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死ねない僕と、顔のない伴女  作者: 光闇居士-Twilight Master


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第11章:淀君の香りと退廃の城内

大坂城の奥の院は、死の匂いを黄金で塗り込めた、巨大で豪奢な密室だった。


僕の足袋が沈み込むほど分厚く柔らかな琉球畳。襖絵には、狩野派の絵師が極彩色で叩きつけるように描いた唐獅子や牡丹が、ねっとりとした生命力を放って蠢いている。柱の至る所に惜しげもなくあしらわれた金箔は、わずかな灯明の光を幾重にも乱反射させ、視界の輪郭を暴力的に歪めていた。

それは、道中で僕の網膜に焼き付いたあの光景――泥水を啜り、餓死した親の乳房にすがりつく赤ん坊や、黒焦げになった村の残骸――とは、完全に断絶された異界の風景だった。

この黄金の壁一枚を隔てた外側では、何十万という人間が地獄の泥を這いずり回っているというのに。この城の奥底には、そんな現世の苦しみなど一塵も届かない、狂気じみた無菌状態の「退廃」が完成されていた。


「……面を上げよ、真田左衛門佐(さえもんのすけ)」


御簾(みす)の奥から、絹を擦り合わせるような、ひどく掠れて気怠い女の声が響いた。

父・幸村と共に平伏していた僕は、ゆっくりと顔を上げた。


そこにいたのは、豊臣家の絶対的国母・淀君(よどぎみ)。

そして、天下の主である豊臣秀頼だった。


この謁見のシーンは極端に彩度を落とされ、彼らの肌の異常なまでの「白さ」だけを不気味に際立たせている。

淀君は、かつて絶世の美女と謳われた面影を残してはいたが、その内側はすでに完全に腐敗し、崩壊しかかっていた。彼女の顔には白粉(おしろい)が厚く塗りたくられているが、落ち窪んだ眼窩と、焦点の定まらない虚ろな瞳は隠しきれていない。

むせ返るような沈香(じんこう)の香りに混じって、強烈な薬草の匂いが漂ってくる。

彼女は「気鬱(きうつ)」を患っていた。極度の不食、絶え間ない眩暈、そして頭痛。当代随一の名医・曲直瀬玄朔(まなせ げんさく)が処方したという強壮剤や鎮静の秘薬を、彼女は一日の内に何度も呷(あお)り、事実上の薬物中毒(やくちゅう)に陥っていたのだ。


「九度山の山奥から、よう参られた。そなたの働き、頼みにしておりますぞ」


淀君の口から紡がれる言葉には、一切の覇気も、戦略的な知見もない。ただ、過去の栄華という幻影にしがみつく亡霊のうわ言だった。


その隣に座る秀頼は、対照的に、不気味なほど健やかで美しい巨漢の青年だった。

身長は六尺(約180センチ)を優に超え、肌は透き通るように白く、肉付きもいい。しかし、その瞳には、この狂った戦国の世を生き抜くための「泥の濁り」が全くなかった。彼は絵に描いたような世間知らずであり、母である淀君の薬の匂いと黄金の檻の中で純粋培養された、悲しいほど優しい無菌の若君だった。


「左衛門佐。そなたが来てくれて、本当に心強い」


秀頼は、柔和な笑みを浮かべて父に語りかけた後、その澄んだ瞳を僕へと向けた。


「その方が、幸昌(大助)か。……良い面構えをしておる。予と歳も近い。どうだ、これからは予の側近として、この大坂城で共に過ごさぬか。真田の忠誠の証として、母上の養女の一人を、そなたの正室として遣わそう」


その無邪気で、しかし絶対的な権力者としての提案を聞いた瞬間、僕の背筋に冷たい汗が伝った。

妃をあてがう。それは、僕を豊臣という泥船に永遠に縛り付けるための、美しい鎖だ。

僕は横目で父を見た。父・幸村は、彫刻のように微動だにせず、「ありがたき幸せに存じます」と深く頭を下げた。

僕の意志など、最初から存在しない。僕はただ、父が天下の盤上で動かすための、そして秀頼が自らの慰みとするための、上質な「肉の駒」に過ぎないのだ。


僕は、引き攣るような笑みを浮かべて平伏した。

胸の奥底で、ドロドロとした絶望と吐き気が渦を巻く。

この城は、狂っている。死を待つだけの美しい亡霊たちが、自分たちが泥に沈むことにも気づかず、優雅に茶を啜っている巨大な墓標だ。


◆


大坂城の南側、玉造口(たまつくりぐち)の外側に広がるなだらかな丘陵地帯。

謁見の翌日から、父・幸村はこの場所に、狂ったような速度で巨大な土作りの出城(でじろ)を築き始めていた。


後に「真田丸(さなだまる)」と呼ばれる、戦国最後にして最強の砦である。


「大助、よく見ておけ。これが、徳川の何万という兵をすり潰す『死のすり鉢』だ」


父は、朱塗りの甲冑(赤備え)を身に纏い、冷たい冬の風に吹かれながら土塁の上から戦場を見下ろしていた。

大坂城の惣堀(そうぼり)の南側は、一見すると地形の高低差が少なく、堀の幅も狭いため、城の「最弱部」であると誰もが信じて疑わなかった。徳川の首脳陣も、ここを突破口にすると目星をつけているはずだ。


