第17話 おねむの日
昨日の夜のホミとの過ちのせいで、一睡もできぬまま夜が明けた。
朝早く…恐らくいつもの時間にホミは起き出して台所へ向かい、朝ご飯を作り始めた。
私もしばらくしてから起き出し、朝ご飯を作るホミの横に立った。
「私も手伝うよ」
そして、何事もなかったかのように普通に話しかける。
ホミは一瞬固まって、表情を強張らせたがすぐにいつもの笑みに戻って…
「ありがとう。昨日洗った食器を片付けておいて」
「わかった」
ホミも、何事もなかったかのように振る舞って、私に食器を片付けるよう言ってきた。
こうして…昨晩の出来事は無かったこととして扱われ、いつも通りの日々がまた始まった。
「………っ」
「眠そうだね?」
「ホミ…ちょっと、ね…」
時刻は午前10時半。
外が暑くなり、外出したくない時間帯だ。
それはホミも同じなようで、朝に新しく熟れたトマトや、頃合いの茄子なんかを収穫しに行ったきり、エアコンの効いた部屋でテレビを眺めている。
あまりテレビを観ず、かつ面白いとも思わない私は、すぐに徹夜の影響で眠たくなってきた。
今も、頭がガクン!と揺れて目を覚ましたくらいだし…やばい、本気で眠い。
「ホミは眠くないの…?」
「眠たくはないかな。…すごく疲れてるけど」
「そっか……ちょっとだけ…お昼まで寝てもいい?」
「いいよ。おやすみ」
私は座布団を枕代わりにして、その場で床に寝転ぶ。
畳敷きの居間は、そのまま横になっても体があまり痛くならず、座布団を枕代わりにすれば、ある意味ホテルよりも快適だ。
もちろんホテルのベッドが寝苦しい訳では無い。
ただ…血に刻まれた性というか、日本人の気質というか。
柔らかいマットレス、ふわふわの掛け布団、低反発の枕よりも、畳の上で座布団を枕に寝る時の心地よさ…
(あぁ…なんだか魂が抜けていくみたい…)
横になって10秒くらいだろうか?
体の下になっている部分から、まるで畳に力を吸われるように、全身から力が抜けていく。
同時にやる気もなくなってきて、眠気が私を満たすのだ。
驚くほどスムーズに睡眠に入り…あっという間に少し触れられた程度では起きないほど寝てしまった。
「ふぁ~……んんー!」
大きなあくびをしながら目を覚ますと、体を伸ばして寝ている間に凝った部分のほぐす。
そして、最後に首を回して全身の凝りを何とかすると…ホミが寝ていることに気付いた。
私の隣で、ちゃっかり枕まで持ってきて寝ている。
「お腹すいたな…お昼ご飯はどこかなぁ…」
パッと時計を見ると、もう14時だ。
お昼ご飯はとうに食べてしまっているだろう。
そのうえで、お腹いっぱいになって寝たに違いない。
私を起こさないでくれたのは、気持ちよく眠っている私を起こすのが忍びなかったとか、いくらでも想像はできる。
多分、キッチンに私の分のご飯がサランラップでもかけて置いてあるだろうから、それを探して居間を出た。
キッチンにやってくると、小さな机や普段まな板を居てあるスペースを見てみるも、何もない。
夏だから、腐るかもしれないということで冷蔵庫の中かと思ったけど…冷蔵庫にもなかった。
よく見ると、洗い終わった食器がラックにかかっておらず、調理器具もどうやら触った形跡がない。
恐らく、お昼ご飯を作る前にホミも寝てしまったんだろうね。
なら仕方ない。
ここは、私が一肌脱いでお昼ご飯を作りますか!
冷蔵庫を開けて、何かないか探してみる。
わたしでも作れる料理…もやしとウインナーを炒めたものとか、とりあえず調味料とわかめを鍋に突っ込んだだけのスープなら、私だって作れる。
……はずだ。
冷蔵庫からウインナーともやしを拝借し、フライパンを取り出してコンロに置いた。
「ガスコンロなんだよね……ちょっと怖いけど、やってみよう」
ウインナーの小袋を開けてフライパンにそのまま放り込み、続いてもやしも袋を開けてそのまま入れる。
ガスコンロの火のつけ方は、学校の調理実習でやったものと同じタイプなのでちょっと手間取ったけど、なんとかできた。
火をつけるために勢いよく最後までつまみをひねり、そのままにする。
火が通るまではしばらく時間がかかるし、次はスープだ。
「お鍋は……これかな?」
私が見つけたのは、パスタを何人前も茹でられそうな大きなお鍋。
両脇に取っ手が付いていて持ちやすい。
そこに水を半分くらい入れて、火にかける。
引き出しから粉末のかつおだしを取り出して、それを一袋丸々入れる。
「…全然透明じゃん。袋もちっさいし…一人前の小鍋用なのかな?もっと入れちゃえ!」
粉末のかつおだしパックは箱買いされていて、軽く20個くらいはある。
3つ4つ入れても大丈夫でしょ?
