前世編/魔術師ディーの罠④
これ以上、大好きなローアルが傷つくのは見たくない。
ローアルのために何か私にできることはないの?
愛しいローアルのために。
こんなちっぽけな私でも、どうにかして彼の役に立ちたい。
彼のためなら何でもするわ。
だから、どうか……………
———眠れずに宿舎の裏口から外庭に出た。
そこは使用人塔の、ごく小さな庭である。
丸く白い満月が夜闇の庭を照らしていた。
トルメンタ帝国は1年を通して寒い国だ。
今は秋だが、またもうすぐ雪が降るだろう。
使用人の薄手の制服ではすぐに体が冷える。
吐く息も白さを増してきたため、私は宿舎に戻ろうとした。
「ディー…様?」
いつの間にか、目の前に、黒装を着たディー様が佇んでいた。
オッドアイの瞳と、ローアルのそれとはまた違う銀色の髪。
月明かりに照らされ、全身が眩く輝く。
その姿はまるで一枚の美しい絵画のようだった。
ふと彼と目が合う。
「エステレラ?」
「はい。私です。
あの。なぜこんな場所に、ディー様が?」
「それはわたしのセリフだよ。こんな寒い夜に一人で。
もしかして、眠れないのかい?」
「…はい。」
どう考えても使用人塔の庭に、しかもこんな時間に帝国一の魔術師であるディー様がいるのはおかしい。
そう感じつつも、月明かりの下で微笑する彼から目が離せない。
「わたしで良ければ、眠れない理由を話してごらん。」
「いえ、ディー様に聞いていただくほどの悩みではありません。」
仮にディー様がもしも皇女様と繋がっているとしたら。
迂闊にローアルのことを話してはいけない。
そう思ったのに。
「大丈夫。秘密は守るよ。」
微笑して、ディー様が軽く指を鳴らす。
すると、不思議なことに、私はつい秘めた思いを言葉に出してしまった。
「ローアルが……。私とこの城へ一緒にきた幼なじみが、身分のことで苦しんでいます。
城で騎士団の人達に嫌がらせを受けたり、仕事先でも色々と意地悪をされているのです。
どうにかして彼を救ってあげたくて……」
「そう。それで君は、自分に何ができるか考えていたんだね。」
「はい。」
「君は優しい子だね。」
「いえ、そのようなことはありません。」
暫くディー様は深く何かを考えるように、夜空を見ていた。
だがまた私の方に視線を戻す。
「君にできることはある。けれど、それをする覚悟が君にあるかな?」
「!何でしょうか?ローアルのためにできることなら、何でもやります!」
「そう。君がそう言うなら。」
なぜか一瞬、ディー様は目を伏せた。
次に目を開けると、ディー様はそれまでのおっとりとした口調を切り替えた。
「実は、わたしが常日頃お世話になっている侯爵家があるのだが、そこの当主が変わった種味をお持ちでね。
…その、少女を集めていらっしゃるんだ。」
「少女を、ですか?」
おかしな話の流れだ。
「うん。彼は少女しか愛せない男でね。
ああ、でも、心配しないでほしい。
彼に引き取られた少女達は、みな幸せになっているんだよ。
君と同じように身分のない子達だったけれど、今では侯爵家の養子として身分をもらい、貴族と変わらない優雅な生活を送っているんだ。
どうだろう…?
その彼に君が身を委ねてみては。
それと引き換えに、ローアルに身分を買い与えて貰うのはどうだろう。
わたしの頼みであれば、きっとローアルも貧民以上の身分を与えてもらえるはずだ。」
「それは私に、侯爵様の妾になれということでしょうか?」
それまで絶えず微笑んでいたディー様の顔から、すっと笑顔が消えた。
「うん…まあ、そうだね。」
ディー様のどこか冷たい声を聞いて、私は冷静になる。
確かに、そうすることでローアルが救われるのなら、提案にありがたく乗るべきなんだろう。
だって私には何もないから。
お金もないし、身分もない。地位もない。
どんなにローアルのためを思っても、私にはできることが少なすぎる。
あるとすれば、この身体だけ。
身分のことで苦しむローアルのためなら、何でもやろうと思っていたのは決して嘘じゃない。
でも、これは………
「ディー様。私は……………………」
私には、ずっと心に決めていたことがある。
どんなに貧しく苦しく、例え死が迫ろうとも。
自分の純潔だけは大好きなローアルに捧げる、と。
だからそれだけはできない。
どんなに魅力的な提案でも、それだけは。
わがままでしかないけれど、私は何か他にもできることがないかディー様にもう一度尋ねることにした。




