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その証明は、言葉の中に  作者: こなれたタオル


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薄く残る跡

 教室の窓際に、夕方の光が落ちていた。

夏期講習初週、六時半の中二国語。毎年恒例の、読書感想文対策だ。


〈青葉進学塾 高島駅前教室〉は、今日もほぼ満席。

中学の国語を担当し、今年の作文指導を任されている高瀬綾乃は、生徒の前に立つ。


「先生、何書けばいいのか、わかんないっす」


Tシャツ姿の男子が本を閉じる。椅子の背にもたれ、天井を見上げた。

足元には部活用のバッグが転がっている。

綾乃は頷いた。


「じゃあさ、なんでその本選んだの?」


「え、だって課題図書だし」


少し不服そうな声。


「それでも何冊かあったでしょ。その中でこれにした理由は?」


男子は眉を寄せる。


「ほぼ決められてるやつじゃん」


「でも、最後に選んだのは自分だよね」


数人が顔を上げる。


「タイトルが目についたとか、表紙が好きとか、なんとなくでもいい」


「そんな適当じゃねーし」


「ほら、もう一個ネタ出た」


机に二種類の付箋を置く。

小さいものと、大きいもの。


「小さいのは本に貼る。ページ番号も書く」


「大きいのはノート。同じ番号を書いて、自分の言葉を書く」


「なんで二枚?」


「あとでページ探すの面倒でしょ」


教室に小さな笑いが広がる。


ホワイトボードに三行、ゆっくり書く。


・引っかかったところ

・どう感じたか

・なぜそう思ったか


「感想は正解を書かなくていい」


一瞬、静かになる。


「面白いも感想。つまらないも感想」


一番前の席の女子が手を挙げる。


「先生、つまらないって書いてもいいんですか?」


「いいよ。だって、それが感想なんでしょ?ただし、理由を書いてね」


「何も感じない」


さっきの男子が口元をわずかに上げながら、腕を組む。


綾乃は間を置かずに返す。


「じゃあ、『何も感じなかった』って書いたらいいんじゃない?」


男子が目を逸らした。


付箋が一枚、本に貼られる。


「主人公、なんでもうまくいきすぎ」


綾乃は横からのぞく。


「『うまくいきすぎ』って書いたのね。どこが?」


「……展開」


「じゃあ、『展開がうまくいきすぎて嘘くさい』にしてみよう」


男子が書き足す。

消しゴムを手に取る。

少し迷って、戻す。


綾乃は何も言わない。

言葉が自分の形になる瞬間が好きだ。


三枚の付箋が机に並ぶ。


一枚目。選んだ理由。

二枚目。うまくいきすぎ。

三枚目。嘘くさい。


男子がノートに一行書く。


――うまくいきすぎる話は、信じられない。


「ここでポイントを」

「三つあれば足りる」


さっきの男子の手が、止まる。


「三つ?」


「そう。ネタは三つで、感想文は書けるの。

今、もう机の上に骨組みはできてる。あとは並べるだけ」


シャーペンのノック音が重なる。

書き始める音が教室に広がる。

整っていない言葉が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。



 翌日の午前中、国語担当者だけの緊急ミーティングが招集された。

生徒のいない教室は、机がきれいに揃っていて、同じ教室なのになんだか別の場所のようにさえ思える。


配られた資料の一枚目をめくった瞬間、

綾乃の手が止まった。


『感情連結型作文メソッド』


一度、ページを戻す。

もう一度、見る。

見間違いではない。


柏木美玲が立つ。


彼女とは同じ高校出身で、一時期親しくしたこともあった。

それきり、会っていない。


青葉進学塾で再会したのは、今年の四月だった。驚いたのを覚えている。

綾乃にとって、あまり思い出したくない出来事の中心に、美玲がいたからだ。


美玲はさりげなく髪を払ってから、資料を手に取った。


「今日から、読書感想文の指導を統一します」


スクリーンにスライドが映る。


・引っかかった箇所の抽出

・感情の明文化

・理由の具体化


順番が、同じ。

昨日、ホワイトボードに書いた並びと同じ。


「感情は三つあれば十分です」


言い回しまで、同じ。

マーカーの音だけが、やけに響く。


資料の例文は整っていて、迷いがいない。

見慣れた三行だ。

美玲は資料を指先で整えながら、淡々と説明を続ける。

室長は美玲の説明に何度も頷いた。


「急な変更になりますが、本日午後のクラスからこのフォーマットで統一します。

柏木先生からの提案があり、いい方法があるなら、すぐに提供すべきだと判断しました」


「詳細は柏木先生から共有します。各クラスで足並みを揃えてください」


資料をめくる音が続く。

異論は出なかった。

室長がふと綾乃を見る。


「高瀬先生。国語は主に担当されていますよね。問題ありませんか?」


視線が集まる。綾乃は顔を上げて資料を閉じた。


「問題ありません」


美玲と目が合う。

笑っている。

いつも通りの、感じのいい笑顔。


ミーティングは淡々と終わった。


椅子が引かれる音。

資料を揃える音。


「さすが柏木先生。期待していますよ」


室長が美玲に声をかけている。


――そういえば。


綾乃はふと思い出す。

室長は、美玲の実家が経営している柏木進学会から中途で来た人だった。


午後の授業から、配布物が差し替えられた。

似ているだけだと思った。


——そうでなければ。


ホワイトボードには、昨日の跡がまだ薄く残っていた。

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