表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/14

第七話:サイレントダーク

次回にもう少しだけ過去話の続きをやってから現代軸に戻ります。



流氷の国。

毎年冬の季節になると大量の流氷が押し寄せ、港は凍りつく極寒の国である。


遡ること百年前、流氷の国は勇者ジークパーティーの活躍により魔物の脅威から解放された。現在は厳しい気候ながらも人々が懸命に生きている、そんな美しくも過酷な銀世界。

そして今現在、流氷の国の統治者が政務を行う宮殿、その頂にはある旗がたなびいている。


剣で串刺しにされた紅い竜の紋章が刻まれている滑らかな黒の国旗。



それは帝国の旗だった。



『第一次大陸戦争』、

ファブニール帝国の英雄ガロガインが落命し、ヴォルムス王国の英雄ジークとシベリウスが王都攻防戦にて帝国主力軍を打ち破ったことにより王国勝利で集結した戦いだ。

この戦争でヴォルムス王国は確かに帝国軍を敗走に追い込んだ、だがそれで他諸国を制圧した帝国勢力までが撤退したわけではなかったのだ。


その証拠がこの国だ、戦争初期に帝国に占領されていた流氷の国はそれ以後も彼の国の支配を受け続けている。流氷の民は疲れ切っていた。



帝国の理不尽なる圧政は90年を超えたのだ。





「おお、寒い寒い」



宮殿の外門で帝国に雇われた警備兵が呑気な口調でつぶやいた。この国に住む魔物『ハンターウルフ』の毛皮を加工した上質な防寒着を着込んだ身なりの良い男だ。


そんな兵士の足下にはシロップをぶちまけたように真っ赤に染められた雪が広がっている。大量の血が跳ねた跡だ。


先ほど兵士はこの国の住民を斬り殺した。


それは占領軍への直訴を行おうとした集団だった、重税に苦しむ彼らは飢えていたのだ。

寒さを防げそうもない擦り切れた毛皮の服、骨が浮き出るほど痩せた身体をしていた。顔色の悪い赤ん坊を抱いた女もいた。


上層部からの指示は「直ちに追い返せ」だったのだ。なら門番たる兵士は彼らを素通りさせるわけにはいかない。

当然、彼らも退くわけがない。ここで戦わなければ数日中には寒さと飢えで命を失うのだから。


「ここを通せ」「通せない」と兵士と彼らは言い争いになり住民が必死の剣幕で殴りかかってきたため、リーダーらしき人間を斬り殺した。後は剣を振りかざし、蜘蛛の子を散らすように彼らを追い払った。


死体は埋めて処分したが、雪に滲む血の跡はそのままだ。兵士は肺の空気を残らず押し出すほど深い溜め息をついた。


兵士とて、飢えに苦しむ彼らに同情はしている。しかし自分のような一兵卒にはどうしようもないことだ。帝国に逆らわず、今の自分の生活を守るだけで精一杯なのだ。



兵士はこの国出身の人間だった。



兵士は決心した。

今日は家族に温かい物を買って帰ろう、ついでに酒も樽ごと買おうと決めた。


先ほどの赤ん坊を抱いた女性の幽鬼のような眼差しが頭から離れない。


だから今夜は飲もう、明け方まで独りきりで飲み明かそう。そして明日、またここに来るまでには忘れ去ってしまうのだ。そうしよう。


「おお、寒い寒い」



兵士は同じ言葉を呟きながら身体を震わせた。

このぐらいの寒さなら地元民である自分は慣れている、しかし身体の奥底から染み出してくる震えは酷くなるばかりだ。

いつまでこんな仕事を続けなければならないのだろう、と彼はまた溜め息を吐いた。



この国の雪は、降り止まない。




流氷の国から搾り上げた重税により建設された圧政の象徴である宮殿。

支配者は占領軍の軍人たち。彼らはファブニール本国からの監視の目を誤魔化しながら権限を拡大し私腹を肥やした上に、まるでこの国の王族のように振る舞っていた。



民の窮乏を歯牙にもかけぬ彼らには貴族達が持ち合わせている最低限の誇りすらない。

この国で彼らを制する者などいない、その傲慢なる行いを裁く者などいないのだ。



しかし今、そんな宮殿に1人の男の悲鳴が木霊した。



「ひぃぃぃぃぃぃっ!」



叫び声の主は栄えある帝国軍司令官、彼はまるで何かから逃げるように宮殿内を駆け抜けていた。その表情は蒼白だ。何故こんな無様な姿を自分が晒しているのか、男自身にすら理解できない。



