第29話 田舎暮らし
「――ぃ、――かい!――サカイ!!」
耳元で響いた怒鳴り声。
それが意識を覚醒させ、目を開けるとぼやける視界に動くものが映った。
――ホミだ。
「起きなさい!もう朝ご飯できてるよ!」
「うぅ……あと5分」
「ダメ。早く朝ごはん食べて、出発の準備して!」
布団をひん剥き、私の腕を強引に引っ張って無理に起こしてくる。
これ以上怒らせると困るので、まだ眠い頭で起き上がり、よろよろとおぼつかない足取りで食卓へ向かう。
「うわっ――!?」
そのせいで、足を踏み外して倒れそうになった。
なんとか意識がはっきりして態勢を戻すことに成功したものの、かなりヒヤッとした。
倒れずに済んだことにホッとしていると、前からため息が聞こえた。
「何やってんの?しっかりしてよ」
「いや、眠くて……」
「昨日遅くまで起きてたからでしょ?全く、だから昨日何度も早く寝なさいって言ったのに。本当に困っちゃうわ」
私の心配をするどころか、説教をしてくるホミ。
それが大切な恋人に対する態度何だろうか…?
昔はもう少し優しくて可愛げがあったのに。
そんな愚痴を心の中でこぼしながら食卓へ向かう。
そこには、ホミが早起きして丹精込めて作ってくれた朝食があった。
「今日はししゃもか。子持ち?」
「もちろん。サカイは子持ちしか食べないでしょ?」
「まあね」
お茶碗一杯の白米、2尾のししゃも、刻みネギの入っただし巻き卵、ほうれん草のお浸し、しいたけ入りの味噌汁。
都会の忙しさに忙殺された人々の誰もが羨む、理想的な日本の朝ごはん。
今朝もこんなにいい朝ご飯を作ってくれたホミのやさしさに感謝し、2人で食卓を囲む。
「「いただきます」」
ちゃんと手を合わせ、食前のあいさつをして朝食をいただく。
静かな食卓に、2人が朝ご飯を食べる音が響く。
食べながら時計を見ると、時刻は7時20分。
もうゆっくりしていられる時間ではない。
その事に気付いてからは、大急ぎでかき込むようにホミの作ってくれた朝ご飯を食べる。
「詰まらせないでよ?」
急いで食べたせいで、ホミに怒られてしまった。
「大丈夫だって。それより、ホミの方こそ大丈夫なの?間に合う?」
「まあギリギリ。遅刻はしないと思うけどね」
ゆっくりしていられないのはホミも同じ。
むしろ、始業時間の早いホミの方が急いで食べるべきだ。
実際本人もその事を自覚しているが、遅刻はしないだろうと計算して余裕を持っている。
「先に食べてくれたらよかったのに。間に合わなさそうなら夜に回せばいいんだし」
ホミがこんなに時間に追われる必要はない。
私を待たずに朝ご飯を食べてしまえば、まだいくらか時間はあっただろう。
今日みたいな日にすぐに食べられるようにと、いくつか菓子パンや栄養バーが備蓄されている。
私はそれを食べながら出勤すればよかった。
けれど、ホミはそれを良しとしない。
「“よっぽどのことがない限り、朝と夜は一緒に食べる。”私たちのルールでしょ?」
「そうだけどさ……」
家族として生きる私たちのルール。
ご飯は一緒に食べる。
付き合い始めた日から5年。
ずっと守ってきた大切なルールだ。
一緒に食卓を囲み、会話が無くても同じ時間を共有する。
それが私たちの幸せで、愛である。
とはいえ、それがお互いにとって負担になることが無いわけじゃない。
「私の不摂生でホミが不都合を強いられなくたっていいんだよ?」
「そんな心配をするなら、その不摂生をしなように努力してよ」
「ぐっ…!」
その事を伝えると、ホミは正論で返してきた。
そう言われると言い返せないので、引き下がるしかない。
このやり取りも、5年間でどれだけ繰り返しただろう?