だが、父の眼力は、大坂城の地勢の真の急所を完全に見抜いていた。

父が語る大坂城の真の弱点は、この真田丸の位置ではなく、そこから少し西へずれた「上町台地の中央部」だったのだ。

父は、あえてこの玉造口の南に、半円形に突出した巨大な真田丸を築き上げた。

自ら「ここが弱点だ、ここを攻めろ」と敵の注意を強烈に引きつけるための、巨大で凶悪なデコイ(囮)。

真田丸の周囲には、深くえぐられた空堀(からぼり)が幾重にも張り巡らされ、堀の底には鋭く削られた逆茂木(さかもぎ)が隙間なく設置されている。そして何より恐ろしいのは、真田丸の背後に広がる「幅二百メートルにも及ぶ深い谷(空堀)」の存在だった。


「仮にこの真田丸が落ちたとしても、敵の軍勢は背後の深い谷に足を取られ、城本体へ取り付く前に本丸からの十字砲火を浴びて全滅する。……ここは、私の命と引き換えに、家康の首を獲るための極上の罠だ」


父の横顔は、悪魔のように美しく、そして冷酷だった。

彼はすでに自分の死を前提に、この巨大な土の芸術品を組み上げている。

僕は、冷たい土と硝煙の匂いが混じる塹壕(ざんごう)の中で、圧倒的な無力感に苛まれていた。


この途方もない暴力のスケールの中で、僕という個人の命など、この真田丸の土塊の一つにも満たない。


そして、この築城と開戦の準備が本格化するにつれ、僕と「彼女」との時間もまた、暴力的に削り取られていった。


才蔵は、父の密命を帯びて、大坂城の内外を夜叉のように駆け回っていた。

徳川方の陣立ての偵察、潜入してくる伊賀や甲賀の忍びの暗殺、そして味方の牢人(ろうにん)たちの中に紛れ込んだ裏切り者の粛清。

彼女は純白の狐面を被り、完璧な戦闘機械として闇に溶け込み、数日に一度、深夜に血と硝煙の匂いを纏って帰還するだけの存在になっていた。


「大助様……申し訳ございません。今は、あなた様のお側にずっとついていることができない……」


出立の前、彼女は僕の手に自らの冷たい頬をすり寄せ、狂おしいほどの未練を残して闇へと消えていった。

僕の最強の盾であり、母であり、狂信的な伴女である才蔵の不在。

それは、僕をこの腐敗した巨大な黄金の城の中で、完全な孤独へと突き落とした。


◆


夜。

大坂城の奥の院、秀頼の側近として僕に与えられた小さな一室。

四畳半ほどの空間は、上質な畳と美しい襖絵で飾られていたが、僕には息が詰まるほど冷たい檻にしか感じられなかった。


「大助様。お夜食をお持ちいたしました。……それから、お召し物の着替えも」


襖が静かに開き、二人の若い従女が入ってきた。

彼女たちは、淀君が直々に選んだという、まだ十五、六の美しい娘たちだった。彼女たちの肌からは、白粉と甘い香の匂いが漂う。

彼女たちは膳を下ろすと、退出することなく、僕の傍らに三指をついてひれ伏した。


「……大助様のお身体の疲れ、私共が癒させていただきます。何なりと、お申し付けくださいませ」


一人の娘が、頬を染めながら、自らの小袖の襟元をゆっくりとはだけさせた。

若く、柔らかな白い胸元が露わになる。

この大坂城の奥では、死を目前に控えた若武者たちに対し、こうした「肉の奉仕」が惜しみなく、そして日常的な行為として提供されていたのだ。明日には鉄砲の弾に撃ち抜かれて死ぬかもしれない命に対し、せめて今のうちに生者の快楽を味わわせるという、淀君なりの歪んだ慈悲。