今朝までいつも通りだったはずなのだ。


本国への定期連絡を滞りなく済ませ、視察団には皇帝への報告を改ざんするようにと多額の金を握らせた。


現皇帝『麗竜帝』はファブニール帝国の基本方針であった武力による領土拡張に否定的だった。うら若く見目麗しい女皇帝、彼女は歴代皇帝達の政略に逆らったのだ。対立していた王国に使者を送り出し、武力ではなく言葉による外交を開始しようとした。彼女は平和的に世界を変えようとしたのだ。


占領軍の撤退すらありうるのではないかという女皇帝の意向に武闘派の貴族達は「腑抜け」「無能」だと激しい非難を浴びせ掛け、政治的抗争が勃発した。そして現在も帝都では皇帝派と諸侯派が水面下での血生臭い闘争を続けている。


流氷の国の現状を知ればあの理想に燃える女皇帝に付け入る隙を与えてしまう、その対策として視察団に金を握らせた。


これで何一つ問題はない、はずだったのだ。



「何だ"アレ"はっ、何だアレはっ!?ま、まさかっ、『太陽の狼達』が動いたのかっ?そんなバカなっ、そんなバカな!!」


狂ったようにひたすら同じ言葉を繰り返しながら、通路を必死の形相で走り抜ける。

この宮殿を囲む本国製の防衛結界に欠陥はなく、外では平常通り兵士たちが見回りを行っている。いつもと変わらない風景がたった一枚の窓を隔てて広がっている。


つまり、この建物内だけが平常から切り離されている。この一角だけが異常なのだ。



"ソレ"が現れたのは夕方から始まった定例会議だった。

占領軍の重鎮が揃うためにデザインされた華美な装飾が施された会議部屋。壁や絨毯、椅子の一つに至るまでバカにならない予算がつぎ込まれている


税の軽減を求める住民からの直訴を跳ね退けてから始まった朗らかな会議。この国の統治に特に大きな問題もない以上は規則通りに始まり、規則通りに終わる。

司令官という立場上、毎回出席しなければならない男からすれば正直なところ退屈な時間だった。


そして何気なく会議室を見回した司令官の視界に"ソレ"が偶然映り込んだ。


ぽつんと黒い装束を着た者が立っていた。

顔も見えない違和感の塊のような人物が、まるで最初からそこにいたように会議室の出口の前に立ちふさがっていたのだ。


手にしていたのは一本の短剣。ぽかんと口を開けた司令官には目もくれず、足音もなく自身から最も近い位置にいた将官に後ろから近づくと、短剣を一閃させた。


悲鳴は上がらなかった、ただガクンと俯いた姿勢でその将官は即死した。眠ったのかと思うくらいに静かな死だった。


そして噴き出した血潮が会議室を悲鳴で染め上げた。

ここにきて、ようやく彼らは侵入者に気づいたのだ。



そこからは一方的な惨殺劇だ。

護身用の剣や魔銃を構え抵抗した者はいたが、素晴らしいほどに無意味だった。


影が舞い、あまりにも鮮やかに見惚れるほど手際よく将官たちは冗談のように殺されていった。


とっさに身体が動いたのはこの男だけ、血に沈んでいく同僚を見捨てて扉を押し開けて逃げ出した。



「ち、違う『狼達』はこんなやり方はしない、なら何者がっ?と、とにかく逃げっ、でなけ、れば殺されっ!」


フラッシュバックする映像が頭をかすめ、思うように呂律が回らない。男は恐怖に涙さえ浮かべて走る。

胸元でガチャガチャと音を立てるお飾りの勲章を邪魔だとばかりに投げ捨てた。床に接触した勲章はカチンと高い音を立てた、これが男にとって致命的なミスだった。"ソレ"に居場所を知らせてしまった。



「こ、ここを降りて応援を呼べ、ばぁぁぁっ!?」



脚に激痛が走り、階段を無様に転げ落ちる。

全身に痛みを感じながら見ると、右足に短剣が刺さっていた。脳を侵す激痛と迫る死の恐怖に視線をさまよわせ前後不覚に陥ってなお、脚を引きずりながら這いつくばってでも男は"ソレ"から逃げようとする。だがほどなくして



