前世編/愚かな娘②
あの二人のキスの瞬間が、どんなに忘れたくても頭に浮かんでしまう。
その度に胸がズキズキと痛んだ。
「…ローアルがエスピーナ様…陛下に恋をしているのは今や有名な話だよ。
それなのに君はまだ、そんな彼のために何かを犠牲にする気かい…?」
ローアルが恋を…?あのエスピーナに…?
やっぱり本当なのね……
女官たちの話や、いざ二人がキスしたのを見ても、どこかで嘘だと思っていた。
認めなくなかった。
だがそれを改めてディー様の口から聞いたことで、現実だと言われた気がした。
…しかし、私の表情が曇るとつられてディー様の表情も曇ってしまう。
帝国一の魔術師と謳われるディー様を困らせるのはどこか申し訳なく思えた。
「事実、ローアルの身分ではまだ騎士にも、ましてや陛下にも相応しいとは言えない。
彼女がいくら守っても、彼に対する貴族たちの嫌がらせはまだ続くだろうね。」
「ローアルはどう思っているのでしょう。」
高い身分を得れば以前のような嫌がらせをされずに済むけれど、今はそれを得る目的がエスピーナのためだったとしたら……
傷ついた心が言いようのない膿を生んでゆく。
彼は私のものではないのに。
ローアルがエスピーナを好きになったとしても責める資格があるわけではないのに。
彼の幸せを願っている。
それだけで十分なのに…
「ローアルはまだ騎士になる夢を諦めていないようだよ。それに陛下に相応しい身分を欲っしているのも事実だ。」
やっぱりそうなのね…。
ローアルはエスピーナのために…
会えない間にローアルの気持ちは、そんなにも彼女に向いてしまったんだろうか。
「相応しい身分…
彼が相応しい身分になるには、私のこの身をどれほど犠牲にすれば良いのでしょうか…?
ディー様。」
目の奥に涙が溜まり、今にもこぼれ落ちそうなほど熱いのに、それをぐっと抑えてディー様に尋ねていた。
エスピーナはそんなにもローアルがお気に入りなら、なぜ自ら望む身分を与えないのか。
それが、ローアルを手に入れるためのエスピーナの策略なのだろうか。
「…もし覚悟があるなら、片腕、片脚くらい失うと思った方が良いよ。
そんな怖いこと…君にできるのかい?
他の女を好きな男のために…」
痛い現実を突きつけてくるディー様に、私は苦笑いして誤魔化した。
ローアルのための覚悟は、ずっとあった。
あの雪の日命を救われた時から今までずっと。
ずっと。ローアルの幸福だけを考えてきた。
ローアルが好き人のために身分を欲しているのなら、私がどんなに犠牲になっても構わないという覚悟。
「またお願いできますか?ディー様。
貴方にも危ない真似をさせて申し訳ないのですけど…」
「…聞いたわたしも馬鹿だが、やっぱり君は愚かだね…」
ディー様は心底呆れたように言った。
抉れた心にさらに深く言葉が突き刺さる。
だけどそれが正解なのだろう。
たしかに私は愚かだ。
それでも怪物のようなエスピーナにこれ以上恋をするのを、ローアルにやめてほしいと泣き縋ることもできない。
それが今のローアルにとっての幸せだというのなら。
「愚かな私を叱ってくださり、ありがとうございます…」
心から深く頭を下げる私を見て、ディー様は礼なんか言うな、という目をする。
最後まで涙を流すのを耐えて、ディー様が転移魔術で部屋から消えていくのを見送った。




