さきほどから定期的に、教頭や学年主任の山川が拡声器で呼びかけてくるのだが、無視し続けていた。
『みんな、出てきなさい! こんなことをして、なんになるんだ!?』
なにも知らない大人たちは、呑気なものだ。苛立たしさと怒りしか感じてこない。
「だけど、いつまでもここにいるわけにはいかない」
美咲は、クラスメイトたちを見渡した。
塾やバイトのある者もいるだろう。学校の授業は、どうせ大したことはやらない。そんなものを聞かなくても、将来を自分の能力だけで築けるだけの人材たちだ。が、プライベートの時間までを拘束するわけにはいかなかった。
しかし、いつでも先生の力にはなってあげたい。美咲は、自分だけでもここにいるつもりだった。
「みんなは帰って」
「美咲は?」
「わたしは、ここに残る」
鈴にそう答えていると、ははは、と板倉光司が笑い声をたてた。いつも感情が欠落しているような彼にしてはめずらしい。
だが不謹慎な気がして、美咲は、キッと睨みつけた。
「考えてもみなよ。みんなとは、携帯でつながってるんだ。べつにこんなところで集まってなくてもいいんだよ」
もっともなことを言われた。
性格と性癖に問題はあるが、こういうときの客観力は頼りになるといわざるをえない。
「そうだな……みんな、携帯はいつでも出られるようにしておくんだ」
勇が言った。
みんなはうなずいて、帰り支度をはじめた。
「でも、どうするの? 普通に帰っちゃっていいの?」
鈴が、素朴な疑問を口にする。
このクラスの行動は、教員たちのあいだで大問題になっている。このままバリケードを解いて出ていっても、長時間の説教が待っているだろう。
「いや、ほら、ここ一階だろ?」
勇の言うとおり、三年生の教室は一階に並んでいる。
カーテンを開けて、窓の鍵をはずした。
「面倒だから、ここから出よう」
みんなは、それに賛同した。次から次に、窓から逃亡する。
最後に、勇と美咲が残った。
「さあ」
勇にうながされて、美咲も外へ出た。勇も着地し、これでクラス全員が教室からいなくなった。
『早く出てきなさい!』
学年主任の間抜けな声が、後ろから聞こえた。それに応えるはずもなく、美咲は家路を急いだ。
* * *
だいぶ暗くなってきた。早朝、廃ホテルから連れ出されたのが、数日前の出来事のようだった。
スカイダイビングをやらされたり、テログループと政府との交渉をやらされたり、銃を突きつけられたり、逃げるために三階から飛び降りたり……。
暗闇というわけではないが、日中とはちがって、移動が楽になった。逆に、敵の接近もわかりづらくなったのかもしれないが、そこは開き直るしかない。
寺院の前では、まだ兵士が見張っていた。兵士という呼び方は近藤の見立てが正しい場合、的確でないのだろうが、仙道にとっては警察の特殊部隊も、自衛隊員も「兵士」にちがいなかった。
彼らにも交代はあるのだろう。だが、仙道には同じ人間に見えた。ただし、みな統一の戦闘服を着ているのだから、ちがっていたとしても見分けはつかない。
さて、ここからどうするか?
