ユビキリ ノ肆拾参
「丁度影の話だったから、場所を移る頃合いだろう。さて、花咲家の影についての話だったな」
「はい」
「白梅。塔十郎殿にした話を覚えているか。あれと似た話をもう一回する。寝ててもいいぞ」
「ああ、そりゃ眠くなりそうじゃ。じゃあ私はこっちにいるよ」
入口近くの柱にもたれかかると、目を閉じてしまう。
「何かあったら起こして」と返したものの、きっと完全に熟睡してしまう事はないだろう。
話は自分たちの曽祖父の時代にまで遡る。
川本末久が時期をずらして仕官に取り立てた二人の男たち。
功績をすぐに認められた男、栗町君近と、頭脳を妬まれて功績をすぐには認められなかった男、花咲方雪。
妻も子も失って悲嘆に暮れた方雪を支え、末久に談判してまで名誉を回復させた君近。
その働きにより忠誠を認められ、末久から失った息子の代わりとして方雪に与えられた川本家の末の子、約進。
そこからは花咲塔十郎にも話してない事だった。
「約進は非凡な才能を示した人物だったらしい。末久の長子、定良よりも優れていた。それゆえに持て余されていた。養子として川本家から花咲家に移されることに対して、本人の意思がどうだったのかは今となっては汲み取れない。だが本家の者に、後に川本家を乗っ取るかもしれないという不安を抱かせたのだろう。末久の次の当主、つまりは私たちの祖父であり約進の兄である定良は、後に約進の末の息子を忠誠の証として川本家に差し出すよう命じた」
末の子は特に可愛いものだっただろう。それを差し出せということは人質として預かるという事だ。その子を栄雅の守として使うという。否応にも家の立場を思い知らされる事になる。
しかし反乱を起こすのにも何かと資金が必要だが、友人の妻の家のために援助をしたことから、川本家を乗っ取ろうという気は、約進にはなかったんじゃないのかと露草は考えていた。
「約進の次の当主である太一郎には、跡継ぎが一人しか残らなかったために、そのまた子どもから影を差し出すことになっていた。しかし、その役目を伝える前に亡くなってしまい、仔細を知る者はいなくなったというわけだ」
「父上からも花咲家から影を取るようにとは言われていましたが、そこまで詳しくは聞きませんでした。兄上はどうしてそこまでご存知なのですか?」
「私の影を覚えているか? あれが花咲家から差し出された影だ。父上よりは年下で、私よりも一回り以上は年上だったな。彼は六男で、生まれてすぐに川本家に仕えだしたらしいから事情はよく分かっていないようだったが、元が花咲の生まれだということは知っていた。私が民衆の主だった者たちと交流を図っていたのは知っているだろう。そのうちの一人に花咲家の五男である九次郎殿と長子である太一郎殿もいたんだ。そこから花咲約進と川本定良との間で成された密約や、花咲家と栗町家との繋がりを知った」
あの書状に花咲の名前を書かなかったのは・・・・・・いろいろと厄介な人たちだったからな、と気まずげに弁解した露草の言葉に察した素振りで、明良が頷く。
「栗町家・・・食べ屋敷ですか。今は仲違いしていると聞きました」
「そうだ。視野を広げているようだな。約進と栗町家の当時の当主である小次郎は親と同じように友人だったが、小次郎の妻の実家で病人が出て、薬代が必要になったらしい。しかし栗町家では足りないから花咲家に援助を申し込み、流行り病のための出費だということを明らかにしたくないため、騙し取られた事にしてくれと小次郎が頼んだ。それをきっかけに表立った両家の交流は途絶えた。しかし、次の代の花咲太一郎殿と栗町花一郎殿も親友だったようだ」
はたからみれば不器用な人間の集まりだが、本人たちにしてみれば最善だったのだろう。
「またその次の代、つまりは今の当主である塔十郎殿と梅太郎殿も友人らしいが、今はこじれているようでな。けれど塔十郎殿は栗町家との事情を知っているし、彼らの子どもである清治郎殿とお良殿が近々祝言をあげるから、ゆっくりと仲が回復していくだろう。・・・・・・とまあ、私が栄雅だったころに聞かされた話を思い出して、今両家がどうなっているのか確認しようと、ようやくこの地に戻ってきたというわけだ」
「そうなんですか・・・・・・」
「で、もちろん今の栄雅さんがどうなっているかも、露草兄ちゃんは見に来たかったんよな」
「え」
「余計な口を挟むな。というか寝たんじゃなかったのか」
「寝られるわけがないじゃろ。露草のことやけ、必要事項だけ伝えてさっさとさよなら言いかねんけえ」
「・・・・・・余計なお世話だ」
「そんなん言うて、後で絶対後悔するやろ」
ぐ、と言葉に詰まった露草を見て、「ほれ見てみぃ」と意地悪そうな顔で笑う白梅を明良は繁々と見つめた。