…それを数えることができないほど、私たちは幸せな生活ができている。
朝食を食べ終わると、着替えて身だしなみを整える。
髪をとかして、乳液を塗って、化粧をして、最後にもうすっかり慣れたスーツの袖を通す。
私はホミと付き合うことになってから、スーパーでアルバイトを始めた。
それから縁が生まれ、店長さんの知り合いの経営する小さな会社で雇ってもらえることになったんだ。
それを機に曖昧な状態を終わらせるため一度家に戻り、高校を辞め、家族に別れを告げてこちらに引っ越した。
それからはホミとの交際も本格的なものになり、石滑り村の人たちとも仲良くなって今では村の一員。
会社でも仕事をしっかり覚えてお給料をもらい、もう立派な社会人だ。
「ホミー。行くよー」
「はーい」
時刻は8時10分。
スーツ姿になった私は荷物を持って玄関へ向かう。
その途中で、できるところまで家事を終わらせようとしていたホミを呼び戻す。
玄関で靴を履いていると、ホミがやってきた。
彼女もスーツに身を包み、髪を結んで立派な社会人姿。
初めてであった頃の学生制服姿もよかったけど、こうして大人になったホミを見ても、本当に私好みの女だなと思う。
そんな好みの女がむすっとした表情で小さな袋を差し出してきた。
「お弁当忘れてる」
「あっ!ごめんホントだ!」
「もう、しっかりしてよね?」
袋の中身は、ホミが作ってくれたお弁当。
ただでさえ朝ご飯を作るために朝が早いのに、お弁当まで作ってくれるんだ。
本当に、ホミには感謝しかない。
お弁当を受け取ってカバンに詰めると、2人で家を出て車へ向かう。
田舎は車社会だ。
何処へ行くのだって車が居る。
免許が取れるようになってすぐに免許を取り、バイト代と親にねだって手に入れた金で買った中古車。
もう2年もすれば新しい車を変えるだろうけど…それまではこの古い車で我慢。
運転席に乗り込むと、ホミは助手席に乗る。
今時珍しい鍵を差し込むタイプのエンジンを起動し、アラームが鳴る前にシートベルトを締めると、サイドブレーキを降ろしてレバーをDに入れる。
ゆっくりブレーキを離して発進すると、慣れた動きで蛇行する山道を下っていく。
いつもの道を走ること30分。
着いたのは市役所の地区支所。
私たちの住む場所は市の中でも市役所から離れた場所であり、こうした地区支所が必要になる。
ホミはここに就職したんだ。
ホミは付き合い始めてから私のように高校を辞めるなんて真似はせず、通信制高校をしっかり卒業して、短大に入った。
短大も順調に卒業したホミは、地域の縁と自分の努力で採用試験の狭き門を突破し、晴れて地方公務員となったのだ。
コネ入社しておいて恩知らずな言い方ではあるが、安定とは遠いところにある地方の小規模会社で働く私とは大違いである。
「着いたよ。行ってらっしゃい」
「ん。行ってきます」
駐車場に車を停め、ホミを降ろす。
別れる前に恒例のキスをして、ホミとは一旦そこでお別れ。
ホミが車を降りて支所へ入っていくのを見送ると、私も車を再発進させて職場へ向かう。
こうして、私たちの日常が始まるんだ。
夕方17時。
嬉しいことに、私の職場は残業が少ない。……その分お給料も少ないのだが。
とはいえ、残業が少ないのは良い事だ。
荷物を片付けて車に戻ると、ホミを迎えに支所へ向かう。
「ただいまー」
「おかえりー」
そして、今日も仕事を終えたホミを拾って家に向かって車を走らせるのだ。
「あっ。洗剤切れそうだから薬局寄って」
「りょーかい」
たまにこうして寄り道をする。
田舎には何もないと思われがちだが、車さえ使えばいろいろな店に行ける。
…まあ、車が使えないと何もできないんだけど。
とはいえ、今のところ不便だと思ったことはない。
住めば都と言うけれど、本当にその通り。
「今日の夜は何がいい?肉?魚?」
「お肉かな。昨日魚だったし、朝もししゃもでしょ?」
「切り身とかししゃもは冷凍の大容量のを買って、必要なだけ焼けばいいからね。楽なんだ」
「お肉は味付けとか、調理とか色々必要だもんね。いつもワガママ言ってごめん」
「いいよ別に。そうやって謝るくらいなら、たまにはサカイが作ってくれたっていいんだよ?」
「まあ、また今度やるよ」
「はいはい。いつかはやってよ?」
帰りの車では、こうして夜ご飯の話や今日あったことの話をする。
交際歴や年齢、環境から見ても私たちは完全に夫婦だ。
実際そう見せるためにハンドルを握る右手の薬指には、銀の指輪が夕日を反射させている。
バイト代を貯めて買った指輪。
これを買って、改めてプロポーズをした時はホミを泣かせちゃった。
嬉しさ半分、黙って大きなお金を使ってしまったことへの怒り半分。
私のバイト代はその頃には共有財産だったので、ひとしきり愛を確かめ合った後にしっかり怒られちゃったよね。
でも、後悔はしていないし、ホミもその事を根に持ってなんかいない。
だって、形や過程はどうあれ、これは私たちの一生の愛の証。
代えがたい大切なものだから。
「薬局に着いたらおやつ買っていいー?」
「だめ。家にあるので我慢して」
「ちぇー」
何でもない普通の会話。
ただの夫婦の会話。
それをすることができるのが、今でもこの指輪付けられる証拠なんだ。
だから……
「ホミ」
「今度はなに?」
「大好きだよ。ずっと愛してる」
「……私もだよ。サカイのこと、一生大好き」
今日も愛をささやく。
不意打ちのような告白に、サカイは顔を赤くしながら自分も大好きだと言ってくれた。
急に愛をささやかれると恥ずかしそうにするのは、5年経っても変わらない。
そして、一生変わらないでほしい。
そんな願いを、私は毎日銀の指輪に祈っている。
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『女子高生2人は田舎暮らしで満たされた』完
途中、モチベーションの関係で放置することになってしまいましたが、環境の変化でもう一度書き始めようと思い完結させることができました。
もっと長くすることも考えましたし、その構想も頭も中にありましたが、全てを書ききることができる自信がないことや、展開上ここで終わらせるべきだと考え、完結とさせていただきます。
余裕があれば後日談や、付き合ってからここへ至るまでの掘り下げ編なんかを書くかもしれません。
余談
この最終話を書きながら音楽を流していたら、星野源さんの『恋』が流れてきました。いいですよね、頭の中で知っている曲を流しながらエンドロールを妄想するの。