粉末のかつおだしパックを鍋に4つ入れると、スプーンで一杯すくって味見してみる。
…味は確かに感じるけど、なんか微妙。
「…そういえば、出汁ってかつおと昆布の合わせだしがおいしいんだっけ?確か昆布あったよね?」
引き出しを漁ると、昆布が見つかったのでそれを鍋に入れる。
1本丸々入れたけど…まあ大丈夫でしょ?
あとはわかめだけど…あった。
「たったこれだけか…また買い足してもらわないとね?」
見つかったわかめは、お皿に入れるとほとんどないも同然みたいな量。
持ってみても、袋の重さしかないんじゃないの?ってくらい少なかったので、残っている分を全部入れた。
そこで思ったけど…なんだか彩が足りない。
…お豆腐でも入れようか。
冷蔵庫から豆腐を取り出す。
ぶ厚めの本くらい大きい豆腐が見つかり、私はどうしたものかと困る。
「…とりあえず入れて、中で箸で切ればいいか」
豆腐のパックを開けると、中に入っていた汁ごと入れて、菜箸で切っていく。
居れるときにちょっと跳ねたけど…まあ、沸騰する前だから熱くない。
いい感じの大きさに菜箸で切っているけど…思ったようにきれいに切れない。
なんでだろうと首をかしげていると、大事なことを思い出した。
「あっ!お米炊いてないじゃん!」
私は急いで炊飯器を確認すると、案の定中身は空っぽ。
お米を炊かないと。
急いで米を探してキッチンを歩き回るけど、見つからない。
同じところを何度も行ったり来たりして、ようやくお米を見つけた。
茶色くて大きな袋にそのままお米が入っていてびっくりした。
うちは白い箱みたいなのに上からお米を入れて、1合とか2合とか書いてあるボタンを押すとお米が出てくるタイプ。
それを炊飯器に入れて、研いで、あとは炊飯開始のボタンを押すだけ。
なんだけど…
「なに…この木箱みたいなやつ…」
大きな茶色い袋の中に、お米と一緒に木箱みたいなのが入っていて、どうしていいかわからない。
とりあえず、その箱みたいなので山盛り一杯すくってみると、結構な量が取れた。
「多分…二人前あるでしょ?」
その箱に入ったお米を炊飯器の釜に入れて、水道水で研いでいると…
―――パンッ!!!
「っ!?な、何!?」
突然フライパンの方から破裂音が聞こえてきた。
急いで様子を見に行くと、すごくジュージュー言ってるし、何より…
「焦げてる!!?」
もやしがフライパンに焦げ付いて大変なことになっていた。
慌てて鍋に突っ込んだ状態になっていた菜箸に手を伸ばすと…
「熱っ!?」
蒸気に触れて指をやけどしそうになった。
何とか蒸気に触れていない部分をつまんで引き抜き、菜箸を冷やしてフライパンの中でぐちゃぐちゃ混ぜる。
「ああああ……」
もやしはしっかり焦げ付いていて、混ぜても千切れるだけ。
ウインナーもフライパンに接していた部分は真っ黒だし、もうひび割れてる。
その上、横からボコボコという沸騰音が聞こえてきた。
「わっ!?何これどうなってるの!?」
鍋の水が完全に沸騰して、大変なことになっている。
表面はジェットバスのようにブクブク泡立ち、洗剤でも入れたかのように泡がどんどん増えていく。
「えっと!えっと!?」
このままだと溢れてしまう。
そうならないためにはえっと!?
