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ー・ー・ー


「そっか…そうだったんだ」

 やめてくれ、と僕は手を伸ばす。その先は、僕たちの答えだけは。聞きたくない。言わないでほしい。どうか、君からだけは。

「おれは、きみの片割れだったんだ」

 ルーノが笑った。力の抜けたような、泣き出してしまいそうな笑顔だった。

 そしてその中に隠された何かに対する怒り。あぁ、わかる。僕も怒っていた。何に対してぶつければいいかもわからないそれは、やるせないまま、目の前のルーノにぶつけろと龍が低く唆す。

「…片割れというより、一部の方が正しいのかな?」

 君がつぶやいた。きっと僕に届けるつもりはなくて、彼自身の中で何かを整理するために吐き出されたそれは、どこかくたびれたような雰囲気を帯びていた。でもその癖、どこまでも澄んでいて。

 あぁ、きっとそうなのだろう。


 真実、なのだろう。


 さみしいことに、許せないことに、それはどこにおいても違わぬものでしかなかった。僕たちの小さな力ではどうしようもできないほどに強大で、僕たちのことを考えないまま進んでいく凶悪なものだった。

 そして君は僕に近づく。思わず身をよじった。腰が抜けてうまくは動けなかった。それであっても、今の君はどこか恐ろしかった。ぼんやりとした薄い何かの膜が、君をぴったりと包んでしまったみたいだった。

 僕はへたり込む。ルーノも僕の前で屈んだ。僕たちの目線が重なる。初めて出会った時のように。けれど彼は無表情だった。

 僕は口を開く。何かを言わなくてはいけないはずなのにうまく声が出ない。届かない。悔しい。

 壁に背中を預けて浅い呼吸を繰り返す。追い詰められていく僕とは反対に体の中の龍が活発になっていくのを感じていた。何を喜んでいるのかと怒ってしまいたいが、それはできない。今、僕は君しか見えていなかった。


 そういえば彼は以前言っていた。近頃、頭痛ばかりすると。あの時は何か悪い病気を疑ったが、今思えばおそらくあの角のせいだ。病気なんかよりもずっとずっとたちの悪いものが彼の中に居座っていた。

 龍の本体がすぐ近くにあることに、角は気がついていた。だから何かを発した。そしてそれは彼の頭痛を引き起こし、おそらくは僕が彼と共にいたいと願う気持ちを巻き起こした。全ては、龍の思うがまま…


 違う。


 そんなことはない。僕は彼に会ったその日から、その瞬間から彼に惹かれていた。もちろん、龍と角がお互いの存在に気づくよりも前に。…そう言わせてほしい。


 彼の諦めたような顔から目が逸らせない。全てを受け入れて呑み込んで、言いたいことがたくさんあるはずなのに、それをしない。彼らしくないけど、でもとてもとても彼らしい。

 僕は彼を縋るように見ることしかできない。やめてくれと、目に涙を溜めて懇願することしかできない。

 体が動かない。運命はすぐそこまでやってきている。君はすでに諦めたのだろうか?どうしてそんなに、静かな悲しみを湛えているのだろうか。


 ルーノが僕に触れた。

 正確には僕の手を掴んで彼自身の首筋に、僕の手のひらを押し当てた。

 僕の中でじゅわり、と何かが音を立てた。龍の輪郭が揺らいで、その本性や本質が剥き出しになる。どろりと溶けた鉄のように赤々として。立ち込める魔力の塊はまるで瘴気のようだった。


 パキパキと氷が走るような音がして、彼の中にヒビが入っていくのを感じる。

 この腕を振り払ってしまいたい。でもそれは叶わない。涙が溢れて仕方がないのは、龍の喜びか僕の悲しみか。

 あぁ、君も泣いている。


 二人して涙を拭わないで固まっていた。その間にも彼の中に入った亀裂が彼の体にも侵食していく。日に焼けていない頬に一筋、ヒビが入った。彼の涙がそれに沿って流れていく。

