第9話「スタッカート・ステップ。」
やけにやかましいアラームが部屋に響いた。
「ほら、起きなさい。もう時間よ?」
ナヅハの声でようやく目を開いた真霜。
「あ、あぁ、うん。ありがとう。」
真霜は目をこすりながらベッドを下りた。
「カラオケ、昼食に買い物。まさに女の子の休日ってイメージね。」
半目で歯磨きをしている真霜に向かって、ナヅハは笑いながら言った。
「たひかに、、。あんありほういうほほひなはっはおんえ~。」
「……あんまりこういうことしなかったもんね?」
歯ブラシを口に入れたままの言葉をナヅハは翻訳する。真霜はうんうんと頷く。
「まぁ、今日はのんびりしようかな~。」
着替えをしながら言う真霜。
「のんびりしてるのはいつもの事でしょうが。」
「…………はい。」
「さて、少し遠いわよね?」
電車に揺られている真霜にナヅハが聞く。
「そうだね、この前の病院の時の倍くらいはあるんじゃないかな?この辺には娯楽無いからね。」
人が少ないローカル電車とはいえ、公共の場ゆえに頭の中で会話をする。
「椥叉とはどこで合流するのかしら?」
「次の駅で乗ってくると思うよ、目的地への手段が同じだと一緒に行けるからいいよね~。」
と言っているうちに電車は東樽見河に止まり、電車の窓から椥叉が見えた。
「おはよ、真霜。」
外から見えたのだろう、椥叉はドアから入ってきてから真っ直ぐに真霜が座るボックス席へやってきた。
「うん、おはよ。あ、今日は髪型違っておしゃれだね!」
平日の椥叉は、その長い黒髪を結ばず、小さな髪飾りをしているだけだったが、今日はポニーテールでまとめ、結び目には少し大き目の白いリボンの飾りがついていた。触覚も長くとり、学校で見る椥叉とはがらりと印象が変わっていた。
「ま、まぁ、よそ行くし。へ、変かな?」
少し照れた様子で椥叉は頬を掻く。
「そんなことないよ!すっごく似合ってる!可愛い、、!学校にもそれで来たらいいんじゃないかな?」
真霜は椥叉の変わり様に嬉々として反応していた。
「本当に変わるものね、いつもよりずいぶんと明るく見えるわね。私も変わるかしら……?」
ナヅハも驚いた様子で、自分の髪をいじっていた。
「そ、そうかな?ありがとう。」
予想外の反応に笑みがこぼれる椥叉であった。
「真霜も普段と少し違うよね?髪飾りとか。」
真霜は椥叉ほどに長い髪ではなく、肩にかかるほどで、ポニーテールなどにはしないことが多かった。だから真霜は他の人よりもはるかに多くの髪飾りを持っていた。地味で目立たないものから派手で目立つものまで何十個もある。
「おぉ~、気づいてくれたね。今日は歌舞伎にするか迷ったんだけどね。」
「か、歌舞伎?そんなのあるの?ちょっと見てみたいかも。」
椥叉は目をぱちくりさせながら言った。
「今度家においでよ。別に何があるわけでもないけど。」
「ホント?いいの?迷惑とかじゃ……?」
「ないない。一人暮らしだし、暇で仕方ないから寧ろ来てくれると嬉しいよ。」
真霜は顔の前で手をパタパタと振る。
「そっか、じゃ今度の休みとか行ってもいい?」
椥叉の提案に真霜は笑って頷いた。そうこう雑談をするうちに、二人の降りる駅の名前を読み上げる電車のアナウンスが聞こえた。
「私、こんな風に友達と、しかもこんな人の多い所に来るの初めてだよ。」
椥叉は駅を行き交う人々に圧倒されつつ言った。
「大丈夫だよ、椥叉。私もだから!」
冷や汗が背中に流れるのを感じながらも、真霜は笑顔で言った。
「あのね?真霜?」
突然ナヅハの優しい声が聞こえる。
「……何さ?」
「それは大丈夫の理由になっていないわ。」
そのナヅハの言葉に、真霜は完全に沈黙してしまっていた。
「真霜?どうしたの?」
椥叉が真霜の顔を覗き込んで心配そうに尋ねると、
「え、うん。大丈夫、大丈夫。へこんだりして無い!」
と言った。
「へ、へこむ?」
真霜の言葉に首を傾げながらも、椥叉は改札出口に並んでいるビルを見渡した。
「こっち、だよね、、?」
自信なさげに椥叉は真霜に尋ね、真霜もまた自信なさげに頷いた。そして彼女たちはその後三十分、準都会の中で迷っていたのだった。
「あぁ~あぁ~~、果ってしないぃ~~~♪」
真霜はようやくたどり着いたカラオケ屋に入っていた。
「だ、大都会……。」