「と、とりあえず蓋っ!!」
すぐ手の届く位置にあった蓋をかけてこぼれないようにする。
これで蓋に遮られてこぼれないはず。
そう思ったののに…むしろ勢いが強くなって、どんどん上ってきている。
そして、ついに蓋の隙間からあふれ出して、ジャァァアアア!!と音を立てて火が燃え上がった。
「ひっ!?」
勢いよく鍋の底を踊るオレンジ色の火。
近づくと熱くて思わず逃げてしまう、そのせいで今度は焦げ臭いニオイがしてきた。
「も、もやしが…!」
もやしが焦げてしまって、真っ黒になっている。
何とかしようと菜箸を伸ばし、隣の鍋の火の熱気に充てられて手を引く。
それを3回繰り返して、アワアワしていると……
「なにやってるの!?」
ホミがキッチンに飛び込んできて、私を押し退け火を消した。
それによって鍋の沸騰は止まり、もやしが焦げるジュージューという音も弱くなった。
「あっ…あぁ……」
ようやくなんとかなって緊張が解けた私は、声にならない声を出してその場に座り込んだ。
「つまり、お昼ご飯を作ろうとしてこうなったわけだね?」
「うん……」
ホミが助けてくれたことで何とか落ち着き、私が冷静になったところで事情聴取が始まった。
事の経緯を説明すると、ホミはあきれた様子で頭を抱えた。
「ふぅ……あのね?火を使ってるときに目を離すなんて、一番やっちゃいけないことだよ?IHならまだいいかもしれないけど、うちはガス火なの。一歩間違えたら大火事になるんだよ?」
「はい……」
「大体、なんで火にかけてから他の事始めるかな?ご飯を炊くなんて、時間のかかる工程なんだから、一番最初にやらなきゃだめだよ。あと、ずっと強火でやってたら、そりゃあ焦げるよ」
「………」
「ああ泣かないで!?怒ってるけど怒ってないから!」
真面目に怒られて、自然と涙が出てくる。
ホミはそんな私を見て励ましてくれるけど、できるかもしれないと思っていた料理もできず、それどころか食材を大量にダメにしてしまって、尚且つもう少しホミが起きてくるのが遅かったら、火事になっていたかもしれない。
そう考えると、私はなんてダメな人間なんだと自己嫌悪に陥って、怒られているの相まって涙が止まらない。
「今度からは私が横にいて、教えながらやるからさ?もうこんな失敗しないからさ?泣かないで?よしよし」
「だって…だってぇ…!」
左腕で抱き寄せられ、右腕で頭をなでられてるけど、涙が止まる気配はない。
むしろこうして慰められると、いつも専業主婦並みの立派なご飯を作ってくれるホミと私との差で、自分の不甲斐なさにさらに自己嫌悪する。
ホミと私は同い年で、同じだけの時間を生きてきたはずなのに、どうしてこうも差が生まれたのか?
分かってる。私が不真面目でやる気がなくて、何事にも興味を持たずに生きてきたからだろう。
ホミは、私が過ごしてきた無駄な時間を、自分のために有意義に使っていたんだ。
何もせず、時間を消費していただけの私とは違う。
「大丈夫、今のサカイの隣には私がいるでしょ?」
「……うん」
「何でも教えてあげるよ。サカイが知らないこと全部」
そんな私にも、優しくしてくれるホミ。
もう…家には帰れそうにない。
ここはすごく居心地がいい。
こんな私でも、優しく甲斐甲斐しくお世話をしてくれるホミが居るから。
ホミは私の救世主。私の聖人。私の――
「……まあ、とはいえ流石にお説教が必要かな?また同じようなことがあると困るし」
「…えっ?」
私を抱きしめる左腕が、私を逃がさないように捕まえる左腕に変わった。
「わかめを全部使いきって?だしパックをこんなに使って?もやしとウインナーをダメにして?こんなにコンロを汚して?お米も…適当に入れただけでしょ?」
「えっと……」
「そしてあわや火事になっていた?う~ん…小学生じゃないんだからさ?本来お説教じゃ済まないよね?」
「その…私トイレに…」
「じゃあ一緒に行こうか?」
「うっ!……すみませんでした」
「謝って許されることじゃないね。これを一旦片づけたら、居間に行くよ」
「はい…」
笑顔なのに、鬼の形相。
そんなホミに焦げ焦げのフライパンを洗うように言われ、ヒーヒー言いながらなんとか綺麗にした。
そしたら今度はお説教。
結局夕日が今に差し込むくらいの時間までみっちり怒られ、料理のイロハを叩きこまれて、何回も涙を流した。
『もう二度と勝手な真似はしない』
そう心に決めて、ホミと一緒に作ったおいしい夜ご飯を味わって食べるのだった…