 彼の生命を喰っている自覚があった。乱雑に手繰り寄せて、龍はそれをただひたすらに噛み砕いては飲み込む。


 ルーノの僕を掴む手のひらの温度がどんどん失われていた。その力はもう、添えられているだけみたいに弱かった。でも僕は振り払わない。振り払えない。

 じわりじわりと僕の体の中で龍と隙間がなくなっていくのに反して、僕はもうどうにかなってしまいそうだった。龍が片方の牙を剥き出しにして満足そうににんまりと笑った。

 僕の喉から何かが出てしまいそうになった。吐き気や気持ち悪さに似たそれは、おそらく初めて感じた龍への嫌悪感。相容れないと言う感情が湧き出たことによって引き起こされた生理現象。

 僕の中の龍が嬉しそうに蠢いた。それもそうだ。しばらくのんびりするために適当な人間を宿り主として選んでみたら、運良く自身の欠けていた体の一部まで回収できたのだから。そしてその上、今から外に出られるかもしれないと言うのだから、なんと言う僥倖。

 僕の気持ちを踏み台にして、龍が喉のすぐ下までせり上がってくる。逃げられる。でも僕にはもう止められない。ルーノを消そうとする奴なんかを、この体の中に飼える訳がない…

 龍が口の中から勢いよく飛び出そうとしていた。その瞬間、


 ふ、と唇が触れた。


 そして、離れた。


 龍は出口を失い、あと少しだった世界に飛び出すタイミングを完全に逃した。僕の中にできた龍への嫌悪感を彼はいとも容易く消しとばしてしまった。今僕の頭の中は、目の前のまだ涙を流し続ける彼で正真正銘にいっぱいだった。


「      」


 ルーノは何かを囁くと、氷が薄く割れるようにして崩れ去っていってしまった。骨も血も肉も残らなかった。それらはさらさらと崩れて僕の中へと入り込んでいく。季節外れの雪のように美しいのに、同時に耐え難いぐらいに侘しかった。

 僕は情けない声をあげた。あぁともうわぁ、とも取れないような。きっと僕の目には今、絶望が満たされていることだろう。


 嫌だった。

 彼が僕の中に入り込んでしまうことが。彼みたいな素晴らしい人が、僕みたいな人間に取り込まれていいはずがない。逆なら良かったのだろうか?いや、それもダメだ。彼みたいな綺麗な人の中に僕みたいなのが入り込んでいいはずがない。

 やめてくれ、とめちゃくちゃに腕を振り回す。まるで僕が彼を終わらせてしまったみたいだった。

 それでもルーノのかけらは氷の破片のようにきらきらと瞬いて、変わらず僕の中へと吸い込まれていく。体の中の龍が喜んでいる。僕の涙は止まらない。僕の気持ちもお構いなしに、全てが運命であったとことが進んでいく。

 涙をただ垂れ流す僕に、龍は不満げにまたとぐろを巻いた。


 冗談じゃない。


 僕が龍を食うのは運命だったのかもしれない。でも、それでも、どうして僕が彼を食わねばならなかった?どうして僕が彼をこの世に骨一つも残さないまま、彼の全てを奪い去らねばならなかった?

 許せない、許せない、と腹の底の方に何かが溢れ出していく。

 最後まで彼は誰かを気遣っていた。でも僕はそんなことできない。できやしない。

 君を奪ったのは龍で、君を消したのは僕。そう仕向けたのは龍でも、殺したのは…僕だ。


 僕は吠えた。慟哭、悲鳴。あぁどれもしっかりこない。苛立ち、不満、悲しみ…もう何が何だかわからない。


 龍が僕の口から飛び出した。この世のあってこの世にないような鮮やかな色を全身にまとって空へと昇る。綺麗に二本揃った角を悠然と空で振って、高く高く舞い上がっていく。そして、火を吹いた。