彼女たちは、僕に自らの若い体を捧げることに、何の抵抗も、羞恥すらも持っていなかった。


「……こっちへ来い」


僕は、虚ろな声で命じた。

僕の中で渦巻く絶望と、恐怖、そして才蔵がいないことへの強烈な飢え。

僕は、目の前に差し出された「空っぽの肉」にすがりつくしかなかった。


従女たちは恭しく僕の着物を脱がせ、その温かく柔らかい体を僕に密着させてきた。

彼女たちの口付けは甘く、肌は滑らかだった。

だが、僕の心は、氷のように冷え切っていた。


違う。

こんなものは、ただの温かい肉の塊だ。

彼女たちの乳房には、あの関ヶ原の業火で焼け爛れた凄惨な火傷の痕がない。

彼女たちの口付けには、血の味も、僕を生かすために何十人もの男の喉笛を掻き切ってきた狂気もない。

彼女たちの肌からは、あのむせ返るような伽羅の香りと、僕のためだけに己のすべてを捧げ尽くす、あの底知れぬ「絶望的なまでの愛」が全く感じられないのだ。


僕は、従女の柔らかな体を抱きしめ、その奥へと自らの熱を沈めながら、暗い天井を見つめていた。

交わっているはずなのに、何も感じない。

僕の魂は、この黄金の城の中で、完全に餓死しかかっていた。


◆


草木も眠る丑三つ時。

従女たちが疲れ果てて僕の腕の中で眠りに落ちた頃。


障子の向こう側の最も濃い闇から、ふわりと、あの香りが漂ってきた。

血と、夜の冷気、そしてむせ返るような伽羅の香り。


音もなく襖が開き、黒い影が部屋の中に滑り込んできた。

才蔵だった。

彼女の黒装束のあちこちには、敵の血が黒く乾いてこびりついている。純白の狐面を外した彼女の顔は、極度の疲労で蒼白になっていたが、その左目だけは、暗闇の中で獣のように鋭い光を放っていた。


才蔵の視線が、僕の布団の中で全裸で眠る二人の従女に落ちる。


「……才蔵」


僕は体を起こした。

気まずさはなかった。ただ、ようやく僕の「神様」が帰ってきたという安堵感で、喉の奥が熱くなった。


才蔵は一切の感情を顔に出さず、眠る従女たちの間を音もなくすり抜け、僕の目の前に跪いた。


そして、彼女は自らの黒装束の帯を解き、血に汚れた布を畳の上に滑り落とした。

月光に照らされて現れたのは、首の火傷の境界線から下、神の傑作のように傷一つない、あの完璧な「白磁の肉体」だった。


「大助様……」


才蔵は、震える声で囁くと、従女たちの匂いが染み付いた僕の体に、自らの純白の裸体を強く、力任せに押し付けてきた。


「ん……っ!」


冷え切った彼女の肌と、右頬のザラザラとした火傷の痕が、僕の胸に張り付く。

彼女は僕の首筋に顔を埋め、狂ったように匂いを嗅ぎ、そして、僕の肌に残る他の女たちの気配を、自らの唇と舌で乱暴に舐め落とし始めた。


「他の女の匂い……。甘くて、吐き気のするような、空っぽの雌豚の匂い……ッ」


才蔵の左目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、僕の胸を濡らした。


「許せない……! 私が命懸けで守り抜いている大助様のお身体を、こんな泥のような女たちが触れるなんて……! 私が、私があなた様を隅々まで慰め、満たして差し上げますのに……っ!」


彼女は激しい嫉妬と独占欲に狂いながら、僕の唇を奪った。

生温かく、血の匂いのする、貪欲な接吻。

僕は彼女の白磁の背中に腕を回し、その引き締まった肉体を力強く抱きしめ返した。


「才蔵……っ、お前がいなくて、僕は……僕は、死にそうだった……!」


僕は彼女の口内に自らの舌をねじ込み、互いの唾液を交換し合った。

従女たちの肉体では一ミリも満たされなかった僕の奥底の空洞が、顔の半分が崩壊したこの狂った女の熱と涙によって、一瞬にして満たされていく。


才蔵は僕の上に馬乗りになり、その豊かな双丘を僕の顔に押し付けた。

僕は右胸のあの火傷の熱と、左胸の滑らかな乳房を交互に貪り、彼女のすべてを味わい尽くすように噛み付いた。


「あぁっ……! 大助様……っ! もっと、もっと強く噛んで……! 私のこの傷ごと、私を食いちぎってくださいませ……っ!」


才蔵は暗い部屋の中で、眠る従女たちの存在など一切気にも留めず、僕の愛撫に応えて濃厚な嬌声を上げた。

彼女の体は完璧なまま、僕のすべての欲求と絶望を受け止め、そして自らの底知れぬ母性とエロスで僕を完全に包み込んだ。

最後の一線だけは頑なに守られたまま。しかし、僕と才蔵の間に交わされる肌の触れ合いは、肉体の結合を遥かに凌駕する、魂の共食いだった。


「私だけです……。あなた様の絶望を舐め、あなた様の恐怖を飲み込めるのは、世界でこの才蔵ただ一人……」


彼女は涙と汗に濡れた顔で微笑み、僕の額に口付けた。


大坂城の絢爛豪華な闇の中で。

僕たちは、近づく最終戦争の足音を耳の奥で聞きながら、互いの血と匂いを貪り合い、泥のように重く、甘い夜の底へと沈んでいった。


この黄金の墓標の中で、僕が「生きている」と実感できるのは、この顔のない伴女の狂気に満ちた胎内に抱かれている時だけだったのだ。

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