なんと皮肉な歌を歌うものだと思いつつ、椥叉は苦笑いする。今でこそ元気に歌ってはいるが、カラオケ屋に到着した時二人はぐったりとしていた。曲がるべき道がいくつかあったが、それを通り過ぎたり、手前で曲がったりを繰り返して、挙句の果てに方向が分からなくなり、本来であれば十分もかからないところに四十分もかかってしまった。足が棒になった二人は痛さに泣きそうになっていたが、雑談をしてる内に笑いがこみあげてきた。
「あははは!!何してるんだろうね?私たち?」
「駅前のカラオケに行くのにこんなかかる人他にいないよね!あはは!」
そしてその笑いをエネルギーに真霜は大都会を熱唱していたのだった。
「あー、歌った、歌った。」
立って歌っていた真霜はソファに腰を下ろした。
「真霜って歌上手なんだね。本当にカラオケとか全然行かなかったの?」
椥叉は目を丸くして真霜に聞いた。
「うん、そうだね。友達と一緒に聞くことも無ければ、一人で行くほどの勇気は持ってなくてね。でも歌うことは好きで家とかでも歌うから、慣れてるのかもしれないね!」
少しおどけてみせる真霜を見て椥叉は笑った。
「はい、次は椥叉!」
真霜は笑ってもう一つのマイクを椥叉の前へ突き出す。
「あんまり上手くないんだけど……。」
と言いながらもマイクを受け取り、曲を送信した。
『生きる記憶と飛翔の夢』
アコギが入り、穏やかなイントロが始まった。
「色の~塗られた愛 銀紙に~包まれて~」
椥叉が歌い始めると、真霜は既視感のようなものを覚えた。
「私、これ、歌える……?」
「ほんと?じゃあ一緒に歌おうよ。」
二人は楽しく歌い合い、気づけばお昼が過ぎていた。
「はぁー、大分エネルギー使ったけど、楽しかった~。」
カラオケ屋を後にした二人は人通りから離れた、小さな喫茶店『Baum Schatten』に入っていた。通りから離れている為、休日の昼時であったが他の客は一人もいなかった。
「こういう所っていいね。お客さん一杯いてもおかしくないよね?」
椥叉は空いているテーブルを見渡しながら言った。
「確かに、お昼少し過ぎちゃったからかな?でも穴場っぽくて好き。」
真霜は入ってすぐに頼んだ砂糖を大量に入れたコーヒーをすする。
「おいしいなぁ。ここってご飯どんなのがあるんだろ?」
横に置いてある小さなメニュー表を手に取って見た。すると予想より多くの料理が載っていた。
「おお、すごい!いっぱいあるね、椥叉どうする?」
「そうだなぁ~。じゃあ私カレーにしよっかな。」
「すいませーん、オムライスとカレーひとつずつお願いしまーす。」
カウンターでコーヒーカップを拭いていた女性は、ニッコリ笑って"かしこまりました"と言い、店の奥へと消えていった。
「頼んでから聞くのは変だけど、大丈夫?カラオケの後にカレーって喉痛くない?」
「あはは、真霜ほどに熱唱してないし大丈夫だよ。」
喉を押さえている真霜を見て椥叉は言った。
「はしゃぎ過ぎね。」
「しょーがないでしょ?楽しいんだもん。」
突然声を掛けてきたナヅハにいつも通り反応した真霜は、声を出してしまった。
「え?」
「あ、ごめん。ナヅハが……。」
真霜は気まずそうに言う。
「あぁ、そっか。気にしないで話して大丈夫だよ?」
そう言って椥叉は紅茶を一口飲んだ。
「全く、急に話しかけられるとびっくりするじゃん!」
今度は声に出さないようにナヅハに言う真霜。
「そうは言うけれど、話しかけるなんていつも突然じゃないかしら?」
「それはそうかもしれないけど、このタイミングはどうなのさ、。」
苦笑いなのか微妙な表情で真霜は言った。
「熱唱中に話しかけなかっただけ有難いと思ってほしいわね。」
「うぅ、それはそうかもしれないけど。」
「ねぇ、真霜。椥叉に挨拶がしたい、って伝えてくれないかしら?」
「え?いいけど。ねぇ、椥叉、ナヅハが挨拶したいってさ。」
ナヅハが言ったことをそのまま伝える真霜。
「へ……?」
椥叉は少しばかり間抜けな顔をして真霜に聞き返す。その時、真霜がテーブルに前のめり頭から突っ込むように倒れた。ゴツンと鈍い音が店内に響いた。
「ちょ、ちょっと真霜!?どうしたの!?」
椥叉は驚いて思わず椅子から立ち上がる。
「ん……。」
ゆっくりと真霜は起き上がる。
「真霜?大丈夫……?」
顔を覗き込みながら椥叉は座りなおした。
「痛たた……。大分強く打っちゃったわ。今度から気を付けないといけないわね。」
「え?」
椥叉は真霜の異変に気が付いた。そして目を合わせた椥叉は言った。
「誰、ですか……?」