 街並みを焼き払い、船を水に沈め、逃げ惑う人々に雷を降らせた。


ー・ー・ー


 僕はしばらくそのさまをぼんやりとただ眺めていた。

 全ての物事に現実感がない。肌にひりつくような熱風も、人々の悲鳴も、龍の禍々しい魔力も、全てが僕とは切り離されたことみたいに思えた。


 また、涙が流れた。

 僕は思わず胸を押さえた。無性に苦しくて苦しくてたまらなくて、嫌悪やら怒りやら望みやら諦めやらが混ざり合って、僕はこのままどうにかなってしまいそうだった。


 でもそうはならなかった。


 ふと、握りしめた手に何か硬いものが触れた気がした。

 それは龍の牙だった。

 ルーノは僕と口づけを交わしたその時に、そっと僕の首にこれをかけてくれたのだろう。そして服の上だったから、僕はこれを取り込まなかった。

 …最後まで彼は誰かを思っていた。あぁ、僕とは大違いだ。

 僕は頷いた。

 果たして君がその時にそこまでの考えを巡らせていたのかはわからないけれど、今はこの方法しかなかった。

 この牙を餌に、龍のもっと大切なものをいただこう。成功すればかなりの弱体化が図れる。失敗したら…考えたくはないけれど、おそらく世界を壊して回る龍の寿命が尽きることを願うしかなくなるだろう。

 でもきっとうまくいく。確信がある。確かに龍は僕の体から無くなってしまった。今は格段に弱くなっている。比べ物にならないぐらい。けれど僕は…


 龍に対して、圧倒的に相性がいい。

 なぜなら龍をこの体の中に飼い慣らせる器を持っているから。


 龍と素肌を触れ合わせられればある程度は取り込める。掠っただけだとしたら鱗とその下の肉を少しぐらいなら剥げるかもしれない。

 なりふり構ってはいられない。勝負は一瞬。それも互いの心を幾重に読み合った先の。負けてたまるものか。


 足に魔力を纏わせると軽く地面を蹴った。体が宙に浮く。魔力による身体強化で擬似的に空を飛べる。正しくは、駆けられる。

 龍が咆哮する。業火みたいにゆらめく髭はあくまでも流麗で、今は物凄く腹立たしい。

 確かめるように二、三度滞空した後、僕は出力を上げて龍に向かって一直線に駆けた。


 風に制服がはためいて、龍は街並みを熱心に焼き払っている。僕は自分の少ない魔力を集めて、なるべく最小で最大効力を発揮するように理論を組み立てていく。

 ルーノに教わったものだった。

 耳鳴りのような音がして、そして止む。準備完了。あとはなるようになるだけだ。僕のやれるだけのことをやったら、少しは罪滅ぼしになるのだろうか?ありとあらゆるこの罪が、少しはマシになるのだろうか?

 そんなこと言う暇があったら働け、と自分を叱咤した。そして、魔法を放った。


 魔法は白い輝きを伴って、まっすぐに龍へと飛んでいった。長距離魔法の応用だ。威力を落として飛距離を上げる。

 それは狙い通り龍に当たった。運が良いのか悪いのか、そこはちょうど角の付け根だった。

 龍がこちらを向く。さあ、勝負開始だ。


 僕は滞空したまま龍に向かって牙を振る。見せつけるように、相手が確実に食いつくように。

 案の定龍はこちらに向かって突進してきた。あぁ、龍を取り込んだ日のことを思い出す。あの時は何かに導かれたようだったけど、今日は僕の意思で龍と相対する。光栄なことこの上ない。


 と、指に激痛が走った。指ごと牙を食いちぎられた。かろうじて繋がっている親指に引っ張られ、僕は滞空姿勢を崩された。

 しかしそれは僕の作戦の内だ。

 仰向けにされた姿勢を反転させ、僕は龍の顎に足を当てる。そしてそのまま足に纏わせた魔力を爆発させた。

 僕の指が引きちぎれる。それでも構わない。今この瞬間を逃せば、僕が龍に勝てる見込みは完全になくなる。そうしたら僕はどんな顔であの世でルーノに会えばいい?


