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役員

一条美玲の失脚、そして彼女に加担した役員たちの追放。

九条グループを襲った嵐は過ぎ去り、本社ビルにはかつてないほど清々しい、しかし緊張感のある空気が流れていた。


今日、九条社長による新体制の発表が行われる。


私は、最高級のシルクで仕立てられた秘書室の制服を纏い、社長の三歩後ろを歩いていた。2900円の合皮の靴は、もう履いていない。だが、懐にはいつも、あの時拾った「158円の大根のレシート」を忍ばせている。初心を忘れないための、私なりの「お守り」だ。

全社員が集まる講堂。壇上に上がった九条社長は、マイクを握り、会場を見渡した。


「わが社は、これまでの『家柄』や『学歴』といった古い皮を脱ぎ捨てる。……今日、私は新たなパートナーシップを発表する」


社員たちが固唾を呑む。一条美玲という「盾」を失った社長が、誰を次の婚約者に選ぶのか。あるいは、どこの大企業と提携するのか。


「……私の隣に立つのは、佐藤花だ。彼女を、本日付で『九条グループ執行役員・内部統制室長』に任命する」


会場が、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


「役員!?」


「元派遣の秘書が?」


「婚約者じゃないのか?」


私は一歩前に出た。社長から渡されたマイクを受け取り、震える声を抑えて、全社員に告げた。


「……私は、この会社の『婚約者』という飾り物になるつもりはありません。……私はこれからも、この会社の隅々を這いずり回り、1円の不正も見逃さない『アリ』として、皆さんの仕事を監視し、そして守ります」


「自分は特別だ」と思った瞬間に、足元を掬われる。私は、社長の隣という特等席に座るんじゃない。社長の背中を守るために、現場の泥を吸い上げる役職を選んだんだ。


「……佐藤室長。質問いいかな?」


壇上の袖で、九条社長が意地悪く微笑んだ。


「……婚約指輪を返さないと言ったのは、どこの誰だったか?」


「……それは、業務を円滑に進めるための『カモフラージュ』として継続しているだけです、社長。……公私混同は、私の美学に反しますから」


「……相変わらず、可愛げのないアリだな」




社長は全社員の前で、私の手を強く握った。




それは、甘い恋人の繋ぎ方ではなく、戦場を共にする戦友のそれだった。







数時間後。誰もいなくなった社長室。


私は山積みの書類を整理しながら、窓の外に広がる摩天楼を見つめていた。


「……佐藤。役員報酬の契約書だ。目を通しておけ。……月収は、これまでの倍。ボーナスは業績連動で上限なしだ」


「……ふむ。悪くないですね。……でも社長、この『接待費』の項目、1円単位で私がチェックしますからね。……社長のプライベートな贅沢は、一切認めませんよ?」


「……フ。厳しい女王様だな。……だが、それでいい」




社長は私の後ろから腕を回し、私の肩に顎を乗せた。


「……佐藤。お前がアリとしてこの会社を支えるなら、私は王として、お前が這いずる地面をどこまでも広げてやろう。……どこまでついてこられる?」


私は、社長の腕をそっと握り返し、不敵に笑った。




「……社長。アリの執念を舐めないでください。……あなたの資産が1円でも減らないよう、一生かけて監視してあげますよ」



「君の代わりはいない」。その言葉を、本当の意味で手に入れるために、私はこれからも戦い続ける。2900円のガッツを持って、この贅沢な城を、最高に合理的な場所に作り替えてやるんだ。




窓の外、夕日に染まる街並み。



元派遣の「アリ」は、ついに自らの力で、最も美しく、最も厳しい「玉座」へと辿り着いた。



私たちの「1円の戦い」は、まだ始まったばかりだ。





【完】

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