どうにかして、あの見張りをかわし、なかへ入らなければ……。
さすがに、隠れた位置から銃撃するのはためらわれた。サイレンサー付きの拳銃ならば発砲音では気づかれないかもしれないが、当てる自信がなかった。何発も撃ち込めば、一発ぐらいは命中するかもしれない。しかし、サイレンサーで完全に音が消えるわけではないことを近藤から教えられている。ほかの兵士に気づかれる危険が高い。それに、人殺しにはなりたくなかった。
(おびきよせるか……)
地面には、手頃な石ころが落ちていた。
牛舎の陰から、石を投げた。
石は、兵士のすぐ前に落下した。
ちょうどいい場所だ。
兵士が不審な様子で周囲を警戒している。うまくいけば、持ち場を離れてくれるかもしれない。離れた。
心臓の鼓動が一気に跳ねた。
よりによって、こちらにやってきた。
そうなって理解した。石の飛んできた角度などから、この場所が割り出されたのだ。投げるのだったら、わざと位置を変える必要があったのだ。素人の浅知恵とはこのことだ。
どうするか……。
さきほどのテを使うしかない。
小林の教えを思い出す。
兵士がやって来た。細かな位置まではバレていないはずだ。仙道は、体勢を低くした。
兵士は、キョロキョロと四方に注意を向けている。背中を見せているあいだに、仙道は近寄った。生きた心地がしなかった。
気配を察知されたのか、兵士がビクッと反応し、振り返ろうとした。
同時に、首を絞めた。
声をあげられたら、それで仲間がやって来るだろう。必死に絞めた。抱きつくように両足を兵士の胴体に巻きつけて、倒れこんだ。
小林の教えとは、少し絞め方がちがっていたかもしれない。かまわずに、そのまま力を込めた。
ガクッと、兵士が落ちた。
成功した。教えられた技は、片羽絞めというらしいが、いまのはちゃんとした技だったのだろうか。どうやったのかは、覚えていない。腕がほどけたら殺されると思って絞めつづけた。
息をしているのか、確かめた。
大丈夫だ。死んでいない。だが、ここは森のなかというわけではないから、このままにはしけおけない。牛舎のなかほどに兵士を引きずっていった。
まだゲージのいくつかには、干し草がのこっていた。それをかき集めて、兵士にかぶせることにした。さらに、牛をつなぎとめておくのに使用していたのか、頑丈そうなロープが数本みつかった。手足を縛ろうとしたが、あることを思いついた。仙道は、兵士の制服を脱がせた。これを着れば、発見される確率は減るはずだ。
手足を縛り、口にもロープを巻きつけた。気絶したままの兵士の上に、干し草をかぶせた。
そこまでやっても、まだ不安だった。
服を着替えると、仙道は身を潜めて牛舎を出た。寺院とは逆の方角だ。
電波がつながるところまで後退し、携帯を手にした。
『もしもし!? 先生!?』
「塚本か?」
塚本は、全国ボーイスカウト選手権で三年連続入賞しているそうだ。どんなコンテストなのかわからなかったが、知名度のわりに栄誉ある大会なのだそうだ。
「ロープの縛り方を教えてくれ。絶対に解けないやつ」
こういうことの知識は、並ではない。
『まえに教えたことあるじゃん』
「そんなこと言ったって、難しい縛り方だったから、もう忘れちゃってるよ」
『しょうがねえなぁ。まず、ロープを二つに折って、先端に輪をつくる。縛りたいものに二重になったロープを巻きつけて、それを輪に通す。そして──』
五分ほどレクチャーを受けた。
聞いているうちに思い出してきた。
「ありがとう」
忘れないうちに、急いで牛舎へもどった。
干し草が蠢いていた。どうやら、意識を取り戻しているようだ。
草をどかした。危なかった。腕のロープが解けかかっていた。しかし、このまま縛りなおしたら抵抗されてしまうだろう。
「悪く思わないでくれ」
再び兵士を絞めた。手足の不自由な相手では、教科書どおりに技が決まった。
失神しているその隙に、絶対に解けないという縛り方で、両手と両足を縛りなおした。さらにもう一本、長めのロープをみつけてきて、這って動くこともできないように胴体と柵をくくりつける。
「これでよし」
干し草をかぶせて、カムフラージュも完璧だった。
ヘルメットを装着し、MP5という短機関銃をかまえながら寺院に近づいた。とくに騒ぎになっていないようだから、見張りが倒されたことは発覚していないようだ。
鳥居のような門をくぐり、本殿へ。
と、入り口にたどりつく途中で、べつの兵士が現れた。
ドクドクと、血流がうるさい。
「どうした!? なぜ、持ち場を離れた」