 僕が狙っていたものはたった一つ。龍の最大の急所、逆鱗だった。


 どこかの家の屋根に背中から落っこちた。丈夫な家だったらしく幸い天井が落ちることはなかった。

 はっ、と軽く鼻で笑う。龍が焦ってこちらに突進してくる。けれど無理だろう。僕の手から小さすぎる鱗一枚を取るなんて。それをするには龍は余りにも大きすぎる。

 僕は龍に見せつけるように鱗を一瞬太陽に透かした。鱗は光を反射して無垢に輝いた。他の鱗はもう僕にとっては汚いものにしか見えなかったが、この鱗だけは別だった。改めてこれは逆鱗であるのだと、感じる。龍だけれど龍でなくて、けれど他のどの部位よりも龍であるそれは、大人しくされるがままだった。

 そこで、自分が鼻血を垂らしていることに初めて気がつく。久しぶりだった。自分の魔力をギリギリにまで削って戦うのは。

 僕はおもむろにその鱗を顔の前に出した。


 そして思いっきり、噛み砕いた。


 それはぱきん、と軽い音を立てて容易く割れた。味はしない。

 龍が文字通り耳を破裂させんばかりの勢いで悲鳴を上げた。断末魔に近いようなそれだった。効いている。

 僕は急いでそれを噛みしだいて嚥下する。取り込んだ。取り込めた。

 あまりにも急に腹の中に押し込んだせいか、視界がクラクラする。足の力が抜けて、僕はその場にへたり込んだ。もう指の一本も、魔力のかけらも動かせない。


 龍は気がつけば逃げていた。龍が逃げた跡の雲は文字通り、龍の尾みたいに長く伸びていた。あの雲は時が経てば薄れるだろう。でも僕が龍の居場所を見失うこと決してない。

 体内に取り込んだ鱗が、龍の方へ行けと甘く静かに訴え続けるから。


 追いかけよう。僕の命が尽きるその時まで。

 追いかけ続けよう。誰もが龍をおとぎ話の上の存在としか知らなくなっても。

 地の果てまでも追いかけて、この手で殺す。あるいは取り込む。そして僕と一緒に時代の波に呑まれて風化して、どこかで果てていただこう。


 …ルーノの最後の言葉が告白だったのか謝罪だったかなんて、僕にはわからない。

 わかるわけがない。でも、それでよかった。決めつけてしまいたくはなかった。「すきだよ」と「ごめんね」の間に、きっと今僕はいる。そんな気がした。

 君は氷が砕けてしまうように消えていった。龍はそれで欠けていた角を得た。僕もきっと引き換えに何かを得た。…この手からすり抜けたものが、大きすぎるだけで。

 僕はいつか君に伝えることはできるのかな?面と向かって、この気持ちを。だけまだそれはできないから。もうしばらく、龍を倒せるその時まで、心の中に収めておこうと思う。


 英雄を気取るつもりはない。これは僕が引き起こしたことに違いないから。でも自分自身の不始末の尻拭いだけが理由ではない。

 あぁ、君みたいにはなれないな。

 もしかしたら君はなんとなく全部わかっていたのかな。…なんて考えても、意味がないことくらい知っているのに。いつも笑顔だった君でも、何かを壊したいと呪いたいと願うことはあったのかな。

 しばらくへたり込んでいた。動けなかった。街の半分が焦土と化していた。被害は大きかったと見るべきなのだろうか。それとも抑えられた方なのだろうか。

 それからため息をついた。逆鱗を呑み込んで、ひどく胸がムカムカしていた。それにとても疲れていた。

 ふと見上げた空が腹立たしいぐらいに澄んでいて。僕は目を細めた。ルーノと初めて出会った時のような晴天だった。


 僕の旅が始まった。

 あの恨むべき龍の中にほんの少しの君を求めていることに、僕自身も気がつかないまま。

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