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『帰源院の門』  作者: 驢馬人
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第4夜

 今朝通り過ぎた雨台風の影響で一時的に下がっていた気温も、台風の連れてきた南の熱気によって、蒸し暑さを感じるくらいまで上がってきていたはずだ。

 それなのに、空気は湿り気を失って乾燥し、蒸し暑かった空気はひんやりとして肌を刺激してきた。初夏であるはずなのに、まるで年の瀬であるかのような寒さを感じた。

 空は光を失い黄昏時のように昏さを増している。

 まるで彼女の告白に呼応するかのように。

 

 よねは感じているのだろうか? そのデバイスを通じてこの空気を。

 

 先ほどまで聞こえていた蝉の鳴き声がなくなっていた。

 

「前世の記憶は昨今のライトノベルの流行りではありましたが、現実となると……ね……」

 

 言葉の最後は寒さのために歯の根が合わず、尻窄みのような声になってしまった。

 半袖の腕に鳥肌が立つのがわかる。

 気温が下がったからなのか、それとも、彼女の姿を見てしまったからか。

 

 階段を上がり切った所だった。

 ぼくの横には陸上型ドローンがクロウラー構造を活用してのぼり切ったところではなかったか。

 

 しかし、そこに座っていたのはまだ高校生にしか見えない、ストレートヘアの台湾系美少女であった。

 ぼんやりではあったが、なんらかの座席に座っているように見える。

 

 ぼくの視線に気がついたようで、振り向いた彼女と直接目が合った。

 そして、彼女はそれが当たり前のことであるかのように微笑んだ。

 

「共産党の追及を逃れて中華民国へと渡った仙人が、私に前世を思い出させてくれたのです」

 

 ゴクリと唾を飲み込んだ。その音があまりにも大きかったので、彼女にまで聞こえたのではないだろうか?

 

「私が帰源院にいるという事実が、前世の私の心残りを解消する事象をもたらすだろう、そう導いてくれました」

 

 彼女がよねこと葉淑華いえしゅふぁで間違いない。台湾にいてドローンを操るコクーンの中をぼくは見ているのだ。いったい、どういうことだ? 立体映像を展開しているのか?

 

 いや、そんなことよりも気になったのは彼女の体の状態であった。

 そう、ぼくは知っている。彼女の足が機能していないことを。彼女が日本に直接来なかった理由。それは下半身の機能障害にあることが窺い知れた。

 パンツの上からでもわかるその下肢の細さと垣間見える足首のむくみは病院勤めの時代によく見たそれであった。

 彼女がドローンを使って日本のこの場所へ来たのは、試作ドローンのテストや北中国の工作員から彼女を守るというよねの父親の意向だけではなく、それが大きな理由なのではないか。


「ろばさんは信じられないというと思いますが、前世の私は金之助さんの嫂の夏目登世とせでした」

 

 彼女のその言葉と共に、周辺が暗くなったかと思うと、またそこにいる人間がかわって見えた。いや、雰囲気的によねであるとは思う。

 しかし、彼女はドローンでも、座椅子に座っている台湾美少女でもないように見えた。

 いつの間にか彼女がその場所に立っていたからである。

 自分の目を疑ったが、擦っても変わりはしなかった。

 

「信じられない。しかし、この事実は認めざるを得ない」

 

 よねは学校のクラスにいれば十人並の容姿の若い小柄な女性だった。

 髪は明治の人らしく束髪と呼ばれる後ろで結ぶ髪型をしている。

 清潔な印象で凛とした雰囲気があった。

 以前読んだサイトの記載によると、夏目漱石こと金之助の兄の直矩の二番目の妻登世は、愛宕権現の神官をつとめた水田孝畜たかますの次女だと記憶している。

 そう、そして明治24年、1891年に若くして妊娠中毒症で亡くなったということも。今でこそ医学は発達し、妊娠から出産が女性にとって一大事であるということが忘れさられているが、出産は命を奪う可能性が明治の時代はまだあったのだ。


 目を見開いた。

 彼女が帰源院に来たということで、彼女の言う仙人の仙術が発動したのか、密かに組み込まれていた宝貝ぱおぺいが発動しているのかわからない。

 ただわかるのは、ここはもう初夏ではなかった。

 空気は冷え込み、乾燥していて、体の芯まで冷気が染み込んできていた。


 帰源院の山門は、室町時代の建築で、様式は鎌倉時代といわれている茅葺の屋根の門だ。

 これは昔から今も変わらない。

 

 ぼくらは階段を登り終え、すでに帰源院の門に辿り着いていた。

 

 階段自体は長いものではない。すぐに登り終える程度のものだ。

 それが、果てしなく長い旅路をして来たかのような感覚をぼくは覚えていた。

 

 左側にあるはずの鎌倉漱石の会の冊子は掲示されていなかった。

 

 わずかに先行していた彼女は迷いなく門の足元の木を跨いで門の中へと足を踏み入れていた。

 

 一歩遅れてぼくも門を通り抜ける。

 

 「その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急にさとった。静かな境内の入り口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した」

 

 よねがまた『門』の一節を朗読した。

 

「今まさに、ぼくはそう感じていますよ」

 

 よねに言えた返答はそれだけであった。

 

「入っていいのか……?」

 

 そもそも帰源院は今現在一般公開されていないから入ることはできないはずだ。

 以前、愛犬のファルコと散歩のついでに見に来た際も、入り口の門のところから入ることは叶わず、ただ、鎌倉漱石の会の冊子を確認して帰って来ただけだった。


「私の目的は多分この先にあります。ちょっとだけならいいでしょ?」

 

 よねは可愛らしくそう言った。

 

 あたりに人気はない。

 そして今が幻を見ているかのうような非日常であることも確かだ。

 

「怒られたら引き返しますよ」

 

 そう言って、ぼくらは中にそのまま入ることにしてしまった。

 

「もちろん、ろばさんのいうとおりにします」

 

 にっこりと彼女は笑みを浮かべた。

 こういう表情をする女性に勝てる男はそうそういない。

 

 門の先は左に草木が植えられた花壇のようになっていたが、寒さのためか咲いている花はなかった。季節が良ければ植えられている花が咲いているのだろう。

 しかし、この寒さからすると、ここは冬のようであった。

 

 そして、木造建築の平家の大きな建物が見えて来た。

 茅葺き屋根の建物だった。

 ここまでくれば、さすがに疑う余地はない。

 帰源院の本堂は関東歳大震災によって倒壊し、のちに瓦の屋根となって立て直されたはずだ。となれば、茅葺きのこの帰源院は震災前の建物だということになる。

 手前に縁側のような一角でガラスのはまる引き戸が連なり、玄関となる入り口は少し奥にあった。お寺の建物らしい堂々とした造りだが、豪奢な屋敷という感じではなく、古い集会所のそれに近い感じがした。

 

 もはや信じるしかない。

 ぼくらは不思議な力を持って過去に遡っているのだということを。

 彼女の言った心残りという言葉を考えれば、ここが冬の帰源院ということも併せて、いつなのかが推測できた。

 

 ガラガラと縁側の引き戸が引き開けられた。

 そして、そこには一人の男が立っている。

 まるで幽霊を見ているかのように、大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべながら。

 

 その顔はさすがのぼくでも見間違いようがない。

 今でこそ電子マネーや令和6年の新札への交換で見なくなってしまったが、そこに立つ男は見慣れた千円札の肖像画に酷似していた。

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