「い、いや……ちょっと物音がしたんだ」
仲間になりきって、そう答えた。絶対にバレたと思った。
「早くもどれ!」
しかし近づいた兵士はそう言い残すと、自分の持ち場へもどるのだろうか、遠ざかっていった。
暗くなっていたことも幸いしたのだ。
どうにか生き残った。
仙道は、まわりをさぐった。
ここを見ている人間はいない。いまの兵士も、建物の角を曲がってからは姿を確認できない。
いまならば、なかをうかがえる。
仙道は、寺院のなかへ入ることにした。階段を上がって、朱色の扉に手をかける。
扉を薄く開けた。
すぐに緊迫感が伝わってきた。
「いつまでこんなことをするつもりかね!?」
仙道は扉を大きく開けて、なかに入った。たて込んでいるようだから、こちらの存在には気がつかないだろう。
人の集まっている中央付近まで隠れるような障害物はないが、照明も中央しか灯していないので、周囲の空間は闇が覆っている。
忍び足で近づいた。
戦闘員と思われるのは、三人。さらにもう一人いるのだが、ヘルメットをかぶっておらず、かもし出す雰囲気から、兵士たちの上官だと感じた。
その四人によって、行動を抑制されている……もっといえば、銃を突きつけられて拘束されている人物が、声を荒らげていたのだ。
総理大臣だった。
床を見れば、二人が転がっている。
そのうちの一人は、のたうつように身体を動かしているが、もう一人はピクリともしない。
「早く手当てしなければ、死んでしまうぞ!」
「運転手のほうは、もう死んでるよ」
「金石は、まだ生きてる……殺すつもりか!?」
「あなたさえいればいい。あなたの秘書のかわりは、官房長官でもいいはずだ」
なんの会話なのか理解できないが、転がっている二人とも命の危険があるようだ。
「おまえたちの目的は、あれなのか!?」
「そういうことです」
「この国を転覆させるつもりか!?」
「それは、あなたの責任でしょう」
上官が、鋭く言い返した。
「あんなものがあるなどと、国民が知ったらどうなりますかな?」
「……」
総理大臣は、押し黙ってしまった。
「あれがみつかることを祈っていてください」
「……この私も殺すのか!?」
「場合によっては」
仙道の予想は当たっていた。やはり、彼らは救出部隊ではなかったのだ。会話に出てくる「あれ」とは、《箱》とイコールなのではないか──仙道は直感した。
だとしたら、テロリストのリーダーだったあの女性から、いまは自分のもとに移っている。みつかっていなければ、あの幹のなかに──。
あれを差し出せば、総理大臣を解放するのだろうか?
が、仙道自身が、確実に命を奪われるだろう。
いや、うまくやればいい。
姿を見せずして、あのアタッシュケースを発見されやすいところに置いておく。仙道はそのあと逃げる。上官らしき男の話を信じるのだとすれば、それで総理は殺されないはずだ。
仙道は、出入口にもどった。
扉を開けようとするまえに、だれかに開けられていた。
兵士だった。
一瞬、ドキリとしたが、いまは自分も同じ格好をしているのだ。
焦りながらも、その兵士とすれちがいに扉の外へ出ようとした。
「おい」
声をかけられた。
「は、はい!」
「表の見張りか?」
「そ、そうであります!」
「なぜ、持ち場を離れた? さっきもだったな」
どうやら、寺院前で会った兵士のようだ。
「あ、いえ……」
答えに窮してしまった。
「す、すぐにもどります!」
とにかく、ここから離れるしかない。
「待て! 顔を見せろ」
無情にも、呼び止められた。
「どうした!?」
覚悟を決めるしかなかった。暗いから、素顔を見せてもどうにかなるかもしれない……。
仙道は、バイザーのついたヘルメットを取った。
「所属は?」
そう訊かれたということは、本当にどうにかなってくれたということだろうか?
すくなくとも、顔だけでは部外者だとわからなかったらしい。
「所属は!?」
「え、えーと……」
近藤は、なんと言っていたか……。
「SAT……」
「だから、どのチームなんだ!? ABCDどのチームなんだ!?」
「Dです!」
「新入りか。たるんでるぞ! 持ち場にもどれ!」
「はい!」
そそくさと、外へ出だ。
恐怖よりも、可笑しさがこみあげていた。どうにかなってしまったことに、笑いが止まらなかった。
「ん?」
牛舎まで急ぎ足で到着したとき、いまの兵士の声に思い当たった。
どこかで耳にしたことがあるんじゃないか……!?
しかし、思い出すまでには至らなかった。