影が、追いついた。



「うぐぉ‥‥‥!!?」



男は仰向けに押さえつけられた。相手は男に馬乗りになっている、男の両腕は相手の両膝で抑えつけられ動けない。


「たすけっ‥‥っ‥!!」


悲鳴を上げようとした口を塞がれる。白魚のように白い手が男を黙らせた。


「ーーー!?」


口を塞がれながら男は初めて自分を殺そうとする者の顔を見た。そして



目を奪われた。



そこにいたのは血で染まり切った黒衣に身を包んだ少女だった。

窓辺から差し込んだ月の光がまばゆい金髪と冷たく澄み切ったアイスブルーの瞳を淡く輝かせている。月の加護を得たかのように少女だけがこの暗闇の中で淡い光を纏っている。


凍てついた刃を思わせる少女の雰囲気と、未だ幼さを残す肢体のアンバランスさが男の心を惑わせた。



ー美しい



男は場違いにもそう思ってしまった。それは夜の使者からの断罪の刃、男は裁きを待つ罪人。

まるで切り取られた絵画の中の一場面ように、男はこの少女に殺されようとしている。


ああ、自分は殺されようとしている。それなのに死への恐怖が薄れていく。妙な高揚感が自分を満たしていくのを男は感じていた。


そんな男の心など知る由もない少女の口がゆっくりと開く。


「お願いです、私を忘れないで」



それは男には想像だにできなかった言葉。そして縋るような声色だった。

云われずとも忘れるものか、と少女の懇願に男は小さく頷いた。


それに安心したかのように少女は刃を振り下ろす。スローモーションのように迫る凶刃を男は静かに見送った。


帝国軍司令官は人生最期の瞬間に名も知らぬ少女に魅入られた。その死に顔に恐怖の色はなく、ただただ何かに心を奪われ惚けた表情を浮かべるばかりだった。






ズシュッ、動かなくなった男から短剣を引き抜いた少女は刃にべっとりと付着した血を手慣れた様子で振り払う。まだ後始末が残っている。


「闇の精霊よ」


少女の呼びかけに応じて、ぞわりと湧き出た黒い闇の塊が男の死体を包み込む。

ミシリ、ゴキ、ベキリ、肉を引きちぎり骨を砕く不快な音が回廊に満ちる。黒い虫が群がるように死体が影に蝕まれ消えていく。影は死体を丁寧に噛み砕き、溶かすように飲み込んでいく。

完全に死体が消滅するのに時間はかからなかった。


それを見届けた少女は懐から四角い箱の形をした魔法具を取り出した。


それはヴォルムス製の通信機、片手に収まる大きさでありながら国と国の間の通信すら可能な、まだヴォルムス国内にすら公表されていないはずの最新型だ。



「執行官ルフナ=オラシオン、只今任務を完了しました。セレスニルに帰還します、シベリウス様」


黒衣の少女は感情の宿らない冷たい声色でそう話しかけた。





主だった為政者たちが一掃された結果、これ以後、帝国の支配が大きく揺らぎ流氷の国は動乱期へと突入することになる。


貴族たちの妨害を跳ね除けた麗竜帝の命を受けて、皇帝直属『太陽の狼達』が派兵され、ついに占領軍の汚点が暴き出されることになるが動乱は止まらなかった。



溶け出した氷山は帝国と流氷の民を巻き込みながら雪崩のごとく崩れ落ちる。流氷の国が帝国の支配から解放されるのはまだ先のことになる。





そして転移魔法陣でセレスニルに帰還したルフナ。

彼女に命じられた新たな任務は、祖父の言うことを真に受けて酒場へと繰り出してしまった純粋バカな孫娘の追跡だった。

やれやれと思いつつもルフナは過保護な大神官のために『ラファの酒場』へと向かう。

こびりついた血の匂いを誤魔化すためにお気に入りの香水を振りかけてから、久しぶりに故郷の街へと歩み出した。





これからしばらく後に、ルフナは流氷の国を再び訪れることになる。



今度は闇に紛れる暗殺者ではなく光纏う勇者として、桃色髪の親友と大斧の大男、そして白い不思議な雰囲気の少女と共にだ。


寒さが苦手な白い少女が文句を垂れ、そんな彼女を桃色髪の少女がからかって喧嘩になり、ルフナと大男が慌てて仲裁に入るのだ。

とても賑やかで愉快な冒険の旅が待っている。



それは少し遠い未来のお話。


世界中を旅しました


剣戟と銃弾の音、血と火薬の匂いで彩られた広い世界を


国から国へ


影から影へ


私の歩みは止められない


それはまるで罪から逃げるように


その柔らかな喉笛を斬り抉る


この手に救いは宿らない、あるのは慣れ親しんだ鉄錆の香りだけ


私はいつも語りかける


お願いです、貴方を殺した私を忘れないで


そしていつか煉獄で会いましょう


それだけ伝えて私は刃を振り下ろす


心は冷たく脈打ち


鼓動は止まる


殺されたのは貴方か、それとも私の心?



教えて下さい



こんな世界に救いはあるのでしょうか



こんな私はこの世界を愛しても良いのでしょうか


ー聖約教会

『異端審問、ルフナ=オラシオンの懺悔より』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